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5月1日はF1ドライバーのアイルトン・セナがサンマリノグランプリのレース中のアクシデントでこの世を去って30年目の節目の日になりました。F1のインスタグラム公式サイトにもセナの在りし日の姿が投稿されていました。FORMULA1®onInstagram:"Todaymarks30yearssinceAyrtonSenna'stragicpassing.Apassionateracerandpersonthatgaveeverythingfrom
あの喪失感はただ単にTVで観戦していた私にも大きなものでした。1994残りのレースは全く見ませんでした。その後は地上波放送しても殆ど見てないです。セナが一番好きだった訳じゃなくむしろセナの行動言動はアレって言う感じでした。会う事なんてない遠くから見る事もない。そんな存在だけど私の中には今も生き続けています。本当は無い方が良かった事だけど年老いて静かにいく事もあったかもしれないけど。みんなの中で生き続けていく事は彼の中に少しはあったのではと思います。まだまだハイテクじゃない時代のマ
このブログでは私【アラカンブロガーようじろ~】がブログを書くことで成長出来たり、新しい出会いなどをお伝えし、ブログの可能性を共有したいと考えています。私のプロフィールページ【老後2000万円問題を乗り切る、ゆる〜い第二年金生活。】も是非ご覧ください。今日は私の元々の地元である旭区の本近くの大阪市都島区に出張モーニングにやってきました!カフェは総合医療センターの1Fカフェ・ド・クリエ!ここであなたにお願いです!“ブログ収益化ランキング“
5月2日(木曜日)❕2024年も、もう、「5月」↓月日が経つのは、早いですねぇ、、、昨日の5月1日は、アイルトン・セナ選手の命日でした、、、1994年F-1第3戦、イタリアのイモラサーキットで開催されたサンマリノGP決勝の7周目、高速左コーナーの「タンブレロ」に時速312kmで侵入、マシンコントロールを失い、アウト側のコンクリートウォールに時速約210kmで激突。懸命の蘇生治療もかなわず、、、34歳の若さで天に召されていきました。この時、F-1はTV地上波で、ライブ放送。
GーCーのYouTube生配信。GーCー【開始3分で】ガーシー被告、帰国後初の生配信登場も強制終了https://t.co/gWDtw7r8sz冒頭で「被害者の方々、家族の方々本当にご迷惑をお掛けしました」と謝罪したが、約3分で動画が強制終了。「この動画は、YouTube利用規約への違反により削除されました」という文言が表示された。pic.twitter.com/tRk9U0aTjg—ライブドアニュース(@livedoornews)2024年5月1日昨日の髙橋弁護士のYouT
30年前、1994年5月1日準夜勤務を終えて帰宅して、深夜、テレビのF1中継イモラでのサンマリノグランプリF1GP3戦目座り込んで見ていたのですが、レース開始からどこか異様な雰囲気でした。2日前のバリチェロのクラッシュに続いて、予選でラッツェンバーガーの事故死。この時点で、あまりにスピードを重視しすぎて危険なのではとの声はドライバーから上がっていたようです。それでもチェッカーが振られレース開始。後方の車両でクラッシュが発生しオイルが漏れたかなにかで一度イエローフラッグが出
おはようございます前回の続きから。やっと赤が濡れたので、白を塗って行きますどうでしょう??自分的には、まぁまぁな仕上がり具合ですかね〜で、ようやくお待ちかねのペリペリの時間です毎回この時間は堪りませんね〜更に、我慢出来なくなりステッカー貼りに取り掛かりま〜す『マルボロのロゴ』を早く貼りたくてウズウズしてたんですいや〜、やっぱりカッコ良いですねドライヤーを使い、しっかり貼り付けましょう今日は一旦、フロントまでところで、昨日はアイルトン・セナさんの命日でしたね。今回作
F1好きな夫から、今日5月1日はアイルトン・セナの命日と聞きました。しかも彼の死から今日でちょうど30年が経ったそうです。ニュースでセナの事故の映像を見たときは衝撃的で、彼の訃報には私も心痛めました。というのも日本のテレビによく出ていたのでお馴染みの顔だったし、あの人懐っこい笑顔に好印象を持っていたから。子供時代からF1レースを欠かさず見ている夫は、セナの大ファンでした。20年ちょっと前に働いていた職場で知り合った人もセナの大ファンで、その人がタイプしてくれたセナの名言は
昨日はアイルトン・セナの命日あの日のことは昨日のように思い出されますセナ+ウィリアムズ負けるはずがないとおもっていました。まさかこんなことなろうとは…ミニカーのセナはいつも元気です。今年は久々にセナグッズ買いました。届くのが楽しみですうちのF1ラジコンのドライバーはセナです。F1も続いていますがウチはセナも続いています。カーナンバー1か似合う男このカラーリングはセナだけのものオマージュデザインとかされてもねぇ…アイルトン・セナは永遠のアイドルです
