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【うまれてきてくれて、ありがとう】私にとって我が子がお空に還ってしまったことは今までの人生で一番辛かったこと。今でもあの時の事を思い出すと涙がこみ上げてきます。もしかしたら、その事はずっと変わらないかも知れない。でも、その出来事で私の生き方は大きく変わりました。最初の1年は赤ちゃんが亡くなってしまった理由ばかりを探していました。「なんでうちの子が…」残念ながらその答えは見つかりませんでした。医学的には何も分からなかった。そんな私を救ってくれてのが「胎内記憶」の第一人者である池
【赤ちゃんの行方…】この繋留流産の手術について、お医者さんの事は100パーセント信頼していましたし、すごく丁寧に処置をしてくださった事に感謝もしています。ただ、一つ疑問があります。それは我が子は手術の後どこに行ったのだろう…と、いう事です。手術の後、先生は「病理に出して異常がないか検査しますね。」そう言ってあの子を連れて行きました。別にその時は何の疑問も抱きませんでした。そして術後の経過を診てもらいに行った時に「病理検査の結果、特に異常はありませんでした。」と言われました。そして
【それから…】あの日から私は毎日のように泣いていました。泣こうと思ってなくても、あの子の事を思い出しただけで涙が出てくる。救いだったのは仕事があった事。保育士という仕事…私には守るべき子ども達がいた。だから泣いてなんかいられない‼️そう思って、職場では気を張っていた。だから、帰り道や家に着くと涙が溢れてきました。泣いても泣いてもお空に還ったあの子は私の元には帰ってこない。そう思うとまた悲しくなった…その一方でまたすぐに不妊治療を始めなきゃ‼️私には時間がない‼️そんな気持
【不思議な出来事】手術が終わりベットのまま病室へ…点滴は刺さってたかなぁ…オシッコの管もついてたかも…あまり記憶がありません。旦那と対面し、しばらくゆっくり話をしました。「赤ちゃん見て号泣してもうた…」と旦那。本当に純粋な彼…この時、気づいた衝撃の事実…そういえば、私まだ泣いてなかった‼️赤ちゃんと対面できた時も涙は出てこなかった。それより、対面できた喜びと麻酔の切れた後のなんともいえない感覚で、悲しいという感情は封印されていたのかもしれない。そして、ここは病室…ここでは泣
【我が子との対面】今日は3月10日…いよいよ手術当日です。私の手術は大きな手術の合間に無理やり組んでくださってので、何時から手術できるのか当日の朝でもわからない状態…ただ午後からと、言う事だけを知らされていました。食事は絶食…手術に対する不安みたいなのあまり感じていなかったかなぁ。ただ「この子とのお別れは今日なんだ…」と覚悟を決める為に必死で、悲しいという感情を押し殺していたようにも思います。旦那は午前中に仕事を終えてから立ち会ってくれる事になっていました。麻酔をかけるし、輸
【手術の前の日】繋留流産を宣告されてから手術までの細かな記憶はあまりありません…とにかくフッとした瞬間に涙が流れてきて、一度涙が出始めると止まらない…特に旦那の前ではたくさん泣きました。彼は私の涙を全部受け止めてくれました。そして「また頑張ったらええやん」とか、いろんな言葉で励ましてくれました。でも、私の心は晴れません…そう「また頑張らないといけないの?」そんなに簡単に言わないで‼️励ましの気持ちだったのだと思います。でも、私は励まして欲しい訳ではなかった。手術の日まで私は不安
【悪魔からの宣告】2016.2.26私のご機嫌なマタニティライフが音を立てて崩れ去った日です。その日は午前中少し仕事をして、午前診療が終わる時間に滑り込みで産婦人科を受診しました。気になる事といえば、少量の出血がある事でした。これは妊娠初期にはよくある事ですし、鮮血でもなかったのであまり気にしないようにしていました。あとは、本当に仕事が忙しくて毎日体力の全てを使って仕事をし、家に帰ってすぐにベットへ倒れ込み眠る…休みの日はずっと横になって過ごしていました。その時から旦那様は忙しく、
