ブログ記事180件
FacebookはこちらGotoFBWEKAF?初めて聞く世界大会だし、何?と思って調べてみた。フィリピンの独自の武術組織なんですねえ。色々調べてインド経由で伝わったらしい戦闘術(人もインド方面から来ただろうし。土着民にはなかったんでしょうね)フィリピンの凶器、戦闘員としてスペインに使用されるための訓練など、元々「ナイフの民族」と他アジアからちょっとひかれていた歴史を知ることができた。今はスペインの影響でルールも改編、ナイフでなく棒持ってスポーツに。ラプラプ時代のスペイン人襲来
毎週充実して、老師のところで学問を積んでいます。仏教文化における身体観の伝承としての、心意拳の伝播と海賊武術の広がりを研究するライフを送っています。その中で、先日からクラス後の研究会タイムに老師よりお誘いいただけました。そこではいつも教わっている岳家拳(心意系)、五祖拳(最も南方まで伝播した海賊武術)をに加えて、兵器を教わることが出来ました。いま教えていただいているのは、破峰八刀という苗刀です。出た、苗刀!!以前に、山東苗刀の老師を台湾からお招きして講習会を開いたことが
ディズニーの実写映画「ムーラン」が劇場公開中止になりました。これは「隋唐演義」に出てくる登場人物、花木蘭をフィーチャーした映画で、大画面でディズニーの武侠映画という珍しい趣向もあって好事家の目を引いていました。しかし、その一大スペクタクルを取るために少数民族の弾圧をしていたことが発覚し、おなじみ中国政府の人権無視問題が取り上げられました。なにせ「三権分立などは西洋資本主義社会の話だ」と明言したお国柄です。そりゃあそういうこともありますでしょう。そもそもが、力を合わせて異民族と戦
さて、フィリピンの私のグループの方では、盛んに練習が行われているようです。世界最長のロックダウンが敷かれた国であり、いまもなお感染者は増加中なのですが、だんだん日常生活の再開に向かい始めているようです。私のところも対面練習を停止してもう半年、あぁ、ペアを組んでのセッション・トレーニング、いいなあなんて思います。アルニス、またはエスクリマと呼ばれるフィリピン武術では、この対面セッションでの練習を重視する派が多い印象です。特に、バハドと呼ばれた決闘を目的とした派ではこれが練習の多く
世界最長のロックダウンをしているフィリピンでは、段階をおいた規制の緩和によって、少しづつ街に人が出てきているようです。現地から様子を送ってくれているユーチューバーの方の映像によると、往時の三割ほどまで人手が戻ってきているようです。三割と言うことですが、元々フィリピンは人が多くてマニラは人混みの都市なのでだいぶ人が居るように見えます。一方、フィリピン名物のモールでは営業休止を続けているお店も多くて、フード・コートなどでは照明が消えて薄暗い状態であるようでした。感染者は相変わらず増
先日も練習の後、老師が「あなたのためにこれを買った」と箱を見せてくれました。それを開けると、入っていたのは二つの金属製の棒。琉球古武術で言う釵、中国武術では鉄尺とも言われる物です。これ、以前に、何年前?海賊武術について書いてた時、最初にフィリピンから帰った直後にここでも書きましたが、福建の海賊たちの看板兵器ですね。昔の凧の糸車のように、この金具に紐を巻いて巻き尺として使っていたのです。元々海賊と言うのは同時に船大工で自分たちで修理や造船をしなければいけないので、みんなこれ
私の研究の一つの課題に、フィリピン武術の格技の部の、手法はどこに由来しているのか、という物がありました。英語圏ではトラッピングともいわれる、手と手を絡めて戦う戦法です。あれは非常に奇妙です。なぜなら、元々がエスグリマという西洋剣術であったなら、あんな展開になることは想像しがたい。確かに片手にナイフを持つエスパダ・イ・ダガがあの形の戦い方をしていて、それがもっとも古い技法であると言われているので、元々あったという見方も可能です。しかし、だとすると一つ引っかかるのがマレー武術の
