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2024年5月6-12日聖書通読127-133日目みことばで神様と交わろうマルコ2-8、Ⅰサムエル18-31、詩篇55-57、箴言11章ある朝ふと思った。あー、私はセカンドチャンスを生きている。一度死んだ者。そのことに目が開かされた瞬間があった。「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた(ロマ6:6)」のだ。何の怖いことがあろうか。不思議とすべてが新鮮に見え出した。カフェの目の前の額のガラスに映った通りの景色も、何か特別なものに見えた。↑先週、軽井沢に行って見た新
2024年5月5日聖書通読126日目みことばで神様と交わろうマルコ1、Ⅰサムエル15-16章昨日、教会に向かう道の途中、横断歩道を渡り切ったところに嘔吐物が広がっていた。とっさにそこをよけたけれど、すぐに思った。あれを手で片付けられるだろうかいや、ムリムリ。そう思った私の心にすぐ飛び込んできたのはイエス様の姿。あ!私は気づいた。イエス様は素手で触わられていた。何に嘔吐物に誰の私の。。。「犬が自分の吐いた物に戻って来るように、愚かな者は自分の愚かさを繰り返す。(箴言26:1
2024年5月1-4日聖書通読122-125日目みことばで神様と交わろうⅡコリント10-13、Ⅰサムエル7-14、詩編53篇一昨日は皇居前のスタバへ。もうすぐ来る10年目を記念して青と緑がまぶしい10年前の5月、ここに来たときは、まだクリスチャンではなかった。友人Kuさんが持っていた手提げにあったことばが忘れられない。どこかの会社のキャッチフレーズ「10年後の元気をつくる」。その頃、不思議なくらい「10年後」という言葉を見聞きして、私の目にも耳にも「10年後の計画を立
2024年4月16-21日聖書通読107-112日目みことばで神様と交わろうⅠコリント11-16、士師記1-14、詩篇47、箴言9章この世界に、初めから法や秩序や福祉や人権の概念があったのではない。人が神に背を向けてから、ここは無法地帯となった。無力な人間を守るため、主がみことばの中にそのような概念を入れてくださっていた。それが巡り巡って、カオスの中にも弱い者を助けるオプションが現れたのだ。ああ、この時代の私の住むところにも流れ流れて、気づかないところで、どれだけ主のあ
二日酔いした日の食事は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう断酒して20年くらいお酒飲んでないけど飲んでた頃は起きてまた飲んでましたつまり迎え酒というやつですか(≧▽≦)迎え酒|居酒屋用語辞書/ホームメイト「迎え酒」とは、二日酔いになった際に、その症状を緩和させるために少量の酒を飲むこと。www.cookdoor.jp「迎え酒」とは二日酔いになった際にその症状を緩和させるために少量の
2024年4月13-15日聖書通読104-106日目みことばで神様と交わろうⅠコリント8-10、ヨシュア19-24、詩篇45篇もうすぐ、クリスチャンになって10年。そのときを迎える前に、主が私にプレゼントをくださった。それはみことばに関するチャレンジで、とりあえず5月下旬か6月半ばごろまでには主の御働きの証が出ていることを信じ、取り組んでいる。そんな私に先週、主がくださったみことばはこれ。「知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。(Ⅰコリント8:1)」愛は人
家族は大切すべての人との平和を追い求めなさいへブル12:14神の家族である教会でも人間関係が疎遠になることがあります負の感情が災いして互いによそよそしくなったりしますへブル人への手紙の著者はエサウを弟から引き離した遺恨について述べ神の家族の絆をしっかり保つように勧めています彼は「すべての人との平和を追い求め」なさいと語ります(14節)この「追い求める」という言葉には明確な意識と強い決意をもって
