外国で暮らしていると、その国の社会から見てよそ者であるがゆえの役割を、自分に割り当てられるときがあるように思います。社会の内部の人が言ったりしたりすることができないことを、よそ者ゆえに言ってしまえる、やってしまえるので、それを期待されることがあります。しかし、そのよそ者の役割を誰もが演じれるかと言えばそういうわけでもなく、当地の社会に溶け込まず、(この国の人から見て)外国人のコミュニティーだけに属していたら、そういう役割を果たす機会がありません。また、この国の社会の内的な論理をまったく理解してい