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去年の八月に映画出演した。人生何が起きるかわからないものである。50歳を越えて映画デビューするとは思いもよらなかった。三味線を弾く日本人を探しているというメールが来たのは去年の6月頃だったと思う。どうしようか迷った。三線は弾くが三味線は弾いたことがない。子供の頃箏を習っていたので、先生が弾く三味線と合奏したことはあるが自信はなかった。そもそも三味線を持っていない。だが、これは直ぐに解決。友人のAさんが三味線を持っていて、快く貸して下さった。相棒は撥弦楽器は何でも直
最近動きのないてぃんさぐプロジェクトである。解散説も流れそうなくらいコンサートをしていないのだがYouTubeに色々動画をアップ中である。5月になったら絶対にあげようねと相棒と話していたのがこの曲である。(74)ERADEMAGGIO-TinsaguProject-YouTubeERADEMAGGIO美しい曲。一番では薔薇の咲く5月になったらきっと戻ってくると約束し、二番ではそれを果たし再会を喜ぶ歌詞は言葉の選び方があまりにも美しく五感
セネガルとイタリアの文化交流センターでご縁があり今年に入って2回コンサートをした。ライブの出来るホールに防音するための基金を集めるお手伝い。楽しいコンサートであった。そして、篠笛奏者の麗しい森田梅泉さんに友情出演して頂いた。しかし太った。7kgくらい増加している。二重あごが全てを語っている。春までに痩せたい。
今回も本当に沢山の方々にお世話になった。私も相棒もイタリアに住んでいるので日本での演奏は全てどなたかの好意のもとに実現する。今回も素晴らしい方々にめぐり逢え素晴らしい経験を沢山した。本当にありがとうございました。イタリアに戻り毎度のことながら直ぐにフル回転。健康でいられることに感謝。
今回最後のコンサートは川越の美味しい和菓子屋さん彩乃果で。https://www.facebook.com/wagashi.ayanoka/店長の小島さんは前回にお向かいの蓮馨寺でチャリティーコンサートをした時にお客様としていらして下さった。そして、川越がわらべ歌「通りゃんせ」発祥の地と教えて下さりご案内までして頂いた。そのご縁での今回。店舗の2Fが喫茶になっており和菓子とお茶が楽しめる空間になっている。限定20名強のお客様ととても楽しい時間を過ごした。チャ
懇意にして頂いている所沢市議会議員の城下のり子さんの取り計らいでヒューマンライツ・ナウの事務所にお邪魔し伊藤和子弁護士とお話をする機会を持てた。http://hrn.or.jp/以下の文が主旨である。ヒューマンライツ・ナウ(HumanRightsNow,HRN)は、日本を本拠とする、日本で初めての国際人権NGOです。世界で今も続く深刻な人権侵害をなくすため、法律家、研究者、ジャーナリスト、市民など、人権分野のプロフェッショナルたちが中心となり、2006年に発足しました。ヒ
毎回来日すると詰め詰めのスケジュールで逢いたい人に逢えない。インタビューのあと、今日ならいけると思い連絡してみると忙しい彼女も偶然大丈夫であった。場所はお互いの間をとって二人とも不案内な池袋へ。彼女とはお互い東日本大震災の為にと思い行動していた時に繋がった。共通点は学年が一緒大女男前で情が深い。直ぐに大好きになった。沢山語って再確認したのは私達のツールは違ってもしたい事が一緒である事。これから何が出来るかこれから何を一緒に出来るかまた楽しみが増えた。
父は大阪の出であるが、小里家は九州にルーツを持つ福井の出、母は青島生まれ、東京の祖母、浜松の祖父の引き上げ先は名古屋であった。私は愛知県生まれである。そして所沢市に8歳から24歳まで住んだ。どこにも所属していない感があるが、故郷は?と尋ねられたら所沢ですと答えるであろう。ご縁あって市議会広報に掲載して頂く為にインタビューを受けた。小一時間かかった最後にこれからの夢はと聞かれ口にしたのは子供と女性が安心して平和に暮らせる世の中になるよう歌で音楽で
12月2日相棒は沖縄で誕生日を迎えた。音楽を愛する素晴らしい人たちにお祝いして頂いた。月桃の葉に盛ったお刺身は美しく美味しいかった。音楽と踊りと美味しい食べ物と飲み物。楽しい会話。次の日もお祝い。そして最終日は疲れた相棒を残して久高島に。神様の降りる島で素敵なお話を頂いた。なびいさんがおっしゃって下さった様に天から頂き、お返しする。そうやって歌っていこうと決心出来た。感謝あるのみ。帰りの飛行機にすわ乗り遅れるところだったが無事東京に帰
沖縄の民謡が大好きである。あの音階がたまらない。素晴らしい旋律に美しい歌詞。もっともっと知りたい。念願の初の沖縄でしたかったことがあった。私達が行って演奏したところで状況は変わらないのは承知である。だが、行動を起こすことが大切だと思う。城下さん、お世話になりました。
那覇でのコンサートはコーヒーハウスぽえむにて。https://coffeehousepoem.ti-da.net/ここでも、ちくちくのパッチワークを背に演奏。アットホームなコンサート。皆さんとても好意的に聴いて下さった。その後しおみさんの友人、仲宗根さんの友人も一緒に夜の那覇へ。飲まず食わずであったので空腹の限界。ここでも語る、歌う、弾く。丈夫な体に生まれて、人と楽しめて本当に幸運である。
