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いつも読んでいただいてありがとうございます。テツヤの成長記で、次の理事会編を書こうと思っていたのですが、今の自分では、当時を振り返った時に、客観的に、フラットに、理事会で起こったことをみてとれません。偏った見方しかできないままで、書いていくのは嫌だし、このブログの意味がなくなると思いました。そういう感じなので、これ以上今は書けないので、成長して書けるようになって、また書きたいと思います。いつになるかわ
2011年10月20日その③僕はどこかで、「よく頑張ったね。仕方ないね。」みたいに言ってもらえるかと思っていたので、最初はすごく嫌な気分になりました。自分としてはこのままおとなしく辞表を出せば、もうすぐこの葛藤から解放されると思っていたからです。この時の僕はそういう状態なので、自分のしんどい思いしかみえず、ビワさんの言ってくれることが理解出来ていませんでした。自分が自分から逃げようとすることは、今まで働いてきた施設や、関わっ
2011年10月20日その②理事会の報告をビワさんにしたら、「自分が辞めるか辞めないかといった結果ではなく、施設に対する責任や思いを、相手がわかってくれるかどうか分からないにしても、自分の生き方を、施設に対する思いを、やりきる生き方をして欲しい。人間関係のしがらみに巻き込まれることなく。施設の運営への思いを、施設に関わる人間としての誠意を、表現すること。人間関係のしがらみが争点になっていて、本質的な、施設としての
2011年10月20日その①前回の理事会の報告を誰に受けたのかわかりませんが、理事会の翌日から父親は、「わしが理事長じゃ!」と施設の中で言って歩くようになりました。そうなるだろうとは僕も思っていましたが、まだ正式に決まった訳ではないので、勝手な行動をとられると困るし、言ってまわることで憶測をよび、スタッフの人達も動揺するので、「まだ決まったわけじゃないけ~勝手なことをされたら困る。」と僕が父親に言うと、「どうせわしが理事長に
2011年10月11日その⑤結局この日の理事会では、次の評議委員会で全員が辞表を出すことが決まりました。辞表を出す事になったのですが、なんとなく他の理事の方達の流れに、押し切られるような感じなってしまいました。でも僕はどこかホッとしていました。辞表を出せば全てから解放されて楽になれるのではないか、そういう思いがありました。理事さんや評議員さん達との話し合い、施設の中での四面楚歌のような気分になっていく自分、母親と力を合わせてやって
2011年10月11日その④それを聞いた僕は、「今の父親は理事さん方が話をするように言ってくださっても、聞く耳を持っていない。理事長になるとワンマンになるのは目にみえている。」と言うと、Aさんが、「父親が話し合いに応じるのが一番だと思う。気持ちはよくわかる。」と言われ、Dさんが、「理事長が自ら身を引くか、議決をとるしかないのではないか。」と言われたので、僕は、「議決をとるならどういう理由ですか?」と聞くと、Dさんが、
2011年10月11日その③この時に僕はひどくショックを受けました。Cさんは施設で働いていたこともあって、父親の言動もみていたし、父親がCさんに怒鳴っていった時もありました。それに僕の話もよく聞いてくれていました。この理事会の前にも色々相談させてもらったりしていて、このまま父親が理事長になると、スタッフさんが大変になるということも言われていました。なので中立的な立場か、あわよくば僕達よりの意見を言ってくれるかもと、期待をしていまし
2011年10月11日その②それからDさんが、「施設を退職された方の問題について、経過を説明して欲しい。」と言われたので、僕は、「辞めた方のミスを、父親は施設内外に言ってまわっていた。また他のスタッフさんがいる場所でも、その方を罵倒したり大声で怒鳴ったりしていた。8月に利用者さんの前でも大声で罵倒し、そのスタッフさんは休むようになったが、父親は無断欠勤をしていると言ってまわっていた。僕はスタッフさんを説得したが、退職す
2011年10月11日その①この日は理事会が行われました。出席者は理事長である母親と僕と他4名の理事の方で、欠席された方はいませんでした。他4名の理事の方は、法律関係に詳しいAさん、医療関係に詳しいBさん、役所のOBの方のCさんとDさんです。BさんとCさんは父親と同級生の方で、Cさんは施設で勤務されていました。今回の議案が僕達家族のことになるので、いつもは理事長である母親が務めていた議長を、Dさんがやることになりました。
2011年10月10日その②僕は今までは何だったんだろうと思い、落ち込みました。同じ方向をみているつもりだったけど違ったのだと気がつき、自分の孤独感や誰にもわかってもらえないような思いが出てきました。そして母親とどうかかわっていいかわからなくなり、距離を置きたい気分になりました。そのことをビワさんに聞いてもらうと、「テツヤ君が生きようとしたものを阻んだのが母親。でも何を生きようとしたのかわかってあげないといけない。今テツヤ君は、父
