ブログ記事176件
4月19日金曜日〜その2『インディオの聖像』文・立花隆/写真・佐々木芳郎(R4年5月30日文藝春秋)を読了。9時半から11時25分まで二度寝。首のストレッチ。四股10回。体重68・0キロ。宅配便を受け取る。飲料は、カルシウムの多いミルク、KAGOMEつぶより野菜、信州産りんごジュースしぼりっぱなし果汁100%、松谷化学工業希少糖含有シロップレアシュガースウイートを加えた…(写真)LUPICIA鉄観音。かの蜂国産蜂蜜あかしあを口に含む。
4月19日金曜日〜その12時、オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、DyDomistioGINGERALE。文・立花隆/写真・佐々木芳郎『インディオの聖像』を読み、3時半に休む。8時、目が覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。文・立花隆/写真・佐々木芳郎『インディオの聖像』を読む。P162には、ネコビルへ移動前の立花さんの仕事部屋で、佐々木さんが撮影した、週刊文春「仕事場探検隊」の写真が登場する。(写真)私のスクラップブックに、其の切り抜
4月18日木曜日〜その10(写真)先日、ふぐをご馳走になったカメラマンの佐々木芳郎さんが『インディオの聖像』立花隆(R4年5月30日文藝春秋)を贈って下さいました。早速、読み始める。
4月14日日曜日〜その13(写真)佐々木さんから、PHOTOBOOK『Espina川口真由美』とPHOTOCARDを頂きました。(写真)『インディオの聖像』文・立花隆写真・佐々木芳郎(R4年5月27日文藝春秋)。
エメラルド・フォレスト1985年9月14日公開アマゾンで行方不明になった息子と10年ぶりに再会した父。息子はインディオの戦士になっていた。あらすじアマゾンでダム建設に従事していたアメリカ人技師ビル・マーカムは、ある日、妻ジーン、7歳の息子トミー、幼い娘ヘザーを仕事場につれて行った。ふと気がついた時には、トミーの姿が消えていた。それから10年後の1983年、ビルはジャーナリストを併って何度目かの探索行に出た。これまでの調査から、幻の種族と呼ばれるインディオがトミーの失踪にかかわっている
リブログさせて頂きます。m(__)m本当それを考えると、気持ちは解りますが、寝たきりの病人への流動食や点滴💉、また、食べる事を拒否している動物への無理やりの給餌などはある種、拷問に近いし逆効果なのではないかと…。😩😢そういえば、船瀬俊介氏も確か「3日食べなきゃ7割治る」という著書で↓のように言っています。また、内容としては「食べる事によって病気を治す為のパワーが消化に回されてしまい、病気を治す事にパワーが行かず、病気の治りが遅くなる」ーというような内容だったと記憶しています。
こんにちは!masamiです。週2回、日曜日と水曜日にメルマガ発行特典PDF『エネルギーを循環させる3つのポイント』をもれなくプレゼントご登録お待ちしております先日、自然食料品店のオマケでもらった飴の原材料を見ていたら、「コパイバ」なるものを発見。聞いたことがなかったので、検索してみたところ、樹木の名前とのこと。さらに調べると、ドテラの精油ラインナップにもコパイバを発見コパイバの樹脂から、エッセンシャルオイルが作られるんですね
沖の注連縄「琉球」の謎その12古代のアメリカに渡ったのは、主にモンゴロイドである。それはインディアン、インディオと呼ばれるようになった人たちを見ても分かる。筆者もアメリカに留学していた際、日本人そっくりなメキシコ人や南米人たちと仲良くなったが、その時は単に「似てるなぁ」くらいで、特に深くルーツを考えたりはしなかった。とても可愛らしいメキシコ人の女性ロシアのモンゴロイド「エヴァンキ人」の若者顔に入れ墨をするイヌイットの女性たちイヌイットの女性と子供別にモン
趣味ではあっても、しんどい本にもあえて向かわざるを得ない時があるものです。今日取り上げたいのもその一つ。ソ連のチェコ侵攻について掘り下げたくて読んだ、堀田善衛氏の「小国の運命・大国の運命」(筑摩書房)において触れられていて気になっていた一冊がそれ・・・。その後、まもなく古本市で出会って早速購入できました。1552年に印刷されたというそのタイトルは「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(ラス・カサス著岩波文庫)です。私たちはコロンブス以降の大航海時代として、スペインやポ
小さい頃友達と遊んでいると前に経験した同じようなシーンが頭を過る不思議な思い出が何度かあります遠くを見る目!“デジャヴュ”・・!?むか~~しむかし南米を“旅”している時ボリビアのポトシという閉山した銀山に滞在しましたネットより国境を一緒に超えたスイス人二人とアメリカ人は銀山の頂上(4000m)に登るとホテルを出発したが私は具合が悪かったので静かに部屋で待つことにしましたポトシ
