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私は、前回のブログ『エデンの川』では、レーテ・エウノエ川を上流に遡って、その源流に行き着きました。ダンテは昇る朝陽を正面に見て(煉獄篇27歌133)、初めて川の岸に立った時、川は左手の方へ流れていました(煉獄篇28歌26-27)。すなわち、エデン川は、東を向いたダンテの前を右から左へ流れているということは、南から北へ向かって流れていることになります。ダンテは、エデンに着いて最初に出会った聖女マテルダに案内されて、川の堤を上流にそって南へ向かって歩きました。すると、百歩も歩かないうちに、
ラテン語をかじったことのある人、これからかじってみようと思っている人、英文法の得意な人は、このブログのラテン詩を読むことができるでしょう。ウェルギリウスウェルギリウスの墓と碑文〔参考訳〕マンツアが私を産んだ。カラブリア人(=ギリシア人)たちは私の命を奪った。今は、パルテノペー(=ナポリ)が私を保ってくれている。私は、牧場(=牧歌)と田園(=農耕詩)と武将たち(=英雄視)を歌った。アエネイス序歌〔参考訳〕戦いと男について私は歌う。その男は最初にトロイア
地上楽園とエデン『神曲』には「エデン」が存在しません。その原因はたったひとつで、ダンテの使っていた聖書が『ウルガータ』であった、というだけのことです。旧約聖書の『創世記』第2章には神によって行われた天地創造について書かれていて、その章の8項に「エデン」と「パラダイス」の描写が見られます。そして、ダンテが楽園創造の情報を得たのは、『ウルガータ』の『創世記(第2章8項)』の次の記述です。さらに主なる神は、まず初めに悦楽の地に所属するパラダイスを造園して、そこ
『神曲』の『煉獄篇』は、煉獄島にある煉獄山で起こった出来事を記録した物語です。そして、その山の石段を「ことごとく登り切って、一番上の石段に立ったとき(原文は下に添付)」、眼前には、厳しい浄罪を終えた霊魂たちが天国へ昇るための支度をする憩いの楽園が広がっていました。その楽園のことを、私たちは「エデン」と呼んでいます。『神曲』にも、確かに「エデン」は存在しています。しかも、そこの楽園は、世界中のあらゆる文学に描かれたエデンよりもはるかに美しい光景をもっています。しかし不思議
詩篇114番とはミルトンの小品だけのギリシア詩の中で唯一文学作品の形態を整えているのは『詩篇114番』で、旧約聖書の同題の詩歌から題材を取って書かれたものです。『詩篇114番』といえば、旧約の『出エジプト』とイスラエルの選民を歌った有名な詩歌です。ミルトンの作品を見る前に、ルネサンス以後に流布している重要な聖書の中に収められたその詩歌を一通り見ておきましょう。〔日本聖書協会訳〕1.イスラエルがエジプトをいで、ヤコブの家が異言の民を離れたとき、2.ユダは主の聖所となり
煉獄山の登山の心得煉獄前域(アンティプルガトーリオ、Antipurgatorio)に聳えた断崖を登り切ったダンテとウェルギリウスは、台地(バルツォ、balzo)に到達しました。そして、その台地は、煉獄山の麓を周回する環状道路(チンギオ、cinghio)になっていました。しかし、登ってきた道の険しさに心が萎えそうになったダンテは、ウェルギリウスに次の様な弱音をはきました。まだ私たちはどれだけの距離を行かなければならないのか知りたいのです(volontiersapreiq