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今日はね、内容的に朝上げたかったんだけど、今日はボク的には忙しい日でして、午前中はリハビリの先生が来てお昼の手前くらいに街に出かけました。おそらく三年ぶりくらいじゃなかろうか。友達のやってるラーメン屋は潰れており、駅ビルに入ってたAUショップはなくなっており、目的の三つのうちの二つができなかったわけだけど、最大の目的はマイナンバーカードの更新でした。この写真見てよ。これねぇ、市役所の近くの国道一号線が交わる大きな交差点
経済上・軍事上の脅威を増大し続けるアメリカに対し「戦って負ける」か「戦わずして負けるか」を迷った日本軍最高司令官は、「戦って負ける」ことを選択しました。天皇と帝国議会は、報道機関による「戦争の煽り記事」でその気になった国民を抑える事が出来なくなり、何れにしても負けるのなら、未来の日本国民の為には「戦って負けた方が良い」と考えたようです。若しも「戦わずして負けた」のなら、フィリピンは当然として日本も、ハワイ同様「アメリカ合衆国」になっていました。当然ながら、現に今生きている日本人は「親世
戦後80年と🇯🇵日台友好🇹🇼について我が国は敗戦の罪悪感から反省と謝罪を繰り返し、明治期からアジア解放を目指して戦った大義を忘れてしまった。日本の台湾統治の成功はインフラ整備はもとより教育勅語が日本精神として浸透したことにある。孫文ゆかりの千代田区から台湾との連携を強化し増長する中国に対抗していきたい。
日本のアジア解放の歴史を歪曲する、中国共産党の自爆が止まらない。拘束されているアウンサン・スーチーの父が日本軍と共に英国と戦ったアウンサン将軍だと知らないらしい。中国大使館が「ミャンマー軍政が日本批判」と投稿反論相次ぐ|毎日新聞https://t.co/QIJsTHUeOs—西村幸祐(@kohyu1952)November26,2025
🕊️戦前・戦中・戦後における田中正明の活動史的位置づけⅠ.戦前・戦中の活動(1930年代後半〜1945年)田中正明(1913–2006)は、戦前期において松井石根(まついいわね)大将の私設秘書を務めたことで知られる。松井は日中戦争における中支那方面軍司令官であり、いわゆる「南京事件(1937)」の作戦指揮者として戦後にA級戦犯として訴追された人物である。田中は松井の秘書としてその周辺記録・報告書の整理、ならびに大亜細亜協会関係資料の編集に関与しており、戦時外交・軍事広報の内実に近い
《ソ連邦の経済と政治における矛盾した過程は、プロレタリア独裁の基礎上で展開されている。社会体制の性格は何よりも所有関係によって規定される。国有化された土地や国有化された工業の生産・交換手段、国家の手中にある外国貿易の独占、これらはソ連邦の社会制度の基礎をなしている。10月革命によって収奪された諸階級が、新しく形成されたブルジョア分子として、また官僚のブルジョア的部分として、土地や銀行や工場や鉄道その他において私的所有を再建することは、反革命的変革によってしか不可能である。階級関係の基礎にあるこの
英語ニュース・オピニオンサイト『JAPANForward』に、「WhattheGreaterEastAsiaWarWasReallyAbout」が掲載されました。先月『産経新聞』で書いた「『防共の戦争』だった大東亜戦争」の英訳版です。※記事ページはコチラ大東亜戦争は、いわゆる開戦の詔勅からも分かる通り「自存自衛」のための戦いでしたが、同時に展開された「アジア解放」についても、「防共」すなわちソ連をはじめとする共産主義勢力の拡大を防ぐことが本来大前提のはずでした。そ
はじめに「大東亜戦争は日本の侵略戦争ではなかった」──この主張は、戦後80年近く経った今でも議論を呼び起こし続けています。太平洋戦争として知られるこの戦いを、日本はなぜ「大東亜戦争」と呼び、なぜ「侵略ではない」と正当化しようとしたのか。本記事では、その主張の根拠や背景、さらに実態との乖離を徹底的に解説します大東亜戦争とは何だったのか大東亜戦争とは、1941年12月8日の真珠湾攻撃から始まり、1945年8月の敗戦まで続いた戦争の日本側の呼称です。連合国はこれを「太平洋戦争
先の大戦において、日本は「植民地支配されていたアジア諸国の解放」をスローガンに掲げて戦った。しかし、「そんなものは偽善だ。日本は自国の利益のために戦ったのであって、アジアを支配しようとしていたのだ」という批判もよく耳にする。では、イギリスやアメリカはどうだろうか。彼らは「自由と民主主義のためにナチスドイツと戦った」とされている。しかし当時のイギリスは世界中に植民地を持ち、アメリカでは黒人が実質的に選挙権を奪われていた。日本と同じように、彼らにも後ろ暗いところはあったのだ。もちろん、日本は自国
