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2日目も同じように忙しい1日だった。叔母さんが二人来て下さった。私が知っている唯一組の客だった。2日目も無事忙しく終わった。茶会は大成功だった。茶会が終わっても後片づけが残っている。大切な道具である。元の箱に丁寧に詰め直さなくてはならない。多くの方々が手伝って下さったのに、箱や風呂敷等がどこに行ったのかを覚えきれず、道具と、それぞれの箱を合わして行くのも師の手を煩わせる事になっり、裏方失格であった。それでも大切な道具を紛失したり、壊れたりしなかったのが幸いであった。オ
二席、三席と続けて行う内に、同じ事を言うのであるから、物覚えの悪い頭でも、何とか覚えられ、虎の巻を参考にする事も少なくなり、後ろからの注意も減った。少し慣れた頃に師も戻られ、ほっと一息。師も連日の準備等で、お疲れの様子。一席通して座って説明されるのも、お疲れな様子。最初席入りされ、挨拶をされると、私が出て説明を始める時も出て来た。多くの知人が来られるいるので、忙しく案内もされている。どうも献茶を見に行くどころでなくなった。師がおられる間に、急いで弁当を食べ、点前をさせて頂
最初の二席位は、取り敢えず、お運びをし、茶を出したり、茶碗を片づけたりして、適度に忙しく、何とか出来た。その頃、お家元の献茶が始まったのだろう。座主である師は半東を頼みますよと言われて、何人かと共に行ってしまわれた。これでは献茶を見に行くどころではない。師の道具の名前から由緒、伝来を覚えなくてはならない。亭主が茶席でお茶を点てている間、後ろに座り、お客様に挨拶をし、茶室にある、道具や茶の説明をする羽目に。困った。客が茶室に入いられる間に、必死になって覚え様とした
前日、頼まれた大きな鉢植えのボタンを途中で買い、中宮寺へ出かけた。京都と奈良、そう遠くはないと思ったが、交通の便が良くない為か、何度も電車に乗り換え、ようやく着いた。表門に着いたらしく、茶会の場所を探しつつ、寺の中をさ迷よったので、大きな寺だと実感出来た。荷造りした責任から、道具を出し始めたが、多くの方々も手伝って下さった。それで、それぞれの道具の箱や風呂敷が、どこにしまわれたのか分からなくなり、茶会後に道具をしまう時に探す事にもなった。
奈良市郊外斑鳩の里にある法隆寺の隣に中宮寺がある。中宮と名が付くのだから、格式の高い寺である。そこで春の良き日に、裏千家家元が献茶をされる事となった。この献茶の際、ネットで活躍されている茶の師が添釜をされる事になり、手伝いに来ないかと誘いを受けた。茶の道を学ぶ者には、滅多に無い好機、少し遠いが二週間の休暇を取り、手伝いをさせて頂く事にした。他にもネットの仲間が遠くはアメリカからも、国内からも集まり、手伝いをさせて頂いた。茶会の前には茶