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今日の運行で今年のばんえつ物語号の通常運行が終了したようですね。今年は最後の一ヶ月の運行は2014年以来だという門デフでの運行となりましたので、訪れる方も多かったことでしょう。当初心配された途中での門デフ打ち切りということも無く、無事に完走できて何よりでした。ひとえに良識のあるファンの皆さんのお陰だと思いますね。あと残すところは来週のクリスマストレインの運行のみとなりましたが、雪予報が出てますが天候のほうはどうなんでしょうか?自分自身の今年の後半戦撮影は8月末にやまぐち号
とき(現美新幹線)E3系R19浦佐にて車内はだいぶ混んでいたがデッキは空いているE3系R19・E4系P19・E2系J70?新潟にてSLが新潟に来なくなってからSLリレーという列車が運行されているE129系B5快速SLリレー快速SLばんえつ物語号C57-180+12系改7B見るだけでよかったのですがせっかく新津まで来たので1区間だけ乗りました五泉にて折り返しの新津行と交換しますC57は門デフか新津~新発田の羽越本線ルートはまだ未完乗でしたGV-E40
コロナ禍の2020年、各地のSL運行も春から休止を余儀なくされた。コロナ感染が落ち着いたタイミングで運行が始まり、ファンを喜ばせた。しかし、これで「良かった、良かった」では済まされない。鉄道各社とも大幅な赤字決算である。たとえコロナが収束しても、リモート普及により人の移動の減少傾向は続くであろう。つまり、鉄道会社の経営基盤である鉄道事業本体の収益は先細る。これは何を意味するか。収益に結びつかない事業は見切りをつける経営判断を迫られる。SL運行が真っ先にそのリストに上がるのは想
黒煙を残して、ばんえつ物語が通り過ぎていきました。昨日は、BSで、六角さんの吞み鉄日本旅が放送され、関東鉄道常総線と真岡鉄道番外編で、水戸線が出ていました。友部のつくり酒屋は全く知りませんでした。今度機会が、あれば行ってみたいです。
2020年9月の磐越西線の撮影記録です有名撮り場での撮影後、もう一か所で撮影を試みますしかし、当初予定していた場所では日が落ちてしまいましたならば、ということで闇鉄を決行!とはいうものの、現地に到着すると日はすっかり落ち、みるみる暗くなってゆきますわずか一か月前には大勢の撮影者でにぎわったこの地も、人っ子一人いませんまぁ、この暗さでは当然なのですが・・・後で調べるとこのあたりでもクマが出没している模様!!暗闇の中で一人列車を待つ心細さと言ったら(笑)ところが、後日ブログもいろい
川に映る機関車。道脇のこの場所、最近、大木が切られて見通しはよくなり、また、撮影キャパも広がり、多くの方が、撮影していました。ただ、後から来た方が、一番下に降りていって、みごとに、入りました。なんだかな!
