ブログ記事232件
私たち人間は生きていれば誰しも悩みの一つや二つは、持っているものです。大きな悩みや小さな悩み、解決するのが難しそうな悩みや、少し何とかすれば解決できそうな悩み等悩みと言っても様々あります。しかし私達の人生に悩みが生じてくるのはなぜなのでしょう?その原因の一つとして本来目をかける必要のあることに目をかけずにいたことから生じてくるというのがあります。例えば、子供に目をかけていなければ、子供が何らかの問題を起こすようになったりします。車でも、自転車でも、飛行機
あなたの中で未完了になっている思いはどのぐらいありますか?純粋にしたいと思っていることを、それをしてどうなる!?とか、今はするべきではない!とか、誰にも賛同してもらえないだろう・・・等と思って、理由をくっつけてそれをしなかったり、制限したりしていると、いつかその未完了な思いに囚われることになるかもしれません。あの時ああしておけばよかった・・・何故あの時しなかったのだろう・・・無念で虚しい気持ちが時折心をよぎっては悔しい気持ちが、何度も何
人生は自分が主人公の映画を、その主人公になりきって体験しているようなものかもしれません。辛い時も、楽しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、人生というプロセスの中で様々味わい体験していきます。ある場面に出くわした時、最初からこうなることは、どこかで解っていたという感覚がする時もあるし、まさかこんなことになるとはと、大きな驚きやショックを受けることもあります。人生というのは、元々大筋として決まっているストーリーの中を歩んでいるのでしょうか?
よく「自分を大切にすることが大事だよ」とか、「自分を大切にしていないと他人を大切にすることは出来ないよ」などと言われることがありますが、実際自分を大切にするとは、自分に対してどうすることなのでしょう?自分を大切にする、或いは自分を尊重するという方法は幾通りもあるかもしれません。またそれは置かれている状況によっても、変わっていくのではないかと思います。そうした中で、なかなか自分を大切に出来ないでいる状態の一つの例として過去の自分を後悔している・・・或い
起きた出来事を、自分の都合の良いように解釈し続けていると、後で大きなしっぺ返しに遭うことがあります。例えば何かの集会があって、約束の時間に遅れてしまったけれども、その時は誰からも咎められなかったとします。それを良いことに、優しい人達だから多少遅れても大丈夫なんだと解釈し、何度も遅刻を繰り返していると、段々信用を失っていき、いつかそこに自分の居場所が無いような思いをすることがあるかもしれません。物事というのは、都合よくポジティブにばかり捉えていれば良いというわけでは
一般的に真面目な人ほど心の病にかかりやすいと言われるのは何故なのでしょう?もちろん真面目に真剣に生きることは、本来とても大切なことではありますが、それが行き過ぎてしまことによって、弊害をもたらすことがあるということをここでは説いていきたいと思います。一般的に真面目な人ほど、物事にコツコツ丁寧に取り組む傾向があり〇〇であらねばならない・・・○○でなければならない・・・〇〇であるべき・・・という理想意識を強く持っていることが多いものです。それが故にち
私たち現代人は、何かをやり過ぎていることによって、心身のバランスを崩し、病んでしまうことが多いのかもしれません。例えば、仕事のやりすぎ・・・子供に干渉しすぎ・・・ゲームのやりすぎ・・・酒の飲みすぎ・・・食べすぎ・・・羽目の外しすぎ・・・心配のし過ぎ・・・我慢のしすぎ・・・考えすぎ・・・などついついやり過ぎてしまうことがあります。これらのことはどれをとってもやり過ぎを積み重ねることによって、最終的に自分の身を滅ぼしてしまう可能性をはらんでいます。また
