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She-TakuyaOkada(Saxophonist)She-岡田卓也(サックス奏者)「She」はシャルル・アズナヴールとハーバート・クレッツマーによって書かれた曲で、1974年にアズナヴールが歌うシングルとしてリリースされました。この曲はイギリスのテレビ・シリーズ「SevenFacesofWoman」のテーマ曲として英語で書かれました。アズナヴールはまた、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語で、それぞれ「Touslesvisagesdel'amour
シャルル・アズナヴールならば<戦争の子供たち>、<世界の果てに>、<ラ・ボエーム>、<イザベル>、<想い出の瞳>、<ラ・マンマ>がベスト6。楽曲を学問的に批評できない私であり、10曲のうち3曲優れていたら凄い作曲家だとの友人の説を、残念ながら具体的に理解することは叶わないが、彼曰く、アズナヴールはいわゆる三割バッターだそうだ。しかしながらピアフを馴染めないような意味合いで、アズナヴールについても浸り切れない部分があるわけだが、広く知られているシャンソンという音楽が、結局において今ひとつ
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CharlesAznavour-Emmenez-moi(OfficialLyricVideo)シャルル・アズナヴール(シンガーソングライター、俳優)-世界の果てに(私を連れて行って)シャルル・アズナヴール(1924年5月22日-2018年10月1日)さんは、フランス・パリ出身のシンガーソングライター・俳優。アルメニア系で、本名はシャフヌル・ヴァヒナク・アズナヴリアン(ShahnourVaghinagAznavourian,アルメニア語:ՇահնուրՎաղինա
年12か月だが、月分けのプレイリストは11項目としている。既述の通り3月と4月をひとつにまとめているせいだ。けれども私の中で3月4月は全く別物であって疑う余地はない。従ってこれをまとめていることの説明は難解で、また他者に理解を求めるつもりもないわけだが、強いて言葉にするならば、3月と4月は時として季節が入れ替わる気配が生じる場合があるので、安直に決められないのである。ここで【オリジナル】について述べておきたい。端的に言ってしまうと〝私自身が最初に耳にした時の楽曲〟である。例えば私の知らぬ
ところで【無類十傑】だが、十傑ではなく十五傑に拡張して、あと5曲追加したい思いに駆られたことが幾度もある。その候補曲が以下だ。<恋と涙の17歳>(レスリー・ゴーア)<天使のらくがき>(ダニエル・ヴィダル)<ラスト・ワルツ>(ミレイユ・マチュー)<エリザベス一世と二世>(ニーナ&フレデリック)<世界の果てに>(ピア・コロンボ)※<私を連れてって>のタイトルであるべき。<幻のエリザベス>(ミッシェル・デルペッシュ)<ワイト・イズ・ワイト>(ミッシェル・デルペッシュ)<日陰の二人>
時々、「どうしてエルムには、他で得られない様な楽曲の情報が集まるのですか?」との質問有。中には「それって本当?」と疑ってかかる人も。特にアストル・ピアソラやシャルル・アズナヴールに関しては・・・。アストルが私達のLPにメッセージを贈ってくれたり、シャルルが私の母が亡くなった事を同行マネージャーに説明したりと言う事によって、その信頼度は増しました。他にはない独自のルートは互いの友情によってもたらされたものです。永い間の奇跡の連続とリスペクトの歴史。「エルム」にしか無い
