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ごきげんよう皆さま、マンガ大好き脱毛おばさんよ今回読んだのはぬーん先生の『BEARBY』[episode1]BEARBY-ぬーん|少年ジャンプ+コーンフィールド孤児院に新しくやってきたのは、特別なヤミの力を持つヴェンタ一族の生き残り・ノア。フワフワな親友・チャベピーと一緒に、力を狙う邪悪な存在と戦いながら、穏やかで楽しい孤児院ライフを目指す!!shonenjumpplus.com周りにはとうもろこししかないような孤児院にやってきたのは、ニコニコしているけど何だか雰囲
暖かい日、お日さまが当たると気持ちいいね。ハルくん、顔が険しいぞ。ぬーん、と伸びてます。寝顔、寝顔コタツの上、露天風呂的な、にょーん、ソファの上からこんにちは。今日も肉球ピカピカ✨ユリ、だよね。かわいい色。
なんか用?なんか用あるの?ボク、いそがしいんだけど、、ですよね、すみませんジャマしちゃって、、何見てんのかな?なーに見てるのかなぁ、ぬーんてなってるよ。斜めのテルハル、夜は必ずこうなる。撫でてもらうため。あじさい、天然ドライフラワーみたいになってる。暑かったからねぇ。
ご訪問、有り難うございます♡『登場人物』今までのブログはこちら↓エグチ日記主に、私(エグチ)とその周りの人や物をネタにした絵日記です。よろしくお願いします。eguchisan.blog.fc…ameblo.jp今までのブログはこちら↓エグチ日記主に、私(エグチ)とその周りの人や物をネタにした絵日記です。よろしくお願いします。eguchisan.blog.fc2.comさっきから映ってんの私?エグチ日記、過去漫画↓いつもありがとう私の自慢なのに..
テルとマットなんか落ちてる、ここはボクのだ模様が気になる、そして彼はどこかに走っていったのだった。テルと急須お似合いですよぬーん、ハルくん、おヒゲがうねってる?2021年5月のテルハル一才前かなまだ小さめ、やってることはおんなじだねぇ近くで工事中これ色々あるけど、亀さんは初めて見たかな大きな音がするとハルくんがちょっと怖がるまあ、すぐ寝るけど
↓昨日のブログです。『ぬーん今〜妹が感じた恐怖と悲しみ②〜』↓昨日のブログです。『ぬーん今〜妹が感じた恐怖と悲しみ①〜』今から5年前に妹は、昨日ブログに書いたように兄が統合失調症で緊急入院する前から1年間にどんなこ…ameblo.jp昨日の続きを書きます。兄は父に激怒されてから静かになりました。独り言も聞こえてきませんでした。妹は、兄がやっと妹の苦しみを理解してくれたのだと思い、安堵しました。でも、夜中になり、妹が寝ていると部屋のドアがものすごい勢いで開きました。びっくり
↓昨日のブログです。『ぬーん今〜妹が感じた恐怖と悲しみ①〜』今から5年前に妹は、昨日ブログに書いたように兄が統合失調症で緊急入院する前から1年間にどんなことがあったか話してくれました。その話を書きたいと思います。『ぬ…ameblo.jp昨日の続きを書きます。夜中に兄が妹の部屋との壁を殴ったり蹴ったりして、妹は恐怖を感じました。なんとか朝になり、母に伝えると、母は兄の部屋に様子を見に行きました。すると兄は高熱がでていたようで、母はお兄ちゃんは熱が出て辛かったから、体を動かして
今から5年前に妹は、昨日ブログに書いたように兄が統合失調症で緊急入院する前から1年間にどんなことがあったか話してくれました。その話を書きたいと思います。『ぬーん大学2年〜兄が倒れた日〜』私が何か言いかけた時、妹が私を手招きした。お姉ちゃん、ちょっと来て。妹の声は暗かった。お兄ちゃんおかしいのに、お父さんもお母さんも気にしてないの?信じられない…ameblo.jp兄は大学で数人の意地悪い男女に笑い者にされ続けて、耐えきれなくなって講義中に机を投げてしまいました。その日から、一浪
