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3月3日の出来事1105年(長治2年2月15日)藤原清衡が平泉に最初院多宝寺(中尊寺)を建立する。1842年フェリックス・メンデルスゾーンの交響曲第3番『スコットランド』が作曲者指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演。1845年アメリカ議会が初めて大統領の拒否権に優越して法律を制定。1857年アロー戦争:フランスとイギリスが清に宣戦布告。1861年(ユリウス暦2月19日)ロシア皇帝アレクサンドル2世が農奴解放令を発布、
北京円明園へこちらは頤和園のお隣です。でもお隣と言ったって、ここは北京…日本の感覚で隣なんて思っていたら大変なことになりそう…事前に調べたら,園内で舟があることがわかったので利用しました。まずは入場チケットを買います。舟のチケットは船乗り場で買いました。私たちは、アリペイとWeChatペイを最新の情報をチェックしてから事前に日本のクレカ登録をして、一旦使えるようになっていたのですが、現地で使えたり使えなかったりしたので、ほぼ現金を使いました。北京は初めて来たので比べても仕方ないかもです
「日米修好通商条約」国益みなさん、おはようございます新しい週の始まりです今月末は夏越の大祓いです今年の前半を振り返り軽く大掃除をしましょうさあ、今日「6月19日」の國史を学びましょう「日米修好通商条約、調印」安政5年(1858年)幕末、アメリカの全権としてT・ハリス(初代駐日総領事)がやってきました靴を履いたまま、お寺に入ろうとしてあわてて袋を履かせました①神奈川、長崎、兵庫、新潟の開港と江戸、大阪の開市②自由貿易の許可③
1855年、老中の阿部正弘は長崎に海軍の前進の伝習所を作ります。海軍がないと太刀打ちできないと考えたのでしょう。賢明な決断ですが、その後、阿部正弘は亡くなってしまいます。その後に老中になったのが堀田正睦です。一応、水野忠邦のやった天保の改革には批判的な立場を取っていたので、考え方はマトモですが、決められない人だったようです。ヨーロッパの列強、イギリス、ロシアなどの大国から、不平等条約の締結をするような圧力が日増しに高まっていきます。このイギリスとロシアは具体的にアジアをどんどん侵略していきまし
ハリスさんが、心に決めていたこと。それはアヘンです。1840年にイギリスと清が戦争をし、清が敗北しましたが(アヘン戦争)、その背景には、イギリスが中国に強引にアヘンを輸入してきた事実があります。『日本滞在記』を翻訳した坂田精一さんは、解説にこう書いています。正常な国家間の貿易は、国家相互の友愛と信頼によってのみ結ばれ、相互の間に富と幸福と繁栄とをもたらすものでなければならない。これを無視して、シナに阿片戦争をおこしたイギリスの政策を、ハリスは宗教的感情とヒュマニティの観念から憎
タウンゼント・ハリス。(表記はタウンセント、タウンゼンド、などがあります)初代在日アメリカ領事。1858年、日米修好通商条約を締結させた人物として広く知られています。条約の不平等、つまり領事裁判権の承認と、関税自主権の喪失の2点については、別のブログでお話します。さて、ハリスさん。不平等条約を幕府に認めさせたということで、現代の日本人において、ハリスさんの印象はあまり良くないのではないでしょうか。ハリスさんも、アメリカ代表として来日した身ですので、当然アメリカ
1848年、自由主義者を称する暴徒がヨーロッパで同時に革命を起こしました。フランスでは王政が転覆し、オーストリアでは『頑迷な反動主義者』『自由の弾圧者』と見なされたメッテルニヒが追放されてしまいます。亡命先はロンドンでした。名外交官は晩年を若きライバルに保護されることになります。1850年、ギリシャ在住の英国籍の商人の為に、ギリシャを恫喝したドン・パシフィコ事件での、『我こそローマ』演説は、今や『パーマストンの原則』と呼ばれていますし、世界の常識になっています。古のローマ市民が『私はロ
阿片戦争(アヘンせんそう)は、清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われた戦争である。名前の通り、アヘンの密輸が原因となった戦争である。アロー戦争を第二次とみなして第一次アヘン戦争とも言うよ。200年前はアヘンでボロボロになった中国。今回はコロナウイルスという国難を乗り越えそうだな。昔のイギリスって大嫌い!(個人的な感想)「どう生きるかを探せばいい!」確かにそうだな。
