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失恋した曲とLOVE全開の曲なら、いったいどちらが多いんでしょうかね。肌感覚ではありますが、おそらく失恋した曲のほうが多いんじゃないでしょうか。なぜなら、音楽を聴くとき、人は"孤独"だからだと思います。イヤホンをつけて音楽を聴いている瞬間というのは、かなり「内側の時間」です。そして、失恋ソングをひとことで表現するなら、「あなたがいないと生きていけない」です。しかし、米英韓から輸入される女性アーティストの曲は、
メンタルが乱れる原因の多くは、過ぎたことへの執着にあるといいます。「あのとき、ああしていれば」「なんであんなこと言ったんだろう」「嫌われてしまったかもしれない」終わったできごとを、何度も頭のなかで再生してしまいます。もちろん、反省は大切です。失敗から学ぶこともあります。でも、反省と執着は、似て非なるものだと思います。反省は、次の行動を変えるためにあります。執着は、過去を握り続けることです。だから、こころ穏やかに過ごすため
景色を絵に描くときに、建物やら道路やら、直線のものはたくさんあります。その直線をまっすぐに見せるための絵なら、そこに定規を使ってもいいのでしょう。ただ、じぶんの絵を描きたいなら、定規は使わないと思います。多少は線が震えても、太い細いが安定しなくても、直線も曲線も、フリーハンドで描くと思います。コミュニケーションも、そういうものだと思っています。契約書だとか、法律だとか、ルールのある文を書いたり、話すときには、「定規の
いまここにある「なにか」より、「もっといいなにか」があると思うことは、だれにでもあるんじゃないでしょうか。目の前にイチゴがある。きれいだ、みずみずしい、おいしそうだ。食べてみたら、おいしい。もうひと口いただく、おいしい。ここで、じぶんが、あるいはその場のだれかが言います。このイチゴはおいしいけれど、「もっといいイチゴがあるんじゃないか」「もっといいイチゴを食べたことがある」もしその場が、たとえば、イチゴを研究している農家の集
他人から見ると、ものすごく大変そうなのに、本人は、「いや、それほどでも」と言っている…そういうことって、ありますよね。でも、それこそが、得意なことなんじゃないかと思うんです。得意なことというのは、外から見た難易度と、本人の体感が一致しないことです。まわりから見るとむずかしそう、でも本人は、そこまで大変と思っていない…だから、続けられるんでしょうね。もちろん、最初から得意だったとはかぎりません。はじめは大変だったかもし
「やるべきこと」というのは、なにかができるようになるほど、増えていくものだと思います。ここをこうすればもっとよくなる、ということを知ると、そこをそうしたくなるわけです。もっとよくなりますからね。そして、さらには、しなくてもいいことも分かってくるので、しなくてもいいことをしなくなった分だけ、また別のやるべきことが見えてくるので、やったことのない領域にも手を出すようになります。…ということを繰り返していると、理屈としては、年齢を
精神的に向上心のないものは馬鹿だー夏目漱石『こころ』の一節です。向上心というのは、無条件にいいものとして語られることが多いと思います。もっと知りたい。もっとよくなりたい。もっと成長したい。そう思えることは、大切です。ただ、向上心というのは、人を高める力であると同時に、悪意を持った人間に絡めとられるきっかけにもなりやすい。向上心も、好奇心も、社交性も、素直さも、ひとつひとつは美徳です。でも、それらをすべて
嗜好品というのは、「好き」を「嗜(たしな)む」と書くように、じぶんの好みを探究していく過程にその醍醐味があるのだと思います。好きな香りを知る。好みの味を見つける。もちろん、それもたのしい。でも、ほんとうのおもしろさは、一見するとじぶんの好みから遠いものを、どうやってじぶん好みに引き寄せるか、そういうところにある気がします。そのために、知識をつける。技術を身につける。環境を整える。すると、「これは苦手」と思っていたものが
言語というのは、社会的動物である人間にとって必要不可欠な道具です。ことばで表現できるからこそ、抽象度の高い概念も共有できます。高度な思考をするうえで、言語化する力は必須です。ただ、世の中では、「言語化」と「発信」がよく混同されている気がします。この2つは、分けて考えたほうがいいと思う。ことばにすることは、必ずしも他人に伝えることだけが、前提にはならないからです。じぶん自身との対話(内省)のため、むしろ、そちら
希望を失ってしまったとき、新しい希望を見つけることは大切です。絶望のなかにいる人に、希望の光を見せてあげることも、大切なことだと思います。でも、人はそこまで強くない。見えていた希望が、見えなくなってしまうことがある。ほんとうにこれを信じていいのか。じぶんはそこまで辿り着けるのだろうか。どんな人でも、希望だけを見ては生きられない。だからほんとうは、希望を持ち続ける力よりも、希望を見失った時間をどうやってやり過
