ブログ記事11件
今日は日光に行ってました。たけのうへばし。再び。七瀬再びみたい・・・この吊り橋の廃橋をドローンで何とかした。何とかしたいとは、当時この橋を渡っていた人たちの視点で風景を撮影したい。これがドローンを買った最大の目的。上空から撮るだけで風景は劇的に変わりますが、それは他の皆さんに任せて、私は当時の風景をよみがえらせたい。早川町のギリギリ橋も、小国町の落橋も、この吊り橋の廃橋もどんなに頑張っても、もう当時の道筋をたどることは不可能です。
ホームページの「真実の道」では公開していましたが、アメブロにも貼っておきます。こんなつり橋を見たことがありますか?!今は当然渡れない。でもかつて人々が渡っていた思い出の吊り橋。こんな姿になるくらいなら取り壊した方がいいのか。それとも人々の記憶の中と現実世界に形として残しておいた方がいいのか?皆様はどう思いますか?
ちょっと説明したいので私がYouTubeにでます。見るか見ないかはお任せします。”たけのうへばし”ちょっと前に散々記事にしましたが、新しくYouTubeにアップしました。後日YouTubeに飛べるような記事にしますぜひぜひぜひ!みてください。あなたを廃道の、廃橋の世界へお連れいたします。
↑明治45年~大正14年の地図赤が当時の道。緑が鬼怒川を渡っていた橋。吊り橋のたけのうへばしより少し上流側に、現在は存在しない橋が1つ架かっていた。橋痕跡は探索中。↑昭和5年~昭和8年の地図鬼怒川を挟んで北側の道が使われていた。ほぼ現在の栃木県道23号線と同じルート。現在使われている竹の上橋より少し下流側に橋が架かっていた。この橋も現在存在しない。橋と橋手前の現在の県道とは違うルートを通っていた一部の道を探索中。↑昭和27
とある方のインスタで見ていましたが、現地で見ると引きます、惹かれます。昔使っていた人はどう思うのでしょう。例えば自分の出身小学校が廃校になり廃墟になったら・・・例えば自分の住んでいた家が今は家主がなく廃墟になっていたら・・・いっそなくなってしまった方がいいのかもしれません。
ホームページ「真実の道」で動画をアップしました。たけのうへばしという吊り橋の廃橋の探索動画です。思い出と破壊の吊り橋を一緒に探索しましょう。
これは昭和5年から昭和8年の地図。その1でお見せした橋は消滅しました。代わって緑の丸のところに新たな橋が架かり、鬼怒川の南側を通っていた道は北側へと変更されました。
たけのうへばし誰もいない。みんな行った。渡れば二度と戻れない橋。
国土地理院で買ってきた旧版地図の拡大コピーです。川治50000/1赤線が当時の道。緑の丸が当時かかっていた橋。今はない橋。この橋は鬼怒川をまたいでいるわけですが、鬼怒川より北側の道は現在の県道とほぼ同じところを通っています。鬼怒川より南側は現在は使われていないため地図にもない。
栃木県日光市日向たけのうへばし鬼怒川の河原から見上げるそれは重力に負け落下するのを待つだけ。かつて人々が行き来していた面影はもうない。
栃木県日光市日蔭と日向をつなぐ橋。たけのうへばしの写真動画を公開いたしました。音楽も一応考えて付けていますのでボリュームを上げてお楽しみください現在私がしゃべって詳しく説明する動画を作成中です。栃木県道293号線の私のしゃべっている動画は見ていただけたでしょうか?より詳しく!いまこの橋と道を調査しながら台本を書いています、、、しばらくお待ちください。
「廃」なもの「道」なもの。[Amebaグルっぽ]最近”だいぶ””すごく・・・”ほったらかしにしていたけど、一応今使ってます。栃木県のたけのうへばしを撮影に行くのに、いろいろなことを調べている段階です。ブログ記事にするには小さなことなのでぐるっぽでちょこちょこつぶやいてます。むかーし記事にしました。”県道一覧”を見てください。今回は動画を作るにあたってさらに詳しく調べています。何を調べてるの~??それをぐるっぽで書いています登
渡れないこの橋。今は重力に負けて落下するのを待つばかり。1つ1つと木は落ち、かつての面影は人の記憶の中にしかない。紀元という表記は「皇紀」とも言われています。初代天皇である神武天皇が即位した年を元年とする紀年法で、現在西暦2018年ですが、皇紀である神武天皇即位紀元では「紀元2678年」になります。この橋ができた「紀元2600年」は「昭和15年」です。この道もやはり少し寂しい感じがします。
右の柱には名前が。。。この橋の名前は「たけのうへばし」というのか。左の柱には。。なんだこれは!!こんなの見たことないぞ!紀元・・・?2600年!!いったいこれは!!?
誰も進まない道を進むとそこには。なんだ?!あれは!大きな建造物が。かなり古い橋のようだ。近づいてみよう。
ここを道と呼ぶか、道がないと言うかは自由だ。見るからに明らかに使われていないが、明確な道だ。道の先を確かめずにはいられない。