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なんば花月。今ではスマートな芸人が増えてきて、「見た目」で笑わす芸人が減りました。ポスターをよく見ると。既に亡くなった芸人が多いな。坂田利夫さん、体調戻ったかな?またテレビ出てね。キー坊は元気過ぎるなぁ~
なんば花月の合間に久々に重亭さん行ったらまさかのやすみ…😱残念だった〜😭今回配信のYouTube『モモコ新聞』は、2週に1度のルーティンの毛染めです。今回はビゲンクリームトーン3G編です
昭和60年1月31日、なんば花月特別興行のチラシ。昭和55年頃から始まったと思われる、31日の特別興行も漫才ブームの終焉と共に、徐々にその企画も普段の興行と変わらないものとなっていき、昭和61年には終わってしまいます。観客側にしてもよほどの特別豪華なメンバーでない限り、平日にはなかなか足が向かず、特に団体客なんてそんなことは気にしてなかったと思います。「バラエティー」と称した演芸メンバーは1月下席ほぼそのままで、桂小文枝、チャンバラトリオ、コメディ№1、大木こだま・ひびき、桂小枝。
おはようございます☁いつもありがとうございます実は私こう見えて←いや見えてないし大都会大阪市内出身でございます🏙今でこそ、田舎に引っ込んでますがミナミ(難波)やキタ(梅田)へなんざちょちょいのちょい(死語)🚃関西人あるあるでお笑いの聖地にもしょっ中足を運び慣れ親しんできました👇みなさんお若い←当たり前やろ残念ながら幾人かの方は他界されております逆に花のお江戸は昭和45年辺りの風景らしいですが映画館激戦区だったんで
なんば花月へ行ったけど〜すべての時間が満員御礼そこから海遊館へここも大行列で断念ここからあべのハルカスへ〆は焼肉で
2月11日って土曜日♪いつも味園ビルで開催されてる「20世紀まんが商店街」は日曜日が多かったのに珍しいなぁ、と思ったら祭日だったのでした。今回はmixiの歌ウマさんお二人といっしょに行くことにしました。二人とも神戸市民。私は京都市民、いっしょに迷おう!というミナミの一日です。まずは11時に御堂筋線の改札前で待ち合わせてランチのお店をめざします。高島屋前のあたりが歩行者天国になってました。信号機もお休み中。なんば南海通りを通り抜けます。通り抜けたら味園があり
2月5日日曜日〜その14デザートに、持ち帰った回転焼き、アメリカンコーヒー。(写真)昨年11月28日、渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで開かれた『吉本興業110周年感謝の日』。私が所蔵する旧なんば花月のメクリが会場に展示されましたが、当日のお土産として配られた、社食人気No.1よしもとカレーを、東京本社出版事業部の新井治氏が送ってくれました。
今日はめちゃ良い天気☀️1月下旬から1月いっぱい我が家…旦那と娘とお義母さんがコロナ陽性となり私は濃厚接触者で自宅待機をしてました常日頃家事をお義母さんに甘えている事がほとんどだったので、7日間が…まぁ!!!大変(✘д✘๑;)³₃改めてお義母さんには感謝したよね~みんな復活をし娘が急に「お笑いライブと新喜劇が見たい!」と言い昨日なぜか急に大阪へ٩(ᐖ)وレッツラゴー!!朝が非常にはやかった☀️*゚6時には出発まだ日の出前だったから…外は真っ暗途中まで
今年のお正月になんばグランド花月にお笑いを見に行って思ったこと。あのベタな演芸場にはオズワルドは少しそぐわない感じで、ミキはめちゃハマっていて伸び伸びと楽しげに見えた。アインシュタインは、思ったよりずっと芸能人オーラのようなものがあり、あ〜コンスタントにテレビに出てる人ってこういう感じになるのかと思った。往生際悪しマフラーの真っ赤(このみ)
1月25日水曜日〜その10飲料は、カルシウムの多いミルク、KAGOMEつぶより野菜、ジューサーミキサー製の信州松川のりんごジュース、松谷化学工業希少糖含有シロップレアシュガースウイートを加えたNIRGILI紅茶。かの蜂国産蜂蜜槐を口に含む。(写真)昨日、南海ホークスで活躍された門田博光さんの訃報が届きました。初対面は、高校野球連盟で評議員を務めた親戚の奥田裕一郎さん宅。通夜の席でご紹介を頂き、縁側でお話をした事を思い出します。そして、S57年12月19日、旧なんば花月で開催された『
1月12日木曜日〜その9(写真)旧なんば花月の閉館の折に、私が持ち帰った四十枚のメクリから、初代京山幸枝若名人の一枚を取り出しての記念撮影。(写真)幸枝若名人は、若き時代に花月の舞台に出られた事があったと聞きましたが、私が吉本に入ってからは、S61年1月下席(21日〜30日)と10月上席(1日〜10日)の二度の出演が有りました。其の時に使用されたメクリです。10月上席は、立川談志師匠が客席ヘまわって上岡龍太郎師匠と聴いておられるのを目撃しています。
出なかった!昔、成人の日に、普通になんば花月に行って、爆笑してた!
