ブログ記事7件
いつもありがとう少しでも食べて欲しくて工夫してます。無理矢理は嫌。食べたくなかったらそれでもいい。水分は摂って欲しい。劇団うりんこかって自分でツッコミたくなるくらい、素晴らしいアイデア元介護士の仕事仲間に話したら…「介護士にスカウトしたい」と言われました今だから出来るんであって、若い頃に挑戦しても無理だったと思う。久しぶりの介護ブログです。Arthur
少し間が空いちゃったな〜7月に入って暑くなってきた頃「食べたくない」と言う時があって、そんな時用にエンシュアを処方してもらいました。高齢になると感覚が鈍くなるから暑さを感じなかったり、逆にエアコンの効いた部屋にいるのに体が温かい。(体温調節が出来なくなってきてる)そんな父に少しでも食べて欲しくて色々考えます。お魚さんの声お父さん、今日の夜ごはん買いにスーパーに行ったらさ、お魚さんが何か喋ってるんだわぁ。ぼくね、お父さんの栄養になりたいんだ!だからね、ぼくね、お父さんのお腹の中に入り
紙パンツを履くようになったのは5月くらいかな。デイサービスに行くようになった頃にパンツを汚すことが増えてきて、紙パンツを勧めるもずーっと拒否してました。ヘルパーさんに一度相談した際に教えてくださったのが、「お父さんの中で、"まだ自分は紙パンツを履くような年寄りじゃない"というプライドがあるからじゃないかな」って聞いて、なるほどな〜と思った。男性は特に外でずっと仕事をしてきて、それなりのプライドを持ってしてたと思うんです。それが、歳を重ねて思うように自分の体が動かなかったり、今まで出来てた
ハァ〜先日自分の洗濯物を回してて、終わったから取りに行きました。父はその時寝てました。洗濯物を干して、気がつくと洗濯機が回ってる音がする。あれと思って見に行くと洗濯機が回ってるから、父が洗濯を始めたのかなと思って聞いてみた。「(おしっこで)ズボンを汚しちゃったから洗ってる」と。紙パンツはちゃんと臭い消しの袋に入れてあるかなと専用ゴミ箱を覗いてみた。ないじゃんま、まさかそのまさかだった洗濯機の中で紙パンツがぐるぐる🌀回ってる。マジかー、うそでしょー、勘弁してよとりあえず停め
急須ネタ。我が家には仏壇がありまして、毎朝お水とお茶をお供えしてるんです。父のルーティンにもなってるので、父が覚えてる時はやって、忘れてたり途中やりで忘れた時は私がやってます。急須①ある日、急須が見当たらないんです。どこいったのかな?と探しても見当たらないので、とりあえず私の紅茶用ポットでお茶を出してお供え。それにしてもどこに行った?まぁ、いいや、とりあえず仕事に行こうと出勤。帰宅して、父にお弁当を用意しようと冷蔵庫を開けたら、急須様がいた。なぜ冷蔵庫に!?父に聞いてみた。「
こうして書いてても、この1年間必死過ぎて頭の中にある出来事がいつのことが覚えてなかったりします。認知症って、こんなことも起こる状態なんだって知っておいてもらうと、似たようなことがあった時に「これも、その一つなんだ」って思うことで諦めもつくというか納得するかなって思う。ルーティンになってることのいくつかは覚えてはいるんだけど、ルーティンの一つの中の順番がわからなくなったり、最後までは出来ない。例えば、朝起きて歯を磨き顔を洗う。このルーティンは誰もが当たり前のようにやってる。歯ブラシを手に
退院してから少しずつ認知が進みました。お弁当を頼んでいるのですが、食事も柔らかめにしてもらい、ご飯だけ家で炊いてます。炊飯器のご飯を昼夜に半分づつ分けて食べてましたが、ある日帰宅して炊飯器を開けてみたらご飯が手付かず状態。父に確認すると「ご飯が(お弁当に)入ってなかった」と…お弁当を頼み始めた最初からご飯は入ってませんけどね。またある日は、お弁当が冷蔵庫に残ったまま。炊飯器を開けたら、ご飯1合が全部ない。ちらし寿司を作った時もそうだった。朝、ちらし寿司を1合分作って、私のお弁当で1
