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いつも読みましたの印にいいね!して下さり有難うございます。死んだ人は肉体がないだけで魂は生きていると言われてます。その証拠はなに??本当なら嬉しい。私、どちらかと言えば死後の世界もへったくりも無い。死んだら御仕舞い。何もない。スピリチュアルは嫌いではないほどほどに好き程度。そんな私が昨日、不思議な話だったよ~と誰かに聞いてほしい話がある。スピリチュアルな話に仕立てたかもわからないが聞いてほしい。人に伝わるように書くにはたくさんの背景説明が必要。簡潔さ大事。←んー難しい。すみ
今日の1枚のアート(←勝手に名付けた)アーティゾン美術館所蔵の青木繁の作品重要文化財《わだつみのいろの宮》ここには有名な《海の幸》も所蔵していますさらにそれと並ぶ、青木繁の代表作のこの作品も所蔵しています画像はアーティゾン美術館で一昨年に開かれた、「青木繁坂本繁二郎二つの旅」の時のものです●青木繁《わだつみのいろこの宮》1907(明治40)年「古事記」の海彦山彦の話で、弟の山幸彦が、
日々、一歌81/365+1ひかる春一葉ひと葉に神、咲ふ27日は花見の宴主催。毎年、満開を過ぎるぞと、心配するのだけれど、ここの所の寒波の今年。三分咲では、と、時期に至らない可能性位を心配、、。どうなっても、毎年心配、、、葉を歌うのだけれど、画像は花、、、
日々、一歌80/365+1一夜明けそれでも軋む虎落笛妣よぶ音の胸に苦しき80首め、めめめめ、、、なぜか、画はファン・ゴッホ「星月夜」。星月夜が哭いている、、、、
日々、一歌79/365+1黄、むらさき空に映して春が来た!春爛漫かな、と、迷ったけれど「春が来た!」春はまぶしひ。いや、きらめく春、春きらめくか、、、。迷う、、
艫先をミサゴ切り裂き春青しミサゴは冬の季語ですが、地方によっては春を告げる鳥だそうでミサゴと思い撮った画像ですが、トビかなぁ?
挽歌、青木繁へ神々と遊びめぐりて白鳥の命となりて往く君はを繁挽歌、本日で一区切り、、明日は、俵万智調べ、晶子、牧水、、それとも、俳句。山頭火?一茶?芭蕉は柄にないけれど、、、画/安田靱彦「居醒泉」ヤマトタケル東征譚より登山カエルの話https://frcodon.yoka-yoka.jp/e2341539.html
挽歌、青木繁へ.五進・牧水・繁、挽回三首吾妻はや妻問う命の碓氷領にあくがれ彷徨い旅ゆく君は進幾山河越え去りゆけば寂しさの果てなん国か今日も旅ゆく牧水流れてはまたもともとへ繰り返る渦に漂うわが命運かな繁画/青木繁「ヤマトタケル」兄媛神の谷・奴山/宗像郡津屋崎郷奴山集落https://frcodon.yoka-yoka.jp/e1012544.html
挽歌、青木繁へ.五けしけしの峰にぞ遊ぶ君ははや御井の流れの絶えるのなきをけしけし山の繁の魂は、御井の流れを、野を、空をあそぶ、、、、画/青木繁〜スケッチのスケッチ〜青木繁終焉の松浦病院、現西中洲レポートhttps://frcodon.yoka-yoka.jp/e969565.html
挽歌、青木繁へ.二日に向ふ筑紫の国は白日別丹を室に染め王はやすみぬ進わが国は筑紫の国や白日別母います国櫨多き国繁青木繁終焉の松浦病院、現西中洲レポートhttps://frcodon.yoka-yoka.jp/e969565.html
重要文化財青木繁《海の幸》1904年今日の1枚のアート(←勝手に名付けた)東京駅からすぐ近く、京橋のアーティゾン美術館の至宝です。よく常設展にかかっている作品。どなたも、一度は図版などで見た記憶がある作品?●青木繁《海の幸》10人ぐらいの裸の男性が、モリを持ったり、魚を担いだりして、海辺を歩いています。とても勢いがある絵。なんかワクワクする絵ですよね。よく見ると、中央部の人物はきちんと描かれ