門デフで飾ったC57を追いかける撮影行。上り最後のポイントは一ノ戸川橋梁に決めた。小布施原の柿と迷ったが、タクシー運転手さんが少し遠回りの道に入ってしまい、時間をロスしたこともある。ここは福島県。新潟の運転手さんだけに致し方ない。言わずと知れた有名撮影地だがこれまで撮ったことがなかった。天気も良いし、青空バックで絵を作れる、という狙いもある。到着すると大盛況であった。鉄道ファンぽくない人も多い。それでも、キャパは十分にあった。橋下に冠雪した飯豊連峰を取り込んだ。青空の下、シゴナナは
1999年蒲原鉄道最後の年の記録になりますばんえつ物語撮影後、五泉に戻ってスナップ撮影を行ったようです多分もうこの後訪問することはないと思って撮影したのでしょうね人影もない(社)五泉駅、これは強烈に印象に残りましたJRのホームからこれはキハ47?40?いづれにせよ、今年まで頑張っていた気動車とモハ31のコラボです今度は(社)五泉ホームに戻りますワンマン運転の確認ミラーとともに車両をこれで、1999年6月の記録は終了ですこの後4か月後に蒲原鉄道線は廃止、阿賀の里に響
野沢の先へと、急ぎます。後ろの建物が煙が薄くて隠れませんでした。線路脇の機材も、こちらは、どうにもなりませんね。
一発目ですでに大満足のばんえつ物語撮影行。追いかけての2本目は、平瀬のアウトカーブをめざし、タクシー運転手さんに伝える。がしかし…。最初の撮影の後片付けに時間がかかり、蒸気機関車C57に追いつくには厳しい時間になってきた。日出谷の先のどこかにするか…。思案している途中、深戸橋梁が視界に入った。クルマを止めるキャパも十分ある。とっさの判断で「○○(運転手名)さん、予定変更でここにします!」。カメラを構えて程なく、SLの汽笛が響く。ここ深戸は煙の確実なポイントと知られる。期待を裏切らない煙
今回はネタが無いので、4年前に友人と3人で快速「SLばんえつ物語」の往復乗車(新潟駅↔会津若松駅)した時の模様を綴らせていただきます。5年前の11月26日は、田端運転所のEF65-1118号機「虹釜」廃車回送が行われた日でした。去年投稿しているので割愛させていただきます。EF65-1118号機への思いを綴った記事『悲運の機関車「EF65-1118」廃車回送から4年・・・』4年前の2015年11月26日に、EF65-1118号機(JR東日本田端運転所所属)の廃車回送が行われました。一般的な
2020年の撮影記録です夕暮れ迫る駅から移動しましたこの次期、もうかなり厳しいのは判っていましたが残照を求め有名撮り場にやってきました現地到着するとこの草ぼうぼうの軌道にびっくり!!まぁ、何とかなるでしょう急いでセッティングしていると、もう出発時間です草をスノープロウで掻き分けてきます(笑)さらにもう一枚流し撮りを試してみましたが、残念、テンダーの台車が隠れてしまいました・・・もう日が落ちてしまいますが、もう一か所と思い移動しますが・・撮影日:2020年
前回紹介した磐越西線、五十母川橋梁を見下ろす蒸気機関車C57のショットは、三脚据え置きのカメラからだが、同時に望遠手持ち縦カットも押さえた。それがこの写真である。本当はこちらも三脚で手堅く構えたかったのだが、先着の方々の隙間にようやく場所を確保した状態で叶わなかった。苦肉の策として、左手にリモートケーブルを人差し指と中指の間に挟み、その2本でVの字を作って、望遠レンズを支え、親指でリモートボタンを押す、という構えでばんえつ物語号を待った。一発目の縦カットは出来るだけ引
初日の第二弾は、高速を降りて、すぐの地点です。高速を降りて、角を曲がると、橋の上には、多くの方が、待っています。隙間の間から、撮影させていただきます。あと少しで、磐越の運行も終わりですね。
とうとう前回遠征した磐西の報告が最終回となります。本来ならもう少し他の場所も撮れる予定だったんですが、最初の回に触れさせていただいた前代未聞のアクシデントのお陰で、初日の往路は今回アップするこの場所へレンタカー屋さんから直行でした。そのおかげで車も停められたし場所も難なく確保できたんですが、やはり返す返すも悔やみきれません。笑初日は往路がこの一発、復路が一ノ戸と津川の夜汽車と計3発だけでした。予定では往路で3ヶ所、復路で2ヶ所の計5発と考えてたので、完全に今回の遠征の出鼻を挫かれまし
