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またボッチの乗船。岸から船を2つまたいでいちばん向こうのに乗船。早朝から始動したため気球と日の出。22個目の世界遺産、メムノンの巨像新王国時代絶頂期の王、アメンホテプ3世の座像。3400年前に立てられて地震や寒暖差でひびやきしみが生じてる。そりゃ3400年だもん。築50年の家でもひびもきしみもくるよ。比べるもんでもないけどさ。23個目の世界遺産、貴族の墓誰もいない。このエリア全体に約800の墓があるといわれ、未確認のものまで含めれば実に5,000基を超す墓があるものと予想されていま
セクメット大いなる古は、あなた方お一人お一人の中にこそあります。わたくしはセクメット。大いなる太陽神ラーのもと存在し、その力を、わたくしを通して、世に光、叡智を届けております。皆さまにおかれましては、誠に尊び高く、各々の成し遂げてきたこともさながら、これからの歩みにおいて、このわたくし達エジプト神に意識を向けてくださることが、あなた方を、宇宙の叡智へと誘い、あなたは、その宇宙の叡智そのものとして、自身の内なる光を輝かせながら、歩んでいくのですから、なんとも、嬉し
アメンホテプ3世我らがエジプト王国へようこそ。我らエジプト大国こそ、遥かなる古を掲げ、歩んでまいりました。ここに、全てに関わった者達と、その存在に、心からの敬意を表します。我らがエジプトにおいて、様々な、古と共に、その存在価値を知らしめすものとしての畏敬の念を捧げ、多くの遺跡に、心躍らせ、今もなお、タイムスリップするが如く、当時の活力を思い出してくださっている方々も、多く見受けられていますこと、誠に感慨深い。当時の面影は、だいぶ薄くはなっているものの、慎重さ
私が未だモデリングライフを始める前にコレクションしていたもの。当時海洋堂なんて名前すら知らなかったので、今検めて知ってびっくり。「ネフェルト・イティ胸像」紀元前1,354年頃(新王国第18王朝)エジプト,アマルナのトトメスアトリエ跡イティは、ティト・アンク王(ティト・アンク・アメン)の母親です。「アメンホテプ4世(アクエンアテン)像」紀元前1,354年頃アクエンアテンは、ティト・アンク(ティト・アンク・アメン)王の実父。「カフラー王座像」紀元前2,50
イギリス大衆紙TheSun5/16歴史上最も裕福な男・ツタンカーメンの祖父としてよく知られるアメンホテプ3世の顔が、死後なんと3,400年を経て、驚異的な技術によってついに明らかになりました生前は神としてあがめられていた王ですが、復元された画像によると、彼は非常に背が低く、太り、禿げていた男性だった可能性があることがわかりました。アメンホテプ3世は紀元前1386年にエジプトを前例のない繁栄と国際的な権力の時代に導き、「偉大なる者」と呼ばれていました。アメンホテプ3世の像はエジ
2023年3月26日今日のワード『ルクソール神殿』昨日、お風呂に入って湯船に浸かっている時に「ルクソール」と入って来た。何だろ?と思っていたが、いつの間にか忘れていて、髪の毛を洗っている時にまた「ルクソール」と入って来た。あれ?そういえば、さっきも来てたな、忘れんとこ。と思っていたものの、なんやかんやしてたら、すっかり忘れてて。子供とテレビの話しをしてたら、3度目の「ルクソール」が来たので、あー、すっかり忘れてた!ごめん、ごめ~んってな事で、すぐ検索しました。すると、「ルクソ
🐱都市アケトアテンから見つかった拍子木アクエンアテンの時代、エジプトの北部のプタハ神やラー神の力だけでは、テーベのアムン神の勢力を弱めることはできない状態だったようです。アクエンアテンは、アマルナ以外にもカルナクやメンフィス、上ヌビアのセセビにアテン神殿をつくっています。アクエンアテンはマアト(古代エジプトの宇宙の秩序、道徳規範、正義)への反抗だったとみなされ、彼の記録は消されました。また、彼について述べる際は「アケトアテンの敵」と呼ばれました。しかし、アクエンアテンの
なぜアクエンアテンは宗教改革を実行できたのでしょうか?それは、歴代の王の下積みがあったからだと思います。特にアクエンアテンの父、アメンホテプ3世の実績の影響が大きかったようです。アメンホテプ3世は、アジア遠征の代わりに外交に特化しました。ミタンニの王女を王室にむかえ、西アジアとの関係を維持することができたようです。そのため遠征などの戦争ではなく、国内の神殿建築などに国費を回すことができました。アメンホテプ3世は、アムン神殿建築だけではなく、古代エジプトの従来の神々の神殿も建築
持参金の例として、王家間の婚姻になりますが、アマルナ文書をみると、紀元前14世紀にエジプト王アメンホテプ3世と結婚したミタンニの王トゥシュラッタの妹ギルへパへの持参金が存在したことがわかります(ミタンニはメソポタミア北部の国)。また、アメンホテプ3世に嫁いだトゥシュラッタの娘タドゥへパの持参金リストには、装飾品、日用品、武具などが記されています。バビロニアの王家の複数の女性もエジプト王へと嫁ぎ、持参金(宝石や家具、日用品など)が贈られています。これらの持参金には、異国の美術様
