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こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。初の中間市です。今回は、通谷(とおりたに)鍋山町(なべやままち)とその周辺の紹介です。私もかつて住んでいた場所1978年(昭和53年)に当時のダイエー中間店が開業してとても賑やかになりました。それ以前のこの地はため池だったそうです。ダイエーはイオンに変わり建物老朽化で昨年9月で閉館、新しい建物建設中です。また西館にはメガセンタートライアルが4月13日(水)にオープンです。【このエリアは上蓮花寺(かみれんげじ)
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は下城野及び北方一丁目(なかでもその北側)付近の紹介です。2年ほど前、テレビで紹介され、気になるお店がありました。猛禽(もうきん)屋九州です。鷲(わし)、鷹(たか)、梟(ふくろう)、なと飛行する生態系でピラミッドの頂点に立つ種類です。(足を繋がれてます。飛びません。)左側の梟は身体を細くしています。警戒して樹木に擬態化させています。(私は怖くないのに・・・)なお小動物もいます。一番人気はハリネズミ二番人気はチンチ
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。いきなりのタイトル。何じゃこりゃ!と思った方がほとんどと思います。「いぼる。」の言葉は福岡市の、更に西区近辺でよく使われる言葉なのです。私が福岡市西区在住時、息子が少年野球に所属しており、雨上がりのグランドで水たまりを、大きなスポンジで水取していく際に、「わーっ、いぼった!」と聞こえてきました。「ぬかるみにはまる。」の意味で使われる言葉です。北九州に戻ってきて、気になることがありました。福岡市の方々は小倉北区
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は到津、その中の下到津(しもいとうず)エリアの紹介です。九州有数の難読地名。由来は神功皇后(じんぐうこうごう)が征韓後長門豊浦宮に向かう途中にこの場所の港(津)に寄られ、到津(津に到る)からきたそうです。旧電車通り(未だにこう呼んでしまいます)から北に向かうと板櫃川の橋が見えてきます。八幡橋(はちまんばし)昭和2年(1927年)に架けられ平成2年(1990年)改修と彫られてます。歴史と風格を感じます。もっとすごいこ
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は中井エリアの紹介です。中井の西側に境川が流れています。昨年、世界体操があった総合体育館横の金比羅池を水源にした短く小さい川です。小倉北区と戸畑区の境です。鯉が泳ぐのどかな川です。(左側は戸畑、右は小倉)ですがとても重要な川だったのです。江戸時代まで、豊前國、筑前國の国境の川でした。なので「境川」なのです。案内板がありました。当時の戸畑側にも小倉側にも「中原(なかばる)」があったのが驚きです。(拡大した地図です。)
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は引野、割子川エリアの紹介です。引野はインターチェンジの町で有名になりました。(帆柱山がよく見えます。)ここも地名の由来がありました。西暦660年、唐・新羅連合軍に破れた百済は日本に援軍を求めた。中大兄皇子は5千人の兵と、斉明女帝と博多に向かう際、途中がこの地。この地の足場が悪く、道に布を引いて女帝を迎えたことから引布(ヒキヌノ)。それが引野に転じたそうです。日本史の教科書の人物が関係してるとは!引野は当時から交通
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は熊本エリア後半です。(熊本町内からの足立山)私は北九州の戻ってきて、この「熊本」の地名に何か意味があるのでは!と思っていました。私の予想は・・・・小倉城2代目藩主、細川忠利が人事異動で熊本城初代藩主へ転勤になりました。送別の意味でこの地の住民が熊本と呼んだのかな・・・・でした。「おもしろ地名北九州辞典」の本に北九州中央図書館で出会って、いろんな情報が入ってきます。「熊本」のこともありました。1600