F1レーサー伝説の男。🇯🇵‼️🏎️アイルトンセナが亡くなってから30年経ちますね。今日です。イタリアのサンマリのGPでイモラサーキットのタンブレロコーナーでコンクリートウォールに激突し、その後病院に搬送され死亡しました。ほんとに素晴らしいレーサーだったので、すごく記憶に残っています。当時、彼ほどのレーサーがなぜ亡くなったのか、しかもレース中に、信じられない情報が、日本に流れてきましたが、当時ウィリアムズルノーと言うチームに属していて、マシンの挙動がものすごくシビアでマシンがバンピーな路面
今日降る?しかもあったかいぞそんな天気の朝だったが、すぐに降ってきた。さて仕事!今年からフォローをしてくれる人に、仕事の内容をゆっくりと伝えていく。そんなことを考えながら!次から次へとホントキリがない。こちらは連休明けしばらくしてから始まる大きな動きのことを考えると胃が痛くなる。まったくなぁまぁ、先の見えない不安を持って帰る。雨はざぁーざぁーメイザファーストはいつもな(COVER)T-SQUARE-FACES~AYRTONSENNAFOREVER~”音速の貴公子”アイ
今日は我が家の息子・・・たちふたりとも帰ってきて久しぶりに家族全員での夕食でした。どこかへ食べに行くって選択もあったけど茨城から約9か月ぶりに帰省した二男は我が家での食事を・・・と妻の作った手料理に満足顔で「美味しい」と言っていました。そして兄弟での話しが尽きないようで・・・明日は妻は仕事だけど昼に帰って来てから家族で二男が今年1月に購入した新しいクルマホンダシビックに乗って、どこかに出かけようと思っているんですがさて、どこへ行くのか?(汗)どこへ行くにしても家族全員、一緒に
1994年5月1日、ブラジル人F1ドライバー、アイルトン・セナがサンマリノGP決勝の事故で天国に旅立ってから今年2024年で30年になります。当時地上波で放送された追悼特番がYouTubeにありましたので紹介します。この中には1992年秋日本GP直前、来日直後に「笑っていいとも」にもゲスト出演していたシーンもありました。アイルトン・セナ追悼特番さらばアイルトンセナ(至上の愛とともに)全編年末特集第4弾今年最後はアイルトンセナをお届けします。84年にF1デビューを果たしたセナ、94年に天に召
ゴールデンウィーク前半最終日は、いつもの巣鴨お散歩TULLY’Sでコーヒー飲んでたらすがもんが通りました巣鴨はのんびりできていいな〜ゴールデンウィーク前半が終わり、今日は出勤でした。仕事行ってる方が楽だ〜連休中は、食事の時間はバラバラ4人分の食事用意しておいても、息子たちは食べたり食べなかったり夜も帰りを待っていると、帰って来なかったり今日、仕事から帰ると次男が渡したいものがあると…ちょっと早めの母の日プレゼントでしたオレンジ🧡ピンク🩷黄色💛のカーネーションと白🤍薄紫💜
みなさんこんばんは♪今日5/1はアイルトン・セナが亡くなられた日です。ただ、最初は私そのことを知りませんでした。F1マシンに興味が出始めてから昔のF1のことも雑誌等で見たりしてる中で知りました。というのも、私が生まれる前年に亡くなってしまっているのです。実際にセナのレースをテレビですら見たことないんです。しばらくしてからYouTubeでセナのレースを見た時は、現代とは全然違う迫力を感じました。今だから思います、「その頃のレースを生で見てみたかった…」凄い時代だったんだなって思いました。
今日、暇な時にスマホでニュースなんかをみていたらアイルトン・セナの記事を目にしました。アイルトン・セナが亡くなってもう30年も経つのか...なんて思いつつ、家に帰ってから古い雑誌を本棚から引っ張り出して読んでいます。30年前のAS+Fセナの走りを思い出しながら読んでみようと思います。
今年30年経つんだ1994年5月1日サンマリノGPでセナが亡くなったセナのファンになった時高校生その当時は運転もできないテレビ観戦と雑誌を読み漁りただの一ファンでしかなかった。1994年は私は大学生だった。彼の死はかなり衝撃的でした。なんかこの日を迎えるとやっぱり残念と思う。いまだにパソコンのロック画面は鈴鹿で撮ったマクラーレンホンダ家に飾ってる1/24スケールもそうだしね。少なくともセナを見ていた頃私の青春の1ページだったのだと思う、5月1日。
5月1日はアイルトン・セナの命日。あれから30年。もはや、どんな風に事故の話を知ったのか…たぶん、ニュースかなにかで知って、テレビで観たような。あるいは、F1中継を観ていたのか。でも事故後のサーキットのコースがずっとテレビに映っていたのは覚えてる。30年経った今でも、セナは話題になっている。生前に会いたかったな。たぶん一度、鈴鹿で見かけたと思うけど。そして、急にミハエル・シューマッハのことが気になった。どうしているのかなあ
RIPsenna