世界近代史入門(清④義和団事件・日露戦争・韓国併合・辛亥革命)日清戦争(1894~95)で清は敗北して賠償金(2億両=約3億円)の支払いなどで財政難になり、清の弱体化が暴露されると、清は借款(国際間の資金融資)を受ける代わりに、鉱山採掘権・鉄道敷設権•租借権(条約によって清の領土の一部を借りて、行政・司法・立法権を掌握)を与えたので列強は勢力範囲の設定などを行い、利権を獲得して、中国分割に乗り出し中国は半植民地化された(前章の清③を参照)(変法自強運動)清は日本の明治維新にならって公
世界史近代史入門(中国史ー清②アヘン戦争・アロー戦争・仏のインドシナ進出)西欧列強の進出と内乱19世紀になると清の支配が衰退していった。清朝は、人口増加による食糧不足、大規模な社会動乱(白蓮教徒の乱ー1786〜1804年など)、自然災害、経済停滞に苦しんだ。中国(清)は東アジアにおいて覇権を握っていたが、伝統的に中華思想(華夷思想)によって周辺諸国を支配していた。中華思想は中国が世界の中心であり、周辺の国々は文化程度の低い夷狄(いてきー蛮族)であるという思想である。中国と周辺諸国
世界平和を願う犬。どんちゃん。愛犬「争いばかりだな・・・・・。人間は欲深いよ。」阿片戦争(アヘンせんそう)は、清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われた戦争である。名前の通り、アヘンの密輸が原因となった戦争である。アロー戦争を第二次とみなして第一次アヘン戦争とも言うよ。200年前はアヘンでボロボロになった中国。今回はコロナウイルスという国難を乗り越えそうだな。昔のイギリスって大嫌い!(個人的な感想)「どう生きるかを探
(第二帝政)ーナポレオン3世の時代(1)ナポレオン3世はナポレオン1世の名声と労働者・農民、ブルジョワジーの対立を利用して政権を維持した。これをボナパルディズムという。(アカデミア世界史浜島書店)具体的にはブルジョワジー(資本家階級)支持を得るために産業の保護育成や海外侵略による植民地獲得、資本家と対立する労働者階級には土木事業や保険制度の採用など社会政策を実施した。ナポレオン1世のとき支持層であった人口の4分の3を占める農民に対しては土地の所有権を保証し、カトリック教会も保護
#中国の近代史#岡本隆司中国は、コロナで嫌う人も増えたかなと感じますが、私たちは、メディアに方向づけられているようにも感じています。とにかく、たくさんの情報を得ること。判断していくのは自分自身なので、さらに勉強をしなければと感じています。紹介します。#日本にとって最も近くて遠い国#中国を知らなければならない#アヘン戦争#コロナ#暴動が起こる理由#太平天国の乱#秘密結社#アロー戦争#日清戦争#改革派と保守派#辛亥革命#10人の傑物サクッとわかるビジネ
イギリスが清朝に阿片を売り込もうとして拒否され、それでも強引に売り込みました。その結果、清朝と戦争になった阿片戦争とその後のアロー戦争になりましたが、そのときの条約で香港の99年間の租借が決定しました。はっきり言って、イギリスの強盗と何ら変わりません。なので、香港返還は当然のことと思います。ですが、その当時条約を結んだ清朝は存在せず、厳密に言って返還する相手がいないことから、支配継続も不可能ではなかったと思います。それでも返還したのはイギリスの良心と言っておきましょうか。実際はイギリ
inputからoutputへ中田敦彦YouTube大学【世界史9】中国の歴史(中世から近代)エクストリーム授業!恐怖のアヘン戦争!ラストエンペラーの運命は?近代中国史!百“文”は一見に如かず!詳しくは動画をご覧下さい。【参考資料】『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』ムンディ先生こと山﨑圭一(現役公立高校教師)【エクストリーム授業とは?】細かい知識や、正しい答えはいっぱいあるが、それは正しい本や授業で受けてもらう。それではつまらないとか、聞くの嫌だ、大人に
「シャンティ・フーラ」よりの転載https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=221943転載はじめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーユダヤ問題のポイント(日本明治編)―第10話―英領中国に「英領日本」、これは日本人には受け入れがたいものでしょう。しかし、中国がイギリスの植民地であったと言えばいかがでしょうか?インドは英国女王がインド皇帝になっていますから、表向きにもはっきりと英領でした。中国は表向き