舌癌の手術の為に入院した父ですが、認知症があると大部屋には入れません。なぜかというと、徘徊する可能性があるから。特に普段過ごしてる自宅と違う為パニックになって部屋を飛び出すかもしれないからです。特に夜間は看護士さんが少なくなり対応が難しくなる為「個室で家族が付き添ってください」とのことでした。ですが、私は仕事をしています。24時間はムリ。日中も仕事が休みの時は付き添うけど、夜間だけは家族で交代して簡易ベッドを借りて付き添うことに。当時遅番出勤の為、夜遅くに帰宅して、翌日日勤と夜勤の
私が結婚をして家を出た後に母が入院した。私は仕事中だったから、仕事を終えて入院先に向かった。母は自分の調子が悪いことに気づいたみたい。父の職場に電話をした。「頭がふわふわして、言葉がうまく話せない」そう電話が入って聞いた父はろれつが回ってないと思い、救急車を呼び自宅に向かわせた。脳梗塞だった。倒れる前だったので大きな後遺症もなく、しばらく入院して退院。それでも多少はあって、ろれつが回らないほどではないが言葉は発しにくく、記憶も飛び飛び、行動もゆっくりになった。家事は出来るが色ん
そんなことがあったが、そこは夫婦。しばらく経てば元の生活になるわけだ。続きです。父の生きた証④『父の生きた証④』20代の時、家で両親が喧嘩してた。続きです父の生きた証③『父の生きた証③』家族全員が必死に生きていた。続きです。父の生きた証②『父の生きた証②』商売を辞めた両…ameblo.jpでも、私は母に言った。「お父さんと離婚して、私と一緒に暮らそう」でもね、母は「それは出来ない」と。なぜと問いただした。母が言った一言。「お父さんがひとりぼっちになっちゃうから」この時祖父母
私が実家に戻ってきたのは、コロちゃんで父の仕事が無くなり「1日家にいても話し相手がいないから寂しい」と言い始めたのがきっかけ。父の生きた証でも書いてるように、ずっと仕事をしていましたから、そりゃ仕事がなくなって1日家に居たらつまらないですよね。『父の生きた証①』父の生きた証を書いておこうと思いまして。と言っても、書けるのは私が社会人になった以降のことだけど。今まで色んなことがありました。社会人になった頃に実家の自営業…ameblo.jp多くの男性は特にそうかもしれないね。実家に帰ってから
20代の時、家で両親が喧嘩してた。続きです父の生きた証③『父の生きた証③』家族全員が必死に生きていた。続きです。父の生きた証②『父の生きた証②』商売を辞めた両親。残ったのは借金と家のローン。続きです。父の生きた証①祖父は同居してた父…ameblo.jp私が思春期の頃から喧嘩はしてたのは覚えてて、母は誰にも話せないから私に愚痴ってた。同じ女性として、ある程度の年齢になって話しやすかったんだろうね。店の裏で口喧嘩になると父は母の足を蹴ってたようで、それを思春期に聞いてた私は当然のように父
家族全員が必死に生きていた。続きです。父の生きた証②『父の生きた証②』商売を辞めた両親。残ったのは借金と家のローン。続きです。父の生きた証①祖父は同居してた父の弟が別の場所で商売をしてたので、そこに手伝いに行ってた。ある日祖父の…ameblo.jp父は元職場とはいえ何十年ぶりかに雇われて働く。母もそう。結婚前は地元の広島市内にて洋菓子店かパン屋さんに就職した以来だから、父と同じように何十年ぶりに外で働くどころか、この地で初めて働くわけだ。自営業で働くのと雇われて働くのとでは大違い。
介護については別でブログを書いていこうと思ってたんだけど、なかなかできなくて、かといって元々あるところに長々と書くのも…と思いました。いつ終わるかわからない介護。この先いつかは必ず終わる時がくる。その終わる時というのは、父が寿命を全うするのが先か私が寿命を全うするのが先かなんてわからない。そう考えた時、過去に書いた二つの物語と共にいつかは過去の話になり、経験の一つとなる。だからこそ、こちらのすずめ日和に書いていくことにしました。書くにあたり、この数年、この1年、この半年、この数ヶ月の
いつもありがとう父のことを書いていくつもりが、どうしても自分自身の当時の状況のみならず感情まで書いてしまう。途中で、そうじゃないって気づくんだけどね。こうして書いていると、なかなかな人生を歩んできたなぁって思うんですよね。小学生の時の卒業文集クラスで書く冊子みたいなものに、私ね「マンションに住みたい」って書いた記憶があるの。子供の時から一軒家が嫌で嫌で仕方なかった。そして、もう一つ。サラリーマンの家庭がよかった。小学生の時、友達の誕生日会やひな祭りに呼ばれて行く時があって、美味し
