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ご来訪ありがとうございます✨フォーク・クルセダーズ…いい曲ありました…「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」「イムジン河」今でも通用します…https://www.joqr.co.jp/qr/article/123372/「あんな歌5回も聞いたら悪夢になる」280万枚の大ヒット曲『帰って来たヨッパライ』秘話|文化放送4月26日の『大竹まことゴールデンラジオ』は大竹まことがお休み。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして一世を風靡し、現在は精神科医の、きたや
お疲れ様です。イムジン河ザ・フォーク・クルセダパッチギ!主題歌作詞:朴世永訳詞:松山猛作曲:高宗漢・加藤和彦編曲:ありたあきらイムジン河水清くとうとうと流る水鳥自由にむらがり飛びかうよ我が祖国南の地おもいははるかイムジン河水清くとうとうと流る北の大地から南の空へ飛びゆく鳥よ自由の使者よだれが祖国を二つにわけてしまったの誰が祖国をわけてしまったのイムジン河空遠く虹よかかっておくれ河よおもいを伝えておくれふるさとをいつまでも忘れは
尊敬する音楽家の武部聡志さんが私のためにピアノを演奏してくださいました✨第二弾…✨世界の平和を願って…【イムジン河】を歌わせていただきました✨『イムジン河』ピアノ武部聡志さん佐藤ひらり【公式】全盲のシンガーソングライター全盲のシンガーソングライター・佐藤ひらりがプロデューサー・アレンジャーの武部聡志とタッグを組んで名曲をカバーする企画第4弾。『イムジン河』作詞・作曲:編曲:武部聡志東京2020パラリンピック開会式の国家独唱で共演を果たした佐藤ひらりと武部聡志。二人がいま届けたい
3年前の今日、リブログした記事の再リブログです。この記事を今読むと、ウクライナの人たちの困難な状況がダブってきます。ロシア軍が攻め込んでから二年。安穏に暮らしていた故郷が戦場になり、心ならずも異郷に移り住むことを余儀なくされている人たちが多くいます。戦争という人為によって、多くの人たちの平凡な日常・衣食住の確保という基本的人権が奪われ、戦場で命を落とす兵士たち(その多くは元来一般の市民)が多くいます。プーチン氏は、多くの人命を犠牲にしてまで獲得したい領土があるということでしょうが(そして
あの素晴らしい歌をもう一度〜コンサート2024〜だいぶ前に決まっていたライブ出演者も坂崎さん以外知らないまま…昨日参戦してきました〜到着遅れまして…オーブニング〜えっ〜きたやまさんも松山猛さんそれに高田漣君もいるじゃないですか〜なんとなく杉田さんは出演されると思ってました〜さださんも出演されると思っていたら…会場違い〜フェスティバルホールでしたね…初めての林部智史さん…そしてきたやまさんと坂崎さんトークいよいよ神登場ってどなた…っ
前回「戦争を知らない子供たち」を紹介したが、実はこの曲について有る時から嫌いになった。この曲が流行った頃、親やその世代の方々が、何を甘えたことを言ってるのだとか、戦争とはとか言ってくるのがうざかった。当時は学生運動もアハ盛り、反戦歌もラジオから何曲も流れてきた。そんな世情の中あの曲調が年長者の言葉と共に、本当に聞くのも弾くのも嫌になっていった。かと言って反戦歌を聞かなかった訳ではなく、「戦争は知らない」byフォークル、「百舌が枯木で」by岡林信康、「イムジン河」(これは「リムジン河」で聞いた)な
arihiko2013イムジン河悲しくてやりきれないきたやまおさむ坂崎幸之助南こうせつ
