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配偶者の異常行動の数々…たぶん、大人の発達障害です。大人の発達障害という言葉で検索するとASDADHDLDなどが出てくるのですが、配偶者はADHDの症状、ほぼ全て該当します。ASDもいくつか該当します。ある病院のサイトでは、アルコールやギャンブル等の依存症患者の多くの人にADHDが認められたと書かれていました。結婚当初は、発達障害なんて言葉、知りませんでした。早くわかってたら力づくでも病院へ連れて行ってたかもわかりません。今となっては、もうどうでもいい
できるだけ時系列で…と思い、始めたこのブログですが、現実問題、20年以上も前のことを思い出しながら時系列というのは無茶な話なので、思い出したことをその都度や現在のことなどを書くことにします。今日、当たると評判の占い師さんにうちの配偶者が死にそうな時期をみて頂きました。あと1年半はこの世に生存しそうです。私にとっては今年一番の残念なニュースです。
どれだけ借金まみれになってもどれだけ返済に苦しんでもどれだけ生活が苦しくなっても配偶者は1日も欠かすことなく飲酒を続けました。晩酌程度のものではなく、帰宅してから寝るまでの間ずっと飲み続けました休みの日は朝から夜寝るまでずっと飲み続けました。飲んでいるうちに、途中で人格が変わるのがパターンでした。人格が変わった後、少しでも気に入らないことがあると暴力的になりました。私の表情や言葉の端々が気に入らない子ども達の態度が気に入らないそんな理由で暴力を振るい
ある日、私はまだ小さかった子ども達を連れて実家へ顔を出しました。私の実家は、我が家から徒歩でも10分位のところにあります。母の体が不自由だったため、近くに住んでいました。父が私に「お金を返せる予定は立ったのか?」と聞いてきました。私は、配偶者の消費者金融からの多重債務について今までひとことも両親に話したことがありません。無断で知人から借りていたことも話していません。とにかく両親に心配をかけたくなくて、私の苦労話は一切していませんでした。なのに、「お金を返せる
ある日・・・私が仕事へ行く日の朝、自宅の最寄り駅で、知人(Yさん)に会いました。Yさんは、自宅近くの居酒屋の常連客です。この居酒屋は、私が幼少期の頃からの知人が経営しており、私の知人のお店ということで配偶者もこの居酒屋へよく飲みに行っていました。Yさんと配偶者は常連客仲間ということです。私はYさんに「おはようございます!」と、あいさつをしました。当然、「おはようございます」と返ってくると思ったら…「おたくの旦那さん、ええ加減ですね。貸した金が返ってこないん
配偶者の収入が少ないのに、勤務先が地元で誰もが知っている会社だったお蔭か、住宅ローンがOKになり、無事に中古マンションを購入することができました。住居費を今までの半分以下に減らすことができました。相変わらず、配偶者の月収は手取り10万円程度。私は、当時の私に思いつく限りのできることをしたと思います。(今の私なら、もっと改善点を見つけられるのですが)パートと派遣を掛け持ちしたり、独身の頃に買ったブランド物の服やバッグをヤフオクで現金化したり、家の中にある不要
配偶者の転職後、数ヶ月間は収入が安定していたものの、予想どおり、その後は完全歩合給になりました。手取り約10万円40歳過ぎた男が結婚して幼児3人を養う責任のある人が正社員で不規則勤務のため深夜に働くこともあってそれで手取り約10万円。私のパート収入と同じぐらいです。家族を不幸にするようなこんな転職を選んだ配偶者を心底憎みました。この頃まで、賃貸マンションに住んでいました。家賃、管理費、駐車場等合わせて約13万円。安いところへ引っ越そうにも当時の賃貸
失業手当をもらいきった頃、配偶者の再就職先が決まりました。その就職先を私は大反対しました。収入が不安定で、平均して収入の少ない職種だからです。予想どおり、安定していたのは初めの数か月だけでそれ以降は、ほぼ完全歩合制のような形でした。シフト制勤務なので、平日に休みがあり、私の目が行き届かない分、何でもできるわけです。給料が少ない小遣いも少ない妻が働いて子ども達が保育園にいる日が自分の休日遊びたい(ギャンブルをしたい)遊ぶお金が欲しい
