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『一匁の一助さん』一、一匁の一助さん一の字が嫌いで一万一千一百石一斗一斗一斗豆お倉に納めて二匁に渡した二、二匁の二助さん二の字が嫌いで二万二千二百石二斗二斗二斗豆お倉に納めて三匁に渡した三、三匁の三助さん三の字が嫌いで三万三千三百石三斗三斗三斗豆お倉に納めて四匁に渡した・・・【手毬歌】◇まりつき遊び🔴いくつつけるか一匁から始めて十匁を目指すみたいですね全国に広まり地域によって一匁が一丁目になったり一百石が一百億だ
葉の枯れが気になる落花生★落花生茹で落花生を目的に、初めて栽培しています。落花生の記事をアップしている方がいて、収穫について調べてみました。茹でて食べるなら、そろそろ収穫しても良い時期だとか。枯れたり、虫食いが多い方です。これで1株分💦こちらは最初にプランターで育てていましたが、広がり過ぎて、畑へ移植した分です。そして、菜園の入り口の落花生こちらは4株分↓カエルやバッタがよく行き来しています落花生の一部試し掘り小さいのも大きいのもあります。うーん週末に、一部を収穫してみよ
こんにちは♪みよしピアノ教室です。5月22日我孫子駅前カフェ「すみれ88」で行われるうたぱれっと「みんなで楽しく歌いましょう」の5月の歌をご紹介します。第10曲目は「あんたがたどこさ(わらべうた)」です。この曲は、わらべうたの中の手鞠歌のひとつで、正式な題名は「肥後手まり唄」です。みなさんで童心にかえって一緒に歌いましょう♪🎶みんなで楽しく歌いましょう🎶『【我孫子市】うたぱれっと「みんなで楽しく歌いましょう」ご案内~5月~』こんにちは♪みよしピアノ教室です。我孫子駅前カフェ「すみれ
高浜虚子の句「手毬唄かなしきことをうつくしく」子供たちが毬(まり)をつきながら手毬唄を歌っている。よく聞くと歌の中身は悲しいものだった。無邪気に歌われる子どもの歌に、人生の悲しみが含まれていた。でもそれが美しく響いたのは、子供の心の純粋さのせいでしょうか。
『手まり歌』作詞〜武内俊子(1905〜1945)一、てんてんてん天神さまのお祭でてんてん手まりを買いましたてんてん手まりはどこでつく梅のお花の下でつく下でつく二、てんてんてん天神さまの石段はだんだんかぞえていくつあるだんだんかぞえて二十段段の数ほどつきましょうつきましょう◇天神祭に梅の花の下で幼い女の子が手まりつきでしょうか。天神様もご家族の皆さんも微笑ましくご覧になられているかと。だんだん数えて二十段。神社の
『一番始めは一の宮』一番始めは一の宮二は日光東照宮三は桜の吉野山四はまた信濃の善光寺五つ出雲の大社(おおやしろ)六つ村々鎮守様七つ成田の不動様八つ大和の法隆寺九つ高野の弘法さん十で東京の泉岳寺【手毬唄・お手玉唄・数え唄】◇この唄聞いたことがあるけれど歌って遊んだことがあるけれどでも・・・「私の知ってるのとちょっと違う」と違う部分が気になってしまう方いらっしゃるかもしれません地域で親しまれている寺社にしたりおおらか
とにかくみてね読んでね!日本人ならば!!!唱歌に童謡わらべ歌もっと古くは手まり歌にあれこれおやじさまが詳しく記載されています!謎かけのような詩遊び詩なのに深い深いこういうの小学校でたくさん取り入れてほしいです!!
