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kiwami式アロマリンパケアプロ講座6期のメンバーは、各々が技術練習に突入しました。きわみでは、それぞれの体の癖を見て、その方にあった施術方法をお伝えしています。指の使い方も、姿勢も、年齢も、体つきも、性別も違うメンバーが集まっています。注意点も、それぞれ違っています。気をつける点も、全く違います。その各々の課題を見つけ出し、無意識にある癖も見出して、それごと矯正してもらおう。そんなふうに伝えていっております。もともとどこかの技術者だった肩も体を壊
時々だと言いたいが・・・・人の起源が分かるときがある。(おそらくいつも。知らないふりをしてもいい時以外は、知っていなきゃならず困る)期限起源機嫌危言いずれも、なんでもだ。過去はもっと忠実で、なんでも伝えていた。伝えて通じなかったとき、実行されなくて、無効になったとき、別の形で実行されて、辛いサマになったとき、さまざまを見て、忠実でいることに疑問を持ち、試行錯誤してきた。語彙力、伝え方、在り方、魅せ方、見え方何でもかんでも、心底試行錯誤した。
先月綺麗に満月を撮影いただきました。やっぱりカメラで撮ると綺麗なんですよね。ありがたや。最近のわたし。頑なだな〜。と思ってます。最近はとくに。バタバタしているからでしょう。セラピストを10年。よくやり続けてきたな。と思いつつ、守るもの、護ることがあったからこそなんだろう。と思っています。そして、それらが変わることもあります。人は常に進化する生き物なので、日常にあることが進んでしまうこと、変わってしまうこと。は、多々あります。わたしの最近は、守るものが、護ることが、
SEIMEI~春を分かち合う~2021年4月3日(土)から4月4日(日)まで開催いたします。今回、開催場所は、砺波市杉木にあるアロマリンパケアサロンきわみ~kiwami~さんです。きわみさんは、アロマリンパケアを主軸とした事業をされておられます。「ひとりのためのひとつの施術」をコンセプトとし、身体の状態と心の状態を観て、お客様に合わせた施術をおこなっておられます。アロマリンパケアきわみ〜kiwami〜さんホームページアロマリンパケアkiw
映画の考察を、わたし目線で書いてみるのは、久しぶり。さんかく窓の外側は夜視える男と祓える男とという表現だったのですが、視えてしまう男と聴こえてしまう男の物語でもあったんだろうな…と感じました。視えてしまう男は、今までそれだけに苦しめられ、聴いてみることも感じてみることもできず、聴こえてしまう男は、今までよく聴こえて、よく感じていたけれど、それが何かは視えず、さまざまな理由をもとに慮ることができなかった。そんな二人が掛け合わさったら、連動か、連鎖か。どちらかの流れ
若い子たちはもうすでにそんな風潮の中で生きているのですが、大人に巻き込まれているといっても過言ではありません。それって・・・・大人はつい忘れてしまいがちです。「想像する」ということを・・・・自分の未来を、自分の将来を、そして身近な人の大切な人のこれからを思い描いていられる自分。想像し続け、創造する自分へなっていきましょう。そんな自分でいたいと思ってもらうために考えた商品が、いよいよ「きわみブランドとして」登場です。「自律美人」自律神経自
もともとの能力なんて実感したことはありません。ただ単にいろんな経験があって、ただ単にいろんな仕事についてただ単に観る・視る・聴く・捉える・感じるが得意だっただけの自分です。いろんなことを感じることが多くて、いろんなことを奥底に葬り去ることも多くて、我慢していることはないけれど、諦めてきたことは多かったのかもしれない。それでも、持ち前の何かで、自分でも気づかずうちに道を切り開いてきた。さまざまな人に出会い、助けられて、今はパーソナルセラピストとして・メンタルコンサル