配偶者がギャンブルで作った借金を義父母に一括返済してもらった後、私は家計を立て直すのに必死でした。配偶者は次の就職先が決まりました。収入は前の会社より月10万円位少なくなりましたが、それでも無職よりマシです。その新しい仕事も、休みが固定曜日ではなくシフト制なので、私とはすれ違いです。要は、配偶者が休みの日に何をしているのか把握できない生活というわけです。ギャンブルで借金を作ったり借金があるのに会社を辞めたような人に監視できない日があるのが不安でした。不安はす
毎月3万円の返済+新たに発覚した月1万円。計4万円。借金の理由は全て「ギャンブル」の一点。当時の我が家は、配偶者の失業手当と私のパート代を合わせて月20万円ちょっとの収入しかありませんでした。家賃&管理費&駐車場代で月13万円。必死で乳幼児3人を育てました。配偶者は、無職のくせに家事育児ノータッチ。無職のくせに料理が気に入らなければ暴言を吐く。無職のくせに借金が次々と発覚。無職で借金まみれのくせに性欲だけは強い。相変わらず、性欲の処理を拒むと暴力的になる。
配偶者の失業保険と私のパート代を合せて、なんとか生活をしていました。その中から、多重債務の返済をしなければいけません。3社にそれぞれ約1万円ずつ。収入が激減した生活の中、3万円の返済はキツかったです。経済的にも精神的にも。そんな中、家族で買い物に出かけて帰ってきたら、留守電に1件のメッセージが残されていました。再生してみたら、更に新たな1社から督促の電話でした。私はその場で崩れ落ちました。配偶者は、「ごめん。」と、ひとこと言いました。1つ発覚するたびに
消費者金融からの督促のハガキと電話で発覚した配偶者の借金。当時は、個人情報保護が今ほど厳しくなく、私がその消費者金融へ電話をして「妻です。家のお金は私が管理してるので事情を詳しく教えて下さい。」と言うと、ペラペラと内容を教えてくれた。いつから借金してるのか、月々いくら払ってるのか、等。2年位前に30万円の枠を作って借りたり返したりを続け、残金40万円超。月々1万円位の返済をしてきたけど無職になって返済できずにいたから督促がきたということらしい。内緒の借金が
二十数年前の記憶を辿りながらの記録…3人目の子どもが生まれて少し経った頃、配偶者は会社を辞めました。乳幼児が3人もいるのに世帯主が無職。真面目に毎月ハローワークへ通ってました。職を探すのではなく、失業手当をもらうためです。失業手当が終わる頃に次の職場へ就職しようと計画していたようです。運転免許さえもっていればほぼ誰でもOKな職種なので焦りも何もなかったのでしょう。私はその職種を大反対しました。何度も何度も反対しました。危険であることと、収入が先細りになるのが
自分の思いどおりにならなければ怒り狂う配偶者。自分の思いどおりにならないというのは、私の言葉の端々が気に入らないとか味噌汁の具が気に入らないとか私が性処理の相手になることを拒否したとかその程度のこと。怒り狂いながらアルコールの量も増え浴びるように飲み、どんどん荒れ狂いました。蹴られて倒れると、同じところ(太もも)をずっと蹴り続けられました。翌朝、そこは青アザではなく、真っ黒なアザになっていました。痛くてまともに歩けませんでした。太ももの太い骨だったからそ
性処理の欲求に応じなければ激ギレして暴力…毎日毎日…そんな生活でした。私の体調も気持ちも一切お構いなし。配偶者の性の欲求を満たす。ただそれだけ。どうしても、本当にどうしても体調が悪くて拒否すると狂いました。首を絞められて、翌日には私の首にアザができていました。石油ファンヒーターを蹴って倒して踏みつぶして、床一面、灯油が広がりました。その灯油まみれの床の上を、髪の毛をつかんで引きずりまわされました。私が力尽きて一切の抵抗ができなくなるとそん
配偶者は、アルコールを飲んでいる時とシラフの時で全く別人でした。私の両親と会う時はシラフの時でした。シラフの時は心の温かい人なので、私の両親はそういう面しか知らないわけです。「真面目によく働いて優しい人。」私の両親はそう思っていました。実家へ行くと、両親はビールをどんどん飲ませます。飲ませないように頼んでも、「そんなこと言わず飲ませてあげたらいいじゃない」と、聞く耳をもちません。実家で泊ることはなかったので、ある程度の時間を過ごしたら自宅へ帰ります。自宅へ帰って
新婚当初、私は平日に勤務し、土日祝が休みの生活でした。配偶者は土日祝が忙しい業界で、休みは平日にしかとれません。なので、それぞれ休日は自由です。休日の過ごし方は、私はただただ体を休めたり平日にできない家事をするだけでした。配偶者は、平日の休みに朝から夜までパチンコ屋へ行ってました。パチンコが好きなのは独身時代からでした。仕事には真面目に行き、そこそこの高収入でしたので、休日の過ごし方にとやかく言うつもりはありませんでした。干渉しないこと、干渉されな