CharlesAznavour-NoëlàParis(OfficialChristmasMusicVideo)シャルル・アズナヴール-昔のクリスマス(オフィシャル・クリスマス・ミュージック・ビデオ)CharlesAznavour-Noëld'autrefois(OfficialVisualizer)シャルル・アズナヴール-昔のクリスマスシャルル・アズナヴール(1924年5月22日-2018年10月1日)さんは、フランス・パリ出身のシンガーソングラ
「加藤修滋の個人ブログ」「エルム・スタッフブログの訳詞図書館」とは別に役立つのがYouTubeのAFJCシャンソン・チェンネルの動画。例を挙げるとコロナ禍に於いて新しく作られた「CrystalStudioJapan」で収録された"歌のデパート"の様な多岐に渡る歌の数々。OkayamaKayokoは、エンリコ・マシアスの「恋心」、名古屋巴里祭で好評だったクロード・ヌガロとリシャール・ガリアノのコンビによる「嵐の中の人生」、スペインを中心に大ヒットした「エレス・トゥ」
「エルム」の歴史の中では「友情物語」となっているシャルル・アズナヴールとの交流。そのシャルルが私に感謝していると言う光栄なお話。「青春三部作」と称される「帰り来ぬ青春」「ラ・ボエム」よりシャルルにとって一番大切な「青春と言う宝」に私が日本語訳詞を付けた事への御礼の言葉。私の人生にとっても一大事。この楽曲が2曲目の「法定訳詞」となり多くのシャンソン歌手が歌う様になったとの事。「輝く宝を手に入れ、希望に満ち溢れた二十歳の日々」に始まり、「消え行く青春」に至るまで「申
かつてエルムでは「法定訳詞コンサート」がしばしば行われていました。これこそエルムがエルムたる由縁。他のシャンソン系ライブハウスでは成し得ない特長。エルムの栄光はJASRAC登録されている作品で実証済み。この輝かしい「法定訳詞コンサート」が今のエルム歌手やシスターズに引き継がれていないのではないかとの不安。後世に残るこの栄誉は多くのフランス人アーティストとの友情と信頼の結晶です。今からでも遅くはありません。先輩達が築いた「法定訳詞」と言う金字塔に誇りを持っ
久しぶりにAFJCレーベルCD「友情物語」を聴きました。これは私の過去制作したCDの中で最高傑作とも言うべきもの。グラシェラ・スサーナが、スペイン語で歌っていた「ラスト・リサイタル」をこのCD収録の為に日本語で歌ってくれました。しかも無料のボランティアで・・・。岡山加代子さんと私がデュエットした「ジュヴォヤージュ~旅立ちの時~」はシャルル・アズナヴールが娘カティアの為に作った作品。5月22日のシャルルの為には本来フランス語でしか表現できないもの。「誕生日オメデ
「エルム」に至るまでの貴重な資料、特に写真と映像の幾つかが見つかっていません。そのひとつがフランス・シャンソン界の貴重な集合写真。我が友、モーリス・ファノンが大スター達(ティノ・ロッシ、ダリダ、アズナヴール・・・)と一緒に写っているものと共に。当時はモーリス自身が一番注目を集め始めた時期。私達「エルム」とモーリスの「ル・コネッターブル」の姉妹提携にとっても大切なもの。これに代表されるように「エルム」には日本とフランスのシャンソン交流にとって”国宝級”の資料がたく
アルゼンチンのSADAICは、日本で言うならJASRAC。違うのは財政基盤と影響の強さ。メンバーには演奏者も多く、大統領選挙はSADAIC会長が誰かで決まると言う。私が最初のアルゼンチン公演の折の会長はロベルト・パンセーラ。かつての大阪万博の折、私がアルゼンチン館で毎日「カミニート」を歌った折のバンマス。タンゴ・デ・ラ・エスペランサ8人全員に「タンゴ市民証」を与えると言う異例の待遇。そしてブエノスアイレス市立タンゴ楽団のマエストロ、カルロス・ガルシアは「友好之証」を。
エルム、日仏シャンソン協会設立30周年を記念して製作したCD「友情物語」には、グラシェラ・スサーナ、そして平和を願うアーティストと書かれている。アストルはじめ多くのマエストロが「日本のタンゴの母」と賞讃し、シャルル・アズナヴールや歴代シャンソン大使が「日本のシャンソンの母」と慕った故・加藤ハツ館長。戦場へ教え子たちを絶対送りたくないと言う熱い想いの教育者。その遺言「歌い手には平和を願う歌を歌う義務がある。何故なら平和でなければ文化は育たないから」は世界66の国・
