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子供の日にまご坊のお宮参りとお食い初めと初節句のお祝いをしました。お宮参りはいつものわら天神さん。小さなお宮さんですが、天気も良く、子供の日と大安が重なってか、安産祈願やお宮参りの参拝家族で賑わっていました。おじじの忌中だったため、まご坊は2ヶ月ほど遅れてのお宮参り。まわりのお宮参りの赤ちゃんと比べてちょっと貫禄ありです。「大」じいじ書わら天神さんでご祈祷を受けて、ジジババにも抱っこされてご満悦のまご坊。帽子が入らへん。そして、わら天神さんから伏見まで移動(徒歩で???)。お昼も
4月28日祝、戌の日を迎えました!!朝からお出かけする予定だったんですが、私が10:00くらいに眠くなってしまって…私「30分だけ寝させて。10:30に起こしてな!」と言って寝てる間、主人はゲーム。そして起こしてもらったのが11:00。なのに、まだ眠くて、あと5分、あと10分と伸ばしていると13:00に。お出かけする約束をしていたのに、妊娠あるあるの睡魔に勝てず、そこから準備して13:45。お約束の目的地のお出かけには、時間が遅く間に合わず。それでも急いで京都のわら天神さ
わら天神のしまむらによって日も暮れて来たので夜桜でも見て行くか!と平野神社まで歩いて来ました。えっ?入り口から、有料なの?以前は奥の庭園だけが有料で、真ん中には出店や桟敷席があって沢山人が集まっていたのに。入場料金は500円でした。この時間から夜桜だけに払うのはもったい無いので平野神社⛩️の神様だけ拝んで帰れば良いかと思い左の細い道へ。紅白の横断幕の上から見える桜🌸ライトアップされてるのでくっきり綺麗。中はこんな感じに幻想的な様です。細い道を抜けると境内。八重桜がこん
原谷苑の後お友達の希望でわら天神宮(敷地神社)⛩️へこちらは安産の神様今年お友達はおばあちゃんなる予定で、安産祈願🙏🏻息子さんの奥さんに渡すんだってこちらのお守り言い伝えで「お守りの藁にふしがあれば男の子なければ女の子が産まれる」と言われているよどっちかなぁーと待ち望みながら先ずは健康で生まれて来てくれることを祈る🙏🏻ここでランチーおばんざい御膳お腹も満たされて次に向かったのは平野神社⛩️こちらの神社も桜で有名🌸たくさんの人・ひと・ヒト…立派な御神木🌳神
戌の日が沢山あるんだけど、4月4日はみんなで行けるって言うから京都へ🚗安産祈願はわら天神さんが有名みたい⛩️この安産お守りの中に入ってる『わら』に節があれば男の子👦無ければ女の子👧らしい端の方に節があるね産婦人科でも男の子かなぁって言われたらしいこの神社から少しだけ離れた平野神社さんへ🚶♂️桜エリアに入るのは別料金を払って中に入る大きな木からパワーももらったよ!花見が終わったら、金閣寺近くのお店に移動🚶素敵なお部屋を用意してもらってました。料理も変わってて上に
京都市北区衣笠に生まれ育った私にとって、わら天神こと敷地神社は、幼い頃から親しみ深い場所です我が家に帰宅する時は、西大路通り沿いにある京都市バス「わら天神前」という停留所で降りるのが決まりです。その西大路通りを北西に数十メートル歩けば、石の鳥居が印象的なわら天神の参道が現れます。わら天神こと敷地神社は、安産の神様として古くから多くの参拝者を集めています。その歴史は600年前に遡り、菅生石部神の御母・木花開耶姫命と、古くから土地の人々に信仰されていた北山の神を祀っていま
外国人観光客が増えますと、お店なんかは英語対応しないといけないことが多いと思います。毎日そういうことを続けてると、最初は単語ならべて対応してたのが、だんだん会話になってくるようで、仕事帰りによく行く店はどこも英語がうまくなってきてます。やはり会話ですから、勉強じゃないんやなと思いました。京都の寺社巡りは続きまして、わら天神宮です。狛犬さらに鳥居手水舎舞殿これなんやろ?休憩所っぽくなってて、子供抱いた像がありました。拝殿正式名称は敷地神社だそう
今日から、京都出張。行ってきまーす。とうちゃーく。荷物をホテルに預けて、向かったのは伏見稲荷大社。稲荷神のお使い(御眷属)の、狐さん。ご無沙汰してます。こんにちは。さすが京都、着物姿の方が多いです。ご祈祷も受けました。ご祈祷受ける前までは晴れていたのに、ご祈祷中から雪が降り出しました!今年は本厄なので、厄除祈願。あちこちに、狐さんがいて面白い。天狗さんもいました。何やらいい匂いが。焼き鳥??お腹も空いていたの
どうも、よしおです。広沢池までたどり着けました!ここから絶妙なアップダウンが続きます💦広沢池から少し行くと、応援が有名な仁和寺。そこから立命館大学の北門を通り、平野神社、わら天神へと駆け抜けていきます!平野神社わら天神金閣寺の横を通りますが見えません😢大徳寺のそばの大宮通を北上し、今宮神社へ向かいます。ちなみに、この今宮神社は「あぶり餅」という甘いお餅で有名。調べたら
蕎麦屋さんの近くの「わら天神宮」へ。安産の神様として有名で、安産祈願のお守りには護符と藁(わら)が入っています。藁に節があれば男の子、なければ女の子という信仰が人気となり、いつしか「わら天神」という通称で呼ばれるようになったそうです。ご夫婦で安産祈願に来られていた(多分)