【ご機嫌なマタニティライフ】悪阻が全くなかった事も幸いし、それからのマタニティライフは本当にご機嫌でした。相変わらず黄体ホルモンの膣剤を1日3回程入れている以外は、本当に順調そのもの。クリニックへ行って赤ちゃんのエコーを見るのがなによりも楽しみな時間でした。心拍が確認できたので、黄体ホルモンの数値が安定すれば卒業…8週目位からは不妊治療クリニックと普通の産婦人科と両方を受診していました。普通の産婦人科で「次の検診では母子手帳もらってきてね」と言われた時は本当に嬉しかったなぁ…なんせ
【憧れのマタニティライフ】晴れて憧れの妊婦さんになった私✨でも、まだ胎嚢が確認できていないから、安心できない…そう思いつつも、この子は強いから大丈夫…なんて根拠のない自信もありました。胎嚢確認の日は2016.1.1年末年始で大阪に帰省する予定でしたが、私だけキャンセル…本当は旦那様と一緒に過ごしたかったけど、義理母が一人でお正月を過ごすのは可愛そうだなぁ…とか、優等生な私がそんな事を考えたわけです。この事は本当に後悔…一人で過ごすお正月の寂しいこと…😢旦那に一緒に居たいって言え
【ついに迎えた、運命の判定日…】前日にフライングして薄っすら陽性反応が出ていたので、多分大丈夫🙆♀️そう思いながらも、やっぱり血液検査の結果が出るまでの約一時間はドキドキの時間…待合室で雑誌を手にとっても内容なんて全く入ってこない…そこでする事はまたまたネット検索…「判定日ホルモン値」とか、「判定日クリニックの名前」とかとか…そしたら出てくるんですよね~いろんな情報が…判定日の事をブログに書いている方もいらっしゃり、結果もいろいろ…ここでもまた、悪い結果の記事と自分を重ねて
【判定日の前日に…】移植後の身体の様子はメモしていたので、記録として残っている。あまり記録とか残さないタイプなのですが、メモに残しているなんて、それだけ一生懸命に向き合ってたんだなぁ…と自己分析。12/16BT1特に変化なし(BTとは移植後という意味で、移植日がBT0日となります)12/17BT3右のお尻、腰、太ももの外側が痛くなり歩きにくい(おそらく着床し始める頃かなぁ…)12/18BT3日中は特に変化なし。夜中から右下腹部がギューと痛くなる12/19BT4昨晩
【運命の日】移植する日は午前中に血液検査を受けてホルモン値を調べ、GOサインが出たら凍結していた受精卵を解凍します。無事に解凍できたら移植という流れです。実は移植前の血液検査の結果、すこしホルモン値が低いのでルティナスという膣から入れるホルモン剤を処方されていました。なので当日のホルモン値は問題なかったのですが、この膣剤が一日3回8時間おきに膣に入れなければいけません…これが大変…仕事中も忘れないようにアラームをかけて、とにかく欠かさないように必死でした…💦さて、決戦当日に話しは戻
【決戦は…火曜日‼️】採卵結果…分割胚が1個、胚盤胞が1個、計2個の受精卵ができました✨本来ならここで移植…となるのですが、この時点でまだ子宮頸がんの結果が出ていなかったので、受精卵はひとまず凍結しておく事となりました。医療の進歩って本当にすごい‼️凍結する事で受精卵の成長はストップし、解凍するとまた成長を始めるのです。人間の成長力もすごいですよね…これ、信じるか信じないかは自由なのですが…胎内記憶を勉強していると、いろんな事例に出会います。実は、精子だった時とか卵子だった時の記
【希望の光】2015年11月8日いよいよ採卵の日を迎えました。採卵とは排卵寸前の卵子を膣内から針を入れて卵巣から吸い取る…簡単に説明すればこんな感じです。時間にすれば10分程度です。まず安静室みたいなベットが並んでいる部屋にはいります。手術着に着替えて、順番が来るのを待ちます。朝一で採卵で予約制…多分30分単位での予約だったと思います。案件室には10個位のベットが並んでいてそれぞれがカーテンで区切られています。しばらく待つと名前を呼ばれて、手術室の前で待機…前の人が出て来
