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パラダイムシフトと呼ばれる時代や価値観の刷新は、「それ以前の時代をうまく思い出せなくなる」という忘却によって、ようやく完結するんだと思います。自動車のない時代は馬車を使っていたとか、メールのない時代は手紙を書いていたとか、新幹線や飛行機でもタバコを吸えたとか、そういう事実は知識として残っています。じぶん自身が体験していることもあります。それなのに、いまとなっては、「ほんとうにそんな時代だったっけ?」と、どこか実感をともなって思い出せな
歴史に残るのは、「強き者」なんだと思います。信念を貫いた者、権力に抗った者、偉業を成し遂げた者。歴史の教科書で読んだり、ドラマや映画の主人公になるのは、たいていそういう人たちです。でも、実際にその時代を生きていた人のほとんどはそうじゃないんですよね。生活があり、家族がいて、明日も生きなければならないから、納得できないことがあっても頭を下げ、信念を曲げて生き延びることもある。遠藤周作が「沈黙」を書くきっかけになったと語
文化を長く残したいなら、ときどき、ちゃんと終わらせることも必要なんじゃないかと思っています。文化は続けば続くほど、歴史が積み重なって豊かになります。おなじみの登場人物がいて、昔から知っている人にしか分からないお約束や文脈が生まれて、「あのときの、あれね」と過去と現在がつながっていく。長くつきあっている人にとっては、それこそが文化の醍醐味でしょう。でも、その豊かさはそのまま、新しく入ってくる人にとっての参入障壁にもなってし
絵描きのことばに、30枚描いて一枚マシなのがあればラッキーというものがあります。一方で、神は細部に宿るともいう。いい作品は、細部の修正を何十回、何百回と重ねることで、いつのまにか全体としてしっとりとした生命感のようなものを帯びてくるということだと思います。とにかく数を描いて、ダメなら次にいったほうがいいのか、一枚の絵とじっくり向き合って、細部の精度を高めたほうがいいのか。一見すると正反対の制作論ですが、これは制作工
「国民的ヒットソング」というのは、売上100万枚とか1億回再生とかではなく、「ファンじゃない人まで知っている曲」なんじゃないかと思うんです。平成までの紅白歌合戦なんかは、まさにその象徴として分かりやすい。歌手の名前は知っている。ファンではない。CDも買っていない。でも、イントロが流れれば、「あ、これ知ってる」となって、サビくらいなら歌える。おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、子どもたちも、それぞれちがう濃度で参加
たとえば、アジアの国を旅していて、安宿に泊まることになったとします。ひとり座るのがやっとの受付には、のんきにテレビを見ているおじさんがいる。わたしはここに泊まりたいということ、部屋は空いているのか、一泊いくらなのか、なんとかコミュニケーションをとって「一定の合意」を成立させなければ、今晩泊まる場所すら確保できません。こちらは現地のことばを話せないし、おじさんも当然日本語を話せませんから、おたがいおぼつかない英単語を並べながら、なんと
音声を残すこと。ことばに書いて残すこと。写真や動画に撮って残すこと。スマートフォンができてから、ぼくらはずいぶんたくさんの思い出を「記録」できるようになりました。旅行に行けば写真を撮るし、何気ない日常だって動画に残せます。だれかと交わしたことばも、メールやLINEをさかのぼれば、何年も前のものまで残っています。だから、スマートフォンをなくしたり、壊れたりして「記録」が残せなくなると、思い出まで失ったような気持ちになる。で
なにかを企画するとき、「ヒットを打つ」「ホームランを狙う」など、野球にたとえることがあります。野球では、いいバッターほど「ボール球に手を出さない」といいます。これは企画も同じで、だれがよろこんでくれるのか、いま求められているものなのか、予算や条件のなかで実現できるのか、前例から外れすぎていないか、「ストライクゾーン」を見極める必要がある。でも、ストライクゾーンから外れないことばかり考えていると、「おもしろいものをつくりたい」から、「
「改心」と「回心」というよく似たことばがあります。「改心」は文字どおり、心を改めることです。これまで惰性で生きてきた人が、なにかをきっかけに目標を持って生きる。お酒をやめたり、勉強をはじめたり、運動を習慣にしたり、仕事への向き合い方を変える。それまでのじぶんを振り返って、「このままじゃいけない」と生き方を変える。それはとても大きな変化だと思います。ただ、改心ということばは、それがどれだけ大きな変化であっても、人生の主語は
「気に食わない」のひとことで済むのに、無理に理由をひねりだす必要はないと思う。だれかを嫌いになると、「やり方が好きじゃないんだ」「あの人は自慢ばかりしていやだ」「実力以上に評価されている」なんて、嫌いになった理由を探します。もちろん、そのとおりなのかもしれない。でも、理由が気に食わないのではなく、気に食わないから理由を探しているという逆の順番もあるような気がしています。たとえば、世界的大富豪が何百億円稼いでも気にならないのに、同期