2月3日仁和寺から市バス59系統に乗ってわら天神宮初めて来ましたこじんまりしています読めないと思いますのでHPよりご祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)安産・子授けの守り神とのことわら天神宮(HP)当神社では古来より稲わらで編んだ籠で神饌を捧げており、やがて抜け落ちたわらを安産を願う妊婦さんが持ち帰るようになりました。のちにそのわらを切り取り安産のお守りとして妊婦さんに授与するようになったのです。わらのお
堂本印象美術館で深く感動してから…また「きぬかけの路」を歩いていると雨が降ってきました(-_-)傘を持っていなかったのであせりましたが、なんとか金閣寺まで歩きました(^.^)今回は参拝するつもりはなかったので西大路通を歩くとわら天神に着きました!ここは安産の神様なので息子が生まれるとき、嫁さんや両親と一緒にお詣りしました…正式名称が敷地神社とは京都検定を受けなければ知らなかったと思います(^_^)境内には六勝(ろくしょう)神社という必勝、
今日は「きぬかけの路」を仁和寺から龍安寺金閣寺と歩いてからわら天神や平野神社北野天満宮まで歩いてしまいさすがに疲れて千本今出川から市バスで京都駅まで行きJR奈良線で帰りました(^.^)詳しいことはボチボチと…
今日は、暖かくてぶらりと散歩に行って来ました。その後、マクドナルドで一服わら天神安産の神様で有名な神社です。
28日、次女の高校合格祈願に北野天満宮に行ってきた。梅もちらほら咲き出していた。この日は受験生の他に、生け花展や梅花祭のため、大層賑わっていた。着膨れた小さな子がテクテク歩いていた。『かわいいなぁ〜』ついつい声に出た。妻、『もう、おじいちゃんや〜』以前は我が子はかわいいと感じても、よその子には何も感じなかった。最近は赤の他人の子供を見ても可愛い、と思うようになってきた。北野天満宮の後、北西にあるわら天神社にも寄った。ここは、安産祈願の神社だけど、次女と高校の良縁祈願をお祈り
BODYPITKYOTO院長藤崎進一です。今日は最近お氣に入りのお店、らーめんなか澤さんへ行ってきました🍜昨日から始まった、熟成醤油らーめん🍜これは、メチャクチャ美味しかったです❗私は、京赤地どり特製三年熟成醤油らーめん🍜これは長者オススメですよ🤗らーめんなか澤075-354-6418京都府京都市北区平野桜木町38-7https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260501/26040211/
執筆仲間が今宮神社お参りする帰りに行きました。レコードが壁一杯に置かれた異空間。さりげない音楽。素晴らしかったです。一時間くらい文学談義してました。
北野天神から平野神社は本当にすぐです。水仙が咲いていました❣️この時期、けっこうこの種類の桜咲いています。しかし梅の木は無かった、、次はわら天神。ここもとても近くです。こちらの手水舎は、緑が清々しい爽やかな感じです。梅はない感じでした。さて、ここから、今日は9の付く日なので、西陣の宗禅さんに、お買い得おかきを買いに向かいます。開店が10:30からで、日によって開店前から人が並んでいて売り切れる事があるので、なるべく早く着きたかったんです。でも着いたら11時頃になっちゃうな〜。残って
1/8、向かったのが、京都十六社朱印巡りの一つ、敷地神社ここ、通称、わら天神で、敷地神社と言われると、どこって思ってしまうかもこの日、市内では、屋根や草木に、若干の積雪があって、一瞬、近くの金閣寺や、帰りに建勲神社に行けば、雪化粧姿が出来るとも思ったが、ちょっとしんどいので、諦めたここは、やはり地元では安産祈願の社として有名で、妊婦用の腹帯を頂きに来るという人が非常に多い所頂いた御朱印・・・ここは、書置きねその帰り道、こんな家がどうも、店で
わら天神宮、正式には敷地神社(しきちじんじゃ)といいます。京都市北区衣笠天神森町にある神社です。北野白梅町に近く平野神社や北野天満宮にも近かったような記憶があります。安産の神として知られています。主祭神は木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)、配祀神は天日鷲命(あめのひわしのかみ)、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)。もともとは、北山の神として山背国葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇がその北山の地に祀られていました。831年に、その地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇
