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JamesSetouchi2024.6.10アンドレ・マルロー『王道』安東次男訳AndréMalraux“LaVoieRoyale”1アンドレ・マルロー(1901~1976)1901年パリに生まれる。家庭の事情は複雑。コンドルセ・リセを出て東洋語学校に学びつつ書店勤務。散文や批評を発表。1923年破産、アンコール・ワット近くの文化財の窃盗容疑でプノン・ペンで逮捕される。一審は禁固3年。1925年サイゴンで雑誌発行。1926年『西欧の誘惑』、
R6.4.6(土)#サエキけんぞうのコアトークvol.101「#萩原健一、シンガーの魅力を語る」#DONJUANROCKNROLLBAND、#アンドレマルロー・バンドの貴重映像を満載で、ROCKなショーケンの凄まじい魅力に呆然となった衝撃のコアトーク。めちゃ良かった#本城和治#秋山大輔#川野正雄#篠原信彦#中村敏夫pic.twitter.com/XyyXjLnBE8—Chi歯ルンルンいつもご機嫌(@5BXZ1csGFwL7Akw)2024年4月6日渋谷のLOF
皆さん、こんにちは❣珊瑚メイです🦄🫧皆さんこの言葉をご存じですか?「愛は、他者の幸せを願うことであり、他者の痛みを自分のものとすることである。」-アンドレ・マルロー✨愛は、他者の幸せを願うことであり、他者の痛みを自分のものとすることである。この言葉には深い哲学が込められています。愛は単なる感情だけでなく行動や思考のレベルでも表れるものです。他者の幸せを願うことは自己中心的な欲望やエゴイスティックな考えを超えて相手の立場や気持ちを考えることです
アンコール国立博物館の展示で眼を惹かれたバンテアイスレイに。シェムリアップの北、距離は35キロほど、トゥクトゥクだと小一時間かかる。朝のスラスランプレループの横を北上してから東側の集落を抜けて国道67号線にプノンクーレンは奥に在るのだがやや距離が有って、その手前にひとつの山プノムデイが見える。バンテアイスレイ遺跡の中、南から入って、左手西側に寺院。その前に、東側の展示棟、結構充実した解説がある。後にドゴール政権で文化相を努めるアンドレ・マルローが1923年、株の失敗の穴埋めに一儲けし
死は人間卒業、自殺は人間廃業です。(語注:・人間廃業=人間として生きることを自ら止(や)めること。)[淀川長治(映画評論家)]自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。[松本人志(タレント)]自殺は人間のいちばん大きな罪だよ。[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の『未成年』のマカール老人の言葉。]生命(いのち)のあるかぎり、希望はあるものだ。[セルバンテス(スペインの小説家)]死を考えるのは死ぬためじゃない、生きるためなのだ。[アンドレ・マル
行き当たりばったりで、飛び込んで食べたラーメン、大当たりでした😊https://ameblo.jp/sel254/entry-12801219946.html『2023年ゴールデンウィーク』今回のゴールデンウィーク、会社の休みは4月29日から5月7日までですが、私は4月28日から休む事が出来たので、28日からの航空券の予約をしておきました。28日…ameblo.jpその後はまた戻りまして…出水海軍航空隊の歴史にあるように、"特攻基地"になっていたのですね。実は自身で、鹿児島旅行を決めた
「希望・・・テルエルの山々」(原題:Espoir-SierradeTerue)「希望・・・テルエルの山々」プレビュー原作・脚本・監督:アンドレ・マルローキャスト:ムノス大尉:メフートパイロット・マルケス:ニコラス・ロドリゲス農夫:ホセ・ラドーあらすじ:スペイン内線が激化する1937年・テルエル・リナス村近郊ではフランコ将軍に率いられた反乱軍の攻勢が激しくなり、共和国側に立った人々は乏しい武器を手に闘っていた。反乱軍がサラゴサの町に通じる橋に迫