凄い暴露だがどうせ日本では報道されない昇り龍~原画~minne.com10,000円商品を見る私はいろいろ知ってるけど人に●●しなよとか人に〇〇したほうがいいとか言う性質ではないので自分が苦しい時は回避の方法をとってますが人それぞれなので強要はできませんだってひとりひとりが神さまなのだから本当は知っているはず基本的に私はプラスでもないマイナスでもない白でもない黒でもない
2024年4月11-12日聖書通読102-103日目みことばで神様と交わろうⅠコリント6-7、ヨシュア15-18、詩編44篇朝の通勤のとき、私のすぐ後ろの2台の車で大げんかが始まった。お互い譲らずぶつかったのか、スレスレだったか。ドライバーは窓でなくドアを開けて、ものすごい剣幕で怒鳴り立てている。人が我も忘れて激昂するのを久しぶりに見た。あまりの激しさに「巻き込まれないでよかった〜」と思う私。しかし、「怒りまくるこのドライバー「のようでないことを感謝します(ルカ18:11)」
2024年4月6-10日聖書通読97-101日目みことばで神様と交わろうⅠコリント1-5、ヨシュア5-14、詩篇41-43篇持久力をつけるためにバレエの先生に走ることを勧められた娘が「今朝はママも行こう」と言うので、元気に外に飛び出したそしたら、びっくり。、、、、、ついてけない。。。歩くのもいいよねと途中からは歩いたが、それはそれで気持ちが良かった春の朝、緑道の風。桜の花びらが舞っている。薄黄緑の新芽も見えて、吹き出るいのちを感じた。主にハレルヤ(↑今日会った友人
2024年4月4-5日聖書通読95-96日目みことばで神様と交わろうマタイ27-28、ヨシュア1-4、箴言8章この世界は、知らなくてもいいことにあふれている。どうでもいいことに私の目が留まると、私は霊的眠りに陥る。愚かにも、眠っているときがどれだけ多いだろう。大事なことはその辺に転がってはいない。主はダイヤモンドや宝石を地表に転がしてはおかなかった。人が掘って探り当てるように、地中深くに隠された。最も大事なのはイエス様。聖書の中の隠れたところで、私たちはイエス様に出会う
2024年4月1-3日聖書通読92-94日目みことばで神様と交わろうマタイ24-26、申命記28-34章先々週の水曜礼拝に、大学を卒業したばかりの方が来てくれた。嬉しかった〜クリスチャンでない方が一緒にささげる礼拝は、また特別な恵みその日は春休み中の中学生2人も来て、自分たちも賛美したいと、前に出て賛美が始まった。途中からダンスになったので、スペースを作ろうと、椅子ごと後ろに下がったら、ガラガラガッシャーン!私の後ろにあったグラスとマグを床にぶちまけてしまったマグは強かっ
2024年3月27-31日聖書通読87-91日目みことばで神様と交わろうマタイ19-23、申命記19-28、詩篇37-39篇誰かを助けようと、人のために死んだ人はいる。しかし、人のためによみがえった人は、たった一人しか存在しない。その方こそ主イエスキリスト。誰にもできない、考えることさえできないことをなさった方、その方が主イエスキリスト。唯一なケースであるゆえに、あまりにレア過ぎて、人には全くフィットしない。常識人からすれば、愚かにさえ聞こえること。しかし、これが「隠された神
2024年3月25-26日聖書通読85-86日目みことばで神様と交わろうマタイ17-18、申命記15-18、詩篇36章聖書と議論して、勝った人は一人もいない。自分の考えを優先して滅んでいくか、降伏して聖書の下にくだるか、どちらかだ。降伏するなら、自分は敗北する。しかし、神が威信をかけて聖書に記した主イエスキリストの勝利を得る。つまり、キリストの中で完全完璧な勝者となる。主イエスに出会って、その光に照らされ、はっきりわかった。この世は闇だった。すべての人が罪悪の荒波を生き
2024年3月22-24日聖書通読82-84日目みことばで神様と交わろうマタイ14-16、申命記9-14、箴言7章偶像を礼拝するときは、人が偶像をもてなす。人が死者や神々に、花や水、お酒、果物やごはんなどを供える。これは何を可能にするか?それは自分が努力することを可能にする。誰によって悪霊によって聖書は教える。「彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と(Ⅰコリント10:20)」。先祖や亡くなった人に花やごはんを備えたり、お土産のお菓子を供えたり、神棚に榊や水を