“エルム歌手”に対して「個性がない」と、批判される事がある。それには変な「クセがないだけ」と反論。少なくともフランスのシャルル・アズナヴール、アルゼンチンのアストル・ピアソラ、グラシェラ・スサーナ等、海外のビッグ・スターは「エルム歌手」を賞賛。と言う事は海外でも通用する歌手と、自ら胸を張れば良い。ひとえに”エルム歌手”と言っても、声の美しさ、表現の巧者、魅せるステージングの達人・・・種々。共通するのは「エルム愛」の深さ。「エルム」存続の為にレギュラー歌手達が集
いよいよ訳詞図書館の閲覧開始。第1弾としてエルム・ブログに於いてモーリス・ファノンの「L’ECHARPE/スカーフ」、アズナヴールの「CAMARADE/美しき絆」を掲載しました。▼美しき絆シャルル・アズナヴール(CharlesAznavour)の名作であり反戦歌。原詞に忠実な日本語詞は法定訳詞となっている。私の作品集CD「幸せへの言葉~嫁ぐお前に~」では堀内環さんの歌声で収録され、日本で創唱された。【JASRAC作品コード】原曲:CAMARADE作詞:J.Pla
「エルム」で一番古くから活動を続ける青山さんは、私より年下ですが何故か他の歌手から「お姉さま」と呼ばれています。(私もそう呼んでいます)頼りがいのある、そしておだやかな雰囲気から来る信頼感なのでしょう。「歌は、祈り・願い・叫びそして優しさ」というエルム・メソッドの具現者の一人として、多くの後輩を育てました。フランスの評論家から「日本語で歌うシャンソンのバイブル」と讃辞を贈られ、フランス国営テレビでは、アズナヴール特番で「ラ・ボエーム」を歌い放送されました。そんな青
私達「エルム」の歌手達に「歌の三大要素は、祈り・願い・叫び」(後にジャクリーヌ・ダノが“優しさ”を加えた)と教えてくれたのはモーリス・ファノン。学校教員出身だけに加藤ハツ館長とは気心を通じ合った。彼はシャルル・アズナヴールに「シュウジカトウの詞は素晴らしい」と私に日本語詞を付けるよう推薦してくれた人。そこで生まれたのが私の2曲目の法定訳詞となった「青春という宝」。シャルルは「これで私の青春3部作が完成した」と喜んでくれました。彼のパリにあるライブハウス「ル・コ
毎晩、夜2時半頃にNHKで「トラム」を見ています。かつては「世界遺産を巡って」でした。今晩は、セルビアのベオグラード。シャルル・アズナヴールの「美しき絆」に出て来るので、私もその単語を使って詞を書きました。実際に行った事のない所なので興味深く見ました。何両も数多くのトラムが走っているので目抜き通りなのでしょう。一番嬉しかったのは(このトラム・シリーズではじめて)動物園が紹介されて終わった事。幸せな気分になれました。
2018年9月、人生最後の公演を大阪で終えた後、シャルル・アズナヴ―ルは自宅にあるオリーブ園で採れたオリーブ・オイル1ℓ缶を私に手渡してくれました。そして、私をじっと見つめこの言葉を贈ってくれたのです。「このオリーブ・オイルは平和のシンボル。あなたのお母さんのように平和を求める人生を送って下さい。」私にとっては彼の遺言でもあるこの言葉を後世に残す為に作ったCDが「HOMMAGE~ピアノが歌い、詩人が語る<祈り・願い・叫び>」です。幾人もの「エルム歌手」がこだ
以前、ブログに書きましたが私が人生初のインタビュー・レポートを執筆したのは「月刊誌SNW」。クリスマス特集だったので、記事のキャッチコピーを”愛のサンタクロース”としました。読者の評判も良かったとの事ですが、菅原さん後援会スタッフがとても気に入って下さいました。菅原さんの歌声は、日本の国民的歌手だけでなく世界で活躍する方々も魅了。なかでもAllianceFrancophone(フランス語圏協会)のJ.R.ギオン会長は、菅原さんの歌声に感動!フランス語の会報に”日
