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アハメド・エラ・キャンプからの撤収作業を、アファール族の人たちが見ていた(写真)。作業は驚くほどスピーディーで、1時間もかからずに終わったようだ。その間、僕たちツアー客は、ここで昼食もとった。低地から高地に上がるにつれ多少の緑出発してアハメド・エラ・キャンプを後にすると、僕たちの4駆キャラバンは、次第に高原に上がってゆく。茶一色の世界だが、多少は雨があるのか、少しずつ「緑」が茶景観の中に入った(写真)。トゲトゲのアカシアである。少し走る
アサレ塩湖は意外と広いようであった。僕らがアハメド・エラ・キャンプに戻るべく4駆で走っても、まだ右側に塩湖が見えた(写真)。塩田のような天然の「畦」それらは、まるで塩田のように、「畦」が出来ている所もある(写真)。しかし、それは人工物ではあり得ない。近くに住むアファール族にとって、掘れば無尽蔵に岩塩が切り出せるのだ。わざわざ管理の難しい天日製塩などするはずがない。おそらく風の作用で、析出した塩が吹き寄せられ、「畦」のような物が形成されたのだろう。やが
ダロール火山の下に塩湖(写真)が見えたのは、幸運だった。後で、僕らは塩湖に行くが、ずっと乾燥していたら、塩湖など出現しなかっただろう。カラカラの乾燥地その塩湖の向こうに広がる山並みは、おそらくアビシニア高原の先端だ。何かで読んだが、海面下100メートルの低地で、しかも乾燥していて草木が1本も生えていないので、ここはマスクをしないと吸気で喉が焼けるほどの暑さになるという。こんな地獄のような所では、隣国のソマリアなどからテロリストもやって来られまい。ただ僕らが行っ
『abyssinian』アビシニアン「イギリス兵がアビシニア高原(エチオピア)から連れ帰った珍しい猫」と紹介されたことに由来すると見られる(これがアビシニアンの語源となっている)。作成時間:1時間10分ツール:SONYandroidアプリ『スケッチ』SonyMobileCommunications
記事ボンフィーノ豆は、現在、ブラジルにおいて最もポピュラーな品種のひとつ、アラビカ種に属する、カトゥアイ。■アラビカ種原産地はエチオピアのアビシニア高原。その奥深い豊かな風味の魅力から世界各国に伝わり各地域の土壌や環境で個性豊かな味わいに変化していきました。その人気は、世界で栽培されているコーヒーの約7割がこのアラビカ種で占められるほど。豊かな風味と、酸味を持っており、現在では70種を超える品種があるといわれています。■カトゥアイブラジルで生まれた交配種のカトゥアイは、ム
エチオピア、アビシニア高原の奇岩や大峡谷などを旅行者が見ている分には、「凄い景色だ」と感動するが、そこに住む住民には呪われた土地だ。荒れた土地に貧しさ不毛で、時には崩落の危険もある場所が広範囲に広がる。それでも住民は、そこにしがみつくしかない。そのうえ、「貧乏人の子だくさん」を地で行く。都市部では高度経済成長に潤うエチオピアのほとんど全土に、貧しさで閉塞した状況が広がっている。それは、5時間に及ぶ車での移動中にずっと展開されたものだ。ただ車は猛スピードで走っているので、車
アクスムの「シバの女王の宮殿」跡を観た後、メケレまで車を飛ばす。途中、5時間に及ぶドライブでは、アビシニア高原の荒々しい景観を堪能できた。途中、奇岩、奇勝の連続道中は、モニュメント・バレーのような景観、深い峡谷も見られたから、ほとんど飽きることはなかった(写真)。ただただ自然の造形に、魅入られるばかりだ。1本指が突き出たような奇岩も見えた(写真)。これは、ゴンダールに行く途中に観た「神の指」の岩と同類である。玄武岩と思われる堅い岩だけが取り残されて、後は浸食で
アクスム郊外の「シバの女王の宮殿」(写真)の見学は、わずか20分ほどだった。いくらなんでも短すぎると思うのだが、一行のほとんどは熱心な興味を見せない。道路を挟んだ向こう側の荒地は、粗末なフェンスで囲まれ、アクスム中心部の公園で観たステラよりはるかに小さく、質素なステラが立ち並んでいる(写真)。小さなステラ群は地方豪族の墓かここも墓地なのだろうが、墓標に当たるステラのサイズの小ささから、中心部のエザナ王のステラ(写真)などよりずっと古い、初期のものであることが推定で
アクスム空港の到着ロビーには、さっそくアクスムの象徴であるステラの絵がかかっていた(下の写真の上)。ステラについては後に詳説するが、1枚だけステラ群を下に掲載しておく(下の写真の下)。槍を抱いたエチオピア人銅像空港の外に出ると、エチオピアの空港によくあるように、かつての栄光の時代を築いた英雄を顕彰する銅像が建っている。アクスムでも空港ビルの正面にも、槍を抱いたエチオピア系の顔をした人物像が立っていた(下の写真の上)。皇帝ヨハンネス4世、と台座にある。その下に生没年月として
古都アクスムを目指したオンボロ・プロペラ機だが、フライトは順調で、窓から見た下界は、相変わらず荒涼とした高原だ。それを見飽きた頃、オンボロ機は、少しずつ高度を下げ始めた。畑地もただ茶色眼下には、アビシニア高原でも平坦な台地が広がる。乱雑な区画が見られるのは、畑だ。だが乾季なので、ここも茶色だ(写真)。相変わらず水の流れる川もなく、また畑に水を供給する潅漑網も見られない。つまり畑も、天水頼りなのだ。これでは生産性も上がらないし、干ばつに脆弱そのものだ。途中見られたテ