2024年3月20-21日聖書通読80-81日目みことばで神様と交わろうマタイ12-13、申命記5-8、詩篇35篇何年も前、子どもが望んだ結果を出せなかったとき、私は自分を責めた。「あー、コースAに行けなかったのは、私が聖書と祈りの時間を優先してしまったからだ」娘は言っていた。「うっわ、ママ、変なこと言ってる」そう言われても、娘にもっと時間と労力を割けばよかったのだろうかと心が揺れた。「ああすればよかったか、こうすればよかったか?」いろんな考えに苦しむ。「あー、私はだめな母親
2024年3月18-19日聖書通読78-79日目みことばで神様と交わろうマタイ10-11、申命記1-4、詩篇34篇真理はこどもにも分かるもの。とてもシンプル。とてもクリア。聖書にはっきり書かれている。されど、真理はミステリー。人の目には隠されている。人の知性では見えないようになっている。それが「神の知恵(Ⅰコリント1:21)」。神ご自身が開いてくださらなければ、決して受け取ることのできないもの。しかし、人は人生のどこかで、必ずその招きを前にする。「すべての人が時と機会
2024年3月9-17日聖書通読69-77日目みことばで神様と交わろうマタイ1-9、民数記19-36、箴言6、詩篇30-33篇忘れてしまった祝福があった。主が私にくださった、ものすごく大事な恵みだったのに、それがなんだったか、すっかり忘れてしまったのだ。そのことを話した2人の友人にも聞いてみたほどだったけど、2人とも、詳しい内容までは覚えていなかった。それほどささやかなことだった。ものすごく思い出したくて、何日もかけて主に尋ねていた。それを主が、はっきり教えてくださった。
みんなの回答を見る涙と共に種を蒔く者は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は束ねた穂を背負い喜びの歌を歌いながら帰ってくる。きつい時には愚痴も弱音も文句もでるかもしれませんそれだけだと互いの間にあるのは攻める責め合うことだけになりますがそれとは別に別の次元でいなくならないで、ごめんね、またいっしょにやっていこうよって気持ちが出てきたり見えたり気づいたりする瞬間が
2024年3月8日聖書通読68日目みことばで神様と交わろうロマ16、民数記18章私を強めるのは福音。福音とは新約聖書に明らかにされた「イエス・キリスト(ロマ16:25-26)新共同訳」。「神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。(ロマ16:25-26)新共同訳」この福音は遠い昔に書き記された預言者たちの書き物、すなわち旧約聖書の中に隠された。しかし、今、それは隠されてはいず、新約聖
2024年3月6-7日聖書通読66-67日目みことばで神様と交わろうロマ14-15、民数13-17、詩編29篇主が言われた。一冊の本を持って私に。「これはあなたにわたしを教えるために昔書かせた本」。忍耐と慰めによって希望をもたせるため。「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。(ローマ15:4)新共同訳」ああ、この世界のどこにこのような希望を読めるだろう。一時
祈っているのに何も起こらないと感じる時もありました天の父に必死に祈って嘆願し今すぐに叶えてくださることを期待しているのに詩人ダビデも同じ経験をしました「主よいつまでですかあなたは私を永久にお忘れになるのですかいつまで御顔を私からお隠しになるのですか」と嘆きました(詩13:1)私も本当に辛い時そう思ったこと多々ありましたしかし神の賢明さはタイミングにおいても完璧ですですからダ
2024年3月3-5日聖書通読63-65日目みことばで神様と交わろうロマ11-13、民数7-12、詩編27-28篇死と人の間の境界。その扉の開け閉めは、人には任されていない。人はあらがうすべもなく、扉が開けばそこへ飲み込まれていくしかない。「私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。(Ⅰサムエル20:3)」人はいつでも「風の前のちり(詩編18:42)」になりうる。森美術館の展示の中に、「人間の塵」という作品があった(写真を撮ってもいい作品だった)。要は、遺灰。
