ブログ記事195件
本日の一枚アテナイの学堂ソクラテスプラトンアリストテレスこれは、ルネサンス期ラファエロが描いた『アテナイの学堂』といわれる一部です。ローマ教皇庁の中にあるそうです。ラファエロの傑作といわれています。ソクラテスが生きていたのはギリシャのアテネの民主政治が最盛期を過ぎたあたり。ソクラテスは、世の賢人といわれる人々に問答を挑みます。ダイアローグ、つまり対話なのですが、議論ということになります。結局、ソクラテスとの議論でおそらく
しま:今回はアケメネス朝ペルシア[前550~前330年]の歴史だ!アケメネス朝がメディアから自立してきたって話は前回したね!ちなみに、ペルシアって今のどこを指しているか分かる?生徒:はい。イランです。しま:その通り!ペルシア猫っているでしょ?イラン生まれの猫ちゃんなんですよ。生徒:かわ。しま:ってわけで、アケメネス朝ペルシアを建てたのはイラン人ってことになるね。彼らはインド゠ヨーロッパ語族だ。今回はエジプトの時みたいに王様ごとに業績を整理していく形で進めていこう!生徒:先生
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7ae66c8ccbeeceb4eb544f47092105c17dbd568ゾロアスター教の興味深い6つの事実、独特の葬儀、アレクサンドロス大王が聖典を破壊など(ナショナルジオグラフィック日本版)-Yahoo!ニュース世界で最も古く、影響力も強かった宗教のひとつであるゾロアスター教は、7世紀まで盛んに信仰されていた。今も信仰が続くゾロアスター教に関する興味深い6つの事実を紹介する。news.yahoo.co.jp
アレクサンドロス大王:神が生まれし時(2024)専門家へのインタビューと緊迫感あふれる再現ドラマを織り交ぜて、燃えるような野望を抱き、世界征服に挑んだアレクサンドロス大王の類まれなる人生をたどる。(引用元)感想オーストラリアに住むようになってから、日本の歴史・文化に興味を持つようになった私。でも西洋圏に住んでいるんだから、西洋史もちゃんと理解したいと思いました。子供の頃から国語・音楽・英語は大得意だったけれど、他はあまり興味がなかった、、(極端)大学受
「なぜここに?」アレクサンドロス大王の肖像が刻まれた工芸品を「意外な場所」で発見MetalDetectoristsFind"Incredible"ArtifactDepictingAlexandertheGreathttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/04/post-104326.php
中学校の歴史の教科書に記載されている重要人物を紹介します。第3回は「アレクサンドロス大王」です。☟詳細はこちら☟-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.com
NHKBSでやっていた映画を録画しておいた。主演がショーン・コネリーだったからである。カフィリスタンというパキスタンの辺境、アフガニスタン東部の秘境に分け入り、アレクサンドロス大王の末裔を自称し、たまたまフリーメーソンの印を持っていたために神として祀られたイギリス人が、人間であることがばれて落命した話である。第二次大戦が終わるまでインドはイギリス領だったのだ。1975年公開のアメリカ・イギリス映画。ラドヤード・キップリングの同名小説を映画化した作品。ロケはモロッコで行われたようだ。なかなか
こんにちは。TGIFRIDAYLUNCHです。プルコギビーフ丼と、周りにキャベツを付けたワンプレートランチです。KINDLEUNLIMITEDで、世界史を再勉強です。特に地理的関係をチェックです。漫画本もゲット。今日からサブスクで、『アレクサンドロス大王』のシリーズを観ます。
こんばんは。水曜日のおうち晩御飯です。おでんに無塩うどんを入れて。鶏もも肉は、大根と「てり煮」を作って貰いました。今回の長期自宅療養中の過ごし方。NETFLIXが、面白い歴史物を配信。オスマン帝国の話。シーザーの話。今日からは、『アレクサンドロス大王』。↑写真はIMDbからです。バッチリです。
AlexandertheGreatandthePowerofLiterature彼(ille)アレクサンドロス(Alexander)大王は(magnus)沢山の(multōs)著述家を(scrīptōrēs)成し得たこと(を書くため)の(factōrum)彼の(suōrum)彼と(sē)ともに(cum)いつも(semper)持っていた(同行させていた)ものだ(habēbat)なぜなら(enim)彼は(is)かつて(ōlim)アキレウスの(Achillis)墓(
今朝、予報士が〜寒さのピークは今日で終わりますと言っていました。明日からは最高気温が二桁になるらしいので少し動き易くなるかな?と嬉しいです。あの寒さは半端無く昨夜はファンヒーターとエアコンの両方を稼働させました。まるで雪の中で過ごしている様なしみる冷たさでした。被災地は、こんな半端な寒さではないでしょうから贅沢な不平は駄目ですね。『快刀、乱麻を断つ』もつれた問題などを鮮やかに処理し解決する例え。