1999年ばんえつ物語と蒲原鉄道の撮影記録ですさて返しの下りC57180の撮影の続きですこの当時、所持している機材はマニュアルのフィルムカメラCANONAV-1そしてレンズは当時のFDレンズ35-70mmの標準ズーム1本と135mmの中望遠1本だけ道理で残っている画像が遠いわけですこの時の経験から、ようやく新機種と望遠レンズの購入に至りましたさてその遠い画像(笑)の続きです今はこの角度で撮影する方は居ないのでは?この時もお立ち台に大勢の方がいて、気後れしてこちら側に来たよう
新津のC57180号機に初めて門デフが初めて装着されたのは今から13年前の2007年ですが、その翌年にも新潟DCの一環で装着されたので秋のある日に撮影に行きました。前回記事にした2009年の時とは違いその時は秋晴れの天気に恵まれたので、思い切って線路端の編成写真は止めて風景的に撮ることにします。阿賀野川沿いの小鉄橋を渡るポイントでは幸運にも水鏡を取り入れることに成功しました。次に訪れたのは小生お気に入りの山都の一戸橋梁を真横から見るポイントです。この遠目からのアングルからでは門
一年ぶりに磐越西線へSLに会いにいく。コロナ禍で春から外出自粛がちだった。本格的な撮影行に出るのは本当に久しぶりである。まだ暗い5:15に最寄り駅から電車に乗り、大宮から上越新幹線に。新潟に着いたのは8:13だった。やや寒いが、それほどでもない。きょう(11/22)は天気が良さそうだ。新潟から磐越西線に乗り換え、8:40に新津着。ここから予約していたタクシーを喜多方まで貸し切る。社長決裁の出血価格を提示してくれたので決断したが、地元にカネを落とす、というSL運行の目的にすこしは貢献できるか
このまま感染が拡大すると年末年始も帰れないかも?と思って、この連休は家に帰っておりましたのでブログアップもサボってました。詫今日から再び磐西の報告に戻ります。この三連休でGoToを急遽キャンセルされた方もおられるようですが、連休初日の土曜日に見直すと言われてもどうしようもありませんね。今回の三連休は「混乱するから行かせとこか~。」っていう出来レースですね。お蔭で京都の観光地では緊急事態前から比べて75%UPの人出というじゃないですか。ニュースで見てても行列・密・密・密・おまけに混雑
2020年9月、磐越西線の撮影記録です盆地のストレートでC57180をおさえた後、列車を追いかけます無理なく進むことにして、間に合ったのが夕暮れ時の駅久々にやってきましたがなかなか良い感じです乗客が車両に乗り込み、いよいよ出発です汽笛一斉とともに煙が上がりますこの日は控え目な煙でしたがそれでも十分!少しブッシュが目障りでしたがこの季節ならではの撮影を行うことができました撮影日:2020年9月22日磐越西線8233列車C57180+12系7連
1999年6月の磐越西線の撮影記です蒲原鉄道から磐越西線へ転戦し、ローカルを撮影した場所でC57180を待ちますこの時期ならばまだ明るいうちに撮影可能当時のマニュアル仕様のフィルムカメラではこの時期にしか撮影できないですねいまはデジタルカメラで本当に助かりますさてやってきたC57180m、当時は構図なども考える余裕なく、適当な撮影で終えていますまたまた遠いですね(笑)出発シーンのようですが、ドレインをはいているのはわかりますが何とも・・・そして次のカットはま、同じようなカ
今日は、息子に誘われて新潟駅~福島・会津若松までSLばんえつ物語号で鉄道旅です(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡フォーー!貴婦人と呼ばれる美しい車体が素敵すぎる♡昨夜、上野初の夜行列車ならぬMAXときで新潟へ。↑駅の車内アナウンス、到着メロディ収集が彼の趣味。いわゆる撮り鉄、音鉄ですね鉄道オタクの息子氏との旅。やっぱり偏愛の素晴らしいところは好きだから詳しい!ということろ。展望デッキからの見晴らしがいいよーとか車内からハガキを送れるよ~とか※大阪の下ちび達のおじいちゃん、おばあちゃんに送