2024年3月1-2日聖書通読61-62日目みことばで神様と交わろうロマ9-10、民数3-6章「人がどこから来て、何をして、どこへ行くのか」意識するしないに関わらず、人はその答えを得ようとする。一昨日、私はその探究を見た。そこは地上53階。前々から行きたいと言っていた娘に付き合った六本木の森美術館。たまたまやっていたのは、開館記念20周年の「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」という記念展示。それは「私たちとは誰か、地球環境は誰のものなのか」という問いかけ
2024年2月29日聖書通読60日目みことばで神様と交わろうロマ8、民数1-2章今朝、目覚めて思った。あー、私はイエス様のもの。「召されて、イエス・キリストのものとな(ロマ1:6)」った者。「神のものとされた民(Ⅰペテロ2:9)」。この世界でこれ以上の喜びがあるだろうか。この喜びを教えるのは御霊。「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいる(ロマ8:9)」。つまり、信じる者は御霊の中にいて、御霊は信じる者の中にいる
2024年2月26-28日聖書通読57-59日目みことばで神様と交わろうロマ5-7、レビ23-27、詩編25、箴言5章はしごをもって🪜実家の庭に入っていく。心が弾んでいる自分に驚いた。だって、昔、庭仕事が嫌いだったから。ひたすら面倒で億劫な作業だと思っていた。しかし、最近の私はどうだろう。この時間が楽しみ〜。空は青く、足元の緑はきらきらしている。母が毎年結構な額を払って庭師の方にお願いしていたところを、今私がやっている〜。母にすごく感謝されるが、私にとっては遊びの時間。
2024年2月24-25日聖書通読55-56日目みことばで神様と交わろうロマ3-4、レビ19-22、詩編24篇礼拝で「ハレルヤ♪」と主を賛美しながら思った。ああ、私はこの人生で後どれくらいハレルヤと言えるだろう。そんな思いが来て、ハレルヤと口にする一つ一つがとても貴重なことに思えた。「神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方(黙示録1:8)第三版」、全知全能の創造主であられるイエス様。この方が「私の主、私の神(ヨハネ)」。この方を仰ぐ恵みがどれほど大きなことだろう
2024年2月22-23日聖書通読53-54日目みことばで神様と交わろうロマ1-2、レビ15-18、詩編23篇「真理を解明した!」という人が現れたら、その人は偽者だ。なぜなら、真理はそのようなものではないからだ。神は真理を解明しない。なぜなら、神ご自身が真理であるからだ。真理は解明する必要もなく、ただそこにあるもの。真理は真新しいものではないのだ。真理とは「神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもの(ローマ1:2新共同訳)」。それは「御子に関するもの
2024年2月20-21日聖書通読51-52日目みことばで神様と交わろう使徒27-28、レビ11-14、詩編22篇主はいろいろな体験をさせてくださる。今日、私は歌舞伎座にいた。歌舞伎町ではない。ちなみに歌舞伎町は、戦後まもなく、そこに歌舞伎座建設計画があったから、その名前になったそう。結局、そこにはできなかったのだけど。東銀座での歌舞伎鑑賞は、職場の先輩からのびっくりご招待。いただいたパッケージには、イヤホンガイド券や筋書引換券、歌舞伎座お買い物券まで入ってて楽しかった。
2024年2月19日聖書通読50日目みことばで神様と交わろう使徒26、レビ9-10章主が今日、心に置いてくださったみことばは「聖別」。聖別とは何かできるだけきよくなること?みことばで心を満たすこと?いやいや、そういえば、前に聞いたことがある。「聖」とは「区別すること」だった。世と区別されていること。今日また、主が教えてくださった。聖別とは、「手ぶらで主の御前に進み出ること」。私のものは何も持たずに、世のものは何も持たずに主の前に進み出ること。それが聖別。そこ