ヴィニシウス・カントゥアリア/IndiodeApartamento今日紹介するのはブラジリアン・シンガー/マルチ演奏家/作曲家のヴィニシウス・カントゥアリア。'82年のソロ・デヴュー以来、多くのアルバムを発表しているので知っておられる方もいるかも知れませんが、当ブログでは初めて採り上げるミュージシャンですね。カエターノ・ヴェローゾのバックバンドでギターやドラムスを担当したあと、ソロとして独立しています。84年に米国N.Y.に移住。詳細は下のプロフィ
久々に見応えのある作品を観た気がします。こういう作品が好き。もっとも、最近は映画を観るペースが落ちているんですが💦こういう良い作品に出合えると、偶然見つけると、なんだか、それだけで、得した気分になりますね。夢を求めて<北>へとさすらう兄妹の希望と苦悩の日々を描く。製作はアンナ・トーマス、監督はグレゴリー・ナヴァ、脚本はトーマスとナヴァの共同。撮影はジェームズ・グレノン、音楽はザ・フォルクロリスタス、メレシオ・マルティネスほかが担当。出演はザイーデ・シルヴィア・グチエレスほか。1983年製作
最近、インディオの生活について書いてある文章を読みました。私の中で、アマゾン奥地で生活しているインディオの人達って、(なんでいつまでも文明を発達させようとしないのだろう?)って思っていたんですけど、まずその発想自体が間違いであることに気づかされました。インディオの人達は、文明を発達させたいのではなく、「環境を破壊してまで便利さを追求しない」のです。その言葉に、ハっとさせられました…。そうか、、そうなのか、、。そして、インディオの人たちの儀式。こ
こんにちは。サンジュネススタッフの岩本です。いつもありがとうございます。商品は、開発者から、製造者、販売者、配達をしてくれる運送会社さん、そして、消費者さんへと届きますが、これらの方たちがみなその一つの商品を大切にする思いがあるからこそ無事に消費者へ届くことができるのですよね。そのような思いがとても伝わってくる商品のご紹介です。アマゾンに暮らすインディオと呼ばれる先住民族は、自身や家族の身を守るために有用植物を使っています。そのインディオたちが1万年も
ライバル多し‼️FWY10沿いに出来たインディオのウォルマート‼️最新のトヨ2をゲットするも?「お前はそれだけ?」と、、、、手に持つシリーズを見せびらかされ「俺も欲しいなー」って言ってみたら「やるよ」って譲ってもらえた♥️そして通路を見てみろという教え…………箱から✌️レギュラーも♥️♥️♥️♥️♥️♥️♥️合計7箱、開いていたので失敬して✌️セビルにビビる‼️
「モリコーネ映画が恋した音楽家」で知った映画。さすがモリコーネ。音楽が素晴らしかった。映画自体も好きな作品。「モリコーネ映画が恋した音楽家」の中でモリコーネがインディオが虐殺されるシーンを観て、「曲を作る事が出来ない。」と一度はオファー断ったのも納得。この時代の入植白人の残念さ傲慢さは言葉では言い表せませんね。----------------------------------------------1750年~58年を舞台に南米の地の果てに殉教した2人のイエズス会士の物語。製作はフェル
おっはよ〜ございますごっ機嫌さんでーす♪あわてんぼーのサンタクロースクリスマス前にやって来た急いでリリリーン急いでリリリーン鳴らしておくれよ鐘を🔔リリリーンリリリーンリリリーン気忙しい12月だけど、なんか心ワクワクする季節クリスマス🎄のおかげだね。クリスマスと言えばこの花14世紀〜16世紀に栄えたアステカス文明の頃からすでにインディオたちに親しまれていた。ポインセチアのまばゆいばかりの緋色を清純の象徴としてこよなく愛していたと言われます。
【『はじめに遠くて近い国ブラジル』より引用】ブラジルと聞いて思い浮かべるのは、サッカー、サンバカーニバル、コーヒーなどでしょうか。2016年には、リオデジャネイロでオリンピックが開催されました。地球儀でブラジルを見ると、日本のちょうど裏側に位置しています。首都ブラジリアと東京の時差は12時間もあり、飛行機の直行便はありません。その意味では遠い国です。日本とブラジルは、19世紀の終わりに初めて関係を持ちました。20世紀になると多くの日本人が移り住み、近しい国となりました。現在、「日系人」と
『教皇フランシスコの言葉ケベックの先住民の使節との集いで』教皇フランシスコの言葉ケベックの先住民の使節との集いで(2022年7月29日、ケベック・シティー市内の大司教館)(試訳)愛する兄弟姉妹のみなさん、こんに…ameblo.jp(SR.ルカのマリア論よりいただきました)聖カテリの本は、「絶えるざる御助けの聖母信心会」でも販売しております信心会の書籍_202005.pdfdrive.google.comご注文は、神父様迄