ラリベラ空港をオンボロ・ボンバルディア製エチオピア航空機で飛び立った僕たちの飛行機は、アクスム目指して北に進路をとる(写真=アクスムの象徴であるステラ。ステラについては、後日の日記で詳しく取り上げる)。アクスム=サブサハラ最古の王国アクスムは、エリトリア国境に近いエチオピア最北部に位置する。したがって紅海とアラビア半島のイエメンにも近い。熱帯アフリカは、低地はツェツェバエや蚊など、悪疫を媒介する吸血昆虫が多い。したがって高原にしか人が住めない。少なくとも先史時代は。アクス
僕は昨年1月~2月にエチオピアを旅しているが、行かなかった所にアビシニア高原最東端のハラールという街がある。なんでも城壁に囲まれた街で、「歴史的城塞都市」としてUNESCOの世界遺産に指定されている(写真)。その都市プランはイスラム的だ。人口15万くらいでイスラム教徒が多く、エチオピアでは唯一イスラム色の濃い街という。城壁内の街中に忍び込む今まで知らなかったが、その街に獰猛な肉食獣ブチハイエナが夜な夜な出入りし、それは住民のフィーディング(feeding)目当てなのだとい
エチオピア、ラリベラ郊外のレストラン、ベン・アベバのロケーションは素晴らしい。スコットランド人女性がオーナーの店ビールはギンギンに冷えているし(エチオピアでは毎昼ランチと毎夜ディナーで常にビールを飲んだが、十分に冷えていたのはここだけだった)、野菜スープもシェパードパイも美味しかった。スコットランド人の女性オーナーの店の料理だ。アングロサクソン人のレストランにすれば、まあまあだ。アングロサクソン系の料理は、これが料理か?と疑うほど、時にはまずいこともあるのだ。テラス状の客室の
ラリベラ岩窟教会群の見学も終え、残りはあと1つ。午前も遅く、そろそろ昼時だ。ラリベラでの2回目の昼食時である。どこにでもいるロババスの待つ道へと歩く。未舗装の(エチオピアでは首都アジスアベバと主要都市の街中の幹線、それから都市間をつなぐ高速幹線以外は、街中の道路でも舗装はされていない)道ばたにロバがわずかに生えた草を食べている(写真)。アフリカでは、前に行ったモロッコでも、荷駄を運ぶのはロバが主だった。丈夫で力持ち、粗食に耐え、山道も平気だから、アフリカの運搬手段としては絶好
ラリベラ岩窟教会群の聖エマニュエル教会の周囲をめぐった。前にも述べたが、聖エマニュエル教会は、ラリベラ岩窟教会群の11教会のうち唯一、四周をめぐれる。崖面にたくさんの小穴聖救世主教会ほど大きくはないので、回ってみた(写真)。教会の外の周囲の崖面にはたくさんの小穴が掘られている。かつてラリベラ岩窟教会には、多数の信者や修道士が訪れた。彼らは、ここに身をかがめてやっと入れるほどの小穴をうがち、中で暮らし、祈りを捧げた(写真)。一部には、中に入ったまま祈り続け、絶命
ゴンダール城(写真)の見学で、ちょっとチャチだったので、写真を撮らなかった「ライオンの檻」を見かけた。当時、王宮内でライオンが飼育されていた所という。森が失われた高原に草食獣の影なしその時は、さほど気にも留めなかったが、その後、エチオピア北部、東部を周遊して回って、ゴンダール王朝の当時、エチオピアにまだライオン(アビシニアライオン)がいたのか、と驚いた。乾季であったからなのか、アビシニア高原は、どこに行っても乾燥して赤茶けた土地が広がっていた。そして丘や山並みの頂上まで、段々畑がつく
古都ゴンダールに行く途中、停めてくれたバスから降りて、現地ガイド氏の案内で少年2人が落ち穂拾いらしい作業を見学した。テフとソルガム、2つの穀物に恵まれたエチオピアの幸運良く気のつくガイド氏は、その隣のまだ刈られていない畑で、ソルガムを見せてくれた(写真)。こちらの粒は大きい。乾燥に強いから、途上国でよく栽培されている。実はソルガムも、アビシニア高原が原産地の1つ、と考えられている。ソルガムは、乾燥に強い作物である。エチオピアには、うってつけだろう。古代エチオピアの幸運は、テフ、ソ
タナ湖畔のレストランで昼食をとった僕たちは、中型バスに乗ってゴンダールを目指した。バハルダールより北へ、両側に畑の広がる舗装道を行くゴンダールは、日本で言えば江戸時代頃にファシリデス王によってエチオピアの首都と定められた古都だ。タナ湖(標高1800メートル)の北岸をちょっと遡った標高2200メートルの高所にある。僕たちのバスはタナ湖の南岸のバハルダールを出発したので、その東岸を一路北上することになる。途中、タナ湖に近いせいか、しばらくは緑の多い景観が続く(写真)。約180キロの道は、
僕たちの一行は、元来た道を青ナイル川の渡しまで歩いた。途中で、村の重要な「建築資材」を見た。太さ10センチ未満の丸太を積み上げ作業をしていた(写真)。細い丸太しかない国この丸太を立てて、住居の骨組みを造り、その上に泥を塗っていく(写真下の上=この地方の典型的な掘っ立て小屋)。丸太は、大きな樹木の切り株から生えてくるひこばえ(蘖)のようで、今ではアビシニア高原からは大木が消えてしまっているので(写真下の下)、ようやくそれが材木になっている。動力船の渡しで対岸に渡り(写真)、村のインフォ