成長には、痛みがともないます。変化にも、痛みがともなうものです。新しい環境に入るとき、知らないことを学ぶとき、これまでの考え方を更新するとき、人はそのたびに負荷を感じます。できなかったことを突きつけられる。慣れていたやり方が通用しなくなる。これまでのじぶんでは足りないと知る。だから、成長や変化には、痛みがともなうんでしょうね。できれば慣れ親しんだ場所にいたい。知っている人たちと一緒にいたい。いまのじぶんのままでいたい。
縁起でもない。命について、人生について、関係について、あるいは事業について、最悪の事態を想定しようとするとき、「縁起でもない」のブレーキがかかります。それについては、考えないほうがいい。口にしないほうがいい。距離をとったほうがいい。日本人に染みついた禁忌(タブー)だと思います。人間がこれまで経験してきた危険なものを後世に警鐘する役割も、おそらくあるのだろうと思います。ただ、いっぽうで、それによって遠ざけられている
「だれの期待に応えたいのか」が、その人の「できることの上限」を決めてしまうのだと思います。人はだれかの期待を意識すると、その人にどう見えるかを基準にしてものごとを考えるようになります。これくらいやれば褒めてもらえそう。ここまでやると怒られるかもしれない。これは評価されるけど、これは理解されないだろうな。まだ、なにも試していないうちから、アウトプットの出力を調整してしまう。見えない線を引くのだと思います。その線は、能力の限界で
じぶんの言っていることが理解してもらえないと嘆くより、理解してもらえる人がいる場所まで移動するほうが大切なことも、ときにあると思います。伝わらないというのは、じぶんの努力不足ではなく、環境との相性の問題であることも、往々にしてあると思うんです。たとえば、サッカーのおもしろさについて、野球が好きな人たちの集まりのなかで、戦術の奥深さや選手の魅力について、分かりやすく順序立てて説明したとします。じぶんとしては十分に伝えたつもりでも
サイレント・マジョリティ。直訳すれば静かなる多数派です。ぼく自身もそちら側の人間だと思います。世の中に対して、思うことはたくさんあります。不満もあるし、「それはちがうんじゃないか」と感じることもたくさんある。でも、そうは感じながらも、「いろいろ事情もあるんだろうな」「じぶんの都合ばかりは通らないよな」どこかで折り合いをつけながら、声を荒げる人を見かけると、距離をとってしまう。心のなかではいろいろ思っているのに、こ
だれでも人を嫌うことはあるし、人に嫌われることもあると思います。おなじように、人を好きになることもあるし、人に好かれることもあると思います。しかしその理由を聞かれても、なかなか答えられるもんじゃありません。じぶんがだれかを嫌いな場合も、だれかに嫌われているという場合も、「なんとなく」以上の理由を見つけるのは、なかなかむずかしいと思うんです。しかし、よくよくじぶんに問いかければ、それなりの「わけ」があると思います。でも、も
子どもが空想にふけるのは、想像力が豊かだからとよくいわれます。でも、そのほんとうの理由は、子どもにとって「世界」というものが、制限された場所だからだと思います。多くの子どもにとって、自宅とせいぜい半径数百メートルが、遊ぶ自由を与えられた世界です。しかし太陽が昇ったり、風が吹いたり、雨が降ったりの諸々は、半径数百メートルの世界では、まったく説明がつきません。それどころか、たとえば父親が日中働いている場所さえ、半径数百メー
泣ける映画で、泣いたことがありませんでした。その作品が駄作だったわけではなく、いわゆるお涙ちょうだい映画が嫌いだったからというわけでもなく、心のどこかで涙はこらえるものだと思ってきたんでしょうね。年齢を重ねると、涙もろくなるというけれど、あれはほんとうですね。理由は分からないけれど、最近、だれも見ていないひとりのときは、涙出ているかもしれません。そのとき気づいたんですけれど、涙を流すって気持ちいいんですよねぇ。
「人生とは」みたいなことを、迂闊に語ることを避けています。人生というものを語るには、まだあまりに知らなすぎると思うじぶんがいるからです。でもこれは、生きてきた年数の話ではない気がする。年齢は関係ないと思うんです。たとえば、早くに人生を終えた人でも、そのことばに重みを感じることがあります。もしジョンレノンが人生を語ったら、きっと多くの人が耳を傾けるでしょう。坂本龍馬が人生論を語ったら、聞いてみたいですよね。となると、問
なにかを守ろうとするとき、「失うこと」を強く意識します。いま持っているものを、失ってしまうかもしれないと思うと、どうしたって慎重になります。新しいことに挑戦すれば、いまの安定を失うかもしれないと考えるのは、自然な判断です。でも、ここで見落としがちなのは、もうひとつのリスクです。それは、本来得られたかもしれないものを、得られないまま終わってしまうこと。挑戦しなかったことで、広がったかもしれない可能性に、触れずに終わ