※“AHappyNewYear”の部分は金色の箔押し※フォートラベル来年の年賀状が完成したのおゃ!カイロ・エジプト考古学博物館(通称:カイロ博物館)の一階でひときわ存在感を放っている、高さ約7mの巨大な“アメンへテプ3世”と“王妃ティイ”の砂岩製彫像が、よしみとともちゃんになってるの(実際は、夫婦の彫像の足元には彼らの3人の王女もいます。)そして、表面は、ナイル川の風景なのツタンカーメンの祖父母とされる、古代エジプトの黄金時代を共に治めた新王国時代18王朝第9代ファラオと王妃。
『だんな、絵が出ました!』人夫頭※1“ハムザ”が言ったのエジプト考古学の第一人者吉村作治先生が、ルクソール※2西岸のマルカタ南地区の発掘をはじめて3年目。マルカタ南地区は、正式にはデイル・アル=シャルウィートと呼ばれる地域で、グレコ・ローマン時代※3に建てられたイシス神殿がある。1971年度からの3年間、文部省からの科学研究費助成金の支給期間終了までの残り数ヶ月に迫ってきたの『この辺で何かを見つけないと、今後、続けられるかどうかわからないなぁ』と昨夜、吉村先生の恩師、初代隊長、当時早稲田大学、
世界のレポートを紹介する「VICE」は2021年04月09日に、エジプト政府が「失われた黄金の都市(LostGoldenCity)」と呼んだアテン(Aten)の発見は、ここ数十年で最も重要な発見のひとつであると言ったと報告した。エジプト南部のルクソール(Luxor,Egypt)で、3,000年以上前の失われた都市が発見された。https://time-az.com/main/detail/74730発掘を指揮した考古学者のザヒ・ハワス(ZahiHawass)は
中学時代に生徒会副会長をやっていた片寄涼太、当時の写真にメンバーも「もうカッコいい!」AbemaTIMES涼太と、幼稚園から中学校まで一緒の幼なじみ・船岳朝日さんは、涼太について「学生時代から、真面目な仮面をかぶってるんですけど、ちょっと...時代を語る・藤井けい子(2)祖母に料理を教わる秋田魁新報昭和24(1949)年5月、西明寺村門屋字六本杉(現仙北市西木町)の小さな農家に生まれました。祖父母と両親、叔父2人、叔母の8人...西野カナ、サブスク全曲解禁でバイラルチャー
エジプトのルクソールで新王国時代の大規模な遺構が見つかり、4月8日に「消えた黄金都市」発掘と発表された。約3400年前とアメンホテプ3世の治世にあたる都市遺構で、住宅の壁がほぼ完全に保存されていた。ザヒ・ハワス元考古相らの発掘チームは2020年9月から、王家の谷のラムセス3世とアメンホテプ3世(在前1417~1379)の葬祭殿遺構の狭間を発掘。泥壁の家の中からパンを焼く窯などが出土し、ナイル川西岸の王都テーベに築かれた生活空間と判明した。年代はアメンホテプ3世の印章が入った泥煉瓦を基にし
最近何かと話題の多いエジプトから・・・最近ではスエズ運河の座礁事故や、列車の衝突事故、脱線事故など残念なニュースが飛び交っておりますが、こんなニュースも話題になってます。それは、先日ニュースになったこの話題。『失われた古代都市発見!』と、言う見出し。発見されたのはルクソール近くにあるい遺跡から、およそ3400年前の古代エジプトの都市が見つかりました。それがコチラ↓あの『ツタンカーメン』のお墓が1922年に見つかって以降、最大の発見なんだそうです。だからと言って財
エジプトのルクソール近郊で発見されたのは、アメンホテプ3世の時代の失われた黄金都市。3000年以上前の遺跡なのだが生活の跡もしっかりと残っており、ツタンカーメンの王墓発掘以来の大発見となったようだ。この黄金都市はアメンホテプ3世の時代から、ツタンカーメン、アイの時代頃まで機能していた。この黄金都市の名はtheRiseofAten(アテンの台頭)。その名からして、アクエンアテンが始めたとされるアテン信仰はアクエンアテンの死後も、ツ
この時代になってまだ最大規模の遺構が発掘されるとはNHKニュース@nhk_newsエジプト“失われた黄金の都市”3000年以上前の遺構見つかる#nhk_newshttps://t.co/7GUP5ViDm32021年04月10日05:13ライブドアニュース@livedoornews【3000年前】古代エジプトの「失われた黄金都市」発見https://t.co/gV3rFqFf4Y発掘チームは8日、南部ルクソール近くで同国発掘史上「最大規模」の古代都市遺構を発
エジプト在住歴20年、現在は京都に住む友人が子供を連れやってきた。たまたま今日がその子の5歳のお誕生日!我が家でお祝いをしました。今宵はエジプト話で夜更かしかな~。ほどほどにしなきゃ
メムノンの巨像でガンキャノン!おちゃらけダダ子も健在!__________________(エジプト旅行201711月某日/7日目③)前回書き忘れたのだけれど・・・・ハトシェプスト女王葬祭殿て、1997年のルクソール事件の現場だったのよね・・・無差別外国人観光客襲撃事件。多くの命が失われた・・・二度とこんな事件は発生して欲しくない・・・こないだのシナイ半島の大規模テロもそうだけど、エジプトほどの観光大国が、こういう一部の狂った集団のテロによってイメージが悪くな