・メモニーチェ全集の第1巻を読んでみた。本書を読むきっかけは、数年前に葛西教授がニーチェは哲学以前は西洋古典の文献学の研究者だったという話(多分)を思い[古典ギリシアの精神/¥2,090][フリードリッヒ・ニーチェ著、戸塚七郎他訳/筑摩書房(1994/5/9)][651p/978-4-480-08071-4][西洋古典学、プラトーン、古典ギリシア、宗教、ギリシア人の祭祀、プラトーン対話篇][ちくま学芸文庫、ニーチェ全集1][図][050][kv00][bb0
6日目はカイロを離れ、アレキサンドリアへ。…列車本体の写真ではなく、座席の写真しかありません。これじゃ、飛行機の中と変わりないですね^^;アレキサンドリアに着いてまず見学したのがポンペイの柱。ローマ時代の遺跡です。でもなんか、某聖闘士☆矢に出てくるポセイドン編の七つの大海の柱みたいですね(笑)そしてアレキサンドリア国立博物館です。旅行会社から渡されてるしおりには、クレオパトラの生きたグレコローマン時代の遺物を展示と書いてあるんですが、イクンアトンの彫像があるやん!はい、正確
イタリアのナポリ国立考古学博物館が所蔵するポンペイ遺跡出土の「アレクサンドロス大王のモザイク」画がこのほど修復のために博物館の壁から107年振りに取り外された。3次元計測で状態を調べる。ポンペイの富豪ファウヌスの床から1831年に出土した石片によるこの壁画は縦3.13m、横5.82m。マケドニアの大王がハカーマニシュ(アケメネス)朝ペルシアのダレイオス3世を破った前333年のイッソスの戦い(現シリア)を題材としている。ピロクセノスの原画を前2世紀に模写した壁画で純粋なローマ壁画でないが、ポ
アレクサンドロス大王の遠征は何のため?アレクサンドロス大王とはアレクサンドロス大王が遺したものアレクサンドロス大王とは紀元前4世紀、日本では弥生時代で、チャイナでは、戦国時代頃になります。ペルシャ戦争で勝利したギリシャの各都市、中でもアテネは、戦いの中心となった中間層が力をもち、都市(ポリス)の住民が直接参加する民主制とともに現代にもつながる優れた哲学や数学、芸術などを生み出しました。しかし、しだいに各ポリス同士の争いが激しくなり、内部から衰退し
『ギリシア人の物語4新しき力』/塩野七生/新潮文庫この最終巻は、マケドニアのアレクサンドロス大王の伝記となっています。痛快な1冊です。世界史の教科書にも必ず出てくる有名人で、後世に大きな影響を与えています。生涯不敗の軍事的天才で、21歳で遠征を始めると、わずかな兵力でまたたく間にペルシア帝国を滅ぼし、広大な領域を征服。人望も政治力もあり、東西文化の融合を目指して、帝国の統治を開始した矢先に32歳で突然の病死を遂げます。アレクサンドロスの父親、マケドニア王のフィリッポス
王室秘書官であったエウメネスには軍事的才能がありアレクサンダー大王の父の代から武将として活躍しましたが参照:マケドニア王国・王室秘書官エウメネスと銀貨ディドコイ戦争で非業の最後を遂げます。参照:ディアドコイと古代コイン彼の死後にできた国々で発行された銀貨をこれまで紹介してきましたがエウメネスの戦いの後・エウメネスの戦いの後、その2・エウメネスの戦いの後、その3今回は4枚目になります。KingdomofThrace,BC305-281,Tetradrachm,15.8
ショーペンハウアーは、享楽、富や名声をすべて棄てた生き方、つまり意志の放棄ですが、これを実践していたのがキュニコス派の人々だったといっています。キュニコス派とは、ギリシア哲学の一学派で、アンティステネスという人が考えた。彼はソクラテスの弟子でもあった。キュニコス派の考え方は、自然に与えられたものだけで満足して生きる、という考え方です。富、権力、名声という従来のあらゆる欲求を放棄して、自分たちにとって自然な暮らし方をすることで幸せを得ることができる、と考えた。その理由とし
11月より修復作業過程も見学可能に💘南イタリアのナポリにある国立考古学博物館で2年前の3月5に始まったアレクサンドロス大王モザイクの約100年ぶりの初修復ですが、昨日10月30日に同博物館は修復の実行段階に入るために必須のステップであるモザイクの反転が無事成功した!という発表を行いました。(以下博物館facebookよりの翻訳です)この作業は、建築家、技術者、修復家達が一体となった高度に専門的な合同作業でした。そして明日11月1日か
(マケドニア王フィリッポス)ギリシア北部のマケドニア王フィリッポス2世(在位前359〜336)はギリシの都市国家テーベに長く滞在したこともあり、ギリシアの文化を高く評価していた。(彼の子アレクサンドロスにギリシア哲学者アリストテレスにギリシア教育を行なっている)彼はテーベのエパミノンダスの戦術を学んでマケドニアのファランクス(密集隊形)を完成して強力な軍隊を編成した。長い槍と騎兵を組み合わせて周辺の民族を征服していった。当時ギリシアはポリス間の抗争で混乱していたので前338年、カ