今日は夫への愚痴を書きます。苦手な方は閉じてくださいね。今日は、次女の電子ピアノが届く日でした。私は小学生から7年ほど、ピアノを習っていたのですが、楽しかったのは最初だけであとはひたすら苦痛でした。母とピアノの先生が知り合いだったので、私が辞めたいと言っていいのかわかりませんでした。そのせいで、母が嫌な思いをしてしまうかもしれないと思っていたからです。ピアノを習うことにいい思い出がなかったので娘達には特に勧めたりはしませんでした。長女は全く興味がありませんでした。次女は
リビングでテレビを見ながらダラダラしていると兄が来た。父と母は祖父(母の父)と朝からゴルフに出かけていなかった。毎週末行っているようだった。兄が大学はどう?と話しかけてきた。うん、まぁまぁだよ。お兄ちゃんは大学に復学しないの?と聞くとしばらく黙っていた。そして、俺はもう大学には戻れない。俺ね、講義中に机を投げたんだ…え!!机?なんで?兄の手が震えていた。俺のことをちらちら見てる奴らがいたんだ。男と女のグループ。時々は挨拶もしてきてさ。それで、俺思ったんだ
私は、ゼミといくつかの科目の単位をとることができた。4年間で大学を卒業できる可能性を残した。心からほっとした。同じゼミの人達にパニック障害であると公表したことがよかったかはわからなかったが、あの時の咄嗟の自分の判断を信じようと思った。春休みになって、私は7ヶ月ぶりに実家に帰った。パニック障害の症状がなくなったわけではなかったけれど、気分は少し明るかった。兄は夏休みから大学を休学していた。兄は実家でゆっくりしているよと母からは聞いていた。兄は、普通に暮らしていた。夏
昨日、パニック障害を乗り越えた日というブログを書きました。でも、人前で話せたからと言って、治ったというわけではありませんでした。ただ、人前で話せたことはすごく自信になったので、他のことにもチャレンジしやすくはなりました。パニック障害の時は、常に息が苦しくて、呼吸がちゃんとできているのかよくわかりませんでした。それ以前はどうやって呼吸していたのかな…といつも考えていました。テレビで海に潜っている人を見るだけで息が苦しくなりました。刑事ドラマで口をガムテープで塞がれている
久しぶりにゼミに出たから、他の人からチラチラと見られていた。久しぶり!と話しかけてくれる人もいたけど、それぞれが仲がいい人のところに戻っていった。私は1人で1番後ろの席に座った。私の前に3人がプレゼンをした。参考文献や資料の量が私とは桁違いで恥ずかしくなった。このプレゼンは1年間ゼミで学んだことの集大成なんだとこの時初めて知った。でもやるしかなかった。資料を配る手が震えた。パソコンを触る手が震えた。原稿を持つ手が震えた。なかなか始めない私に、少し教室がザワザワし
以前、母から電話があり、真珠のアクセサリーを買ってあげたい。と言われました。来年、長女が小学校を卒業し、中学校に入学するので、卒業式や入学式には価値のある真珠のアクセサリーを身につけた方がいいとのことでした。もうすでに買う店は母が決めていて、その店のカタログから好みの物を選んで欲しいと言われました。ありがたいことだと思いました。母には感謝を伝えました。カタログを見ると、思っていたよりも高価で数年に1度だけしか身につけないのに、本当に必要なのか…と不安になりました。良
冬休みが明けて、私は全てのレポートを大学の教務課に提出した。あとは、ゼミのプレゼンだけだった。ゼミの単位がとれれば、4年間で卒業することに望みが繋がると思った。心療内科の黒田先生に診察のついでに相談してみた。先生は、プレゼンできるよ。やりたいと思っているなら挑戦してみた方がいい。と言った。確かにそうだと思った。したくないや本当にできないと思っていたら悩んだりしない。したいしできる可能性があるから悩むのだろうと思った。プレゼンの1週間前から緊張で食事が喉を通らな
母が電話に出てもう電車に乗ったの?と聞いた。私は息を吐いた。ううん、まだ。えっ?何してるの?母の声に苛立ちを感じた。私の手は震えた。悟られないように普段通りの落ち着いた声で答えた。大きな駅には着いたんだけど、頭痛と寒気があるんだよね。このまま帰っても風邪をひいていたら何もできないし、皆んなにうつしちゃうと大変だよね?ちょっと今日は様子を見ようかな。母は、えっ?と言った。母は、私の精神的な辛さには全く無頓着で私が少しでもそれを表すと怒りや苛立ちを露わにした。
