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ユーモア。私にとっては、常に持っていたいものの1つです。私と同志が主催している、レインボーになれなかった人のために、の1つのテーマ、でもあります。自分の苦手も内包するコンプレックスも含め、延いては最終的には自分で自分を笑える様になれる、そんな対話の場を作りたい、といったところです。嘲笑でもない、だれかを蔑んで笑う訳でもない。自分で自分を笑える様になることは、自分自身と向き合いながらも、自己を解放したり、心の肩こりを和らげたり、最終的には自分を肯定する為の1つの有効な感覚だと思っています
カミングアウト。セクシャルマイノリティを問わず、人はなんらかの大小あれど、カミングアウトをしながら日々を暮らしている様に思います。自己開示、と言い換えるとわかりやすいかもしれません。セクシャリティに関してのカミングアウト、に話を戻すと、私は身近な人や親には、自分のセクシャリティ(バイセクシャル)をカミングアウトはしていません。そして、今のところはするつもりはありません。というのも、カミングアウトをしたことにより、不本意な思いを経験したからです。それは、数年前に当時の友人(ストレート)
ブルーでハッピーがいい。これは、私が大学時代によく聞いていたカジヒデキさんが作り、ショコラさんが歌う曲のタイトルです。当時は、いわゆる後期渋谷系全盛期。キラキラしたギターポップや、裏渋谷系とも呼ばれた少し内省的な音楽。好きなミュージシャンオススメの音楽を辿って新たな音楽との出会いを楽しんだり。私はどっぷりと浸かっていて、今思えば、1つの歴史的な流れの中に自分がいたことに喜びと幸せを感じる自覚もないまま、楽しくてキラキラでカラフルな音楽の世界に魅了されていました。未だに私の音楽の嗜好の基盤に
正義感。先日、第0回のレインボーになれなかった人のために、の集いを開催した時にも、話題になった言葉です。その時に、参加者の方から出た「どす黒い正義感」という言葉が印象に残りました。私なりに解釈すると、自分の正義を疑わずに、まわりに押し付けの様なことをすること、そして、異を異として認めないこと、若しくは、誰かの義に異を唱えたり、安易に感化されることによって、自分を正義化すること、なのかな、と思いました。フィクションの中の正義のヒーローは強いし、大概最後には悪役に勝ちます。正義の名の下には
可視化。確かに目に見えるものはわかりやすい、とは思います。ただ、見えないものが可視化される場合はあくまでもシンボル、というか、形、に過ぎない様に見えるものもあります。ポーズの1つといいましょうか。例えば、レインボーフラッグ。可視化の目的は果たせていても、センスがない、というか、圧が強すぎる、と言いますか。私には包括的な可視化には見えません。現状に対するアンチテーゼ的な可視化止まり、とでもいいましょうか。否定はしませんが、私には眩し過ぎます。一方、ヘルプマークの様な(私からの視点ですが)明
私と同志が立ち上げた、「レインボーになれなかった人のために」第0回のメインテーマは、違和感、です。大きな違和感、小さな違和感。事象への違和感、自分自身への違和感。時に、ツイッターでタイムラインを見ていると、よくも悪くも、それぞれの違和感、が溢れている、そんな印象を受けることがあります。違和感を発信せずにいられない文化、みたいなものが140文字の世界にはある様にも思えます。違和感を違和感と感じているのか、は、本人のみぞ知るところではありますが…。少し前に、ウーマンラッシュアワーの村本さん
カミングアウト。セクシャリティのみならず、障害、病気、出生などを告白したり、表明することには、勇気というか、ある意味では扉を開けることなのかもしれません。けれど、日常の中では、誰もが大小なく、カミングアウトをしながら生きているんじゃないかな、と思います。(広義でカミングアウトを捉えた場合の話です)どの扉を開けるか、その違いだけ、の様に私は思っています。人それぞれ、扉の色も形も数も違う。けれど、1つではない、それだけは言えると思うんです。もし、自分の中に生きづらさを感じているとしたら、
この度、「レインボーになれなかった人のために」は、11月6日に、第0回の集いの場を開きます。場所は恵比寿。詳細は、mobile.twitter.com/everyoneisallyを見ていただけたらありがたいです。今回は恵比寿、という街を拠点にするに至ったお話を少し。実をいうと、私は、恵比寿ビギナーです。恵比寿といえば、リキッドルームやVATICAといったライブハウスがある場所、友人とご飯を食べに行くのに便利な場所。なんとなく行く場所。そんな感じではありましたが、渋谷の華やかさもな
今、私は同志と共に、「レインボーになれなかった人のために」というコミュニティ作り、というかプロジェクトの様なものを始め、11月6日には第0回の開催を予定しています。拠点はは恵比寿。スローガン的なものをあげるならば、「レインボーからカラフルへ」です。詳細は、mobile.twitter.everyoneisallyのアカウントを見ていただけるとありがたいです。立ち上げから、実はまだ2週間と少し、という衝撃的な短さですが、この約2週間は、私にとっては、時空を軽く飛び越える位の偶然の連鎖や、
今回の始まりは、少し明るくないお話から。私の右手の甲には、6センチ位の傷痕、が、あります。遡る事20年以上前に発生した傷ですが、未だにわかりやすく残っています。まず、なぜこの傷ができたか、について、お話します。当時、中学生だった私は、当時、自分の存在が嫌で嫌で仕方がありませんでした。自分の見た目、内向き一方な性格、セクシャリティの迷い…といった内面、外見、何もかもが嫌でした。そして、外的にはいじめ、という厄介なおまけも付きまとってきました。通学バッグを覗けば、犬の糞が入っていたり(今
遡る、という程に前の話ではなく、このお話は2017年10月6日にミクシィさんと、堀潤さん主宰の8bitnewsさんが主催の「アライの輪を広げよう」イベントから始まります。イベントの懇親会の時間、私は1人ぼっちでした。そんな私に声をかけてくれた方(今の同志)がいました。偶然にも私達は、同じ週に宇野常寛さんの水曜解放区の公開生放送に行っていたり!、話をするにつけ、共通の話題が次々と出てきました。そんな中で、バイセクシャルのコミュニティってないよね、という話になりました。(2人共カテゴリー上では