加寿子さんと再会を誓い、お別れして那覇へ。空港でギターの件でまた押し問答。一同那覇へ。アーティストの仲宗根浩さんが待っていてくれた。https://www.facebook.com/164nakasone彼の作品の様にとても素敵なひとである。そしてソプラノ歌手の曽根妙子さんの計らいでhttps://www.facebook.com/taeko.soneラジオに出演。夜はライブハウスへ。カフェラウンジKANONに急遽出演することに。感謝である。http:/
今回の会場はこちらであった。https://www.facebook.com/pages/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7class/228699140639679オーナーの前木さんの取り計らいで急遽ラジオにも出演。その後どうしてもどうしても我慢できなくて海に入ってしまった。海は大好きである。見たら入らねば気が済まない。温かい。そして案の定転んで体の全面海の中へ。そして素晴らしい舞台、照明、そして本当に本当に素晴らしい音響の会場でのコンサート。
そして石垣島へ。しおみえりこさんの計らいで3年ぶりの石垣島へ。ハプニングだらけだった前回。お陰で本当に多くの方の力を貸して頂き貴重な体験をした。先ずは成田空港で格安航空券でのフライト。ギターの事ですったもんだした。生きた心地がしない。石垣空港で待っていたのは初対面の竹林加寿子さん。同世代の素敵な歌手。4人でレンタカーに乗りいざ3年前急遽コンサートを開いて下さった珈琲亭へ。嬉しい嬉しい再会であった。
4月に女優の後藤祥子さんの紹介でご縁を頂いたカフェ・アマルフィーに再び。https://www.facebook.com/Cafe-Amarphie-216119168431292/東京のど真ん中にあるのに閑静な場所である。今回はイランの歌中国の歌もプログラムに。オーナーの飯田さんは中国の方。茉莉花を演奏した。喜んで頂けて嬉しい。25年来の友人が小さい赤ちゃんの時から知っている息子さんを連れて来てくれた。もう18歳。またミラノにおいでというと「うん!」と小さい
11月23日まで休む間もなくミラノでの仕事と家事をやっつけて成田に24日に到着した。いつもは実家に世話になるのであるが、今回はこちらでお世話になった。https://www.facebook.com/lalala2015lalala/周りに自然が一杯の不思議な空間である。25日の日曜日急なコンサートであったにもかからわず小さな会場が一杯になるほどの方がいらしてくれた。沖縄のアーティストの仲宗根浩さんの作品に囲まれhttps://www.facebook.com/16
急遽決定した来日。ご縁とは有り難いものでしおみえりこさんが呼んで下さった今回の来日。彼女はできることをできるだけプロジェクトを主催なさっている。https://smtrc.jp/otonamirai/vol16.html東日本大震災で被災した着物、反物を演奏家の舞台衣装にしている。並行してその余った端切れでパッチワークを世界各国の人にしてもらうプロジェクトもしていらっしゃる。ご縁あってミラノでお手伝いさせて頂いた。荻原智子さんの取り計らいで集めてもらったパッチワークを持
先日の日曜日、Novaraというミラノから車で40分のところにある街でコンサートをしてきた。世界の音楽、音のフェスティヴァルという副題が付いていた。いつもの事ながら写真を撮り忘れる私。音楽学校の中のちいさなコンサートホールでの秋の曇りの日曜の穏やかなコンサートだった。観客も中年層の穏やかな人々。満足して頂けたようで沢山の拍手を頂いた。パーカッションから始まって歌いながら楽器を演奏する機会の多いこのプロジェクト。今回最多の楽器を演奏した。妹が以前息子の
クロアツィアのKastavという小さな街でのフェスティヴァルに参加した。イタリア最東トリエステから2時間、スラヴの血と、ヴェネツィア共和国時代の文化がもたらす情熱の郷土。音楽の盛んな地域である。そこで歌う日本民謡。気分は文化大使である。気に入ってもらえるだろうか。結果は大成功。民謡の持つ力は偉大で寛容。猫が沢山いた。お土産まで猫。
ここのところブログを書いていないなと思い、前回を検索するとなんと3か月前、、、。あまりの怠慢に自分でも呆れてしまった。少ない数ではあろうが、読んで下さっている方、ごめんなさい。なので、この失われた3か月に起こった幾つかのイヴェントを思い起こして書き記していこうと思う。8月の後半、ミラノから車で3時間ほど北に向かうとあるValtellina地方での音楽フェスティヴァルに参加してきた。http://www.lealtrenote.org/コンサートとマスタークラスがあり、夫も作曲