教皇フランシスコの言葉ケベックの先住民の使節との集いで(2022年7月29日、ケベック・シティー市内の大司教館)(試訳)愛する兄弟姉妹のみなさん、こんにちは!さまざまな場所からここに集まってくださったことに感謝します。この地の広大さは、私たちが共に取り組んでいる癒しと和解の旅の長さを考えさせます。実際、三月に先住民の代表者の方たちが私をローマに訪ねてくださったときから私たちに寄り添って来た言葉、あなた方の間の私の訪問を特徴づける言葉は、「共に歩む(Walking
おはようございます今日はくもりのち晴れ24度予想です。昨日はずっと怠さと頭痛で辛い1日でしたが、何とか予定通り過ごしました。今日は普通に過ごせると良いのですが…。さて、アマゾン旅行の続きです。アマゾナス劇場を観光した後は、ボートツアーへ出かけました。6月は川の水位が上がるので、ボートで奥の方まで進んでいけます。最初に行ったのは、Boto(カワイルカ)と触れ合う所。水面を叩きながら、魚を餌に呼ぶと、カワイルカが近づいてきます。水に入りたい
アマゾンのインディオ(先住民)たちのお話を聞いたことを書きました↓『不安のない45年の人生』「希望の命水」の販売会社、JESさんが先日主催されていたオンラインセミナーの内容が非常に興味深かったです。話者は、株式会社サポートジャングルクラブ代…ameblo.jp・未来は「見たことも聞いたこともない」ので議論しない・彼らの言葉には「心配する」という単語がない・相手に対する自分の優位性を示す方法は奉仕行動。だから、争いごとがない
「希望の命水」の販売会社、JESさんが先日主催されていたオンラインセミナーの内容が非常に興味深かったです。話者は、株式会社サポートジャングルクラブ代表吉野朝(あさひ)氏。法人(団体)インタビュー1:ジャングルサポートクラブ代表吉野朝(あさひ)さん楽しみながら貢献する~人々と企業の意識が広がることを願ってジャングルサポートクラブ代表吉野朝(あさひ)…earthcitizen.jpアマゾン熱帯雨林の御神木から採れる樹液「コパイバマリ
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)前回から、遠藤周作さんの小説、侍を読んで、私が印象に残ったところを、紹介、解説しています。主人公である、侍の長谷倉(支倉常長がモデル)ら一行は、仙台藩の命を受けて、はるかローマまで、帆船で向かうのですが、メキシコの地でインディオと暮らす、日本人の元修道士と出会います。帰路にも再会して、こんな会話を重ねます。「この俺たちも」侍は恥ずかしげにうつむいた
おはようございます今日は晴れ時々くもり、一時雷雨31度予想です。バストスから20分ぐらいの隣街、トゥパンへ行きました。こちらの歴史博物館は開いていたので、予防接種証明を提示して、見学しました。色んな移民国の物が飾られていました。日本は、雛人形、こけし、陶器など。今日はひなまつりですね。結構嵩張るとおもうけど、日本から持ってきたんでしょうね。子ども用の着物もありましたが、着方がガウンのようです。別の部屋はインディオの展示でした
あ~にっちもさっちもいかないや!同僚が生産計画表と客先が前倒してきた納期を見比べ頭を抱えている。。。頑張れ!若者!!そんな人の苦しむ様を眺めつつ、受付の女子社員がポツリと「”にっちもさっちも”ってなんなの?!」と疑問を口にした、、、うん。ソコ?!「ニッチなニーズにこたえられないとか?」「いやサッチてなに?」「確かそろばんか何かが語源じゃ…」「あっちもこっちも的な?」「いや、もしかしたら語感だけで意味とか無いんじゃ、、、」いや、お前ら仕事しろよ。つか、業
『PuertaDelSol』とは「太陽への道」という意味。インディオの曲でしょうか・・・・。高い音を奏でている楽器は、縦笛のケーナでしょう。素朴な、哀愁の曲だと思います。
アンニョンハセヨ?今回は「夕陽のガンマン」観ました1965年イタリア映画セルジオ・レオーネ監督賞金10000ドルをかけられた凶悪犯エル・インディオ(ジャン・マリア・ボロンテ)彼の命を狙う賞金稼ぎのモンコ(クリント・イーストウッド)とダグラス・モーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)は手を結ぶことにモンコ、大佐、インディオ、それぞれがカッコいいですねイーストウッドはポンチョが似合います3人ともガン捌きがさすがに決まってましたイタリアのマカロニ・ウエスタン、
😂😂大谷君先発がんば🙄🙄◆「渡来人」は戦後の古代史研究者が造った言葉「帰化人」と呼ばれた「渡来人」5世紀~7世紀末(古墳時代~飛鳥時代)の時期の日本の文化は「渡来人」と呼ばれた人々の働きによって大きく発展した。○初期の知識人を代表する人物に藤原不比等がいる。▲「渡来人」と総称するのがふさわしくないわけ「アメリカ先住民」を何と呼ぶか「インディアン」とはコロンブスが先住民を「インディオ」と名付けたことによる。「インディオ」とは本来「インド人」を表す言葉で15世紀のスペイ