いい本を読んだときにこころが震える感じだとか、すてきな映画やドラマを観たときに胸が高鳴る瞬間というのは、感性を磨いてくれます。でも、ほんとうは、おろしたてのスニーカーで玄関を元気よく飛び出す瞬間とか、初物をいただき季節を感じるときにも、感性は育まれるんだと思うんです。感性というのは、きっと、大きくこころを動かす能力ではなく、小さく動いたこころを見逃さない能力です。一流と呼ばれる漫画家の作品には、「よくこんなところを見ているな
人の評価というのは、相対的なものだと思います。だれと一緒にいるかによって、じぶんがどう見えるかも変わります。だから、もしかしたら、「どんな人とつきあいたいか」だけじゃなく、「どんなじぶんでいられるか」というのも相手を選ぶ要素になっているかも。「しっかりした人」でありたい人が、「だらしない人」をなぜかいつも好きになる。「また忘れたの?」「もう、ちゃんとしてよ」「洗濯物はかごに入れてってば」小言を言いながら、世話を焼いている。も
痛みや苦しみというのは、人間にとって最大の資産なのだと思います。「痛み」や「苦しみ」は、できれば避けたいものですよね。弱さだって、なるべく人には見せたくない。でも、人類の歴史をふりかえると、人類を前に進めてきたものの多くは、「困った」「怖い」「痛い」からはじまっているんですよね。寒いから、家をつくる。病気で苦しむから、薬をつくる。遠くへ行きたいから、乗り物をつくる。ひとりでは生きられないから、集まり、役割を分担して社会をつくる。
真剣に生きようとするほど、損をすると感じることってありますよね。まじめに働く人ほど忙しいし、信じる人ほど裏切られて傷つくし、だれかを本気で好きになった人ほど、失ったときの痛みも大きい。だったら最初から期待しない。深入りしない。本気にならない。そのほうが、ずっと生きやすいのかもしれない。痛みを知るほど、経験を重ねるほど、そういう生き方が上手になります。傷つかない距離感をおぼえ、失敗したときの逃げ道をつくり、「どうせ
人は、考えても考えてもどうしようもない問題を抱えたとき、ほんとうの答えが見つからないままに、こころのなかに保存している気がします。たとえば、多感な青春時代に、戦争を経験した世代の方々がいます。近所で一緒に遊んでいた友だちが、先に戦地に行って帰ってこなかった。生き延びたじぶんは、これからどう生きようか。そんな問いに、明確な答えなんてないでしょう。答えの出ない問いを抱えるのは、戦争を経験した人だけではありません。幼
同期、同級生、同世代、同じ業界の仲間、同じ部署の同僚など、似た環境にいる仲間と切磋琢磨していると、おたがい刺激になりますし、競い合うことで成長することもあります。でも、似たような仲間となにかを磨きあうってことは、わりと安定しちゃうんですよね。考え方だけじゃなく、「これくらいがふつう」という基準までだんだん似てきてしまうんです。「これはむずかしい」「これくらいの時間がかかる」「ここまでできれば合格」そんな共通認識が積み重なると、
「いのち」というのは、「時間」のことなんじゃないかと思うんです。生きられる時間には限りがあります。その時間があとどれくらいあるのかは、じぶんでも分かりません。だれかのために「時間を使う」というのは、「いのち」の一部を渡すことでもあると思う。プレゼントのうれしさは、じぶんのことを考えてくれていた「時間」のうれしさなんだと思います。「なにが好きかな」「どっちがよろこんでくれるかな」「これ、すごく似合いそうだな」じぶんがいないところで、
経験を積めば積むほど、初心者に戻るには勇気がいります。なにも知らなかったころは、人に教わることも、失敗することも、それほど恥ずかしくありませんでした。でも、経験を積み、人から頼られるようになると、事情が変わってきます。「あの人に聞けば分かる」「この仕事ならあの人にお願いしよう」と、周囲から評価してもらえるようになる。「できる人」という立場が、確立されていくんですよね。そうなってくると、新しい技術や価値観に出会ったとき、
なにを買うにしても、使うにしても、もっと高性能・高機能であるほうがいいと、自動的に思う癖がついてしまっています。回転するものなら、もっと速く回るほうがいい。吸いこむものなら、もっと吸いこんだほうがいい。計算するものなら、速く計算するほうがいい。なにかをつくるものなら、無駄なく効率よく。なにかを考えるものなら、迷わず確実に速く正解へ。速く、無駄なく、正確で、安く丈夫だと、「いい機械」ということなるんだと思います。結果、商品
現代はだれもが情報発信できる時代です。スマートフォンひとつあれば、その場で起きていることを撮影して、世界中へ届けることができるようになった。情報も飛躍的に民主化しているので、専門家だけが知ることのできた情報にも、容易に触れられるようになっています。個人がそれぞれの場所で情報を発信してくれるので、天気予報の精度も上がっているし、犯罪捜査にも貢献してくれています。そんな時代になったからこそ、以前よりずっと「過程」というものが、
