理性とは、みずからが自体的にはそれであるものへと、じぶんをかたちづくったものなのだ。そのようにかたちづくられることで、理性ははじめて現実的なものとなる。いっぽうこのような結果であるものは、それじしん単純で直接的なありかたをともなっている。というのも、結果とは自己意識をともなった自由であり、それはみずからのうちで安らっているからである、この自由はみずからに対立するものを一方の側へ置いて、対立するものをそこに置きざりにするすることがない。自己意識をともなった自由はかえって、対立するものと和解している