1/7(土)言っても詮ないことですが、宙組バウ公演が中止となりぽっかり時間ができました。出かける前日のことでしたし、花組観劇の予定もあったので、とにかく宝塚には向かい、幸い花組はぶじに観劇が叶いました。さて翌日7日はどうするか?娘と相談し、解散してそれぞれ好きなことをやることに。帰りの新幹線の座席で落ち合うという事で、チェックアウト前に別れました。実は昨晩は、息子の部活友達のお母さんが大阪に引っ越したことを3日ほど前に年賀状の不着から知り、メールのやり取りをして、会う約束ができて晩ごは
1月5日木曜日〜その3林真理子著『美女の魔界退治』を読む。P207に、バブル期に原宿、青山を席巻していたファッションブランドのパーソンズの事が記されている。(写真)私も着てました。これは、S59年12月下席(21日〜30日)旧なんば花月の正面玄関にて。21歳。月に10日間、劇場に出ていた時代。懐かしいジャケット。
今日はUSJお天気は風がふくとちょっと肌寒いですが…ランチはロコモコ締めは、ハリー・ポッターそして夜はたこ焼き三昧さあ明日は最終日なんば花月で大笑い🤣するぞオフィシャルホテルから
1月1日日曜日〜その11(写真)やはり、絵画と同じで額縁的な枠があれば引き立ちます。S55年8月中席(11日〜20日)旧なんば花月で初舞台を踏んだ時のメクリを入れています。17歳。浪曲河内音頭という肩書でした。4日掲載のスポーツニッポン連載「菊水丸店主珍宝堂」原稿はメクリと枠について書いています。
1月1日日曜日〜その10直ぐに家戻り。(写真)昨年11月28日、東京都渋谷区のセルリアンタワー東急ホテルで開催された『吉本興業110周年感謝の日記念イベント』。その際、旧なんば花月のメクリを貸し出しました。会場では、巨大な舞台セットと共にメクリの枠も再現され大好評を得たのです。返却の際、セットの縦横を寸断加工した枠が、メクリと共に我が家へ戻ってきた事は、此のブログに書きましたが、駐車場入口に飾って有ります。シャッターが舞台の幕ですな。
12月31日土曜日〜その10スポーツニッポン連載「菊水丸店主珍宝堂」原稿を打つ。18時45分、地下資料室へ降りる。(写真)新春の原稿は、旧なんば花月のメクリについて書きました。完成。推敲。19時15分送信。夕食。献立は、年越しニシンそば、門真れんこんもち、とろろ、ゆでブロッコリー。デザートに、六花亭サクサクカプチーノ霜だたみ、アメリカンコーヒー。『紅白』〜『ゆく年くる年』を見る。
「遅なった今年中には帰りたい」大阪からの帰り道。コテコテでありながら、細部をしっかりおさえた笑い。マジ思った。これからはミサイルじゃない、「笑いが地球を救う❣️」〜楽気!大晦日〜
12月31日土曜日〜その4豊田勇造著『歌旅日記ジャマイカ−東京』を読む。P214には、鳥取県米子市の皆生温泉街の昼の景色のスケッチが出てくる。(写真)S63年2月15日〜16日、私を吉本興業へ入れて下さった、旧なんば花月の支配人だった左から3人目の吉本勝彦さんと皆生温泉の菊水本館に宿泊。旅館の皆さんと、雪の舞い散る中での記念撮影。私は最高に太っていました。今よりプラス15キロ。
昭和57年4月の花月三館の予告です。●なんば花月上席では幸朗・幸子、由紀子・幸司、大助・花子と夫婦漫才三組が揃う予定でしたが、残念ながら人生幸朗が3月4日に死去したので叶いませんでした。吉本新喜劇は桑原和男と京都の船場太郎が入れ替わり、木村進、岡八郎で檀上茂作・演出「紙ふうせん」。中席はやすし・きよしの代演で阪神・巨人。吉本新喜劇は三原和人作・演出の「どんでんがえし」で、花紀京、原哲男、船場太郎が出演。下席は阪神・巨人、紳助・竜介。吉本新喜劇は「大阪のブッシュマン」(作・演出
今年も残すところあと少しクリスマス目前の梅田駅界隈もキラキラしてます梅田阪急前もキラキラそんなキラキラを横目?上目?に見ながら向かった先は久しぶりの難波新喜劇座員の前田まみちゃん出演の「コメディ花月高校野球部」のチケット購入に前田まみちゃんから、チケットとそして梅田のイルミネーションに勝るとも劣らないまみちゃんのキラキラ笑顔いただきました‼️「コメディ花月高校野球部」の舞台、そこでのサプライズもあるかもって事でワクワク。その後も楽しい企画があるとの事で来年の活躍に期待しており