毎年毎年、たくさんの経験をしている親の元で、離れたところにいる子どもたちも、その分成長している姿があって、やっぱりやっている以上になにかを魅せてくれるだよな。と、感じるつくづくな一年でした。その分、うーん。と唸ることも多かったです。分かっていることに行動に移せない大人を眺めることが多く、そこに湧きおこる苛立ちのような感情に苛まれて悩む一年でもありました。口だけの大人知ったふりの大人やるやる詐欺な大人いずれにしても、関わっているこちらに責任があるんだな。と、本当に感じて
今年ももうクリスマス。今年の残りがあと一週間を切りました。いかがお過ごしですか。私自身は結構いろんなことが起きた一年でした。長い付き合いだった人とお別れしました。それで、いろいろ保っていた関係性を一気に終わらせました。身軽になったというべきか、何もかも無くなった感というべきか・・・。けっこう衝撃的でセンシティブなできごとだったのに、いつの間にか日々の出来事にかき消されていく。時代が変わったというのは、こういうことにも反映するのかなあ。何事もなかったかのように
いままで、やっていただいてきたことを、この年末になって、受け継ぐ、魅せるに移行し始めたと実感できるコトが増えてきました。かつて、「なにかあったら、連絡してね」と伝えても反応がなく、さみしい思いと、すねていじけて、投げやりになって。そんなこともありました。ただ最近は、それが少しずつ変化して、進化して、連絡をくれる人も、ちゃんと頼りに来る人も、引き継ぐ人も、魅せられている人も出てきました。今年の中で決めていたこと、への実感がわくことが今月は多くて、諦めずに一年
『”半年コース「FUTURE~mirairoad~」2021年1月からスタートです。』FUTURE~mirairoad~ちょいとこじゃれたようなネーミングです。半年コース「自分気づき・未来づくり」各月の新月・満月近辺での動きとなり…ameblo.jp半年コースを、とうとう復活させることにしました。自分の魂と自分自身をしっかりと連動させられるような、もう離れないぞ!と、自分自身に誓い合えるような、そんな自分の未来づくりをサポートするハイパーなメニューです!自分自身にどんな風に興味を持って
人生で久しぶりの生理痛。先日そんな日がありました。自分を見つめることは怠らないようにしているけれど、自分の要望に応えない日々が続いているのも事実。「私だから頑張ろう」と自分自身と誓い合う日々が続き、それはそれでよいのだが、さすがに多少の魂からの訴えが強烈な時もあり、今回は生理痛という訴えに移行した模様。4.5年無くて、自分でも強烈でびっくりしたぐらい。それでも、本来はひどい生理痛で、ひどい末端冷えで、ひどめの自律神経失調症だった自分。そんなことを忘れるぐらいの
定期的に3Mstudioにて、佐野さんから教わる瞑想クラスを受けています。わたしに、気の真髄を教えてくださる方は、多くて、佐野さんもそのお一人。自分の内側の感情にのみ向き合い、周囲の景色は全て自分が作っている。と、いつでもしっかり思えていられるように、ビジネスのために、自分のために、自分の心のトレーニングとして、自身の感情に、好き・嫌いを作らない特訓をしております。そんな中で、先日の学びの一つ。座禅をしながら、紐解いていくということを習いました。「私は、何をしたいの?」と
私自身の話。高2の2学期、高校の生徒会長をやっていたことがあります。その高校の70年の伝統の中で、女子で初めての生徒会長で、男子との選挙戦でした。全校生徒600人いたのですが、550対50という大差で勝ってしまうという・・・。ひとえに、協力してくださった先輩方のおかげでした。夏休みを選挙戦に明け暮れた日々を、今も何となく思い出します。公約もあり、務めを果たすために、いろいろ悩んだ半年でありました。良き思い出、というより・・・・ちょっと苦い思い出。ですね。
良かれと思って。そう言って、ヒトに何かする人がいます。ただの自己満足だと気づかずに、相手に厚意を押し付ける。ただの押し付けなのに、「良かれと思って」と口にする。どこにその真意があるかを分からずに、自分の中に「エゴやサガがあると気づかずに」それらをやってのける人を、よく見かけます。やってもらう側も、やってしまう側も、とことん気を付けよう。「やってあげたのに!!」と言われないために、そう言わないために!!!本当に思ってくれている人は、「