味読・吟味すべき内容です。内容もさることながら、文章が大変読みやすくお手本したいところです。
HikariNagayaonInstagram:"【歴史認識】もうすぐ戦後80年日本は一体、何の為に戦ったのか?自衛の為、植民地支配からアジア解放の為、侵略の為‥戦争を実際に体験した方達に会えるのもあと少しになってきましたもうすぐ戦争の話が【2次情報】になり教科書やネット情報だけになってしまいます歴史認識は政治とプロパガンダの道具になってしまう危険があるんですね😣戦争を「美化」しすぎるのも危険だけど逆に「自虐」だけに寄ってしまうのも同じくらい危険…24K
保守党・百田尚樹代表「今を生きる日本人がその罪を背負う必要はありません」戦後80年談話「自虐思考は思考停止を招く」(よろず~ニュース)-Yahoo!ニュース日本保守党代表で参院議員の百田尚樹氏が15日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、戦後80年の「談話」を出したことを伝えた。「戦後八十回目を迎えた終戦記念日に寄せた日本保守党の『談話』です。もしよけnews.yahoo.co.jp百田氏の言う事はおおよそ正しいかもしれない。自衛のための戦争だったかもしれない。しかし現在を
⭐️画像は8月10日ねずさんと行く靖国昇殿参拝戦後80年(昭和100年)終戦の日命懸けでアジア解放という偉業を成し遂げた英霊に深謝申し上げます「二度と戦争を起こさぬよう云々」という常套句は日本国民ではなく先ずは欧米露中韓へ訴えるべき言葉。戦争というものを履き違えた一部の表層的で無責任な平和主義者には左同様に嫌悪感を覚えるそして日本人には先人たちの生き様、功績、アジア各国に残る逸話、欧米露中韓がどういうモノであったかを正しく伝えるべき。そして人と似て非なるモノが存在す
間もなく「終戦の日」を迎える。”敗戦”の日だろうと言う意見は最近はあまり聞かない。アンゴルモアの大王が君臨しなかった頃から、自虐史観を主張する言説が流布しだした。・日本は侵略の意図はなく、アジア解放の聖戦であった。・日本は戦争を避けるべき尽力したが、米国が戦争を欲した。・米国により戦争に追い込まれたのだ。・極東軍事裁判は、勝者による敗者の断罪裁判である。・南京大虐殺をはじめとした日本の戦争犯罪とされるものは捏造である。「一億総懺悔」の自虐史観から脱する時
日本が関わるベトナム国境の町ベトナムの行くべきところで、筆者がまだ行っていないところがある。近々行く予定を立てているが、その前にこの地が日本と如何に関わっているかを予習しておこうと思う。それは、以前のブログhttps://ameblo.jp/nezumiippiki/entry-12607692978.htmlにチラリと書いておいた日本軍による梯子外しの事件にかかわる場所。そして、今も悔やまれるBC級裁判の一つの事件が起きた場所。そこはランソン。中国との国境の町だ。日
例えば欧米で、不良品率が1%の工場に新しく「新管理システム:NMS」を導入し、不良品率が0.5%になった場合、「NMS導入で不良品率が半減した」と言えます。それを聞いた日本の不良品率0.1%の会社が同じNMSを導入し不良品率が0.5%と5倍増した場合でも、NMSの販売会社は「このシステムは不良品率を半減した実績があると言っただけで、誇大宣伝ではない」と言えば、法的責任は問われません。MS.Copilot君に「”国際法では、占領下の国での法律改正は禁止されている”と聞いたことが有るのですが、
4年程前に作った物まぁ気の長い話ですが・・朝一で近所の医院へ血圧の薬などもらいに帰宅してジョグ5キロ、なんとか6分台で今日のジョグ2〜3キロ辺りはこれ今日のペースに合ってこれを歌うと母や叔母たちを思い出すそして、最近では誇りを失ってはいけません
先日またまた、たまたま流れてきた動画がたいへん興味深く、メモしてます。お話するのは経済アナリストの藤原直哉さんと、歴史作家の浦辺登さん。いつものように、おすすめで上がってきた動画です。タイトルは「世界の新しい繁栄に向けて」というもので、”健康立国対談”とありましたが、思いがけない話につながっていきました。アジアの解放に向かう時代の話。長崎の偉人として以前お話ししました”梅屋庄吉”の名前は出てこないのですが、孫文が出てきました。『浙江財閥:「奥の院」深田萌絵ちゃんとナオキマンと梅屋
「民主主義」の内、最も先鋭化したのが「ナチスドイツ」と言っても反対する人はあまりいないと思いますが、最も堕落したのは「バイデンアメリカ」と言うと反発する人は半数以上に及ぶと思います。他にも「腐敗した民主主義」「堕落した民主主義」「偽りの民主主義」等々民主主義にも様々あり、国民性が現れる政治体制と言えますω.ωナチスドイツの「民主独裁」が「独裁主義」に含まれるかどうかは分りませんが、民主主義によって独裁制が布かれることは予測可能です。これは選挙に拠らずとも、権威主義が蔓延ったり、洗脳工作が行