このブログを初期から読んでくれてる人の中には、私が最初にフィリピンに行った時のことを覚えている人も居らっしゃるかもしれません。それは、マニラの中華街、トンドにあるという五祖拳を見たかったからです。この五祖拳、東南アジアに広まった福建白鶴拳類で、インドネシアに至ってはクンタオ・シラットになり、フィリピンで最も盛んになり、そしてその中身に至っては行者拳(猴拳)、白鶴拳、羅漢拳、達尊(達磨)拳、太祖拳の五つを含んだ総合武術であり、最後には心意拳になるという、東南アジア武術から回族武術に至ると
1986年の革命時、私のマスタルたちは一体どうしていたのでしょうか。私より年上の彼らは、自分たちの住んでいる町で起きていることを理解していたはずです。その彼らが、百万人による革命が国を変える様を目の当たりにしていたことは間違いはありません。この革命の後、アキノ氏の妻であったコラソン・アキノ夫人が大統領となります。しかし、彼女はアキノ氏のような自覚的な政治家ではありません。その妻であり、貴族の令嬢です。それが貴族制を解体しようとしていたマルコス派を打破してしまったのです。
「ゲリラ戦のエスクリマってなんですか?」うちには功夫の練習に来ていて、その他はバリンタワクのエスクリマを練習している生徒さんに訊かれたことがあります。マニラにおける、大戦時および今に至る歴史的な流れなどを説明したのですけれど、いまひとつピンと来ていないようでした。いつもの私の文を読んでいる、フィリピン武術に明るい皆さんの中には、翆虎はバハドのエスクリマに冷淡だ、と感じている人も居るかもしれません。その通りだと思います。なぜなら、ほとんど興味が無いからです。とくにバリンタワ
本日は献血に行ってまいりました。今日が前回からの待機期間である三か月目ちょうどに当たるので、私たちは緊急事態宣言から三月を経たことになります。方々はこの三か月、いかがでしたでしょうか。私はと言えば、ずっと用が無いときはステイ・アット・ホームの暮らしでした。昼間の仕事はウィルスの影響もあって短縮されて、以前より少し早く帰れています。それを活かして体力の低下を防ぎ、精を養う暮らしをしています。早朝から気功と武術の練功をし、終業後は英語と各種の学問の勉強をして早く眠ります。
福沢諭吉翁が遺したという、福沢心訓七則というのは、あれは偽作なんだそうですね。それでも中々に面白いことを言っているように思います。一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持
前回、パラシュラーマが海に斧を投げたことによってそこにケララ州が出来たという伝承を書きましたが、これ、民俗学的には英雄が海を開拓して州を築いたという解釈が出来ます。ケララとはヤシの地という意味だそうですから、何か植物を活用して水をせき止めたりあるいは埋め立てをしたのかもしれない。斧は金属の象徴で産鉄を意味していて、その業務周りで結果海が埋め立てられたのかもしれません。面白いのは、これが武術の開祖である英雄伝説なのに、象徴が農具(あるいは日用品)であることです。剣や槍のような専門
先日ね、私が書いているここの記事を読んで、ブラジルに住んでいる和尚さんからメールが来たんです。その方がね、私にある先生の本をレコメンドしてくれました。私の学問に繋がっているのではないかということです。その通り。その先生については、私は以前から意識をしていました。というのも、私の研究は仏教武術、海賊武術を調査するという物であり、その中心にある軸は師父になった蔡李佛拳です。世界で最も普及した中国武術である蔡李佛拳は、海上社会を通して広まりました。その途中で、フィリピンで
ネットの世界を見渡すと、まぁ偽物武術が沢山目に付く。実際のところ、九割以上は偽物だと言ってもいいと思います。それも当然、本物は十年、二十年やってようやく一人前の後継者になれるかなれないかという世界で、おそらくは私でさえその世界では若手からちょっと中堅よりになりかけたくらいの世代。だとすると、そんなにネットに情報を出していない人も多いだろうし、そりゃあ本物は少ないですよ。それに対して、にせものは簡単。今日思いついて自称すればなんの苦労もなくもう僭称できます。ですがまぁ、な