【不妊治療のストレス①】それそれにしても、不妊治療している人って本当に多いんだなぁ…ってクリニックに行ってつくづく感じました。通っていたクリニックが有名なところだったという事もあると思いますが、夕方ギリギリの時間に受付すると、受付番号が700番代だった事がありました。それって今日は700人も患者さんが来たって事ですよね…仕事が午前中しか休めず、朝一で診察してもらいたい時は6時前からクリニックのビルの前に並んだ事もありました。冬だったのでお日様もまだ出てなくて真っ暗で寒かった事を覚えていま
【まさかの展開‼️こうして出鼻はくじかれた…】我慢する不妊治療はその後も続きます。クリニックで嫌な思いをしましたが、それでもクリニックにお世話にならないと赤ちゃんはできない…そう思い込んでいました。なので簡単に「不妊治療やめます!」って言えないんです…しかも、私はまだ「体外受精」や「顕微受精」と言った高度な不妊治療を試していなかった…試していないのにやめるという選択は私には出来ませんでした。次に行ったクリニックは芸能人も多く通っていると言われている、不妊治療界では有名なクリニックでした
【自分の身体の声】なかなか上手くいかない不妊治療…そんな時に職場の異動の話がありました。通勤時間は長くなるけど、園の規模が小さくなる事でゆとりがある事が魅力的で4月から異動することにしました。ちょうど、人工授精より高度な治療を受ける事=ステップアップを考えクリニックを変えようと思っていた時期と重なり、異動先からクリニックが近い…という事も異動を決めるきっかけにもなりました。異動してからわかったのですが、異動先には不妊治療の先輩が2人いて、私の状況も理解し応援してくれました。本当にこれは
【すべては私の選択】そんな運命の出会いから2年半後の2013年の年明けからバタバタと結婚が決まり、2013.2.28に入籍しました。ここの裏話はいつか…この時、私は39歳でした。「結婚したら赤ちゃんができる」この考えが甘いものだ…という事は結婚してから知りました。まだまだ若いつもりでいたのに、妊活会では高齢で妊娠出産は難しくなる年齢でした。そう、結婚するまでその事実を知らなかったのです‼️正直、避妊しないでSEXすれば、簡単に授かるものだと思ってました。今、晩婚化が進んでいます
【運命の出会い】「運命の出会い」と言っても、出会った瞬間いにビビビとか(古い…笑)そんな感覚もなく、おそらく大半の人が「それはナンパというのでは…?」というような普通の出会いです。あれはたしか、2011年9月19日の事です。ビールが大好きな私はその日も飲み友達と一緒、大阪・天王寺公園で行われていた「オクトーバーフェクト」というドイツのビール祭に参加し、お昼から大きなジョッキでビールを飲んでいました。オクトーバーフェクタは生演奏もあり、ワイワイと飲みながら踊ったりする、酔っ払いにはサイコー
【早くあなたに会いたい】「和」あえるこれは私がまだ結婚相手もいないのに、33歳で結婚して36歳で双子の女の子を産む…そう決めていた頃、まだ見ぬ我が子につけたい!そう思って考えていた名前です。「あえる」という響きが可愛い。新しい事に出会える。たくさんの人に出会える。「和」人と人を和える。何かと何かを引き合わせるとか、和食の和え物のイメージと漢字の持つ意味「和む」とか日本的な「和」足し算の「和」とか…とにかく色んな意味でこの名前が気に入っていました。双子の予定なのでもう一つ考えていた
今日は中板橋のパワースポット!沖縄料理そてつさんにて!世界のカサコ&波動の女神ゆみちゃんの開運お絵描き&シンギングリン✨パワー全快ランチ会✨に参加してきました💖✨そこで宣言✨私は日本中を飛び回り、出会った人をみんなキラキラの女神様にする‼️いや、女神様になりました‼️この、願いを叶えるために開運お絵描き💖参加者みんなのエネルギーをもらいながら、グルグルグルグルと幸せの輪が広がるイメージしながら描きました✨これ、叶うのは時間の問題だな😊