私が黙っていると、いいおばちゃんだったもんね。悲しいね。と母が泣いた。母は私に昔から事あるごとに叔母のことを愚痴っていたから、てっきり叔母のことが嫌いなのかと思っていた。でもそうではなかったのか…と驚いた。私は明日、実家に帰るよ。と言って電話切った。朝になって支度をして、特急電車に乗れる大きな駅まで行った。今回は息苦しさで何度も降りたりすることはなかった。すごく寒い日でめずらしく雪が降っていて、特急電車のダイヤが乱れていた。私は自由席券を買ってベンチに座って、
私が大学1年の時に叔母(母の姉)が自ら命を絶ちました。母は、三姉妹の末っ子です。長女は聡子おばちゃん。次女は陽子おばちゃん。三女が母です。長女の聡子おばちゃんが命を絶ちました。母の実家は、元々資産家でその資産を元に祖父が一代で大きな会社を築き上げました。聡子おばちゃんは跡取りとして特別に育てられました。優秀で海外の大学を卒業しましたが、社会に出ることなく婿養子を迎え、主婦をしていました。よく留学生のホストマザーを引き受けていて、英語が話せる知的な人だと思っていました
私は、心療内科に行った日からこれからは外に出るんだ!と心に決めた。病名を診断されても、薬を飲んでもすぐに治らないのなら、苦手になってしまったことをひとつずつ克服していくしか道はないと思った。それが唯一の治る方法で希望だった。今日はスーパーに行くとか本屋とかユニクロとかスタバとか決めて、タオルで口を抑えながら行った。息苦しくて何も買わずに帰る日もあれば、希望のものを購入したり、店員さんと話せる日もあった。時々は家から出るのも家の中にいるのも息が苦しく吐き気がして、ベラン
今日は、ちょっと取り乱してしまいました。私は、なるべくですが…娘達の意思を尊重して子育てをしているつもりです。あくまでも私なりにです…でも、どうしても譲れないことがあり、時々娘達に強く指摘してしまい、それを聞き入れない娘達にあーーーっ!!!と抑えきれない怒りを感じてしまいます。私の口調や仕草で、娘達は私の激しい怒りを感じとってしまい、イライラしたり、しょんぼりしたりしています。後になって、なんであんなに強く言ってしまったのか…激しい怒りを感じる必要があったのか…と
昨日の続きを書きます。昨日のブログ『ぬーん今〜最近気づいた本当の気持ち〜』パニック障害になった大学1年生を振り返っていると、なんか泣けました。だって、早く治そうと必死だったから。何軒も病院に行って、病状を説明して薬もらって、肩を落と…ameblo.jp私は小さい頃から、母はいつか私を理解してくれて、全て受け入れてくれて、ぎゅーっと抱きしめてくれるのではないかという願望を抱いていました。寂しい思いをさせてごめんね。お母さん全てわかったからね。と言ってくれると夢見ていた気がします
パニック障害になった大学1年生を振り返っていると、なんか泣けました。だって、早く治そうと必死だったから。何軒も病院に行って、病状を説明して薬もらって、肩を落として歩いて帰る。そんな19歳の私が目に浮かびました。なぜ早く治したかったのかと考えると、もちろん毎日症状が辛かったというのがあります。どんな時も息が苦しくて、どこに行くのも不安と恐怖と戦わなくてはならなくて、いつどこにいても気が休まらなかったです。ずっと神経が張り詰めている感じでした。一刻も早くこの状況から抜け出し
私は予約した心療内科に歩いて行った。電車に乗れば7.8分で着くが、乗るのがやっぱり怖かった。ビルの4階部分が病院になっていて、待合室には誰もいなかった。清潔で少し薄暗く、小さな波の音が聞こえていた。受付をして問診票を書いていると、名前を呼ばれた。診察室に入ると40代の優しそうな医師がいた。黒田です。とにっこり笑った。私は大学で息ができなくなって苦しかったことや電車に乗れないことや人がたくさんいる所が不安だと話した。黒田先生は、パソコンに打ち込んだりしないで、私の見て