本が好きな人なら、「昔はあの人の本よく読んでたなぁ」と思い出すことがあると思います。「昔はよく聴いていたなぁ」というミュージシャンだっていると思います。「また読んでみたい」「また聴いてみたい」と懐かしむ瞬間は、きっと、だれにだってあります。そのとき、その人がまだ活動しているかどうか、つまり「お店が開いているかどうか」は、とても大事なことだと思うんです。本や音楽は、モノとして残っていきます。それだけでも、じゅうぶん価値がある
「決める」というのは、「考える」ことなのだと思います。その先に「決める」が待っているからこそ、「考える」は内実をともなったものになる。「決める」ことをしない考えの多くは、「迷う」に近いもののように思います。そして、迷うだけなら、人はいくらでも考えたつもりになれます。「決める」と決めたうえで、考える。その決心がないまま、考えたつもりになっても、事態は前に進まないし、じぶんも足踏みしたままで、ほんとうの「考えるモード」には、なりえ
どれだけ大きなチャンスがじぶんの目の前にあったとしても、じぶんの「器」を超えるチャンスには、なかなか気づけないのだと思います。たとえ気づけたとしても、どう受け取ればいいのか分からず、そのまま反応できず終わってしまう。それくらい、人はじぶんのなかに「これくらいだろう」という"許容の範囲"を持っているんじゃないかと思うんです。そして、その範囲を超える話に対しては、無意識のうち考えるのをやめてしまったり、そのまま流してしまったりするんです
この人に対しては、ちゃんとしたじぶんでいたいと思うことがあります。いい加減なことは言いたくないし、誠実に向き合いたいと思うような人です。一方で、この人に好かれたいとか、嫌われたくないと思うこともあります。場の空気を読んで、相手に合わせて波風を立てないようにする。どちらも似ているようで、じつはぜんぜんちがうと思います。たとえば、意見が分かれたとき、じぶんの考えをどう扱うでしょうか。しっかり伝えようとするのか、それ
「変な人」がいるとします。そのことばを使った瞬間に、「変ではない人」も同時に生まれます。そして「変ではない人」は、だいたい「ふつう」と呼ばれます。ここで、5人だけの世界を想像してみます。そのなかに、「変な人」が2人いて、「変ではない人」が3人いるとします。このとき、人数の多い「ふつう」の人が基準になりますよね。でも、なんらかの理由で、「変ではない人」のうちのひとりが「変な人」側に変わったとしたら、さて、どうなるでしょうか。
数字はときに、ことばより雄弁です。たとえば、ある商品に対して、「そんなの興味ない」と言っていても、購買として行動を起こしているのなら、無意識であっても興味を持っていることは、誤魔化しようのない事実になります。その行動の結果として、数字というのは存在しているからです。ゆえに数字は雄弁なのだけど、一方でいくらでも操作できるのも、また、数字のひとつの特徴だと思っています。あるサイトの退会率を下げたいと思ったとして、いちばん分かりや
好きなドラマについて、気心の知れた友人同士で語らえば、いくらでも語り続けることができます。好きな映画でも、好きな音楽でも、マンガでも、お気に入りの旅先の話でも、それらについて語りはじめれば、いくらだって話せるでしょう。そんなふうに、テーブルの真ん中に置くだけで、いくらでも場が転がっていくものを「豊か」と言うんじゃないかな。豊かさの濃度でいえば、噛めば噛むほど味が出るスルメのように、あらゆる角度から、あらゆる人たちが散々語
なにかを企画するとき、「最高にうまくいったらどうなるか」を解像度高くイメージできているかが、なにより大事だと思っています。困難な山登りにたとえるなら、山頂でよろこんでいる場面だけでなく、後々その写真を見ている家族の表情だとか、それまでの苦労を酒を酌み交わしながら語り合っているような状況を、リアルに想像できているか。その企画が成功したあとの「うれしいイメージ」があるか、ないか、大きな分かれ道になると思います。成功までの道程は、ま
電車で移動しているとき、スマホに集中していられるのは、運転を任せているからです。食べることに集中したいなら、つくること(料理)を任せてしまえばいい。レストランはそういう場所です。掃除が嫌いなら、(掃除以外のことに集中したいなら)人を雇えばいいんだと思います。都市に住んでいる人たちは、全部をじぶんでやる必要はなく、だれかに代わりにやってもらえます。冷蔵庫になにもなくても、コンビニに行けばなにかあります。Ubereats
日本語というのは、主語を省略したほうが、いい感じになります。「わたしは、わたしの亭主を殴りたい」これを、「亭主を殴りたい」と書くと、ぐっと感情がこもります。日本語の魅力のひとつだと思います。ただ日常生活では、逆にこの省略された主語を意識することが大事なんじゃないかと思うんです。たとえば、なんとなく馬が合わない上司の話す内容の主語が、We(わたしたち)だったとします。「チームとしては、この方向で進んだほうがいい