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。私が小倉で仕事するようになり約2年。車を運転していて、違和感を感じていた場所があります。下富野から砂津にかけての橋。「新砂津橋」と名前まであります。橋を下りきった所です何の為の立体交差?下には普通の道路。こんな時は今昔マップ何と鉄道が走っていました。「小倉鉄道」、のちの「国鉄添田線」が1962年(昭和37年)まで存在し、城野駅付近で日豊本線を立体交差して、今の日田彦山線に繋がっていました。添田町まで繋が
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。初の若松区紹介です。ついに北九州市7区達成です。以前曽祖父の代からの戸籍抄本を見る機会がありました。祖父の姉の嫁ぎ先が遠賀郡島郷村となってました。初めて聞いた村。調べたら、現在の若松区西部。明治22年(1889年)に二島エリアが「洞北村」に、高須エリアが「江川村」になりました。明治41年(1908年)に両村が合併し「島郷(しまごう)村」になりました。昭和6年(1931年)に若松市に編入され島郷の名は消えました。ただ
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。初の芦屋町です。芦屋と言えば海水浴場やアクアシアンプール遊具が充実の海浜公園のイメージが強いですね(季節に合わない写真ですが💦)今回は中心部に近い船頭町(せんどうまち)とその周辺エリアの紹介です。地名からして船頭さんが多い町だったと思われます。中世は下関と肩を並べるほどの町であり、唐津街道の宿場町、石炭積み出し中継点として栄えてました。そして1961年(昭和36年)までは国鉄芦屋線が遠賀川駅から延びてました
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。初の門司区紹介です。鹿児島のM先輩お待たせしました。門司港レトロ地区に近い東本町エリアの紹介です。中学時代1982年に門司港駅周辺に行った時あの寂れた雰囲気が苦手でした。1988年からレトロ構想で整備され古い建築物が見事に蘇り福岡県トップクラスの観光地に変貌しました。あの寂れた古い施設が手を加えるとこんなに変わるのか教えられた気がします。先日、夜のレトロ地区初訪問しました。(旧門司三井倶楽部前)(門司港駅)
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は石坂、馬場山エリアの紹介です。シュガーロード長崎街道を大好きな私が、また新たな施設を見つけました。木屋瀬宿から黒崎宿に向かう途中、黒川付近に岩場があります。(黒川の上流には、畑貯水池のダムが見えます。)街道もここを通らねばならず、地名にもなった「石坂」があります。今でこそ階段ですが、当時は坂のままで、籠に乗っていたお殿様も、降りて歩いていたそうです。坂が終わった後の休憩所として「立場茶屋銀杏屋(たてばぢゃやい
新年おめでとうございます!アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は折尾駅にほど近いエリアの紹介です。少し黒崎方面寄りの風景。以前、紹介した堀川(新々堀川)です。石炭運搬で大活躍したウルトラCの運河。(堀川の先には折尾駅)折尾駅付近は暗渠(あんきょ)で川は蓋をされた状態です。折尾駅南側で再度姿を現します。2014年11月10日に83歳で亡くなった中間市の大先輩、東筑高校OB高倉健さんを偲んで幸せの黄色いハンカチならぬ黄色いタオルがはためいています。この付近の居酒屋街、
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は片野エリアの紹介です。私は小中学生の頃、小倉の三萩野より南はあまり詳しくなく片野と守恒の区別すらついていませんでした。三萩野の地名が三郎丸、萩崎、片野から一文字ずつ取った地名、ということも昨年知りました。でも、北方だけは知ってました。西鉄北方線があったからです。1980年に廃止されました。私は魚町で乗り換えて、2つ目の電停「市立小倉病院前」までしか乗ったことがありません。北九州線より横幅が狭く、運転
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。年末慌ただしくなってきました。本日は小倉北区熊谷(くまがい)の紹介です。かなり閑静な住宅街です。中には住宅以外何もない!というご意見も。でも素晴らしいい施設があります。北九州市ほたる館。(まだ奥に2階もあります)ホタルはもちろんですが、北九州市内に生息する魚類、爬虫類、両生類等を見学することができます。多くのカエルがいます。蛇もいます。苦手な方もいるでしょうが、地元の生き物と思うと親しみを感じます。興味深いのは「マ