ぼくが文章を書くときは、いつも井上ひさしさんのことばを、一丁目一番地に置いています。むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことはゆかいに、そしてゆかいなことは、あくまでゆかいに。これ、いちばん有名なのは、「むずかしいことをやさしく」部分ですよね。でも、このことばの肝は、最後にあるような気がしています。「ゆかいなことは、あくまでゆかいに」です。まず、井上
大事なことを3つあげてください。たとえば、結婚するうえで大事なこと。友だちとのあいだで大事にしたいこと。仕事をするうえで大事だと思うこと。あるいは、好きなもの3つでもいい。好きな食べものはなんですか。いま、やってみたいことはなんですか。好きな異性はだれですか。もしお時間あれば、実際にやってみてください。ひとつめは、わりとかんたんに出てきますよね。そして「ほかにはなにがあるだろう」と、ふたつめを探すんじゃないでしょうか。
アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーのことばに、「ニーバーの祈り」というのがあります。神よ、願わくばわたしに変えることのできないものごとを受け入れる落ち着きと、変えることのできるものごとを変える勇気と、そのちがいを常に見分ける知恵とをさずけたまえ発酵という現象があります。この発酵における主役は、人間ではなく「微生物」です。人間の目には見えないところで、無数の微生物が働くことで、味噌や醤油、酒などがつくられていく。
心がとげとげしたときの対処法があります。だれだって、心がとげとげすることはあると思います。そんなときは「心の治安が悪いな」と考えるようにしています。じぶんの心そのものが凶暴になったわけじゃなくて、いま心を置いている場所の治安が悪くなっていると考える。そもそも「治安」というのは、ひとりでは成立しないことばです。無人島にひとりでいたら、怒ったり泣いたりすることはあっても、治安が悪くなることはありません。治安というの
昭和のころ、新聞はいまよりずっと多くの家庭であたりまえのように読まれていました。毎朝、各家庭に届き、社会でなにが起きているのか知るための重要な情報源だったのだと思います。新聞社は自ら読者を集めなくても、記事を書けばみんなに読んでもらえました。ここにひとつ、勘違いがあったんじゃないでしょうか。読まれていたのは、記事がおもしろかったからか。それとも、新聞そのものが社会の情報インフラだったからか。もちろん、優れた記事も
からだのどこかが痛いとか硬いというのは、使いすぎか、使わなすぎかのどちらかだという話を聞いたことがあります。筋肉は不思議です。使いすぎても悲鳴をあげるし、使わなすぎても動かなくなります。そして、きっとこれ、筋肉だけの話じゃないんでしょうね。数学が苦手である。そう思っている人は、きっと数字を見るだけで身構えてしまうでしょう。計算を人に任せたり、数字の多い資料を扱う役割を避けたりする。そうやって、数字を使わない日が
大きな事故や不祥事が起きると、「責任者はだれだ」という声があがります。もちろん、責任の所在を明らかにすることは大切だと思います。でも、そのことばが出た瞬間、組織の空気は一変してしまいます。「なにが起きたのか」より先に、「だれの判断だったのか」が問題になり、原因を調べることより、責任の線引きをする。現場では改善より説明が増え、「わたしは反対していました」とか、「前任者から引き継いだだけです」とか、そういうことばが増えていきます。
途中でやめたら、どう思われるだろう。一度はじめたら、結果が出るまで続けなければならない。もしも、うまくいかなければ、挑戦した人の判断や能力まで疑われる。はじめの一歩を重たくしているのは、失敗する怖さだけじゃなくて、失敗したあとも同じ場所で同じ人たちに評価を受け続けなければいけない怖さなんじゃないでしょうか。挑戦そのものに必要な時間やお金だけでなく、うまくいかなかったときの説明や、期待してくれた人への申し訳なさ、「やっ
あれもこれもやってみる。でも、そのどれもを途中でやめてしまう人のことを、「なにをやっても中途半端なやつ」と批判することがあります。だけど、その生き方は、とても理にかなっているように思うんです。はじめたばかりの頃は、少しの努力で驚くほど上達します。ところが、ある程度できるようになると、同じだけの時間をかけても、成長速度はゆるやかになる。じぶんが興味を持ったことは、あれもこれもやってみる。少ない時間と努力で、一定のレ
Passionの意味は、「情熱」です。でも、このことばには、「受難」という意味もあるそうなんです。「情熱」と「受難」なんて、反対側にあることばに見えます。気になって語源を調べてみたら、Passionはラテン語の「passio」や「patior」に由来し、「苦しむ」「耐える」「受ける」という意味を持っていると知りました。だからキリスト教でいう「ThePassionofChrist」は、キリストが十字架へ向かうまでの「受難」を