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資本主義的な農業革命は、地主制度という旧来の植民地主義的経済外的権力に媒介され、小借地農業者のプロレタリア化を急速に促進するのである。このことは、イングランド人地主制度という植民地主義的政治権力が、物象的諸関係に媒介されることで新たな形態規定を付与され、アイルランドにおける物象的諸関係の浸透すなわち資本主義的生産関係の成立を強力に助産することを意味している。(隅田聡一郎)イスラエルにおけるIT産業の発展を見る上で、注目されることは極めて早い段階で一部の米国のグローバルな先駆的企業が資
イギリスが産業革命により産業資本主義段階に突入した際に,重商主義的帝国は続いて産業革命を起こすことができず,世界を資本主義国に明け渡すこととなった。このことこそ,それらの帝国国内に資本主義的生産関係が確立されていなかったことを示す。つまり,農業資本主義段階のイギリス資本主義は国内の経済的権力が脆弱であったため,非資本主義的帝国主義と同程度の帝国権力であったということである。「プレ〈資本主義的帝国主義〉」段階:国内において資本主義を確立(ただし,農業資本主義)⇒資本主義的国内
産軍複合体の問題清水学”イスラエル経済:グローバル化と「起業国家」”イスラエル経済月報藤田実”戦後日本資本主義における軍需の民需化と民需の軍需化”青木未帆”武器輸出三原則を考える”西川純子”軍産複合体と軍事技術開発”中東地域の資源と利権日本政策投資銀行産業調査部”イスラエル経済とガザ衝突”清水学”イスラエル経済:グローバル化と「起業国家」”涌井秀行”資源略奪戦争としてのイスラエル・ガザ(ハマス)戦争”===
素材の収集と考察平野健「資本主義的帝国主義と低開発」経済学研究56-2北海道大学2006.11【3回目】Ⅱ.プレ資本主義的帝国主義経済的権力による国際的な支配-従属関係という資本主義的帝国主義は,資本主義によって生み出されたものである。イギリスにおいて誕生した資本主義的生産関係は,中心部国内において資本の命法が浸透し,経済外的権力と経済的権力とが分離して行使されることよって形成・発展し,資本主義的国内権力を形成した。しかし,そのことがすぐに資本主義的な国際的支配-従属関係を
素材の収集と考察平野健「資本主義的帝国主義と低開発」経済学研究56-2北海道大学2006.11【続き】1.4.軍事的強制力軍事的強制力とは,武器・軍隊による高い殺傷力と破壊力,およびそれから生じる畏怖によって余剰収奪を強化する強制力である。軍事的強制力を中心とした帝国においては,余剰収奪を拒まない限り,征服地・被支配国の生産関係,統治システムは維持され,それを利用して余剰収奪が行われる。ここでの富の獲得手段は,軍事力である。軍事的強制力における権力者は,軍事力の頂点にい
素材の収集と考察平野健「資本主義的帝国主義と低開発」経済学研究56-2北海道大学2006.111.非資本主義的帝国権力の4分類国内の余剰収奪のための権力が「非資本主義的国内権力」であり,国際的な余剰収奪のための権力が「非資本主義的帝国権力」である。その両者が統合された権力が非資本主義的権力である。非資本主義的権力では,経済的権力が自立していないため,生産性の向上によって収奪を高度化させようとするインセンティブは生まれず,収奪できる領域を拡大する衝動に突き動かされるのである。
そして古代イスラエル王国の末裔のほとんどがアラビア語を話すようになり,さらにその中の大半がイスラム教徒となった。しかし,ユダヤ教の信仰を維持した人たちもいるし,キリスト教徒になった人もいる。彼らはどんな信仰を持つか,持たないかに関わりなくパレスチナに住む権利がある。https://t.co/7TPFcdx75t—阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)@国葬反対(@assocy)February24,2025https://x.com/assocy/status/189390941
先日のエントリーでも紹介した穂積吾一について、前回とは別の資料を用いて簡単に紹介する。東大教授上杉慎吉を指導者とする学生の恩想団体「七生社」(大正14年結成)の育成にあたり、この結社の学生宿舎「至軒寮」(戦後「新星学寮」と改称)の主監として、留学生の世話をする傍ら、アジア民族運動にも参加した。昭和32年(財)アジア学生文化協会を創設し、理事長に就任。さらにアジア文化会館を創設、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどから2万人を超える留学生を受け入れ、国際交流に貢献した。(コトバンク:)