今日は「昭和研究の第一人者」茶唄鼓による「フォークソング」の研究発表です。1963年頃から始まった「フォークソングブーム」はマイク真木や森山良子などのお金持ちのお坊ちゃま・お嬢ちゃまの上品な音楽でした。一時、「友よ」「三谷ブルース」などがヒットした時期もあったが反戦歌は日本に馴染まなかったよな。「帰ってきたヨッパライ」とか「走れコウタロー」などのコミックソングが流行った時期もあったが・・・かぐや姫の「神田川」や吉田拓郎の「結婚しょうよ」が爆発的にヒットして当時、茶唄鼓
「悲しくて悲しくてとてもやりきれないこのやるせないモヤモヤをだれかに告げようか」ザ・フォーク・クールセダーズ(フォークル)の「悲しくてやりきれない」。サトウハチローさん作詞、加藤和彦さん作曲の名曲を聴いていて、歌詞とは対照的に、とても心穏やかな気持ちになりました。2024年1月27日(土)夜の冨田麗香さんの国分寺駅前路上ライブ。厳しい寒さで時折、風も吹く中、熱心なファンや通りがかりの人が、透き通った中にどこか哀愁を帯びた麗香さんの歌声に聴き入りました。麗香さんの歌とは
みなさん、こんにちは~♪(´θ`)ノ~♪1月22日(月曜日/大安吉日)のYoutube音楽動画のコーナーへご縁をいただいて訪問してくださいまして誠にありがとうございます。(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾本日のYoutube音楽動画の歌は、ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」と「悲しくてやりきれない」という曲を聴いてみようと思います。イムジン河ザ・フォーク・クルセダーズ2002悲しくてやりきれない・・ザ・フォーク・クルセダーズ
るそんべえです。日本の音楽シーンに多大な影響を与えた加藤和彦。その彼のドキュメンタリー映画が放映されるという記事を見つけました。その記事はこちらザ・フォーク・クルセイダーズでは、コミカルな「帰ってきたヨッパライ」をリリース。子供だった私も、興味を持って、レコードが欲しくて、母に買ってもらいました。その次に出した「イムジン河」か、南北朝鮮の状況を歌った歌だったため発売中止になっています。サディスティック・ミカ・バンドでは、凄腕のスタジオミュージシャンを集めたバンドで、英国
なんや昨日のライブ[永山愛樹(vo,g)/エクペリduo[おちょこ(vo,g)&ゆきを(g)]]永山さん、ほんとにいい空気をまとっているな。そして後半に向けてどんどん良くなっていった。選曲も良く、曲が強く、声の強さがとてもいい。幸せな気分。エクペリ、これまた優しい。おちょこさんの曲と声がそうなんだね。この二人の空気感もいいなあ。声が良く伸びてとても嬉しい。ギターもロックフレーズがさえているがなぜか穏やか。そして私、たこさんの歌、一緒にできてとても楽しかった。のびやかにやらせていただいた。ア
聴こえますか?こちら、「凪まち通信」です。今のあなたの心の波模様、どんなでしょうか?今晩は、あらゆる心身の不調で辛い経験をしているすべての方に、朝と夜の間だけ作れる<時の薬>をせっせと瓶に詰めて、鯨とドラゴンとフェニックスに運んでもらう仕事に精を出している、凪まちの住人たちからのリクエストです。イ・ランさんの🎵イムジン河🎵聴いてください。[MV]이랑イ・ラン-임진강イムジン河기획ExecutiveProducer-이랑LangLee연출D
板門店ツアーの続きです。イムジン河対岸はもう北朝鮮です。北朝鮮の村。ガイドさんは宣伝村みたいなもので、実際には人は住んでいないと言ってました。臨津閣公園。北朝鮮軍の爆撃を受けた蒸気機関車。1000個以上の銃弾跡があるそうです。平和の短冊。あなたは一体?臨津江鉄橋を走る京義線。右は北朝鮮軍によって爆破された鉄橋。離散家族の願いが込められた望拝壇。ランチはプルコギでした。いよいよ板門店へ向かいます。ソウルから板門店へ続く国道にはダイナマイトが仕掛けてあり、北朝鮮軍が侵入し