No.0259(酬恩庵一休寺)今日のテーマは『馬鹿いっちゃいけねぇ』落語家さんの話や、情報、裏話、落語ににまつわる面白い話を東西に関わらず、紹介したいと思います。会いに行ける江戸のアイドル江戸時代の「手鞠歌(童歌)」に『向う横丁』というのが有ります。日本語倶楽部(部員NO.21)まかななこさんのブログで紹介されてました。『向う横丁』は江戸時代から伝わる古いわらべうた、手鞠歌、お手玉うたとして親しまれました(ᴖ·̫ᴖ)。【⠀歌詞】向う横丁のお稲荷さんへ一
【超悲し・名作】まんが日本昔ばなし「キジも鳴かずば」(高画質)НатаЛу『まんが日本昔ばなし』読み:まんがにっぽんむかしばなし第55話「キジも鳴かずば」出演者市原悦子常田富士男演出🔵まるふしろう文芸🔵沖島勲美術🔵下道文治作画🔵鈴木欽一郎病床の千代はあずきまんまを食べたいとアワの粥ではイヤだと言わなければ弥平は地主の蔵から盗んだりはしなかったしあずきまんまを食べたと唄わなければ弥平は捕らえられ人柱にされずに済みました目先の欲望に
またまた知人からのお土産ですが、なんとワタクシの故郷と同じ区内にある菓子店です。包装紙は・・・たぶん東寺と思われる五重塔や、大文字送り火の山々や、伏見稲荷の鳥居をあしらったような感じのイラストですね!東寺には親近感がわきますよ~~♪お土産はおまんじゅうで、品名は「京の通りゃんせ」となっています。どうやら製造と販売
私は子どもの頃大阪で育ったのだけど、小学生女子の遊びというと、鞠つきかおじゃみ(お手玉)だった鞠つきお手玉と言っても、蹴ったり飛んだりかなりハードなやつだったんだけど、鞠つきの歌が面白くっていちりきらいらいらっきょくってすいすいすいか食ってきゃっきゃっキャベツでほーーーらいというやつ。そして、もう一つの鞠つき歌は多分みんなが知ってるあんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ熊本さ、熊本どこさ、せんばさせんば山には狸がおってさそれを猟師が鉄砲で撃ってさ煮てさ、焼いてさ、食ってさ
叔母は1941年生まれ戦時下で生まれ終戦翌月に4歳なので戦争の頃の記憶も残っている父親は出征しておりその頃住んでいた東京の家周辺も空襲が多く母親と弟と小田原の家で暮らしていたあの牧野信一が住んでいた家で信一の母(叔母の祖母)と一緒に生活叔母の記憶だけで描いた小田原の家子供の頃、MAYママはこの家のお隣に建てた家に暮らしていた昔話に二人で盛り上がる小さい頃の遊びについて話しているうちに「手まり唄」を思い出したらしい今の子供で
『一匁(もんめ)の一助さん』一、一匁の一助さん一の字が嫌いで一万一千一百石一斗一斗一斗豆お倉に納めて二匁に渡した二、二匁の二助さん二の字が嫌いで二万二千二百石ニ斗ニ斗ニ斗豆お倉に納めて三匁に渡した三、三匁の三助さん三の字が嫌いで三万三千三百石三斗三斗三斗豆お倉に納めて四匁に渡した《以下、十匁まで続けていく》【手まりうた】◇「一匁」が「一丁目」になったり「一助さん」が「い助さん」になったり「嫌いで」が「ひらいて」になったり「一百石」が「一
『向う横丁』向う横丁のお稲荷さんへ一銭上げてざっと拝んでお仙の茶屋へ腰をかけたら渋茶を出して渋茶よこよこ横目で見たらば米の団子か土の団子かお団子団子この団子を犬にやろうか猫にやろうかとうとう鳶(とんび)にさらわれた【手まり歌】◇江戸時代生まれの手まり歌♪東京の谷中の笠森稲荷⛩お参りはそこそこにして💦稲荷前にあるお仙さんのお茶屋へGOですね
『お花見手毬唄』作詞〜野口雨情(1882〜1945)一、てんてんお手毬お供して明日は吉野へお花見に一目千本どの木にも花はぱらりと咲きました二、とんとん吉野の山道で一つお供のお手毬は二つお供のお手毬と道にはぐれて帰ります三、ぴんぴんからから啼く鳥はちょいと小枝に飛んで来て春のあけぼの咲く花を啼いて眺めておりました四、てんてんお手毬なぜ帰る海を行くなら舟がある舟はよいよいお手毬を乗せて帆かけて走ります五、とんとん
私の母方の祖母は、1902年(明治35年)8月の生まれ。日露戦争開戦(1904年2月)の1年半前だ。今は、もう日本の遊びから消えてしまった「毬つき遊び」、私が小学校の低学年の頃まで、近所の女の子たちは「毬つき」で遊んでいたことを憶えている。(ウイキより拝借)私は、今でいう「おばあちゃん子」で、小学校に上がる前、いつも祖母の側から離れず、祖母から昔話を聞くのが楽しみだった。その中に、日露戦争を風刺した「尻取り手毬唄」があった。雀
『手まり歌』作詞〜武内俊子(1905〜1945)一、てんてんてん天神さまのお祭でてんてん手まりを買いましたてんてん手まりはどこでつく梅のお花の下でつく下でつくニ、てんてんてん天神さまの石段はだんだんかぞえていくつあるだんだんかぞえて二十段段のかずほどつきましょうつきましょう◇神社には時々訪れますがそういえば石段がある神社には久しく訪れていなかったかもそういえばまりつきはもっと久しくしていなかったかも
本日の更新曲です【オルゴール】あんたがたどこさ/童歌(手鞠歌)https://youtu.be/Jlo41haZNno【オルゴール】CamptownRaces(草競馬)/StephenCollinsFosterhttps://youtu.be/9iu4JAMtwhY雨とかげろう/遊魔【オリジナル】https://youtu.be/KNRDGeV83noJ研時代のフォロワーさんがわざわざ私を探して、あの曲をとリクエストしてくださいました!何かに似て