前から書こう書こうと思っていた星で観る今という時代をシリーズで書いていきたいと思います。1回目は冥王星で観る今という時代を書きました。https://ameblo.jp/hikaru-33/entry-12497502706.html2回目は海王星でした。https://ameblo.jp/hikaru-33/entry-12507137217.html3回目の今日は天王星で観る今という時代です。できるだけ簡単に西洋占星術がわからない人でもわかるように書いていきたいと思いますので
土星と天王星のハードアスペクトは、経済不況の典型的なアスペクトだと言われています。ハードアスペクトとは、土星と天王星が90°となる時期、土星と天王星が180°となる時期です。土星と天王星0°では、第二次世界大戦の時期だったり、日本ではバブル景気、中華人民共和国では天安門事件が起きたり、何か大きな出来事が起きています。今までの歴史での共通点を見ると、土星と天王星のハードアスペクトとなる数年前頃から何か問題が起こり始めて、土星が通り過ぎた後にピークが来る、重要な出来事が起こるように思えます。例
(西欧列強諸国による中国分割と日露の対立)(ヨーロッパ諸国の中国への進出)17世紀から18世紀にかけて市民革命(イギリスのピューリタン革命-1642~49年、名誉革命-1688~89年、アメリカ独立命-1775~83年、フランス革命-1789~99)が起こり、自由な有産市民が成長して資本主義が発達すると原料の供給地と商品市場を求めてヨーロッパ諸国はアジアを侵略して植民地を形成した。とくにイギリスに18世紀末に産業革命が起こリ、ヨーロッパ諸国にそれが広まると資本主義がますます発
中国(清国)とロシアは1858年6月13日、1856年に勃発したアロー戦争の講和条約を天津で結んだ(中ロ天津条約)。清国は同じく天津で同月18日には米国と、26日には英国、27日にはフランスとも条約を結んだ。いずれの条約の外国側の広範囲の特権を定めており、中国がその後に諸外国と結んだ不平等条約の土台......続きを読む
にほんブログ村淡水へ行こう5)関税務司官邸(台湾淡水)別名「小白宮」スペイン風回廊建築1858年対英・仏アロー戦争アロー戦争1860年北京条約1862年淡水正式開港通商台湾総税務司設置1866年官邸土地購入建築は1870年頃淡水港の土砂の堆積により貿易の中心は基隆港へ移行官邸は公務員の宿泊所や来賓宿舎などになりその後1996年政府は破棄を決定保存運動となり第三級古蹟に指定以上2006/5/29(月)投稿にほんブログ村
【闇思想諸久】★歴史学No.397✳️日本と中国、ロシア16世紀〜19世紀10ロシア2ロシア帝国1613年にロマノフ朝が成立すると、大貴族と農奴制に支えられ、封建色の強い帝国の発展が始まった。17世紀末から18世紀初頭にかけて、ピョートル1世(大帝)は急速な西欧化・近代化政策を強行し、新首都サンクトペテルブルクの建設(1703年)、大北方戦争(1700年-1721年)での勝利を経てロシア帝国の基盤を築いた。彼の時から正式に皇帝(インペラートル)の称号を使用し、西欧諸国からも認め
人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。歴史は教養ですよ〜で、ただの教養にしないのが「リーダーのための歴史教室」。あなたはリーダーで、あなたが歴史を作る主人公なのです。<今日のあらすじ>清が諸外国と交わした不平等条約のことと、さらにその後もう一度起こる戦争について。度重なる戦争と敗北に農民たちはもうヘトヘトになっていました。アヘン戦争のあと締結した、不平等条約、南京条約。その
↓掲載されました北京の工事現場で発見された石像、1856年に破壊された円明園の遺物か―中国…本当にそうだったら、それはそれでよいことかな。
怒り狂った英仏(それはそうです、正式な使節団を騙して誘導・監禁し、残虐な拷問を加えた後、遺体を放置しておいたのです。夏場なので遺体は腐乱し、ウジがわいています。)は、皇帝の離宮である「円明園」のものを強奪した後、焼き尽くしました。この中には太平天国鎮圧に協力したあの常勝軍のゴードンもいました。ゴードンは第2次アヘン戦争(1856~60)のためイギリスから派遣され、1860~62年まで北京にいました。その後、太平天国からの防衛のため、上海へ派遣されます。(その後、彼はエジプト・スー