商売を辞めた両親。残ったのは借金と家のローン。続きです。父の生きた証①祖父は同居してた父の弟が別の場所で商売をしてたので、そこに手伝いに行ってた。ある日祖父のお腹が異常に膨れていることに気づき病院へ行ったら肝臓がんだった。余命宣告を受けた。もって1ヶ月くらい。母は祖父の看病をする為に泊まり込み、半日はお店に行き、父ももちろんお店に。私と弟も学校が終われば店を手伝ったりしてた。母は免許がないので、自転車で30分ほどかけて私も一緒に病院に行き介護をした。当時はヘルパーさんはいな
父の生きた証を書いておこうと思いまして。と言っても、書けるのは私が社会人になった以降のことだけど。今まで色んなことがありました。社会人になった頃に実家の自営業は廃業。同じ頃に戦後に祖父が建てた家は40年近く経ってたから建て直す話が出てた。廃業して借金が残る。プラス家のローン。廃業を決めた直後に祖父が亡くなる。葬儀をするにもまとまったお金がない父は祖母からお金を借りた。父の兄弟の何人かはそれぞれ商売をして上手くいってた。父は家業を継ぐ前、溶接工場で働き20代で工事長を任せられて
『すずめ日和』と『心身が壊れるまで』を投稿してきました。今は父の認知症が強くなり、仕事をしながら介護をしています。幻視も現れ始めました。周りに介護をしてる人はいても、幻視(幻覚とも言いますが)が現れた話は周りからは聞かないので、ネットで探して読むくらいです。見えないものを見たかのように言うという説明は書いてあっても、具体的に書いてあるのは読んだことがない。実際父の幻視の話を聞くと、現実味のある話。実際にいる人の名前だったり亡くなった人が生きてるかのような話だったり私の知らない会
「心身が壊れるまで」というタイトル通り、弟が社会復帰出来た3ヶ月後に私は体調を崩しました。大動脈解離スタンフォードAという心臓の血管が破裂する重病になり手術をしました。血圧も高めでしたから、起こりうるといえば起こりうる状態ではあります。私はストレスが溜まった結果だと感じています。と同時に、強制的に休まされたとも思っています。なぜなら、弟が寝たきりの時に私が入院・手術をしたら父の世話は誰がする?少なからず私が入院しても弟が動けましたから何とかなりました。でもね、私が退院して体力が戻っ
私は趣味で作品を作ってます。二人の介護をしてる中、少ない自分の時間を作り、時には寝る時間を減らして作品を作っていました。にも関わらず、作品を出すことができなかった。ただ単に忙しくて時間がないというわけではない。少ない時間を作って準備したのに、それでも出展出来なかったもどかしさ。二人には出展の説明してないから知る由もない。展示会に出展するから…私に迷惑かけないでご飯はしばらく作りません仕事は行くけど、あなたたちの世話はしないそんな話する?できる?1ヶ月間お弁当とお惣菜にすれば
ずっと読んでくださってる方ありがとうございます。この心身が壊れるまでをこちらに投稿しながら、私も頭の中を整頓しています。これを書いていた時期から半年が経ち、この半年の間に父の認知症は進みました。今までは私と2人で弟の介護をしたこともうる覚えです。初めて父がこのことを忘れてる発言をした時、父には「そっかぁ、忘れちゃったなぁ」で終わらせましたが、私は夜泣きました。父が頑張って介護したこと。私が頑張って介護したこと。それぞれの頑張りを知るのはお互いのみ。私は父が頑張ってたのを覚えてる
すずめ日和を読んでくださった方は、私が乳がんになったことを覚えていらっしゃるでしょうか。私が乳がんになったと元旦那に伝えても、彼は乳がんというものを調べていないでしょうね。誰もが漠然と知ってると思う病気。どんな病気でもそうですけど、自分が関わらない病気であれば調べないかもしれません。病気になった人との関係病気になった理由病気になったことでの影響それによって対処方法も変わるかと。その人が心配してるかどうかその人が誠実であるかどうか何をもってわかりますか?どうやったらわかる?