私たちは真の自分を見出そうとするよりも、人から好かれたり、嫌がられない自分を作ろうとしてしまうのは、何故なのだろう?世間で良しとされる人間になろうしてしまうのは、何故なのだろう?世間で成功している人のようになりたいと努力してしまうのは、何故なのだろう?それはどれも、人や世間からの賞賛や承認を求めているからではないだろうか?まるでそれが自分の存在する価値を決めるかのように・・・そうして自分のガワを作り出し、自分を演出させては、本当の自分から知らず知らず遠ざかっていく・
意地を張って生きている人は、人生で寂しさを感じることが多くなっていくかもしれません。意地を張って生きているからこそ、自分の素直な気持ちや本音をなかなか周囲の人たちに話せないからです。本音を話せなければ、他者は本音のあなたと触れ合うことができません。また本音を言えないでいると、次第に自分を説明することが多くなり、話が回りくどくなったり、理屈っぽくなっていく傾向も出てきたりします。そうすると周囲の人たちは、段々あなたのことが面倒臭くなって距
自分の思いを現実化させたい時は、その思いを紙に書いたり、誰かに語ることによって実現化が始まっていくことがあります。○○を○○に出来たらいいと思うんだよ!○○してみたいと思っているんだよ!などと心の中にある思いを言葉に出していくと、段々その言葉が命を持つようになっていきます。命を持った言葉は、自分や他者や現実そのものを動かしていき、実現化に必要な人との縁を結んでくれたり、実現に向けた様々なプロセスを用意してくれたりします。しかし逆に恐ろしいのは、ネガテ
なかなか相手に自分の気持ちを解ってもらえないと思う時、自分の伝えたい思いと、実際に発している言葉がズレているということは無いでしょうか?例えば本当は自分のことをもっと見て欲しくて寂しい思いでいるのに自分をちゃんと見てくれない相手に、どうしてあなたは〇〇なの!と不満や怒りの感情をぶつけてしまうなどです。このように自分の本当の気持ちと表現している言葉がズレてしまっていると相手に本位が伝わらないばかりか、嫌な思いや印象を残してしまいます。またこうしたことが積み重なれば、
何かを決断することを、ためらうことはありませんか?それはもしかしたらその決断することで、後々失敗だったと後悔することにならないだろうか?と不安になったり、今一つ自分自身を信じられないでいるからかもしれません。しかし例え自分が決断したことが、後に後悔する結果になったとしても、その決断と決断後に体験したことは、その後の人生に生かせる大きな智慧になっていくことが多いものです。人間は失敗の体験から学ぶことが多く、失敗しないような人生を歩もうとすると、どうし
多くの人は、人から厳しくされるより、優しくされたいと思っているのではないでしょうか?現代人は夜の時間を多く使えるがゆえに様々なことを考えることが多く、また日々しなければならないことに追われたりするなどで、他者から今以上のことを求められたり、ちょっとした間違いやミスを厳しく責められるのは、もうこりごりだと感じている人が多いかもしれません。・・・今の世の中は様々なものが自動化・簡易化され、物質的には豊かになってよほどのことがない限り飢え死にするようなこと
普段から自分に厳しくし過ぎていると、段々底意地の悪さがにじみ出るような人間になっていくことがあります。例えば人の失敗を見ては、心の中でほくそ笑んでいたり、純粋に頑張っている人を馬鹿にしたり、嫌味を言ってみたりするなどです。自分に厳しくし過ぎているということは、自己否定が積み重なっていくこともあり(自己虐待)、心の内側にいるもう一人の自分を、屈折させたり、いじけさせたりするなど腐ったような状態にさせてしまうことがあるのです。その結果ニヒルな自分が時に顔を出し、他者
自分の問題点に焦点を当てて今までの自分を改善しようとすればするほどいつか自信を失い、どうしてよいのか解らなくなってしまうかもしれません。人は時に自分の問題点を見つめそこを改善することが必要なこともありますが、あまりそれを急いだり、下手にやり過ぎてしまうと、自分の悪いところばかりに目がいき、こんなにも自分はダメな人間なのかと自分を責めて、逆に生きることが辛く苦しくなってしまうことがあります。私自身長年カウンセリングを行ってきて思うことは、人が問題点を改善しようとする時