京都十六社巡り金閣寺の近くにあるわら天神です。正式名称は敷地神社⛩です。(京都検定の問題にありそうですね)・綾杉明神明治29(1896)年8月の暴風により倒壊しましたが、昔から神木として崇敬する者が多いため、残った幹に素屋根をかけ、「綾杉明神」として祀るようになりました。・大山祇神社御祭神の木花咲耶姫命のお父様です。・本殿真裏からも手を合わせます・六勝神社伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六柱神(二十二社、上七社のうち平野以外)をお祀りした神社で、平安京遷都の際、平野神
京都3日めです今日はどうしても行きたいところがありバスを調べて早い時間にバスに乗りましたホテルが京都駅近くなので便利です学校に向かう学生さんがいっぱいです私たちが向かっところはわら天神公式サイトから↓由緒わら天神宮の正式名称は「敷地神社(しきちじんじゃ)」といい、その起源は北山の神という山を神格化した存在でした。天長5(828)年の大雨、大地震の際、時の淳和天皇が北山の神に幣帛を奉られた旨が『類聚国史(るいじゅうこくし)』に記載されており、その創建は平安時代以前と推定
「きぬかけの路」とは、京都市の北西部にあって、仁和寺から龍安寺を経て金閣寺(3寺院とも世界文化遺産)を繋ぐ観光道路で散策路でもあります。上記の3寺院以外にも、道沿いに堂本印象美術館や立命館大学・衣笠キャンパス、少し南には等持院があり(上図)、一大文化エリアといっても過言ではありません。そんなきぬかけの路を、好天の午前中に、紅葉の様子見を兼ねて散策して来ましたので、紹介します。出発の御室・仁和寺の山門です。山門前の道を東へ真っ直ぐ進むと、金閣寺へ通ずるきぬかけの路に
龍のエネルギーヒーラー幸龍♡今日もお疲れ様です😃今日という日は尊い経験をしました。初孫ちゃんが無事に生まれた!この世界に出てきた命の清らかさとエネルギーの輝き✨産まれた瞬間に立ち会えました!何度でも動画見返してます。いのち産まれた瞬間の光がすごかった〜尊い命生まれてくれてありがとう抗原検査陰性の記念写真今日という日は尊い!『257日目代理参拝いたします』こんばんは😃はっぴぃドラゴン♡sachikoです。みなさま、
龍のエネルギーヒーラー幸龍♡今日もお疲れ様です😃昨日、臨月の娘の安産祈願を終えました。今日、検診を受けて入院がきまりました。産院まで歩きです。歩いて行ける近所のところです。明日かな?^_^明日は出産予定日なんだ…今日の一枚引きはゴールド龍だった!実はブログには書いていませんでしたが帝王切開手術になるかもとちょっと前に言われていてそれもあって安産祈願していました。どうやら、自然分娩が出来そうです。(まだまだわからないけれど
龍のエネルギーヒーラー幸龍♡今日もお疲れ様です😃京都の安産祈願の神社巡り四社目は「わら天神宮」です。京都の安産祈願といえばここが一番有名です!御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)たった一夜でご懐妊したとか…夫に不貞を疑われた姫様は火の中でお産をしたとか…なんとも豪快なお話しです💦安産、子授けの神様今回初めてお詣りしたので間に合いませんでしたが下記のようなお詣りがあります。↓わら天神の九ヶ月九日詣と
天気予報のとおり冬空の朝コーラスの練習の日でした♪この日は教会にて連絡事項としては来年から教会での練習時はコロナ前の時のように10時から12時までとなりましたね少し休けいもゆったりとりながらできそうですね歌った曲発声の後モーツァルト集・恋人か女房の一人くらい・恋する喜びはみんなのもの・さあ若者よ修行のはじまりです「森は生きている」より・夏が来る・博士のなげきの歌ひと休み・こころいき上のパー
こんばんは!東京戻る直前、お宮参りしました♪⛩安産の神様として知名度が高い、わら天神!もちろんうちもここで35年前お宮参りしましたこの産着も解禁するの35年越し👘お天気に恵まれて最高の1日になりましたねぇ☀さすがうちの娘😻これからも健康ですくすく育ってほしいです👶関西ではおでこに男の子なら大、女の子なら小と書きます口紅でw💄関西でもすべての地域すると
おはようございます。今日はわら天神で秋季大祭が行われます。わら天神は西大路、金閣寺の手前にあり、通りに面しているので、通られた方は見ることができる神社です。わら天神、正式な名前は敷地神社です。市バスの停留所はわら天神前です。【わら天神宮】わら天神宮の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら)に降臨された北山の神で、その創建は平安建都以前と推定されています。天長八年(西暦831年)、この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として加賀国の人々が移住してきまし
こんばんは。翔磁(しょうじ)です。ゴリパラ見聞録過去の放送京都府わら天神宮で安産祈願の旅にて、京都府京都市が登場。ゴリパラキッズとともに、当地を聖地巡礼。訪れたのは、わら天神宮(敷地神社)。画像1.大鳥居わら天神宮(正式名称敷地神社)は、平安時代以前に創建と推定される神社。足利義満による金閣寺の造営により参拝が不便となったことから現在地へ遷座⛩️応仁の乱などで一時荒廃したものの、大補修や改修を経て、今に至る。西大路通側の入口より大鳥居をくぐり順路に沿う