貴方のエンジン回転数はやはり高かった2024年5月1日(水)は、故アイルトン・セナ選手の30年目の命日になります。ネガフィルムをSonyα7RIIIで接写し、ネガ反転して再度仕上げてみた写真をご覧下さい。1991年のF1日本でポールポジションを取れなかったが為に、鈴鹿サーキットのグランドスタンド座席からフェンス越しに撮影出来たという奇跡の写真です。セナの映画が出来るのでしょうか、先程ネットフリックスで予告を見ました。もう30年なんですねぇ、彼が亡くなって。クィーンズ
ヤフーニュースなんかを開くとセナ関連の記事がわんさかなのだ。皆さんセナでひと儲けしようとシャカリキだぜ。ここで我がブログも便乗してアクセス数を稼いじゃうのだ。皆さんにこれは見ておけ!というセナの走りを教えてあげよう。「1991年英国グランプリ予選2日目の予選2本目」これを見ずしてセナを語るべからず、という走りだぜ。どれだけ凄まじいかというと、アタックを終えた直後セナがガッツポーズをとる位の渾身、会心の走りなのだ。こんな予選のセナ、他に見たことねえ!写真が90年車なのは91年車の手
あれから三十年か。今も信じられないな…いくつも彼のモデルカーを作って…いくつも彼の関連書籍を買って読んだなぁ…作りかけのMP4/4。今日の三十回目の命日までには完成させるつもりだったんだけど、ついついサボっちゃったな。あれから三十年経って、自分も色々変わったような、やっぱり何も変わっていないような…ラッツェンバーガーとセナ…改めてご冥福をお祈りします。
アイルトン・セナがイモラで亡くなってから今日でちょうど30年。1994年5月1日サンマリノGPイモラサーキットの高速コーナーのタンブレロに300km/h近いスピードで突っ込んでしまいました…10年前にかなりいろいろ書いたので、詳細は省略します。1988年マクラーレンホンダMP4/41990年MP4/5B1991年MP4/61994年FW16第3戦サンマリノGPイモラで帰らぬ人となってしまいました。セナのレースを観戦したのは、1990年日本GP鈴鹿(スタート直後の1コー
2024.5.1(Wed.)今日は、私の中で最高のF1ドライバーであり音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナの命日✨もう、30年も前のことだけどセナが壁に激突した瞬間の映像は忘れられない🥲写真は、去年、セナが亡くなったイタリアのイモラサーキットに行った時のもの🩷生と死は、永遠のテーマ✨元気な今、死について向き合っておくのはとても大切な気がします✨😌✨生きるということは死に向かっていくということ✨最近、16歳の老犬ミルフィーユが急に衰えてきたり・・愛媛の両親も随分と歳を取
おなじみのこの曲も今年のアタマに入手したこの映画の中の曲だったと知って、ちょっとびっくり。合わせる映像によってどんな名曲も「なんだかなぁ」って感じになってしまうもんですね。
5月1日アイルトンセナが他界して30年が経過しました。30年前普段発熱などしない私が高熱を出し、それでもF1中継は絶対に見ると変な根性を出して中継を見ていたら速報の字幕が!鮮明に記憶していますもし彼の事故がなかったら彼は通算41勝ポールポジション65回をどこまで伸ばしていたのか?当時、彼のライバルだったミハエルシューマッハの通算91勝ポールポジション68回の記録はどう変わっていたのかな?なんて5月1日は考えてしまう日でもあります。そして12月に家族になったトイプード
ロスマンズウイリアムズFW16ルノー1994Rd1〜3#2アイルトン•セナセナが亡くなって30年...。ニューウェイは今もチャンピオンマシンをデザインし続けています。果たしてキャリア最後にどのチームに行くのだろうか?!
【アイルトン・セナ没後30年特別限定セール】あの日から、30年の月日が経ちました。セナの象徴的なアイテムである『NACIONALキャップ』を期間限定で30%オフにて販売をします。永遠のアイドル『アイルトン・セナ』に思いを馳せましょう。アイルトン・セナNACIONALファンキャップ【30%オフセール】¥5,500→¥3,850(税込)3/マクラーレン|キャップ|【30%オフセール】アイルトン・セナNACIONALファンキャップ|EUROSPO
あれから30年。ずっと忘れない…。音速の貴公子アイルトン・セナ🏎️#セナ#f1#マクラーレンホンダ#ホンダ#アイルトンセナ#セナ#車好きな人と繋がりたい#やーこのガレージ#矢田部明子のガレージライフ
ラッツェンバーガー・アイルトン・セナ…………あの事故から、もう30年‼️1994年4月30日イモラサーキットで開催されたサンマリノGP予選2日目元F1ドライバーのローランド・ラッツェンバーガーが、33歳という若さで帰らぬ人に。その事故を見て、かなりのショックを受けたアイルトン・セナは、本心は『レースに出たくない❗️』と思っていたしかし、仕事なので仕方ながない❗️と決勝レースへそして…………ローランド・ラッツェンバーガーが、帰らぬ人になった次の日(※ネットからお借りしました