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『手まり歌』作詞~竹内俊子(1905~1945)一、てんてんてん天神さまのお祭りでてんてん手まりを買いましたてんてん手まりほどこでつく梅のお花の下でつく下でつく二、てんてんてん天神さまの石段はだんだんかぞえていくつあるだんだんかぞえて二十段段のかずほどつきましょうつきましょう◇てん、てん、てん、と手まりつき♪段の数ほど
『一掛け二掛け三掛けて』一掛け二掛け三掛けて四掛け五掛け橋を掛け橋の欄干腰を掛け遥か向うを眺むれば十七八の姉さんが花と線香手に持って姉さん姉さんどこ行くの私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です明治十年戦争に討死なされた父さんのお墓参りをいたしますお墓の前で手を合わせなむあみだぶつ拝みます拝んだ後から魂がふうわりふわりと飛
私の母は、毎日歌を歌います。この歌う様子を人が聴いたらビックリすると思います。今日は、コロナ禍で、家に非常に居る様になった私が、家で気になる事を書きたいと思います。母は家事の間、よく歌っていて、だいたい100年前位の古い歌がほとんどで、もしくは、生まれる前の歌、軍歌、昔話の童謡、戦中戦後の子供が歌う歌、手毬唄、リアルタイムに台所で、こんな歌を唄われる気持ちが分かるでしょうか、、↓軍歌:露営の歌戦友明治軍歌やめろおぉぉぉぉ~その歌はやめてくれー(ヤマ子の心の声)家にい
『一匁(もんめ)の一助さん』あるいは『一丁目の一助さん』一、一匁(一丁目)の一助さん一の字が嫌いで(嫌いじゃ)一万一千一百石(一百億)一斗一斗一斗まの(豆)(一升一合枡)お蔵に納めて(お札を納めて)二匁(二丁目)に渡した二、二匁(二丁目)の二助さん二の字が嫌いで(嫌いじゃ)二万二千二百石(二百億)二斗二斗二斗まの(豆)(二升二合枡)お蔵に納めて(お札を納め
『山寺の和尚(おしょう)さん』(ぽんにゃん節)山寺の和尚さんは毬(まり)がお好きで毬はなし猫を紙袋(かんぶくろ)にへし込んでポンと蹴りゃニャンと鳴くニャンポン其処(そこ)にかわしゃ此処(ここ)にさらば一貫貸しました【わらべうた・手鞠唄】『山寺の和尚さん』作詞~久保田宵二(1899~1947)一、山寺の和尚さんは毬は蹴りたし毬はなし猫を紙袋に押し込んでポンと蹴りゃニャンと鳴くニ
八辻の手毬唄殺人事件case2−2所轄である大瓦警察署に捜査本部が設置され、会議が始まっていた。八辻八重子(99)増田フク(93)山本奈津子(78)真田友蔵(86)他にないので八辻家の面々のスナップが貼られている。ガイシャの身元は不明。小松原の報告八辻八重子とお手伝いの増田フクは当日はずっと家にいて、8時から9時は起きていたか、もしくは寝ていたと言っています。しかしふたりきりだったので証言するものは誰もいません。いらねーだろ・・・。寝てても起きてても、たいして変わらんぞ。
昔々,あるところにタヌキさんが住んでいました。今日10月1日は,中秋の名月,またの名を芋名月と言います。この日になるとタヌキさんは,鉄砲で撃たれた古ダヌキのことを思い出すのです。タヌキさんは,肥後の熊本の生まれです。昔,古ダヌキの家公と武州川越の仙波山に芋を持ってお月見に行った時,猟師に鉄砲で撃たれました。猟師が持っていたのは,こんな鉄砲でした。徳川家康が亡くなった翌年の元和三年に作られた稲富流仕様の鉄砲タヌキさんは,うまく逃げのびましたが,芋を煮ていた古ダヌキの家公
この投稿をInstagramで見る#あんたがたどっこいさ#毎日1つわらべうた..#高遠町のわらべうたで、戦後、高遠小学校の子たちが、この歌で遊んだらしい。私も高遠小学校出身ですが、私が知っているのは、昨日の私が思っているノーマルバージョンの#あんたがたどこさ🏐「あんたがたどっこいさ」は音程も歌詞も、ノーマルバージョンと少し違い、いつ、こうなったのかな~?もしかしたら、まりのつき方も違うのかな~面白いな~😁こんなん考えていたら、興味深すぎて更にわらべうたにハマるわ😆..#長
この投稿をInstagramで見る#あんたがたどこさ#毎日1つわらべうた..ノーマルバージョンなこちら🎵またまた、高遠町バージョンを見つけたので、後でやってみよう💡#あんたがたどこさを知らないこどもたちみたいなタイトルの論文をどこかで見た気がするけど、#あんたがたどこさができないこどもだった次女さん💦長女に邪魔されながらも、できるようになってよかった✨..#長野県#伊那市#高遠町#高遠#音楽教室#ピアノ教室#虹の音楽教室#伊那市習い事#知育#知育遊び
この投稿をInstagramで見る#一里からんらん#毎日1つわらべうた..ばあばに新たな技を教わり、次女が苦戦😅伝承って、こういうことなんだな~..#長野県#伊那市#高遠町#高遠#音楽教室#ピアノ教室#虹の音楽教室#伊那市習い事#知育#知育遊び#知育レッスン#プレピアノ#ピアノレッスン#わらべうた#わらべうたあそび#まりつき#まりつき歌#手まり歌#ボール遊び#伝承#伝承遊び#伝承わらべうた虹の音楽教室(@misayorainbowmus