勝手にその気になってた転職に失敗した配偶者は毎日、泥酔するようになりました。管を巻いて同じことばかり繰り返す日々。ストレスをアルコールで紛らわせたのでしょうが、今思うと、なんて小さくて弱い人なんだろう…と冷静に物事が見えます。突然、私の言葉が気に入らないとか、夕食が気に入らないとか、因縁をつけられて怒鳴り出し、暴言を浴びせられました。それが始まると寝るまでその調子が続きました。泥酔すると、トイレもまともにできません。トイレの床はおしっこ浸し。拭いても拭いても、配
新築の3LDK、立地も良く、家賃高め。そんな住まいで新婚生活が始まりました。当時、配偶者は年齢の割に高収入でした。地元密着の中小企業で、そこそこのポジションにいてこれだけの収入があるなら…と安心していました。私は寿退職をして当時憧れていた専業主婦になりました。配偶者の給料は私が管理し、そこからお小遣制で毎月決まった額を渡しました。雑誌やテレビで見たり聞いたりするサラリーマンの平均お小遣いよりも多い額です。しかし、配偶者はそれが気に入らなかったのです。毎
配偶者とは私のバイト先で知り合いました。3年半の交際の後、結婚しました。この時も、私は「自分がどうしたいか」ではなく、「どうしたら親が満足するか」を基準に結婚式場を決めました。新居は、体の不自由な母に何かあったらすぐに駆けつけられるよう、実家から徒歩10分位のところに決めました。配偶者には何もこだわりがないので、結婚式も新婚旅行も新居も全て私主導で決めることができました。新婚旅行は、私の希望でカナダに行きました。カナダでの1日目の夜に、私は配偶者選びを間
母は昨年他界しました。父は健在で一人暮らしをしています。私は、ひとりっ子です。小さい頃は大切に育てられました。私が小学3年生の時、母が脳内出血で倒れました。10時間の手術の末、左半身不随となりました。それまで、何不自由なく育ち、わがままなお嬢ちゃんだった私の生活は一転しました。母もまたわがままな人だったので、何でも自分の思いどおりにしたい人でした。小学生にして、私は「自分は母の世話をするために生まれたのだ。」と悟りました。病院の付き添い、買い
義母は、昨年、他界しました。義父は健在ですが、老人保健施設に入所してもらっています。義母は20歳の時に10歳上の義父と結婚し、21歳の時に配偶者が生まれました。なんか、ややこしいですね。このブログでは、私の配偶者のことを『配偶者』と書きます。配偶者の父を、義父配偶者の母を、義母配偶者の弟を、義弟と書きます。義両親、義弟、配偶者の話を聞いた限りでは、配偶者はかなり甘やかされて育ちました。義父は自身が3歳の時にご両親を亡くされたそうで、「父親らしいと
アラフィフの主婦です。職業は、一応、会社経営者です。と言っても、社員はいません。「会社経営」と言うと、よく、「すごーい!」と言われますが赤字経営です。凄くも何ともないです。個人事業主に毛が生えたようなものです。パート→派遣→正社員→独立と、必要に迫られてこうなりました。詳しくは追々書きます。子は3人います。3人とも成人しました。身バレを防ぐため、子の性別は伏せておきます。このブログの主人公でもある配偶者は、8歳上です。めちゃくちゃな生き方をしてます。
アラフィフの主婦です。只今、日雇い派遣で仕事してます。2月のお給料を頂きました。1月稼働、8日分です。ピッキングx6コールセンターx252201円頂きました。★内訳★貯金2万円小遣い1万円美容室代積み立て3千円化粧品積み立て2千円FC更新料5千円残金は、通帳に放置です。今月は、応援してるバンドのFC更新月でした。後、楽天スーパーセールにて少しだけお買い物をしたので出費が多いかな。お給料の管理は、アプリで管理してます。
昨日はとってもいい日だったあ、ビール飲んじゃったんだけど、でも1本で終わったしまいいかと昨日は鮭のオーブン焼きロールキャベツをがんばって作ったよ息子がOH!!!(注:日本人です)と食卓を見た瞬間叫ぶ1粒、1滴残らず食べて、「あーーーーうまかったあああああああ」って。これが母親の醍醐味というか母親業の至福の瞬間ですね子どもの心身の健康を願って、サポートする母が飲んだくれている場合じゃないの
アラフィフの主婦主婦歴は短いです旦那と子供(小学生)1人
はじめまして^^*群馬在住アラフィフの主婦です。この度初めてブログを開設してみました~♡ドキドキです~美と健康にとても興味があるので皆様と情報を共有できたら良いなぁと思っております♪よろしくお願いします