ミュージカルえんとつ町のプペル大阪公演へ行きました✨ミュージカルを生でみたのははじめてでした。イエスシアターなんば花月は何処にあるやら、早く大阪に到着してまずは宿ホテルに荷物を置いて出たのにも関わらず、迷い迷ってほんまにどんくさい私😂っていうのも、早く地下鉄に乗って難波駅に着いてたのに5分位遅れちゃって。って言うのもめっちゃ私が方向音痴だったこと東京公演はYouTubeでしか拝見してないから、素人の私にはミュージカルってこんな感じなんだろうと、生だと凄い迫力があり、盛り上がったミュージ
12月17日土曜日〜その7先日、河内音頭記念館で収録した『第98回河内音頭セミナー〜今から40年前24時間マラソン河内音頭に挑戦した噺家桂文福さんご登場!!』の一般公開が始まりました。記念館のホームページから御覧下さい。(写真)これは、S60年9月上席(1日〜10日)のなんば花月「ショートショート」でご一緒した折の劇場正面入口でのツーショット。
12月13日火曜日〜その12雑事少々。18時、吉本興業総務本部小谷洋介さんと大道具・小道具のすくらんぶるさんが御来訪。(写真)先月22日以来、旧なんば花月のメクリが、セルリアンタワー東急ホテルでの『吉本興業110周年感謝の日』の展示を終えて、21日振りに我が家ヘ戻って来ました。すくらんぶるさんにより、復元した昔の花月の舞台セットの上下と左右を切り落として、加工した枠を付けての返却に感激。
前回のチラシの裏面で、なんば花月昭和51年1月中席の予告。「新春二の替り」という言葉も使わなくなりましたね。やすし・きよし、桂三枝よりも三人奴の方が看板が上ですね。林家小染、かける・めぐるなど、正月中席はまだ豪華番組です。竹本浩三構成の「津軽民謡特集」では、「素人名人会」の審査員だった京極利則が出演。こういう民謡企画や天津竜子舞踊劇団は退屈やったなぁ・・・。吉本新喜劇は人気絶頂の木村進、間寛平の二枚看板に、お馴染み平参平と片岡あや子の組み合わせ。
昭和51年正月のなんば花月です。さすがは正月で、幸朗・幸子、笑福亭仁鶴、コメディ№1、チャンバラトリオと豪華メンバーを揃えてます。政治放談として横山ノックも出演。落語二題で月亭八方と桂きん枝。トップにはB&Bで、洋八が三代目の相方として前年9月に結成。ポケット・ミュージカルスはなしで、林会長お気に入りの天津竜子舞踊劇団。吉本新喜劇は檀上茂作・演出「たつのおとしご」。谷しげる、伴大吾が座長で専科は岡八郎と阿吾十朗。阿吾さんはこのあとすぐに専科から副座長に降格となり、阿
12月5日月曜日〜その11(写真提供河内音頭記念館・撮影石田裕二さん)S59年10月29日、旧なんば花月特別興行『和歌山のエンカイティナー桂文福大会おいやんの笑いのカタログ』にゲストで出演した際の話で盛り上がった次第です。(写真)大入満員でした。(写真提供河内音頭記念館・撮影石田裕二さん)文福兄さんとゆっくりとお話をしたのは、30数年振り。19歳〜22歳の若手時代に戻ったような90分間は、実に濃かったなぁ…。19時半、終了。
12月5日月曜日〜その10(写真提供河内音頭記念館・撮影)石田裕二さん次に、S58年7月23日、旧なんば花月で収録した朝日放送テレビ『日曜笑劇場あっちこっち丁稚』。私が河内音頭の名人の役、文福兄さんがチンピラ役で出演。二人の失敗談について、記憶を掘り起こして記録となす。(写真)しかし、豪華なメンバーですな。
12月5日月曜日〜その9続いて、テレビ番組で文福兄さんが歌う河内音頭のギターを受け持った話となる。(写真)これは、S58年1月3日、フジテレビと関西テレビの二元中継の生放送『第11回日本放送演芸大賞』。ホープ賞を受賞した文福兄さんのギターを弾く私。(写真提供河内音頭記念館・撮影)石田裕二さんS60年7月29日、旧なんば花月で収録した朝日放送テレビ『さんまの駐在さん』。(写真)貴重な台本です。其の理由は、昨年7月13日のブログに記しています。