シャルル・トレネに、街角(Coinderue)というシャンソンがあります。パリがシャンソンの都(みやこ)だと呼ばれたのは、劇場やキャバレー、カフェコンセールなどでシャンソンが歌われていただけでなく、街角(Coinderue)に大道芸人に交じってミュージシャンが奏で、歌手が唄っていたからなのです。つまり、シャンソンを中心にしてパリ全体が大きな劇場となっていたわけです。もちろん、その主役は、パリ市民です。フランス革命で王権・教会から権力の座を民衆が奪った時点で、音楽が民衆に開放
建造物は、建造されたときの姿で見られる権利を有する。アンドレ・マルローお寺というより何かのパビリオンのようなイメージ?薬師寺西塔金堂と東塔東塔金堂玄裝塔礼門玄裝塔御朱印吉祥天の御朱印(正月三ヶ日のみだったかな?)は、書置きのみとのことそもそも正月三ヶ日は書置きのみだから、結果、吉祥天の御朱印は書置きのみのようということで、この日はお参りのみにて(ー人ー)薬師寺山号はない!?法相宗大本山開基
下の年表は歴代内閣です。黄色の背景は私が個人的に評価している首相で、中曽根康弘、竹下登、村山富市、小渕恵三(敬称略)です。1960年代後半は私は高校生でした。1968年にフランスでは五月革命がありました。当時の文化相のAndreMalrauxはPaulEluardの美しい?詩の"Commprehandquevourda,…"を、亡くなった女子学生を悼むために読み上げました。日本語訳では『欲する者は理解しよう心の疼きを…』です。さて、日本の政治家で文化人は首相
先週の土曜日、執行草舟氏と竹本忠雄氏の対談に一般聴衆として参加。想像以上に内容が濃かった。お2人の今までの人生経験と、知り合った人々がとにかく凄い❢三島由紀夫、アンドレ・マルロー、黛敏郎、小林秀雄等々歴史に名を残す人々。其々の人との思い出に対する互いの質問と、遣り取りが高尚で自分の無力さが、恥ずかしや(笑)何しろ解らない事だらけ・・・・・・。解ってはいるのだが、まだまだ勉強が足りない!と痛感しながらも、だからこそまだこれから、とも云える❢と、自分を慰めたり、励ましたり。
フランスのド・ゴール政権で長く文化相を務めたアンドレ・マルロー氏の「kamikaze」への所見です。「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別攻撃隊員たちはファナチック(狂信的)だったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めな
いや阪急六甲でショーケン祭はやってないわけだが。。。昨日土曜日、おらは半ドン。仕事が終わって徐に、東京から御来日の親友に連絡せむと。「いまどこ?」ところが電話がかからない。メールもショートメールもOutofOrder。はあ、さてはKDDIの通信障害だな。今朝出てくる時に、そんなニュースを目にしたぞ。親友は「大阪か神戸か、当日連絡取り合って決めましょうや」そう言っておったから、何とかして連絡取らねばならん。昭和の人間的には、ここは一発公衆電話でしょ公衆電話☎️仕事場の、
2021.10.30≪彫刻家・高田博厚における「自然」と「神」——アンドレ・マルローの美術論と比較しつつ——≫古川正樹彫刻家・高田博厚における「自然」と「神」、というテーマは、いまの私の課題としているものである。「自然」と「神」は、抽象的概念で言えば、各々、「世界・内在」と「超越者・超在」と換言して大過ないものであろう。このテーマについて、私のだいたいの見通しはついているつもりであるが、最近、美術論者としてのアンドレ・マルローに関する精緻な邦人研究者の著書を読んでいて、高
精神のもつあらゆる価値の中でもっとも実り多きものは、一体感と勇気です。アンドレ・マルロー(フランス/作家・政治家)https://youtu.be/nZt3ffKmacc久中同窓生母校・八尾市立久宝寺中学校同窓生に感謝をこめて‼️youtu.be
またまたテレビネタ。先ほど放映された菅田将暉さん主演の「ミステリと言う勿れ」。カレーを食べるシーンを見ていたら、あれれーーー!待ち受けが、つい3日前に本ブログで紹介したあの絵!これ↓クロード・モネの「日の出印象」(再掲)。第1回印象派展にモネが満を持して出品した作品。印象派という言葉のもとになった作品で、従来のアカデミズムの画風から大きく逸脱していたため、もともとはシニカルな命名でした。「もわっとした絵!」みたいな揶揄だったわけです。「ミ