宮崎市神社巡りのつづきです『木花神社』下見を兼ねて宮崎市へ🚗最初に向かったのは以前、ブロ友のちょこまるさんが「おいしい」とご紹介されていたお店『蜜柑』さん。宮崎といえば…のチキン南蛮と冷や汁のセ…ameblo.jp青島神社2023年10月22日(日)あおしまじんじゃ住所:宮崎県宮崎市青島2丁目13−1青島に鎮座している青島神社へこちらは国の天然記念物「鬼の洗濯岩(正式名称:隆起海床と奇形波蝕痕)」に隣接しています。鬼の洗濯板へは中学時代の修学旅行で一度訪
🌼WSspin-off🌼👀「わだつみのいろこの宮」並べてみる❗👀WSin石徹白レポート4の何故か・・青木繁画伯の「わだつみのいろこの宮」が思い出されてしまった・・❗写真がありましたが、その後、ミセラさんから別角度からの写真をいただいて、驚きました。それこそ、構図が「わだつみのいろこの宮」そっくり❗たぶん、もちろん偶然のはずですが。写真と青木繁画伯の「わだつみのいろこの宮」並べてみると・・🐠
こんにちは、みなさんお元気ですか?はやいもので、5月も中旬になりました。毎年ここ茨城県筑西市に咲く桜を紹介して来たこのブログ「筑西歳時記」。桜の時期はとっくに過ぎてしまい恐縮ですが、前回記事にした大田郷駅前の桜に続き、もうひとつ桜を紹介したいと思います。実は以前記事にした事がある場所で、特に桜の名所というわけではありませんが・・・市内大町の羽黒神社南にある児童遊園に咲く桜です(遠くに筑波山が見えます)↓ここには江戸時代、天台宗羽黒山清瀧寺という寺がありましたが、明治の神仏分離によって廃寺
青木繫「わだつみのいろこの宮」こんにちは。Akiraです。中学生の頃、「古事記」に嵌ってました。(中二病💦)青木繁は、日本神話を題材にした絵画を、いくつか描いています。この絵にインスパイアされて出来たのが、この曲です。途中、とあるフレーズが、サザンオールスターズの「TSUNAMI」のサビに似ていたので、ちょっとギャグをかましました。。。😁ご視聴有り難うございました。🙏
違う違う、そうじゃない(ん?)>タイトルわだつみのいろこの宮観に行ってまいりました✨お得意の最終日飛び込み美術鑑賞(笑)アーティゾン美術館「ふたつの旅」✨ブリヂストン美術館の頃に、来たことあったかなあ?名前が変わってからは初めて伺いました✨今年の夏は肌荒れが酷かったり色々、どうも外出する気にならなくって、とか言いつつこれだけは!ってものは何とか消化してはおりましたが。いくつか美術展、逃しました(;∀;)けどこればっかりはねえ!青木繁というと代表作として「海の幸」が一
No.40ふたつの旅青木繁坂本繁二郎展@アーティゾン美術館へ行ってみました。●展覧会リーフッレット表紙●展覧会入り口■青木繁と坂本繁二郎二人は同じ1882年(明治15年)に九州、福岡県の現在の久留米市に生まれました。同じ高等小学校で学び、同じ洋画の塾で学んだそうです。早熟の青木は東京美術学校卒業後すぐ《海の幸》1904年。を発表し高い評価を得ますが、その後なかなか思うような評価を得られず、各地を放浪して、結局28歳で
青木繁(1882年~1911年)・・・黒田清輝の指導をうけ、1903年の白馬会第8回展で「黄泉比良坂」によって白馬賞を受賞。1904年の第9回展では「海の幸」(重文)が絶賛を受けた。1907年東京府勧業博覧会で3等賞となった「わだつみのいろこの宮」(重文)や「大穴牟知命」(1905年)、「日本武尊」(1906年)など日本神話に取材した作品を多く制作、明治のロマン的風潮を代表した。しかし画壇での評価は必ずしも高くはなかった。九州を放浪,結核のため福岡で、貧窮のうちに28歳で早世。