2011年10月10日その①この日は、次の日に理事会を控えていました。前回の理事会で、家族で話し合って欲しいと言われ、もしそれが難しいなら、父親が理事長になるしかないのではないか、と言われていたのですが、父親とは相変わらず話が出来ていませんでした。理事さん達は評議員も兼ねていて、理事会は僕と母親を含めて6名での会議になりますが、明日の理事会での結果を、評議員だけの7名の方達(父親も含む)との、13名での評議員会に報告すること
2011年10月6日その②この頃、兄とマル子さん達はインドから帰ってきて、イリアさんともう一人の方がインドに残っていました。イリアさんが心配してくれて、何度かインドから国際電話をくれました。この日は、「父親は今はあんまり悪い感じがせんでぇ。母親やテツヤ君に対してもやさしい感じがするで。表現とは違うかもしれんけどなぁ。」と言ってくれました。僕は自分がしんどいってことを言ったら、イリアさんが、「逃げだしとうなるんは当たり前の感情
2011年10月6日その①この当時の施設では、全体を統括してくれていた方と、事務員さん達が辞められ、介護の現場をまとめてくれていた方も、体調不良により出勤出来ない状況になっていました。会議等で決めたことを、ここは自分の施設だからといって無視して好き勝手にやる父親と、そういうやり方ではみんなが安心して働けないと言いながら、父親のやり方に反発心を持っていた僕と、実際に現場で働くスタッフさん達の戸惑いなどの間に挟まれながら、その方も葛藤してく
2011年10月2日その②ただ自分としては、13名での評議員会が開かれる事は恐怖でした。半分以上の方は自分達を辞めさせたいという思いでいるし、はっきりと味方になってくださる方はいない状況で、非難や批判で何を言われるかわからないと思っていたのです。人前に出て自分の意見を話すのも怖かったのに、周りの方は父親の意見を鵜呑みにして、僕達に否定的な雰囲気になるだろうし、考えただけで倒れそうでした。そういう中で再びイリアさんがインドから国際電話をく
2011年10月2日その①インドのイリアさんから電話をもらった翌日に、理事会が行われました。施設を運営する法人には理事と評議員という役員が必要で、評議員13名で理事は6名必要となります。当時の施設では理事の6名は評議員も兼ねており、理事の互選により理事長が選ばれるようになっていて、母親が理事長で僕も理事になっていました。理事の中に親族は1名までという規定があったため、父親は理事を降りていたのです。そんな中父親が僕達を辞めさすために、
2011年9月25日その②そんな中、インドからイリアさんが国際電話をかけてくれました。今のようにWi-Fiが使える所で携帯からではなく、ババのアシュラムにある公衆電話からでした。左のふくらはぎが痛かったので、リーディングしてもらいました。「自分の心がかたくなになりそうで焦ってしまうかえって力んでしまうもっとやさしくソフトにこわがらなくていい自分らしくあることになれていない」と言ってくれました。それから次の日に理事会があ
2011年9月25日その①イリアさんとマル子さんと兄と数人の方が、インドへ旅立って行きました。当初は次の理事会が12月に予定されていたこともあって、母親も行く予定だったのですが、緊急の理事会や評議員会を開かなくてはならなくなり、土壇場でキャンセルとなりました。父親の僕と母親を辞めさせようとする動きが、予想以上に早くなっていたのです。少し前までは、母親も皆と一緒にインドに行ってくれたら、少し気分的にも楽になるのになとか思っていたので
2011年9月その⑤母親との関係も、自分の中の母親への抵抗感があって、今後どうかかわっていけば協力出来るのか、不安でしかたありませんでした。イリアさんが、「一番は母親の嫌なところを探して、それを自分の内側に探せばええ。母親を解くことが一番なんよ。テツヤ君の中にあるわかってもらえないという思いは、3歳の時に母親に置き去りにされた時に、見て見ぬふりをされた事が根本にあるんよ。じゃけぇ認められんゆう思いになってしもうたんよ。
2011年9月その④なかなか自分に対しても、周りの状況に対しても希望が持てない僕に、イリアさんが、「自分の仕事と人の仕事を明確にしていくこと。相手にとって何が必要か考えていかにゃぁいけん。目先にとらわれたらいけんで。いつも自分の内側に施設の理念である、安心・安全・まごころを持っておくことよ。中心にぶれない状態で立って事をやると、後はうまくいくようになるけぇ。いっつも自分が自分の中心に立って、相手の人に『助けてください』と言え