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。先日、4年ぶりに皿倉山山頂に行きました。相変わらず素晴らしい景色です。(夕暮れの風景、洞海湾、若戸大橋方面)今回は「皿倉」に関する紹介です。歩いて登るのもいいですがケーブルカーを使うと気軽に行けます。皿倉は急斜面!角度は28度。スキーのジャンプ台に匹敵します。1957年(昭和32年)に開業。2001年の北九州博覧祭に合わせてリニューアル。山頂に懐かしい写真がありました。かつては帆柱ケーブルの名称でしたが、2015年に現在の
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。冬がもうすぐの感じです。本日は江南町(えなみちょう)とその周辺の案内です。全国的には「江南」と書いて「こうなん」と読むのが多いようです。難読地名の1つです。先ずは、とあるマンションの共用部分からの写真です。川が流れてます。その先は広大な空き地があります。紫水会館(北九州ボウル)があった場所です。ボウリング場を中心の娯楽施設。2000年代初めに閉業し2007年に更地になったそうです。思い出の場所の方もいらっしゃるでし
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。寒かったり、少し緩んだり、寒さ到来が早い分今年は紅葉が早く見頃を迎えるのかなと期待しております。今回はJR安部山公園付近の湯川エリアの紹介です。安部山公園も紅葉がきれいなようですね。以前同僚が公園の紹介をしていますが、この「安部山」の名前の由来が気になり調べていましたら・・・1905年(明治38年)にこの地を開墾し果樹や桜を植えた農業指導者安部熊之輔氏の名前から来たそうです。この方は当時の曽根村会議員、福岡県会議
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。本日は区をまたがって八幡東区・八幡西区にまたがる桃園・陣山エリアの紹介です。お隣の町ですが、区の境があります。1974年4月1日に八幡区が東西、小倉区が南北に分割されました。当時は私は千葉県民でしたのでその大ニュースは知らずにいました。どの町で分割するか、当時の市役所の担当の方は大変だったと思います。色々な引き合い要望がたくさんあったと思います。ここ陣山・桃園も大変だったと思います。実際、陣山市民センターは八幡東区桃園の桃
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。町の紹介の前にお伝えしたいことがあります。先日身内の用事で愛知県蒲郡に行き、豊橋に宿泊しました。豊橋は路面電車が走っていて広告ラッピング電車を見つけました。(豊橋駅前、電車の屋根の陰にとても響くキャッチフレーズが・・・)今コンビニ、スーパーの大人気のチョコレート菓子「ブラックサンダー」は豊橋生まれ。今やシンボル的存在。キャッチフレーズに感動してしまいました。「豊橋にはコレがある!」屋根の陰で写真に写らなかったのが残念。町の特産
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。朝晩の寒暖差が激しいですね。焼酎のお湯割りや熱燗が美味しい時期になってきました。本日は小倉南区若園の紹介です。小倉南区役所付近は店が多く、きくわか商店街と呼ばれています。「きくっこ通り」「わかっこ通り」の愛称もつき活気があります。(右側が幸来亭、左側がまるみカレー)その中でラーメン屋「幸来亭」に寄ってみました。昔ながらのラーメン屋!という感じですが、常連さんもとても多い人気のあるお店です。ご夫婦でされてますが、女将さん
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。本日は八幡西区産医大通りに面する大浦、楠木(くすのき)、光明(こうみょう)付近の紹介です。折尾駅の北側は北九州きっての学園都市です。親元を離れ一人暮らしをする学生さんも多いと思います。以前から家政学、特に被服を学ぶ学生さんに重宝されているお店があります。ナカノテツ折尾店です。(以前は焼き立てパン食べ放題があったレストランの跡地、駐車場にその名残があるような、、、、。)手芸専門店として愛されたお店です。1968年(昭和4