2020年9月22日の磐越西線の撮影記録ですストレートでGVを撮影後本命を待ちますとすると、おき三脚の方がようやく現れました撮影位置を確認すると、少し窮屈な撮影になりますできればコスモスを取り入れてみたかったのですが、そちらは満員御礼まぁ、致し方ありません何とかするしかない!と意を決して撮影に臨みますが邪魔ものがどうしても画角に入ってしまいますデジタルの現代なら消せばよいのですが、そんなこともせずありのままに(苦笑)まず1枚目電柱がどうしても入ってしまいますこの時テレ
11/21、今日もばんえつ物語撮影へ行きました。今日はどこで撮ろうか。まずは最初から決めていた喜多方駅へ向かいました。ばんえつ物語は約10分遅れで走行しているとのこと。とりあえずフルーティア撮影で時間をつぶします。フルーティアを撮影していると遠くから貴婦人の汽笛が。汽笛が聞こえるとすぐに列車が入線してきました。まずは東西ジョイフルトレインの並びを。1番線には人がたくさんいました。煙はもちろんスカ。フルーティアがテールランプつけているので本当に交換しているみたいです。(フルーティア:新津行、
1999年蒲原鉄道とばんえつ物語の撮影記です村松駅で撮影後、またまた磐越西線に向かったようです時間は結構あるはずなので、その間どこで何をしていたのか・・・さて返しの下り列車の撮影は1か所で狙ったようです現地には早く着いたようで、津川交換のローカル列車を撮影していました車両は懐かしのキハ58もついています!先頭と中間はキハ40系、つまりこの時代から昨年まで現役で頑張っていたのですね!ホームの右側はまだ田んぼが残っていますこの田んぼも今は休耕地で荒れ果ててしまっているのも何か
こんばんは。はつかり51号です。いつも私のブログへお越しいただきありがとうございます。先週末の11月15日に日帰りで磐越西線へC57を撮りに出かけましたが、いつものように追っかけはせずに往路も復路も1か所のみで撮影を楽しみました。会津若松行きの往路は紅葉がいい具合だったこちらで…手前の踏切で煙も無くなってしまうと思いきやここでもまだ煙が出ていました。この後は、返しの列車まで山の上にある温泉センターで食事と温泉を楽しみました。いわゆる「温泉俯瞰」のポイントから…
すいません。先にモノクロで見せつけられたので、まねしてしまいました。(-_-;)もんデフが強調できた感があります。
2020年9月22日の撮影記録です返しの下り列車はやはり喜多方周辺で狙いますどこで撮影するかと考えましたが久々にストレートへ先客の三脚があったので、少し窮屈な画角になりました持ち主が居ればアングルを確認できるのですが列車通過直前になってもお見えになりませんやむなく、こんな構図で先行のGVをおさえました電柱やらなんやらで落ち着かないですねしかし、この後の本命はもっとひどい結果になりました・・・撮影日:2020年9月22日磐越西線
前日の夜、夕飯をとりながら、作戦会議。ビールをぐいぐい飲みながら、明日の集合時間だけは、聞く。(アルコールが足らず、日本酒を買って、部屋へ戻る、ただの酔っ払い)ホテルのロビーに集まり、2日目は、開始。まずは、7-11で腹へ流し込む!最初の撮影ポイントへと移動。(運転士さん、何もできなくてすいません)2時間前には、到着、予想通り、多くの方がスタンバイ!
1999年6月、蒲原鉄道最後の初夏の記録です村松駅での撮影後、沿線へ繰り出したようです五泉(今泉)と村松の間の阿賀の穀倉地帯を単行の電車が行く姿は撮影せずにはいられない被写体でしたこの列車は五泉、村松どちらに向かっていたのでしょうか記録をしていないので、はてさて・・今度は蓮畑の脇を行くモハ41ですこの蓮畑、今でも残存していて、そこに立つと当時の情景が思い浮かびますこのような鉄道そして列車がなくなったのは本当に惜しい限りですが平成の世まで走り続けたことがむしろ