フィリピンという国の歴史と共に変遷してきたエスクリマいついて書いてきましたが、ここでもう一方から目を向けたいのが、歴史に干渉し続けて来た外国人の存在についてです。もともと、スペインの支配からエスクリマは始まりましたが、ナショナリズム的な視点からは、海戦でマゼランを戦死させた族長、ラプラプが最初の名誉アルニスダー(エスクリマドール)だとみなされています。後からエスグリマが入りましたが、元々フィリピンには土台となる武術があったのだという観方です。もちろん、その部分もあったのでしょう。
私が学んだラプンティ・アルニスは、元々セブ島のカブルナイ家に伝わる土着系剣術だったようです。これが、中興の祖であるフィルモコン・カブルナイ先生によってアップデートをされたのは、どうもドセ・パレスの時代の前後であるようです。ドセ・パレスの人々が復興活動をしたのと同じように、フィルモコン先生もセブ島各地や、ネグロス島などに渡り、剣士の家を巡ったそうです。フィルモコン先生の職業は刀鍛冶だったそうですから、これは生活しながら修行が出来るよいライフスタイルです。そのようにして、様々な剣士
土着の家伝剣術、アップデートして変化したバハド系、フィエスタでアップデートされた剣術系と言うフィリピンにおけるパラダイム・シフトについて書いてきましたが、これとは別のもう一つの流れがあります。それが、ゲリラ戦のエスクリマです。実は、これがフィリピンにおいては背景として切っても切り離せない物で、現在でも彼らはいつでも戦乱が起きると言う中で生きています。90年代までは革命ゲリラや共産ゲリラが普通に居ましたし、二年前にも戦争が起きました。ドゥテルテ大統領は今回のロックダウン下での食糧
古典の剣術エスクリマ、バハドのエスクリマについて書きましたが、バハドと言うのは元々ドセ・パレスという12の派の中での内輪もめから生まれた物です。つまり、全体の中ではごく一部でしかない。では、他の剣士のエスクリマはどうなったかというと、いまでも土着で行われているらしいのです。これが家伝系であり、中には子孫から「いまどきこんなことやってらんねえよ」と言うことになってしまった派も多いそうです。どうしても、途中でアップデートされていないと体系化がされないドメスティックな物になってしまっ
ドセ・パレス時代に、バストンというフィリピン武術を特徴づける発明が生まれます。練習に使うラタンの棒です。もちろん、練習で怪我をしないための道具です。以前にここに書いたREINAさんはあれを分かりやすく「竹刀」と表現していました。剣道が刀でなく竹刀を使うための技術にシフトしていったように、エスクリマにも同じことが起きます。やがてドセ・パレスはお家騒動を起こして二派に分裂します。そして、勢力争いとなってお互いをやっつけるためにタイマンばっかりするようになります。もちろん
世界が現在の状況になり、経済活動を再開させるための空虚なパフォーマンスとして東京アラートという物が用いられ、なし崩し的に世の中は経済中心に戻って行きつつありますが、うちでは相変わらず通常レッスンは行っていません。もうしばらく、ニュー・ノーマル化の中での感染者数の増減を観ながら、個人レッスンに限って再開をしてゆくかもしれないという風に見ています。それまではオンライン・レッスンなのですが、レッスン・フィーは10000@ひと月で、そちらの生徒さんは個人レッスンが通常9000@のところ、500
このところ、ずっとオンライン・レクチャーの動画を作ったり、説明文を書いたりしています。その時に出来たものを、たまにSNS上でおすそ分け公開をしたりしています。基本、私のSNSは生徒さんと外国にいる友人向けを対象とした物なのですが、マニラの仲間たちなどはだいぶ続いているロックダウンでこのところ、だいぶ元気がないことが日々伝わってきています。私がお会いしたことのない先生が先日お亡くなりになって、GMなどはだいぶ悲しんでおられました。そのような中で、毎日ひとつづつくらい編集前の動画な
マニラで特訓中、グランド・マスターから言われた「グランド・マスターになるんだから、基本が一番できてないといけない」。だから、練習の前半はひたすらしごきのような基本の反復を毎日やった。高度な技や秘密の技を一日中詰め込んでいたわけでは決してない。「もし誰か、自分もマスターだっていう人間が現れたらこの基本をやって見ろって言え。それで本物かどうかわかる。前にもドバイからマスターが一人来た。全然だめだ。基本がわかってない」それからこうも言われた。「グランド・マスターになっても絶対威張るな