【もう、一人で抱え込まなくていいよ】大切な赤ちゃんを亡くした悲しみは当事者にしかわかりません。私が流産した時周りからは「よくある事だから気にしないで」「また次に頑張ろう」そうやって励まされました。でも、そんな周りの善意の言葉も当時の私には辛く悲しいものでした。でも、一人で悶々としていても心はなかなかスッキリしません。誰かに話を聴いてもらいたい。そんな気持ちがあっても「流産しました」なんて話、誰にも言えません…もし、あなたがあの時の私と同じような気持ちを持っているなら【👼天
【WaveofLight】10/15に【WaveofLight】というイベントに参加してきました💖世界的に10月9日~15日は「BabyLossAwarenessWeek」といって、早くに亡くした赤ちゃんを想い、赤ちゃんのことを話すきっかけとしたり、赤ちゃんを亡くしたご家族の支援や、その啓発をしていく期間なのだそうです。そして最終日の今日10/15の19時にロウソクに灯をともし、空にいる赤ちゃんたちの事を想うそうです。それに先駆けてAngieさんの
今朝、起きた時に思ったこと。屋根のある家に住めて、あったかいご飯が食べられて、周りに好きな人たちがいて💖今の生活が続いていくこと…私の夢ってこれなんだ‼️って気づいた。世の中の役に立つようなデッカイ事とか、困っている誰かを救うために、なにかしなくちゃ…とか、後世に何か残したい‼️とか、そういうのが無くなった。そしたら、争いがない平和な日本に生かされてる事が幸せに思えてきた。日常が本当にありがたい。それなのに、身近な家族にはあれこれ求めてしまう。期待してしまう…まだまだ矛盾だらけ
小さい頃から今でもずっと大好きな父親。一緒に遊んでもらった記憶がたくさんあり、大人になってからもずっと私のことを助けてくれる大切な存在です💖先日、お風呂に入った時にフッと父のことを思い出しました。幼い頃、父とお風呂に入り身体を洗う時は必ず足の裏を洗ってくれました。私はくすぐったくて抵抗してり、笑ったりしながらも、この時が大好きでした。「足の裏はたくさん歩いたり、身体を支えたりして頑張ってくれてるんやで。だから、ちゃんと洗わなあかん。」それが父の教えでした。今、思えばそれは父の生き
【お空に還った天使からのラブレター】「大好きだよ」ママのその言葉ちゃんと届いてるよだからもっとボクとお話しようよ姿は見えなくても心はちゃんと繋がってるよりそい使KatsuRa
【お空に還った天使からのラブレター】0004僕がいる空とママの見上げる空はつながってるよ世界中どこにいても空は一つどこにいてもつながってるよよりそい使KatsuRaカウンセリングメニュースマホ用https://ws.formzu.net/sfgen/S86323009/PC用https://ws.formzu.net/fgen/S86323009/
【お空に還った天使からのラブレター】0003今は無理して笑わなくていいんだよ無理して頑張らなくていいんだよいつかきっと笑顔のママに会えるってボクは信じてるあなたの事を信じて待ってくれている可愛い存在がいること忘れないで…よりそい使KatsuRaカウンセリングメニュースマホ用https://ws.formzu.net/sfgen/S86323009/PC用https://ws.formzu.net/fgen/S86323009/
【お空に還った天使からのラブレター】0002「ごめんなさい」は言わないでママなんにも悪くないよ赤ちゃんはママのこと責めてないよだから「ごめんなさい」は辛くなっちゃう…だったら「ママのところに来てくれてありがとう」って伝えようよりそい使KatsuRa
私が思う「天使ママのサポート」大切な我が子を亡くした喪失感はその人によって違います。私が経験者だからといって「あなたの気持ちわかります」と簡単には言えません。私にできる事は私の経験を伝えること。そして、側であなたのお話を黙って聴くこと。もしかしたら、背中をさすったり、優しくハグすることもできるかもしれない…それは、あなたの悲しみに寄り添うことになれば嬉しい。今はそれしかできない。でも、いつかあなたが自ら立ち上がろうとする時が来たら、前に進もうとする時が来たら、その時は励ました