こんばんは!ひのははです。コミュニティーセンターへ行ったら、珍しく国立能楽堂のチラシhttp://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2017/21047.htmlが置いてありました。その2月企画公演が目を引きました。近代絵画には、能に着想を得て描いた作品が多くあります。チラシに掲載されている近代絵画は、青木繁の《わだつみのいろこの宮》です。これは山幸彦と豊玉毘売命の出会いを描いています。能の演目《玉井》は、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が海で失く
来ていただいて、ありがとうございます。今日の文字は(Uminosachi)昨日のNHK「日曜美術館」は「魂こがして青木繁~海を越えた”海の幸”と石橋凌の対話」石橋凌さんが初めて青木繁の「海の幸」に出会ったのが地元久留米の市民会館の緞帳。漁を終え、それぞれの大きなモリとそのモリで獲ったにふさわしい大きな獲物を持ち行進している裸の漁師のたち。色と余白を抑え、場面いっぱいに拡がるこの一種異様な一団は観たものを圧倒します。石橋さんも、この絵に圧
今回は11年前に東京のブリヂストン美術館で開催された『青木繁-《海の幸》100年』になります。初めて青木繁の「海の幸」を間近に見た時の衝撃はいまも忘れられません。このときは2回目だったので、それほどの感動はなかったと書いてありますが、それからさらに数年たった後にこの絵を見たときはまた新鮮な感じがして、じっと見入ったことを覚えています。やはり名作であると思いますね。青木繁という画家も、魅力にあふれています。それでは、原文ママで以下に掲載いたします。≪青木繁-《海の幸》100年≫(2
ひょっとして私のブログ読んでくださってる方またこの関係の記事?と思われるでしょうがはい・・・rこのところ、青木三昧でございます~さーせん・・・娘の夏休みには「石橋美術館」へ、久留米市出身の画家青木繁の絵を見に。●代表作「海の幸」●「わだつみのいろこの宮」そして、「青木繁伝」読んでハマり、悲劇の洋画家青木繁伝[渡辺洋]668円楽天
宮崎市の日南海岸にある青島、その中に建つ「青島神社」。ここは創建年代不明の古い神社で、兄(海幸彦)の釣り針をなくした彦火火出見命(山幸彦)が、針を探しに行った海積宮から帰ってきたあと住んだ宮居の跡といわれていて、古くは島全体が霊域で江戸の頃までは一般の入島はできなかったそうです。ご祭神は彦火火出見命(山幸彦・ニニギノミコトの子で、日向3代の2代目)と妻の豊玉姫命、塩筒大神で、現在の社殿は、昭和49年に焼失後再建されたものですが、新しいだけに彩色も鮮やかで、朱の社殿が青い海・空に映
9通り過ぎるバスを尻目に、色鮮やかな花壇の植え込みに目を向けつつ、わたしは石橋美術館に向かって進んだ。館内で入場券を買った。ここは久留米市は青木繁が生まれ育った街です。40年前、わたしと青木を巡り合わせてくれた、県職員時代の先輩の顔が瞼に浮かびました。想い出すのも辛いのですが、今年の元旦、先輩から年賀状を頂きました。秋の誕生日で80歳を迎えると書かれた先輩は現在、太平洋に臨む静岡県内の施設で末期がんの療養中と記されていました。
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、茨城県筑西市では、下館駅の北口駅前通りで「まちなか美術館」事業という事業を市が進めています。この事業は、筑西市ゆかりの芸術家の作品絵画などをセラミック板(陶板)で再現したモニュメントを、駅前通りに設置するというものです。先日、青木繁のセラミック板(陶板)「海の幸」と「大穴牟知命(おおなむちのみこと)」(いずれも石橋美術館蔵)を記事にさせていただきましたが、今回はもうひとつ、青木の陶板を紹介します。「海の幸」と「大穴牟知命」がある下館駅北口から、駅前