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。再び岡垣町の紹介です。今回は海老津駅とその周辺の紹介です。JR海老津駅は朝晩の混雑時は快速列車が停車し、とても便利になりました。私は以前北九州から福岡市内まで列車通勤していました。博多発の快速列車は赤間で乗客の大半は降りますが海老津駅で下車する方もかなりいます。福岡市内の充分通勤圏なんですね。なので転勤の多い方々や、旦那様は北九州、奥様は福岡の勤務と言うの場合も充分対応できます。海老津駅から徒歩10分程の場所にまた気になるお店発見。名前が
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。夏が終わり秋を通り越して一気に冬が来た気がします今回は小倉南区沼エリアの紹介です。15年前まで曽根に北九州空港があったこと覚えてますでしょうか?私も父が大阪出張をいつもは新幹線なのに一度だけ飛行機で帰ってきたことがありました。「プロペラ機(YS-11)だったぞ!ジェット機よりずっと乗ってる感があった!」と自慢げに話していたのを覚えています。新幹線との競合で1983年に定期便が廃止されました。しかし今の(新)北
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。世界体操、新体操、盛り上がりましたね。今回のタイトルは体操にちなんだ名前にしてしまいました。ただ、40年以上前の呼び名、今はG難度、H難度のレベルだそうです。さて今回は本城エリアの紹介です。と言っても洞海湾の河口付近です。写真は「とあるマンション」からの眺めです。正面は皿倉山西の方から川が優雅に流れてきます。川の先、東側は洞海湾に曲がれ込みます。この川の名前は「新々堀川(シンシンホリカワ)」。私は古い人間なので体
こんにちは。アンサー俱楽部倉地宏和です。すっかり涼しくなりました。例年なら秋祭り真っ盛り!本日は幸神(さいのかみ)エリアの紹介です。なんと縁起のいい地名なんでしょう!本当に「さいのかみ」様がいるのです。旅人の安全祈願の守り神です。私の大好きな長崎街道の横に存在します。(江戸時代からの町の守り神。幸神神社。小さいですが存在感抜群。)さいのかみ様(↑詳しくはここをクイック)街道沿いで唯一当時の松並木が残っています。その南の端です。松並木を語りだすと長くなるので
こんにちはアンサー俱楽部倉地宏和です。初の遠賀郡です。岡垣町北部の波津(はつ)エリアの紹介です。やはり有名なのは波津海岸。響灘が美しい。(観光ステーション北斗七星からの響灘)さて福岡地区では玄界灘と呼ばれますが響灘はどこまでだろう?海は繋がっていますし境界線もありません。一般的な定義では山口県長門市の川尻岬からお隣宗像市鐘崎の鐘ノ岬までを指すそうです。ただ一部では遠賀川河口が境目の説もあるそうですが岡垣町民のほとんどは「岡垣の海」=「響灘」の認識です。なので
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。今回は小倉北区黄金(こがね)の紹介です。地元以外の方には馴染みが無いかもしれません。三萩野交差点の西側の町ですさてこの三萩野交差点。九州ではとっても重要な場所なのです。(三萩野交差点東側から)九州西側の大動脈国道3号線から東側の大動脈国道10号線が分岐する場所、事実上の始発点。正式には国道10号線の始発は富野口交差点ですが重複区間があり単独10号線は三萩野交差点から。ここからまっすぐ行けば大分・宮崎経由で鹿児島。3号
こんにちはアンサー倶楽部倉地宏和です。今回は小倉南区城野(じょうの)、富士見エリアの紹介です。JR日豊本線城野駅南口側のエリアです。「富士見」の地名ですが、関東地方に多くあり、富士山が見える場所という意味です。さて、なぜ小倉に「富士見」の地名が?平尾台に近い貫山は別名「企救富士(きくふじ)」と呼ばれます。この辺りから昔は見えたのかな?と思っていました。だだ色々調べてもなかなか情報が見つかりません。そこで、城野市民センターの館長様に伺いました。
こんにちは!アンサー俱楽部倉地宏和です。まちブログ作成して記念すべき10作目さて私の苗字「倉地」ですが、「小倉の土地」と書き、まさに小倉の不動産業に持ってこいの姓なのです。北九州には珍しい名前と思います。実は愛知県と福岡県朝倉地方に多い姓。私の曽祖父が朝倉の秋月出身で菓子職人。八幡製鉄所ともに八幡でお菓子屋を始めました。(お菓子屋は戦争で砂糖が入手困難となり昭和18年廃業)私事で失礼いたしました。さて、北九州にその秋月と縁深い「秋月街道」があります。