アスリートこそ、体に刻み込まれるようなホンモノの体験をしているという風に見えがちですが・・・・ここ10年ちょっとはそうでもないのかもしれません。血となり肉となる。そんな経験をしている人は意外と少ないのかもしれません。身体に刻み込むコトでも、youtubeに頼れるし、カラダのことでも、本を読めばわかるという意見も出てくれば、心のことも、誰かの格言や本や情報だけで何とかなる。という価値観になってしまう。血となり肉となる。人生でそんな経験をどれぐらいしたことがあるだろ
なんとも言えない上半期が終わった。会社として二期目に突入する直前からのコロナの影響。変わらずに東京に出張していたわたし自身からも、お客様の流れからも、感染。なんてことに繋がらずに済んでいる。ほんとに、ありがたいことだ。春のセンバツがない。という決定のニュースの日に、高校球児のご家族と一緒にいて、ほんとにいたたまれない気持ちでいた。その後に、kiwamiスポーツが始動。コロナ禍の影響で、何にも進められず。対面ができる環境にあらず。予定外だった、youtubeや配信に力を入れるとい
指導者として誰かに何かを指導していく際、その生徒がどんなふうに成長していくのか、どういう個人なのか、その一人一人のパーソナルも含めて指導しますし、そのために自分自身を学ぶことはやめてはいけないと思っています。施術者の育成であれば、指導者は施術者の体の使い方も熟知して教えていかねばなりません。例えば、・チカラを入れることが下手な施術者には、力を入れなくてもよい技術を。・腰が痛い施術者には、腰の使い方を考えた技術を。・人に触れることが怖い施術者には、心のことを学んで
あの頃のわたし水島は、今よりよほど必死で、今よりよほど生きた心地がしなくて、もっともっと彷徨ってて、なにより…自分が何者なのか、なぜここにいなければならないのか、誰が自分なんかを求めているのか。そんなことを、ずーっと自分の中で悶々と考えて過ごしていた。このブログを書いた頃の、自分の多重性に本当に悩んだし、そんな風に見てくれない周りに、反発があったし、対抗心と、闘うモードで過ごしていた。今の生活の方がよほどしんどいし、よほど気苦労ってやつも多いし、圧倒的にたくさんの
パーソナルセラピスト水島の施術は、いささか変わっている。霊障で傷ついたその人のカラダも癒していく。与えられたものではなく、「やるのなら渡す」と言われて授かった技術なため、やらないならさっさとなくなる技術のひとつである。努力でも生まれ持ったものでもなく、私はパーソナルセラピストをするから、この力を借りている。ただそれだけです。霊障なんてものは、言わなければ、何もわかりません。見えない世界ですからね。それでも、生きた人の念に悩み苦しんでいるのに、何の対処もし
私たちは、一度は神や宇宙に抵抗して「自分の人生は、自分のみで動かしている」とすら感じて生きている。それでも、なにかあれば「神や仏」を頼る。「神様。仏様・・・・」なぜそんなことをしてしまう。しかも、無意識なぐらいの意識化になぜ、それが存在している?それは・・・・神や宇宙がなにかを動かしていて、または実権を握っている。ということを、体のどこかか、意識のどこかで知っているからなのではないか。では、諦めろというのか?自分では何もできない。といいたいのか?!、という問いが出
空間に浮遊するモノの正体が分かってしまう。というのは・・・・なかなかにしていい気持ちはしない。良いものもわかるし、良い思いもしているのかもしれないが・・・なによりも「嫌な気のモノ」「悲しい気のモノ」「辛い気のモノ」が痛烈に分かってしまう。自分のサロン内には、空間のガードをかけていた時期もあったのです。なぜならば、それらを視て、それらを感じて、一緒になって辛くなり、しんどくなってしまう、まだまだ未熟な自分がいたから。自分へのチャレンジのために、こういう世の中だから