父は一生懸命息子の世話をしていました。私が子供の頃は自営業+釣りが趣味の父と休日に出掛けることはなく、もっぱら母と過ごしていました。私も弟も父親との接し方が正直よくわからない子供時代でした。自営業を廃業することになり、就職した私は給料のほとんどを家にいれ、弟もまた同じく。社会生活を送るようになり、友達や同僚と接することで相手の立場を理解したり、親のことも理解することが出来るようになって、また一度結婚したこと&猫を飼うことで愛情を受け取る事ができました。歳を重ねた父は母が亡くなって1人に
弟の介護と同時に父の介護も少しづつ始まってきました。母がまた生きていた頃、生活が大変で両親とも働いていました。ある日帰宅すると夫婦喧嘩をしていました。元々暴力を振るう父ではなく、かといって口が達者なタイプでもありません。どちらかと言うと感情表現が下手なタイプ。そんな父が母に手をあげる瞬間でした。理由はわかりません。わかりませんが母は一生懸命真面目に取り組む優しい人でした。私は母を庇いました。そんなに殴りたければ私を殴れえぇ、叩かれてメガネがぶっ飛びました。そんなことじゃ私は
心身が壊れるまでの続きです。この③④辺りからかな。私が流行り病のこんコロりんになった辺りから、この数年の間に3回くらい帯状疱疹になっています。体ではなく頭皮に出来ました。初めて水痘・帯状疱疹ウイルス(VZV)に感染すると水ぼうそうになり、その後ウィルスが体の中に潜伏してて免疫力が低下した時に帯状疱疹として発症するとのこと。水ぼうそう荒川区内で水疱瘡(水ぼうそう)が流行しています-医療法人社団杏音会土屋クリニック荒川区南千住にある土屋クリニックでは一般内科、消化器内科に関する診
すずめ日和の物語後の出来事。人生色んなことがあります。昔からずっと「普通の人生を送りたいだけなのに」って思ってた。今となっては、普通ってなんだろうって思いますけどね。私は特に贅沢をしたいわけではなく、普通に働いて、お給料で旅行行ったり遊んだりしたかっただけ。ただそれだけなのに。それさえも許されない人生を送ってきたように思う。心身が壊れるまでって…大げさに思うかもしれませんが、大げさじゃないんです。心身が壊れるまで①『心身が壊れるまで①』いつもありがとう日々のブログと合わせて、こ
今まで読んでくださった方、ありがとうございます。離婚後、飼ってた猫たちと一緒に実家を出ることにしました。猫を飼ってると早朝に起こされますし、歳をとれば猫も人間と同じように介護が必要になります。それを全て終えた私はひと時の間グッスリ眠れ、趣味を持ち楽しんでいました。そんな時に流行り病が始まり、私は仕事を続けることができましたが、80近い父は仕事がなくなりました。話し相手がいない父から時々電話が入るようになり、理由をつけては私が実家に来るようにしたり、気付けば毎日行くことも。「話し相手が
続きです。彼への手紙『すずめ日和〜彼への手紙〜』続きです。過去世での繋がりを紐解く『すずめ日和〜過去世での繋がりを紐解く〜』続きです。同じ病気になる『すずめ日和〜同じ病気になる〜』続きです。過去世での繋がり…ameblo.jp彼にお供物と手紙を送り、彼との繋がりは終わりました。結婚生活を送ってた時に夢を見ました。内容は余りよく覚えてません。たった一つ、確実に覚えていること。それは、彼が前立腺がんになるということ。治療をするとか、完治するとか、天命を全うするとかはわかりません。彼
いつもありがとう今まで書いてこなかったこと。人生の一部分。例えるなら、散らばった写真を1冊のアルバムに整理する感じ。バラバラに保存したファイルを一つにまとめる感じ。過去は消すことは出来ないし、消したいとも思わない。過去があったからこそ、今がある。そんな人生の一部分をまとめました。すずめ日和〜出会い〜『すずめ日和〜出会い〜』一つの物語を書いておく。出会い友達同士が集まったサークルみたいなのがあって、友達に誘われて入った。遊び仲間がそれぞれ仲間を呼んで集まったって感じかな。20代半
続きです。過去世での繋がりを紐解く『すずめ日和〜過去世での繋がりを紐解く〜』続きです。同じ病気になる『すずめ日和〜同じ病気になる〜』続きです。過去世での繋がり『すずめ日和〜過去世での繋がり〜』続きです。姑の本音『すずめ日和〜姑の本音〜…ameblo.jp彼にお供物と一緒に手紙も送った。慰謝料をちゃんと払ってくれたことのお礼。結婚生活を送ってた間で反省すべき点は沢山ある。それをきちんと謝りたかった。そして、私が共に暮らした間に辛かったことも吐き出した。ただし、彼を責めるだけの言葉は