ミラノに発つ前日再び可愛い子供たちと共演した。介護付きホーム(介護付き有料老人ホーム)アズハイム練馬ガーデンでのミニコンサートである。http://as-heim.com/blog/news/detail/326/入居の方、そのご家族の方々皆さんと一体となった素敵な時間であった。30年来の友人のKさん、そしてご家族がこちらに入っていらして西海岸からいらしていたKさんこのお二人からも励ましの言葉を頂いた。(後で解ったのだが、Kさんは著名な方であった)そしてちょ
またまた話は前後して。残り2つの日本でのコンサートについて。今回の日本公演で思いっ切りお世話になったよしじゅん。最後のコンサートを彼女と一緒に締めくくれて至福の思いであった。一つ目はご実家でのホームコンサート。相棒の喋ること喋ること、、、。繊細な野生児なので、居心地の良い空間にいると本当にリラックスして楽しそうにしている。コンサートが何時におわったのか何時から飲み始めたのか誰と誰が歌ったのか弾いたのか嬉しくも楽しい混沌の渦。仕事帰りに猛
私にしては珍しい昨日の今日の報告。SpazioNourでhttp://www.spazionour.com/ElisaVendraminの作品のフィニサージュに華を添えるべく小さなコンサートをした。http://www.elisavendramin.co.uk/大好きな空間である。この場所を設立するところから知っているし、Mahmoudとどれくらいここで語り合ったか。何故か異様に盛り上がった。楽しかったし、表現に集中出来た。終了後に残ったスタッフと友
首都圏での3つのコンサートの報告。幼い頃から知っていて、パスティシェであるRさんが地元所沢でコンサートを計らってくれた。体調の悪さを押しての企画、さぞかし大変であっただろう。妹も手を貸してくれた。公演後、市議会議員の末吉さんと。久しぶりに友人のAさん、中高で歴史を教えて下さった恩師もいらしてくれた。都内の喫茶アマルフィー。http://www.amarphie.com/cafe/女優のSさんの取り計らいで、ご紹介いただいた。オーナーの素敵な女性、飯田希亜来さん
とてもとても素敵なコンサートであった。小さな品の良い会場。http://www.lalyre.jp/page2.html音楽を愛する子供達。http://yoshida-music-school.com/otonokakehashi.html温かい保護者の方々と、よしじゅん一家にそして保護者でもあるけいちゃんに手を貸して頂いてハナの物語を子供たちが朗読しつつ曲は進んでいった。子供達の声は相棒のギターの上に遊んだ。夢の様なひとときであった。最後の曲がずっと続いていれば
熊本の人々と名残惜しいお別れをし、東京に向かった。音楽的に今回の一番のお楽しみが待っていた。今年の始めに30年ぶりに再会を果たしたhttps://ameblo.jp/akikokozato/entry-12346412065.html大切な友の指導するこども合唱団との共演である。よしじゅんとは子供の為のオペラで共演した仲。武蔵野音楽大学の付属音楽教室で一緒に勉強した仲である。http://yoshida-music-school.com/otonoheya.html聡明で
小里さんと別れた後親切な方が観光案内して下さると名乗り出て下さったので水前寺公園を案内して頂いた。ある松の木の前でその木のいわれを伺っている辺りからなんとなくそわそわしてしっくりこなかった。だがあまり気にせず美しい桜や、能楽堂を拝見しお茶も頂いた。そして近所にあるご自宅にも案内頂いた。その後朝お願いして時間をずらして頂いたKさんのお宅へ。お加治を初めて拝見した。見ているだけでも心がすっと晴れるような経験であった。相棒の顔つきが美しかった。が、しかし途中
不思議なことが起きた。私は霊感などは強くなく、強い人の近くにいると感じることが出来る程度である。(しかし憑依体質らしい。己の弱さを露呈しているようなものであるから恥ずかしい。)今回の日本滞在は数々のご縁により素晴らしい体験をさせてもらった。そのうち以前イタリアに住んでいたことがあり、現在は在家でいらっしゃる方に逢えた。有難い事に、相棒の壊している肩にお加持をして下さる運びとなった。当日の朝、なんとなくせわしすぎる感覚がしっくり来なくて午前中のお約束を午後に変更させて頂い
私はあまり情のある人間ではないと思う。口では優しくても案外冷たいのかもしれないと思うし、浅く広いおつきあいはするが心を許せる友人は本当に少ない。相棒と音楽以外で口論になるのは私が心を開かない事に業を煮やすからである。だが人の痛みの解る人間になりたいと思っている。解るだけでなく人の為に何かしたい。私の独りよがりではなく誰かの役に社会の役にたちたい。乙女の頃は革命家になりたかった。なんの革命かとつっこまれると答えられないところが本当に浅はかで恥ずかしい記憶であるが
一つ目のコンサートは無事に終了した。大勢の方に嬉しい言葉を頂いたり、ある方は感激してくれて自分でなさっていたブレスレットを一つずつ私と相棒の手にはめて受け取って欲しいとつけて下さった。流石火の国の方は熱い。私には金色の相棒には銀色の。次の日は相棒の体調があまり優れなかったが、益城の仮設住宅を訪問した。言葉にならない。それでも力強く生きる人々に私たちがやって来て演奏する事に意味を感じてくれるだろうか。明日のコンサートが少し不安になった。桜が綺麗であった。