皆さん、大変ご無沙汰してました…おはようございます、こんにちわ、こんばんわ🌃御成座を守る会・会員No.20番…大館中央サウナ協会の映画大好きな会長の松崎です🎬🐒11月も終わろうとしており、ここ大館市ではちらほらと雪もちらつき本格的な冬が訪れてます❄さぁ!そんな時はオラが街の映画館、愛しの御成座で映画を観賞しようではないか❗っとゆーことで久々…夏以来だったかな、御成座に行ってきました😄🎥いつもの見慣れた昭和レトロな雰囲気漂う劇場、巨大なスクリーンが誇らしげに設置されてお
④イムジン河宗像大島からの帰りの車中で、「先生、今夜はうちの署長が先生の慰労会をすると言って待っているそうです。」「それは有り難いが、私は家に帰りたいのだがね。もう随分帰って無いから、カビが生えているのでは無いかと心配でね。」「ハハハ、先生、夕食の一軒だけで良いですから、付き合ってやって下さいよ。先生の神業の話を聞きたがっているのです。」「何処に行くのかね?」「はい、たぶん署長の行きつけの中央区大名町の生け簀料亭だと思いますよ。」「わしゃいかん。この連中を連れて行っ
「悲しくてやりきれない」ザ・フォーク・クルセダーズ1968年、「帰ってきたヨッパライ」に続く2枚目のシングルとして発売。作詞:サトウハチロー作曲:加藤和彦2枚目のシングル曲として予定されていた「イムジン河」が発売自粛となったため、それに代わる曲として制作。胸にしみる空のかがやき今日も遠くながめ涙をながす悲しくて悲しくてとてもやりきれないこのやるせないモヤモヤを・・・早速、聴いてみましょう。
「神戸ニニンガ日誌」(第3,074号)○雑誌『egg』が、流行語を発表した。ギャル用語市場ではどんな言葉が流行ったのか。○はっきり言うて全部分からん。本家流行語の【頂き女子】のように言葉も意味も分からんものはない。言葉的には全部分かるが、意味と何故流行語なのかが全く分からん、正味の話が。○3位の【ひき肉です】は本家でも選ばれているが、ミンチがどうしたのか。2位【100枚つけま】は付け睫毛のことか。○10位に【N】があるが、もうそんなもの【ぷるい】事になって【不安だな~】。でも
わしは北山修が好きやった『帰ってきたヨッパライ』衝撃やったねオラは死んじまっただー~だぜ😭天国よいとこ一度はおいで酒はうまいしねえちゃんはきれいだわぁーわぁーわーわー凄い歌詞やなフォーク・クルセダーズやで関西の学生やったのやねなんか関西の大学憧れるわいフォークルの他の二人は亡くなってしまったのやけどな今や精神科医大学の学長やっとるのやなイムジン河もええ歌や当時はいろいろあって発売禁止やったらしいのう経験豊かな人生やな今も素敵やな頭のええ兄ちゃんみ
みなさん、こんにちは~♪(´θ`)ノ~♪10月17日(火曜日/大安吉日)のYouTube音楽動画のコーナーへご縁をいただいて訪問してくださいまして誠にありがとうございます。m(__)m本日のYouTube音楽動画の歌は昭和43年のザ・フォーク・クセダーズの歌で「イムジン河」を聴いて観たいと思います。イムジン河(ザ・フォーク・クセダーズ)昭和43年【昭和の流行歌・0650】レコード会社が発売を見合わせた政治色の強い歌だが、若者の間で歌われた
加藤和彦人は数多くのことを成し遂げた人のことを知りながらも、称賛しないことがある。もっと触れるべきだが、触れていない事柄は多方面であるだろう。今年、1月に高橋幸宏が無くなった。6月にはSKYE(小原礼、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆のバンド)が小坂忠の孫Raineとコラボを果たした。往年の歌手の話題が続くこの年にもっと触れるべき人物を紹介する。↓↓Spotifyで加藤和彦を聴こう↓↓奇想天外なデビュー加藤和彦のデビューは不意である。仏師であった祖父の後を継ごうと、仏教系大