人は自分の常識と違ったことをする人を、なかなか受け入れることが出来ないという傾向があります。普通は○○なのに、あの人一体どうなっているの!なんであんなこと言うの?なんであんなことするの?もう信じられない!等と思ったことは無いでしょうか?そして自分と同じような考えの人を見つけて、常識の違うその対象者を批判したり、悪口を言い合ったりしてしまいます。しかしこの行為に、果たして愛はあるのでしょうか?人は自分の常識から外れた言動をする
何らかの困難に直面した時、今さえなんとか凌げれば・・・と、応急処置的対応し、その場がおさまったからいいや・・・と思っていると、後々手に負えなくなるような大きな問題が自分に降りかかってくることがあります。例えば今勤めている会社を、上司が嫌だから辞める・・・人間関係がうまくいかないから辞める・・・等という理由で辞めたとします。そうすれば抱えていた問題そのものは、無くなりますが、次に勤めたところでも、また同じような目に遭うことがあります。そしてそのよう
人から愛されていても、その愛を素直に受け取れない時があります。人に親切にされていても、その親切を素直に受け取れない時があります。どうしてそうなってしまうのでしょう?心の中では、そんな小さな親切じゃ・・・そんな小さな愛じゃ・・・足りなさ過ぎると呟いている自分がいるのかもしれません。或いは、そんな親切、そんな愛なんかに騙されるもんか!と過去に期待を裏切られた傷ついた自分が、心の中で警戒心満載でいるのかもしれません。何れにしても、
同じような過ちを何度も繰り返してしまう人には、過去に自分の存在が危ぶまれるようなトラウマ級の心の傷があるかもしれません。何度注意しても、何度伝えても間違いがなおらなかったり、なおったとしてもすぐにまた元に戻ってしまう・・・このような人を、周囲で見ている人達はだんだんあきれていき、終いには関わりたくなくなってしまうかもしれません。。しかし過去に自分の存在を否定されるような大きな心の傷を負った人は、それを忘れようとすることに心のエネルギーが使ってしまい、その
私達は時折人を信じられなくなってしまうことがあります。この人ならと思った人であっても、時間が経つにつれ信頼が薄れていく・・・思わぬ一面を見てしまい信頼が薄れてしまう・・・このようなことはよくあることかもしれません。しかし人を信じては裏切られるということを何度も繰り返し、心が傷ついて生きることが辛くなっているとしたら、相手のことをどうこう思うよりも、今まで自分が築いてきた人との関係性を振り返ると共に、そこで傷ついた自分の心をケアする必要があ
人は強くなろうとして、色々なことを繊細に感じている自分を忘れてしまうことがあります。人は優しくなろうとして(思いやりを持とうとして)、自分自身を大切にすることを忘れてしまうことがあります。人は幸せになろうとして、今ここに在る幸せを見落としてしまうことがあります。人は何かになろうとする時、身近にある大切なものを見落としたり、見過ごしてしまう傾向があるのかもしれません。だからこそ今自分が感じていることにできるだけ心を開いていたいものです。群馬県高崎の
人にはどうしても許せないことがあったり、どうしても許すことが出来ない人がいたりします。また許せないのは実は自分自身であることもあります。しかし許せいないという思いを心の中に抱えていればいるほど、自分に負荷がかかり、様々なことにイライラしたり、ストレスを感じやすくなっていきます。そんなに辛いなら、いっそのこと全て許してしまえば・・・などと思ってはみるけれど、そう簡単に許せるものではない!と自分の心が言ってきたりすることがあるかもしれません。すると今度は許
自己肯定感を上げようと思って、様々な書物を読んだりして書いてあることを実践したり、自己啓発セミナー等に通って様々なワークを実践してみるけれど、今一つ自信が持てるようにならない・・・という方は多いかもしれません。自己肯定感を上げるためによく言われている『自分を認めること』『自分を褒めること』『自分を愛すること』『自分の気持ちに素直になること』等は、確かに自己肯定感を上げることに繋がりますが、それだけではやはり不十分と言わざるを得ないところがあります。人間は、自己の承認欲求を