デルフィの幻想へそういえば安倍圭子先生のマリンバの創作曲🌸桜の幻影、で色々な方のものを聴いてみましたが一番好きだったのは川向志保さんの演奏でしたDreamoftheCherryBlossoms(桜の幻影)作曲安倍圭子2010/10/31第5回島の音楽家チャリティーコンサートにてhttp://homepage3.nifty.com/tmurl/index.htmwww.youtube.com志保さんのマリンバの音も、響きも、せり上げ方も
お立ち寄り下さいましてありがとうございます。アレクサンドロス大王(紀元前356~323)は33歳の若さで没しましたが、多くの伝記で英雄視されています。だが、それは一方的な見方だという歴史家もいます。人物に対する評価は分かれているようですが、彼の墓については埋葬場所がきちんと伝えられています。ところが、度重なる地震や津波、海面上昇などの自然災害に晒され、時の経過と共に海中・地中に埋没し人々に忘れ去られていったようです。アレクサンドロス大王の墓探しはアン
お立ち寄り下さいましてありがとうございます。アレクサンドロス大王(紀元前356~323)は33歳の若さで没しましたが、多くの伝記で”英雄視”されています。それは一方的な見方だという歴史家もいます。つまり、人物に対する評価は分かれているようで、暴君であった、とも伝えられています。なお、彼の墓については埋葬された”場所”がきちんと伝えられています。ところが、度重なる地震や津波、海面上昇などの自然災害に晒され、時の経過と共に海中・地中に埋没し彼のお墓そのものは
近代の前にリホルダーで戻ってきた古代コインの紹介もしておきましょう。この前の日本コインオークションでアレクサンドロス大王のデカドラクマ銀貨が出ていましたが、関係は別に無いのですが私の手持ち最後のアレクサンドロス大王のテトラドラクマ銀貨の話でも。マケドニア王国アレクサンドロス3世紀元前336-323テトラドラクマ銀貨AUStrike5/5Surface3/5FineStyleこちらを入手したのは、ブログの最初の頃に紹介したシデで作られたアレクサンドロスの銀貨と一緒
2023年6月18日アレクサンドロス大王の家庭教室だった人❗
こんにちは!タコリーナです!引き続きの…イタリア全力疾走旅日記に御座います。。今回はその28..よろしくお願い致します!※※※※※※※※※※※※※※※※※※そんなこんなで…向かったは…MUSEO駅に隣接する…↑こちらの施設。。今日は念願の…『ナポリ国立考古学博物館』を見学しちゃうのだ♪ポンペイへ行った後だから尚更、、楽しみ過ぎて…入る前から鼻息荒めだ。。とはいえ…美術館や博物館ネタは往々にして…ブログ的には地味になってしまうので…駆け足で紹介していこう。。
世界を我が物にせんと10年もの間戦争し続け常に軍隊の戦頭を走って10倍の敵にさえ怯むことなく敵陣に突進して行った恐れを知らない男歴史上二度とは現れないこの桁違いのスケールの大王が求めた見果てぬ夢の終焉とは一体何だったのだろう彼の夢の王国は彼の死と共にバラバラに解体され妻も子供も殺されてしまい後には何も残らなかったそして激しく燃え盛る炎が突然に消え去るようなあまりにも呆気ない唐突な死それでも人々はこの不世出の超人に時を超えて憧
アレクサンドロスが憧れたオリエント♡先日若きイタリアの親友、ミケーラさんよりナポリの国立考古学博物館で”アレクサンドロス大東と東洋”と題した展覧会が始まるというお知らせを頂きました。会期は5月29日~8月28日までですアレクサンドロス・モザイクの修復が遂に完成に近づいたのでしょうか?エジプト、アジア、インド亜大陸におけるギリシャ文化の普及というテーマも取り上げられ、150点の展示のうち、60点がナポリ国立考古学博物館から
検索型人工知能のマイクロソフトbingchat、本日も引き続き、使用状況を報告します。本日第1の話題は「仙人」についてです。自分でも半分本気なのですが、仙人のつもりなのに腹は減る、この不思議をbingchatに解明してもらいます。結局私は仙人ではなかったのですが、この人工知能が、非科学的な話題にもある程度付き合うことが、わかりました。続いて第2の話題は、アレクサンドロス大王についてです。大王は紀元前3世紀のマケドニアの王で、東征を試みて当時大帝国だったペルシャを、いとも
バクトリアのコイン15アンティオコスI世・アレクサンドロス大王タイプ銀貨少し前に、バクトリアがセレウコス朝の一部であった時期に、アンティオコスI世(在位紀元前281-261年)がバクトリアのアイ・ハヌムで発行した裏面に馬(ブケファロス)のデザインのあるドラクマ銀貨を紹介しました。今回、再度、アンティオコスI世がバクトリアで発行したコインを入手しました。アレクサンドロス大王(ヘラクレス)・ゼウスのデザインのものです。ヘミドラクマ銀貨なので非常に小さいコインです。アンティオコ