中性ではなく、中和効果を意識して、過ごしています。そしてそれらを連動させて、より良い動きにさせていくコト。私は、どこにも属していない。と言われることが多く、確かにそれを意識している実感もある。特定して教えていただく相手がいます。・コンサルの稲葉さん・コラボや塾や、もうかれこれ10年ほどのお付き合いうえるさん・レイキ、瞑想の先生・佐野さん・太極拳の先生・かつての教えとして、神社の師匠・大愚元勝和尚・子どもたちさまざまな視点から観て、聴いたそれらを、まんま真似
法人としての新しい仕事が入ってきており、なんだか気持ちが大きくてんてこ舞いな雰囲気が続きました。高校野球部リンパ講座修了試験カウンセリング講座鑑定書づくり新商品の開発全くすべて違った見解のモノに取り組んでおりますが、それでも共通することは、「ひとりの為のひとつの○○」であることには変わりなく、自立心を育むために私ができることは、生命原理を常に紐解き続け、未来を考えること。それに尽きる、と思ってやっています。昨日、人生で初めて
北陸実業団選手権大会の二日間の日程が終わりました。円盤投げ東海茉莉花39ⅿ78林田真那美43ⅿ71砲丸投げ12ⅿ54所属選手のそれぞれの成績です。たくさんの方に応援いただきました。心より御礼申し上げます。前回の記録会から、「kiwami」という所属名が、スポーツの世界に名前を残した瞬間でもありました。私の創り上げていた人生のシナリオにはなかったであろうことです。それでも、アスレチック事業部を立ち上げたい。と思い始めた去年の夏以降
kiwami式アロマリンパケアプロ講座第一期の修了試験が続々とスタートしております。きわみの講座は、何が大変って、どれもこれも、修了試験が厳しい!笑笑それだけは、なかなか嘘つけない部分でもあります。それでも、その経験が必ずや次につながることを知ってて、私たちはそれを簡単には済ませないようにしております。習ったんだから、試験ぐらい簡単にしてよ。という意見もありそうですが、お客様にも提案、提供していく数々です。自分の最大限の良さを発揮できるように、最後の準備のようなものが、
毎日やり残したことだらけで、何度も何度も、脳内がパンクするのでは?という夢も見れば、考えることもある。目の前で、幻想として、自分の脳がはじけ飛ぶ感覚になることもよくある。これは今の子どもたちに時々起きる現象だというし、今の大人は寝ているときやほぐれた時の現象に出やすかったりする。歳は歳だ。そんなモノ否定できるはずもないし、できることも増えたし、出来なくなったことも当然増えている。ただし、理解は増しているし全身の許容範囲も増えた。今日やり残したことを明日することも可
どんな場面で役立つのか。と問われると、どんな場面でも役立つし、だけどどんな場面でも役立たないかも?とも思う。クラスというものは、そういうことなのかもしれない。講座は、活かすために。という目的を強く感じるし、実益に繋げるためにみたいなものたちが揃っているが、クラスは、特技にするために。趣味として活用するために。みたいな感じだろうか。さまざまな攻防戦を繰り返している姿が空気感に巻き起こるのを観る。自問自答が行きすぎるヒト、人と比べたがるヒト、自己顕示欲が
結婚している最中も離婚してからも、子どもたちの前で、元夫(要するにパパ)の文句を言うことは皆無に近かった。ただ、事実を伝えることは多かったから、本人は文句だと聴こえていただろう。ただし、ここ数日は唯一一度だけ、子どもたちに聴こえるように、元夫の無神経さ、考え無しなところを、子供らの前で話した。いつもは一泊二日の面会交流も、今回は二泊三日。そのうち中日は、神社参拝のために、車で県外に行く予定だった。そこに何とも曲者な考えがやってきて、それを断念することになる。
頼るという言葉は、「束の頁(ページ)」と書きます。束になるぐらいの頁づくりをするため。という認識でもいいのではないかなー。と思って、活用することがあります。何かに繋げていく。…そんな意識で、誰かに頼ります。ともに何かを作り出そうという意識の相手にゆだねる行為ではないか、と思っています。甘えるというのは、「(人の好意を期待し)慣れ親しんで人なつこくする、またわがままをする。甘えるヒトの中には・・・ヒトの好意を期待して行為してもらう。みたいなニュアンスで、考