ラプンティ宗家の先代、オンド・カブルナイSGMの生前の動きを見ると、どこかピクピク痙攣しているような動きをします。それは私の目からすると、ともすれば稚拙なように見えてしまう部分がありました。私がそれとは反対の性質を突き詰めて行く、長勁の門派の人間だからです。オンド先生の動きは、もしかしたら晩年で弱ってらっしゃったのか、あるいは何かの事情でお身体の具合が悪かったのか、それとも撮影ということで緊張されていたのかもしれません。しかし、このたび最後の段階の修行をして帰ってきて思うことは
外出自粛要請が出てから、当初告知されていた二週間が経ちつつあります。現状を見るに、おそらくは延長になり、さらには基本的人権にかかわるレベルにまで規制が強まるのではないかという憶測も出ているほどに状態はよくないものとなっています。我々も人道上、ひとまず練習会の活動を休止したいと思います。ただ同時に、この事態がいつまで続くか分からず、収束が見えてからの社会情勢も大幅に変わることも予測されているため、プライベート・レッスンのみは承る予定です。ご興味、ご関心の方は、体調についてよくよく
海賊武術、というほとんど日本では浸透していない視点から武術を掘り下げることになったきっかけは、たまたま自分が学んでいた蔡李佛拳とエスクリマがともにそうであったからでした。それを助長するきっかけとなったのは、エスクリマの技術が明らかにカンフー由来の物とみられるのでそこを追求すべく向かった最初のフィリピン修行でした。そこで、偶然ドンピシャに蔡李佛拳から成立したエスクリマ、ラプンティ・アルニスと出くわすことが出来たのですが、これは逆を返せば一つの極端な例を捕まえただけで、実は本質的な答えとは
よく、才能がある、ないなんてことを言います。それに一番こだわるのが子供です。才能があるからやる、ないからやらない、と率直に利己的です。そして、大体中学生から高校生くらいで、才能の有無とは別にやるやらないを判断するようになってゆくのですが、いつまでたっても小児性が取れないとここに拘って生きてゆくことになります。あくまで肉体の能力に囚われ続けていて、自分が本当にやりたいことという物に出くわさずに生きてゆく。ある大学の先生が言っていたのですが「学問は個人の方を向いて無い」だそうで
いまの日本のフィリピン武術界にはうさんくさい人間が多すぎる、と言うことを前にも書きましたが、どうもこれは日本だけに限らない問題であるようです。フィリピンでのマスターの中にも、すでに国内のその世界が腐りきっているおっしゃる先生もいるそうです。曰く、金で資格を売っているようなところは腐りきっている、ということだそうです。以前に私も批判した、有名な外国人マスターが、実は自称している流派のマスターではまったくないということを知りました。その流派の直の先生が「俺が知らない間に勝手にうちの
お釈迦様の教えで言うなら、執着や強い感情を捨てて、中道に生きることで人は平穏を手に入れられる、ということになります。そのための具体的な行として気功や瑜伽があります。私自身、それを求めてやってきました。結果、心はだいぶんに安らぎを手に入れ、静かな半隠棲の生活を送れていました。しかし、その反面、自分の命に空いた風穴、それまでの人生で得た傷口から常に力が漏れ出していて、生命力がとても弱くなっている感じが常に伴っていました。私は静かで穏やかで、そして疲弊していました。自ら命のボ
無事帰国し、沢山の物を持ち帰ることが出来ました。その沢山の物が、一つの総体であることはなおさらの僥倖であります。しかし、私が持ち帰ったのはそれだけではないのかもしれません。個人的に、この旅の渡比は20年以上かけたエスクリマの道におけるある種の到達点でした。グランド・マスターとなり、自分の差配で流儀を構成することが出来るようになるということは、ただの我儘を許すと言うことではなく、自分で考えて最善を模索できるだけの内容を託されたということです。マステラルやシークレットと言われ