谷村新司のアルバム「棘-とげ-MONDAYA.M.8:00」のオープニング曲に「レストランの片隅で」というのがあります。この歌は、2つのシャンソンを思い出させます。まずは、「レストランの片隅で」をお聴きください。別れの苦しみを未だ抱えながら、女は元カレと夏の日を過ごしたレストランを訪れる。貴方がかけたこの椅子に手のひらを押しあててみたその冷たさが教えてたあの夏の日は終わったと男は不在なのですが、私は、ダリダの「それぞれのテーブル」(TablesSépar
私の持ち歌の中でも人気の曲「She」。なかなか時間が無くてアップできなかったのですが、昨日youtubeにアップしました!お時間あればご覧ください。↓She(youtube)次回の銀座ライブでもご披露する予定です。
ラパン・アジルについて、Wikipediaの記事を再度書き直しました。「出演した主な音楽家」の欄で、1970年以降のところに、セルジュ・ゲンズブールとシャルル・アズナヴールが記載されており、彼らは1970年代には既に大スターになっていて、ラパン・アジルのような小さな店に出演するのかな?と疑問に思い、オ・ラパン・アジル(AULAPINAGILE)のオフィシャルサイトを調べてみました。AULAPINAGILE|CABARETARTISTIQUEDEPUIS1860
1960年代後半〜1970年代半ばのカラヴェリにすっかりハマっています。ユトリロさんからお借りしたLPレコードも、全部の取り込みと曲毎の分離が終わり、いよいよCDに焼く段階に入ります(これがかなり時間を要しそう)。『カラヴェリの魅力』私が初めて聞いたカラヴェリは、ベスト盤のLPレコードだった(あるいはベスト盤を友人から録音してもらったカセットテープ)。曲目は覚えていないが、1975年頃に日…ameblo.jp『"C'estJolilaMer"〜カラヴェリ』ここ数ヶ月、【きらめ
【愛のために死す】なんと大仰なとお思いでしょうフランスつながりでシャルル・アズナヴールこの名前だけで許すとなります音の響き、なんかすごくないですか?たぶんですけど田中さんとか、佐藤さんとか、では絶対ないような気がするのですねシャルル・アズナヴールベスト盤一枚しか持っていませんが、【愛のために死す】、よく聴きましたそのほかに【街角の瞳】【帰り来ぬ青春】【ラボエーム】【イザベル】社
昨夜、中村さだひこさんのライヴを聴きに、赤坂のライヴハウス(トナリテ)に参りました。ラジオ番組と同じで、「おとなのTokyoライブ」と銘打っているだけあって、観客も「おとな」でしたし、それに相応しい歌詞のシャンソンもありました。それは?それは、シャルル・アズナヴールのReste(じっとこうして)でした。一番はフランス語で、二番は日本語詞で歌われました。中村さんもおっしゃっておられましたが、古賀力さんの訳詞がとても色っぽくて、聴いていて照れてしまいそうになります。じっと
昨夜、TV5MondeでTaratataを観ていたら、PascalObispo(パスカル・オビスポ)がBénnabar(ベナバール)と男二人で、Aznavour(アズナヴール)の"Mesemmerdes"を歌っていました。息がぴったり合っていて、素晴らしかったです。残念ながら、一部しかYoutubeにアップされていないのですが...アズナヴールは、ステージでこのシャンソンをピアニストとの掛け合いで歌っていましたので、男性デュオにぴったりだったかもしれません。
その日その日を一生懸命生きていた目の前の事明日の事だけを見て生きていた恋することで人生は輝いていた明日を見ることで心はふるえた毎日が素敵な一日のくり返しあの時間を悔やむことなど何もないさ青春の日々は輝いていた恋に生き方にすべて輝いていた哀しさだけの風がアデューとささやきわずかに青春の匂いをふりまきながら