帰る時に母が駅まで見送ってくれた。私は母が手を振っている間は、にこにこして手を振りかえしたが、母が見えなくなるとトイレに駆け込んで嘔吐した。妹を見捨てたような気がしていた。それでも、早くパニック障害をなおさないといけないと思った。何度か途中下車をしてたどり着いた自宅はきちんと片付けられていて、なんだかほっとした。私は、通院する精神科を変えようと思った。もっと信頼できる精神科医がいるはずで、その医師が私を直してくれるんじゃないかと期待した。まだ家にパソコンがなかったから
3.4日したら、兄の体の揺れはなくなった。母は、ほら!疲れてただけだったでしょう?余計なことを言うのはやめなさい。と私に言った。でも、兄は独り言をぶつぶつと言っていて、その内容が、俺は誰かに見張られているとか誰かが家に入ってくるとか妨害電波があるとか今までに兄が話したこともない内容だった。やっぱり精神の病気なのではないか…と思ったが、私が精神科に通っていて、その時の患者さんと似ているとも言えないし、どんな風に母に話せばいいのか頭を抱えた。母は、兄が病気だとは絶対に受
実家に着くと、父がおかえり。と言った。妹は、一瞬戸惑った表情をして、お姉ちゃん、久しぶり。と言った。兄を見ると、兄は揺れていた。上半身が大きく円を描くように揺れていた。左手に持っているお椀から、味噌汁か床にピチャピチャと溢れていた。えっ?味噌汁が溢れてるよ!!お兄ちゃん!?止まれないの?自分の意思じゃないの?どうしたの??私はかなり動揺した。先日行った精神科に無意識で揺れている人がいて、それと同じなんじゃないか?と思った。お母さん!!病院に行った方がいい
精神科で新たに処方された薬を飲んでも大した変化はなかった。少し頭がぼーっとするかな?という程度だった。でも、この薬を飲んで実家に帰るしかないと思った。帰らなければ、母がなんて言ってくるだろうと怖かった。お盆は親戚の集まりや墓参りをしなくてはならないのに、帰らないなんて許されないと思った。私は何駅かは歩いて、普通電車に乗り、息苦しさや緊張感から何度も途中下車しながら特急電車が乗れる大きな駅に辿り着いた。特急電車は空いていた。不思議と特急電車では緊張感が減った。息苦し
私は家に帰ってすぐに、精神科で処方された薬を飲んだ。劇的に良くなったりしないかな…と希望を抱いていたが、別に変化はなかった。1週間、2週間と飲み続けたが、何も変わらなかった。ずっと息苦しさがあり、週1に行くコンビニも辛かった。また息ができなくなったらどうしようという激しい恐怖が1日に何度も何度も襲ってきた。だめなのか…意を決して精神科に行ったけど、すぐに治るものではないのか…とがっかりした。医師が言っていたパニック障害という病気を調べようと思っても、パニック障害と考え
しばらくして、私は大学のカウンセラーから紹介された精神科の病院に歩いて行った。一軒家の一角が病院になっており、奥は医師の自宅になっているようだった。中に入るとたくさんの人が待っていた。ソファがいくつもあり、横になっている人が多かった。穏やかな雰囲気ではなく、どんよりとした薄暗い雰囲気だった。私は受付をして、すみの椅子に座った。2時間程して、やっと呼ばれて、診察室に入った。そこには40代の男性医師がいた。私をチラッと見て、どうしましたか?と聞いた。私が答えると、それをパソ
2ヶ月が経った頃、私はずっとこのままなのか…私はどうなるんだろう…という恐怖心が大きくなって眠れなくなった。私にとって、1番の恐怖は、大学を退学して実家に帰るということだった。大学生でなくなった私に一体何の価値があるのだろうかと思った。父や母に嫌悪されながら、小さくなって、引きこもって生きるなんて…もうこの世の終わりな気がした。母は、がっかりするだろう。兄のことだけでも大変なのに、私が大学を辞めて帰ったら、どう思うのだろう。しかも、外に出ると息苦しさと吐き気がある