昨日は、お世話になっている松阿彌さんの還暦祝いのライブがクロコダイルでありました。ゲストに松山猛さんや山下マヌーさんも参加するという楽しみ満載のライブでした。そして、いつもながら松山さんが書いた「イムジン河」と「タイムマシンにお願い」を松山さん自らが歌うという贅沢感が、たまりませんでした。
加藤登紀子鳳仙花youtu.be↑↑↑この歌を地上波で聴くことがあるでしょうかしら。「イムジン河」も、やっとYouTubeでいろんな人が歌っているのを聴くことが出来ますが、10年前までは、YouTubeで「鳳仙花」を検索すると、島倉千代子しか出て来ませんでした。う~ん、でもね、私、「アリラン」を小学校の音楽の時間に習いましたわよ。で、家に帰ったら、母も良く知っていたので、一緒に歌った覚えがございます。あ、テレビの歌番組でも、あったかな。ということで、まだ暑いとい
一度でいいから冒険してみたいことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようどこでもドアとかタイムマシンがあったらやってみたいと思うかも…今のところは要らないかなあ小学5.6年生の時、私はスポーツ少年団と言うのに入っていました小学5年生から中学2年までが団員受験のために1回やめて、高校生になったらサブリーダーになれますで、大学生になったらリーダー私は途中で東京に引っ越したので2年間しかいませんでしたが、本当に楽しかった普段は連休などを利用して日帰りのハイキン
2005年、井筒和幸監督作品。出演が、塩谷瞬、沢尻エリカ、高岡蒼佑、小出恵介、オダギリジョーなど、凄まじい面子。健康的に生き残っているのって、オダギリジョーくらいではなかろうか。1968年。京都府立東高校2年生の松山康介(塩谷瞬)は、常日頃から争い事の絶えない朝鮮学校にサッカーの練習試合を申し込むことになった。康介と友達の紀男はしぶしぶ朝鮮学校を訪れるが、そこで康介は音楽室でフルートを奏でていた少女・キョンジャ(沢尻エリカ)に一目惚れする。しかしあろうことかキョンジャの兄ア
皆さまアンニョンハセヨこがねは韓国に来て7日目です今日は1日中フリータイムの日✨本当は日帰りで「全州」に行く予定でしたが前もって特急電車のチケットを買ってなくて「当日でも買えるだろう」と軽く見ていたのがダメだったー!2日前の台風の夜に全州に行く電車を調べてもらったらもう行きたい時間の特急電車の席が予約でほとんど無いことが分かったダメじゃーん‼️鈍行列車で行くなら3時間以上かかるらしいし諦めました全州はまたの機会に行こうではこのフリータイムはどうする?どこに
https://youtu.be/TZxjWK48MGUイムジン河を弾いてみましたフォークをなめてました、何回やってもうまくないのでうまくないままでアップしたいと思います犬や猫がひどい目にあいませんようにちいさきものものも幸せでありますように
米兵が軍事境界線を超え北朝鮮に脱南したニュースかなり衝撃的なニュース北朝鮮に駆け込んだ米兵、帰国便に搭乗のはずが軍事境界線ツアーに動機は依然不明韓国と北朝鮮の軍事境界線を越えて北朝鮮に入った米兵が、ソウル近郊の仁川空港を抜け出して共同警備区域(JSA)を訪れるツアーに参加していた経緯が、徐々に明らかになってきた。-(1/2)www.cnn.co.jp2019年にこの板門店を訪れた事がある『韓国旅行2日目は朝鮮民主主義人民共和国へ』今日は6時半に起きて、プレジデントホテルへ。手続きを
2日目は南北朝鮮の平和に想いを馳せて、DMZ(DemilitarizedZone非武装地帯)ツアーに参加してきました。本当はパンムンジョム(板門店)に行きたかったのですが、コロナ禍以降北朝鮮が許可せず、パンムンジョムツアーは休止とのこと。DMZツアーも北朝鮮がミサイルを撃つ日は休止になったりするとのことでしたが、今日は予定通りの決行となりました。雨の日はミサイルは撃たないのでツアーは開催されるそうですが、霧が濃すぎて、本来なら北朝鮮のケソン(開城)工業団地や村が見られるトラチョンマンデ