2011年9月その③それからイリアさんが、「施設でのことをきちんとやるしかないで。父親と母親とテツヤ君の関係が、職場の仲間としての原点になるし、自分達が目指しとるものになるんで。外から見たら、夫婦や家族の問題に見えるかもしれんけどなぁ。家族やなんかのしがらみから外れたところで、一人ずつ向き合っていく機会なんよ。施設の理念にのっとって、健全に運営していくための働きかけをするしかない。どういうもんにしたら楽しい職場になるか、
2011年9月その②マル子さんのおうちのマルノウチに入ってから、イリアさんが、「自分を失ってしもうとる。しんどい時はしんどいとわかってあげにゃ~いけん。今、どんな気持ち?」と聞いてくれたので僕は、「さみしい。」と答えたら、イリアさんが、「さみしさを隠さんでもええんよ。」と言ってくれ、「僕の気持ちをわかってくださいたった一人で寂しすぎます人の気持ちばかり気になります何をどうしていいかわからない人の目がおそろし
2011年9月その①この日は仕事が終わってから、母方の祖母の家に行きました。おばあちゃんにも話をしていたので、施設で父親と揉めていることは知っていました。この数日後にはイリアさんやマル子さん達はインドに行ってしまうので、話をするにしても母親と二人だけになってしまうのですが、この頃マル子さんの家で皆で話をする時に、母親との間での葛藤を話してもらう事が増え、それが気に入らなかったのだと思うのですが、母親が僕に対しても不満気な態度をするように
2011年9月11日その②僕はそれを聞きながら、今日は自分が嫌な思いをしたなぁと思いました。評議員さんの態度や話に、がっかりもしたし、心ないなとも思いました。父親のやっていることをみようとしないで、僕に対して改めるように言い、一方的だなと思いました。するとイリアさんが、「元に戻ったなぁ。」と言ってくれたので、僕は自分が思っていたことを話すと、イリアさんが、「嫌な思いをしたんじゃなぁとそのまま受け取った。テツヤ君は怒った
2011年9月11日この日は評議員さんの一人の方に、話を聞いてもらえたので会ってきました。この方とは一対一で会うのは初めてでした。評議員さんでも会ってくれる方は少なく、また会う前から父親の話を聞いて、それを鵜呑みにされている方も多い状況でしたが、この日会ってもらった方は父親とも付き合いが長く、父親が昔と比べて変わったということを、理解してもらえるのではないかと期待していました。でも結果は他の方と変わらずに、僕の行動に問題があるとい
2011年9月7日その⑤自分が感じているものをみようとしていたら、イリアさんがリーディングしてくれました。「僕は何もしていません何故にぼくをいじめるの助けてください言葉が出ないほどにこわい人がおそろしいこわい気持ち悪いいじめることは何ですか人をいじめてどうなるの何もしていないのにこわいこわい消えてしまいたくなります一人でいいのです誰からもみられないところにいきたいおそろしい神様心の居
2011年9月7日その④それからイリアさんが、「今何を思っているの?」と聞いてくれたので、僕は、「自分が不安だったなと思った。」と答えたら、イリアさんが、「人の世への不安、母親が生きてきた人の世への不安。恐怖心=母親だったの?母親に何を感じとったん?」と聞いてくれたので、僕は、「不安と恐怖。」と答えたら、イリアさんが、「テツヤ君の中にしみこんどる。何を感じたらこうなったん?」と聞いてくれたので、僕は、
2011年9月7日その③それからイリアさんが、「誰にもわかってもらえないという思い込みを、自分でかけてしもうた。心を閉ざせば誰にもわかってもらえん。自分を閉ざしたんなら、今度は開けばええんじゃない?さみしい時はさみしい、どうしょうもない時は苦しい、そうやって言えばええんじゃない?自分を閉ざすことを知っても、開くことをせんとどうしょうもない。これを越えなければ自由になれんし、人との関係も結べんし、人をわかるのは難し
2011年9月7日その②だんだん聞かれることが嫌になってきました。自分がやっていることなのですが、そういう自分を情けなくも思うし、認めたくない気持ちにもなります。イリアさんが、「何で人にどう思われるか気になるん?」と聞いてくれたので、僕は、「小学校三年の時から世間的な価値を気にしだした。人の中で認められることに価値をおいた。」と答えたら、イリアさんが、「それは命綱じゃったんじゃないん?」と聞いてくれたので、僕は、「自分
2011年9月7日その①この日もマル子さんのおうちのマルノウチに、皆で集まっていたのですが、僕はお腹が痛かったので、そのことをイリアさんに聞いてみたら、「その痛みはしょっちゅうこない?今まで自分が何を感じてきたん?」と聞いてくれたので、僕は、「出来るだけ感じないようにしてきた。」と答えたら、イリアさんが、「隠してきたものが出てきたんじゃない。痛みの浮上でええことよ。何を感じてきたんじゃろ?感じることを許し始めたんじゃな