11月3日太陽のサビアンシンボル蠍座11度『救助される溺れた男』【キーワード】自分の安全を捨ててでも情を通じて人と結びつく。なりふりかまわず関係性を作る。相互援助【今日のおすすめアクション】愛情や情の世界に溺れる。~~蠍座共通のテーマ~~変容融合死と再生エロス探求執
日本人に誇りを取り返すためにマルロー氏はわが国の文化に対して「富士山をつくったのは自然だ。だが、伊勢をつくったのは人間だということに私は感動した。伊勢は日本の魂だ。日本そのものだ」と伊勢神宮に対する温かい言葉も述べておられる。また伊勢神宮に対して「あそこに<永遠なるもの>の祖形が、遷宮という行事を通して千古なお生き続けている。」と西欧における永遠との価値観の違いを述べておられることは興味深い。この考え方は輪廻転生をも感じさせるものであり、三島文学最高傑作とも呼ばれる「豊尭の海」四部
先日、「モネが参照した(?)五百羅漢堂図」というブログを書いた際仏ルアーブルでモネが「サンタドレスのテラス」を描いた地点に行った、といった話をしましたが、そのすぐそばでこんなものを見かけました。美術館なのですが、その名も(アンドレ・)マルロー美術館。かの有名なフランス文化相マルロー氏のコレクションかと思いきや、名前を冠した、ということらしいです。実際彼の収集品があるのかどうかなど調べていませんが中心は印象派の絵画とのこと。モネが印象派日の出を描いたのもルアーブルですから、メッカとい
昨今、平山郁夫さんや東山魁夷さんらの版画作品など贋作が出回っているニュースを耳にしますが、今読んでいる本★にも、日本で実際に出回った贋作の話が丁度出てきます。この本自体はフィクションなのだけど、ストーリーにノンフィクションを幾つも盛り込んでいて、贋作の話もその実話部分の話です。ときは1960年代。ターゲットになったのはかの国立西洋美術館。ルグロ、ドランなどの作品が偽物だったという話。かなり巧妙にしくまれていたらしく、事実がわかったときには関係者も真っ青になったことでしょう。そ
今日は、【アンドレ・マルロー】が亡くなった日。生の輝きは、死を通してこそ。そんな話を、こちらからどうぞ~あなたの幸せが世界を変えるBeHappy,andtheWorldwillbeHappy!よい一日を~(^-^)/
AZmodels1/72Potez540Bonber続きこの時代の爆撃機特有のメンド臭い窓のマスキング。作業工程で一番時間がかかる。全体に黒吹いてからRLM23レッドを黒下地にそのまま吹き付け。黒なら希釈に気をつけて吹けば十分発色してくれる。これがグレイとかだとダメ。イスパノ・スイザってなんと無くオイル漏れ激しそうなイメージなんで普段はあまりしないオイル汚れのウェザリングとか。迷彩のアタリは何時もの様に水彩色鉛筆で。斑点はクレオスとんがり蓋の旧レッドブラウ
AZモデルのポテーズ540爆撃機型。元はエレールの1967年発売の名作キット。素晴らしい羽布張り表現に凸モールドながら繊細且つリアリティのあるモールド説明書は何度かのリニューアルは経てるもののわかりにくいのはご愛嬌左右のあるパーツには刻印されてますが仏語なのがトレビア〜ン。仮組みしてみると意外なほどに勘合具合が素晴らしい。ペラペラの板切れを箱組みするのは気を使いますが50年以上前の金型の製品とは思えない程の精度。エンジンナセルを組んでみるとそこはかとなくスチ
7月28日、サルラ。ロカマドゥールから62㌔、今日のお泊りはサルラ、人口9400人。フランスの美しい村協会設立のずっと前の1962年に、文化相大臣アンドレマルローが提唱した歴史的町並み保存のための法律、マルロー法第1号となった村サルラ。その郊外にアグリツーリズムを思わせる宿LeRelaisDeMoussidiereがある。午後4時にチェックインしのんびり過ごす絶好の午後だが、少し庭を歩いてみたが、さらに庭を歩いてみたが、もっと奥まで歩いてみたが、今日は日曜日、周辺に
シュヴァルの理想宮は、1969年時の文化相アンドレ・マルローによって、「歴史的建造物」に指定された。アンドレ・マルローこの事実を知って直ちに想起したのは、マルロー(1901-1976)が若い時に、アンコールワットの女神像を切り取って逮捕されたこと。もう一つは同じ文化相の時代に、画家バルテュスを「パリ日本美術展」開催のために日本に派遣し、その時通訳をした出田節子に惚れてその後再婚して添い遂げたこと。マルローはドゴール政権(1959-1969)時代に1960年か