人に対してどこまで甘えてよいのか?どこまで甘えてしまうと迷惑なのか?その加減がわからない?という人は意外に多いかもしれません。そのような人たちは、ずっと甘えた自分を出すことが許されない環境で生きてきたのかもしれませんし、或いは自分に甘えというものを許さずに生きてきたのかもしれません。お姉ちゃんなんだから・・・お兄ちゃんなんだから・・・と親に言われながら、弟や妹の面倒を見る立場でいなければならなかった子供時代・・・身体や心の弱い兄弟姉妹を抱え、親に自由に甘えられ
誰かに対して一生懸命尽くしたり、愛を送っているつもりでも、それが返ってこないことがあります。大して感謝もされないし、なぜかそっけない態度をされてしまう・・・そんなことを体験したことはないでしょうか?どうしてこんなことが起こるのでしょう?愛を受け取らない相手に問題があるのでしょうか?それとも愛を送る自分に何か問題があるのでしょうか?こうした場合どちらが良くて、どちらが悪いというよりも、互いの愛とするものに相違が生じているということが考えられます。つまり自分がこれは愛
誰かに対してこれが愛だと思ってしていることは、必ずしも相手がそれを愛として受け取ってくれているとは限りません。それは愛と言う名の押し付けかもしれないし、愛と言う名の束縛かもしれません。もしも相手がそう感じているとすれば、あなたの愛は残念ながらとても受け取り辛いものになっている可能性があります。もしもあなたが、相手に愛を贈りたいと思うのであれば、その相手のことをもっと感じる必要があるかもしれません。相手を感じてみることは、相手を理屈で理解することよりも容易で、心がつながりやす
人は誰しも表向きの顔と、裏の顔を持っているものです。しかしその二つの顔のギャップが大きかったり、使い分けが激しかったりすればするほど、心の中に葛藤が生じ、自分を保つことが困難になりやすくなります。現代の社会は割と表向きの部分を重視することが多いので、表向きの顔を作るために多くの人が一生懸命になる傾向があります。何者かになりたいと思う人がいるのも、そうした意識の表れかもしれません。しかし本当は暗い気持ちが心の中に渦巻いていたり、落ち込んでい
いい人であろうと頑張ったり、自分をいい人に見せようとしている人程、心の内に醜い感情や、ネガテイブな思いを抱えていたりすることが多いものです。それはどうしてかといえば、本当に心の内側から湧く温かさを持っている人であるならば、自分をよく見せようと努力をしなくても、自然の振舞いの中で周囲の人たちがその人の温かさを感じとれるからです。一方自分をいい人に見せたい人は、そうでない部分を人に見られまいと必死に自分を取り繕うところが出てきたりするので、家に帰って一人
自分としては当たり前に出来ることでも、他の人は当たり前に出来るとは限らないことがあります。自分が当たり前に出来ることは、自分にとってはごく普通のことなので、それが素晴らしいこととは思いもしないかもしれません。しかし他人がそのことが出来ないのを見ると、疑問に感じ、なぜできないの!?と、ついついその人を責めたくなったり、腹を立ててみたり、見下す態度が出てしまうことはないでしょうか?しかし少し見方を変えてみれば自分が当たり前のように出来て人ができない事というのは、もしかしたら
自分が話していることをじっくり丁寧に、そして最後まで話の腰を折らずに聴いくれる人が居れば、心の中に絡まった思いの糸を、解きほぐしていくことが可能になることがあります。だけれども皆それぞれに忙しかったり、自分の都合が色々あるなどして、なかなか最後まで丁寧に話を聴いてもらえる機会というのは、そうそうあるわけではない・・・というのが実情ではないでしょうか?人は生きていれば、様々な出来事に出くわし、様々な人々に出会い、様々な考えや感情に触れる機会があります