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【在宅介護】2年+40日目aiのばーばの13回忌の日じーじは母が幼き頃戦争で亡くなり…母を育てあげたばーばばーばが亡くなった日亡くなった確認してるトキにふぅ〜って息したばーばばぁちゃん死んだかと思ったわ〜みんなで爆笑そのまま逝ったばーば最期まで悲しませないばーばの思い出✨【母の日記】コロナ禍対策…父と母とおじゅっさん祖母の法要でしたばぁちゃんとの思い出は?👩🦳大事にしてもらった苦労を重ねたばぁちゃんの偉大さをまた感じた
私が中学生になるくらいまで祖父母の家は五右衛門風呂でした普段はガス給湯のお風呂ですから薪の火で沸かすお風呂が珍しくお風呂を沸かすのが田舎へ行った時のひとつの楽しみでした夏休みなどは、いとこ達とこぞって風呂焚きしたものです風呂焚きなら外でやると怒られかねない火遊びがお手伝いになりますからね♪そんなこともあってか火おこしは得意なつもり
沢山食べた思い出お寿司初孫だったからか、大好きないくらを親戚全員からもらえて、満足げなちっちゃな私(10個くらい食べたかも?)きなこもち酒まんじゅうおそば(きのことなすと豚肉いりだったかな?)さといもといかの煮物いかの塩辛けずりぶし(削り器?でけずらせてもらった記憶)井戸水だから流しっぱなしの水道・・・台所にいつもたってたおばあちゃんいつも食べきれないくらいの食べ物でもてなしてくれたなあ。おじいちゃんはいつも仕事をしていたなあ。おこづかいでチョー
朝のわんどーらんど(^o^)/今回はじーじとばーばんちの思い出自分の生まれ育った家がそれに辺る生まれ育った家が母方の実家昭和40年代に建て替えられては居たけどトタン使用した箇所も多く8年前に取り壊す直前にはあちこちボロボロの状態だった母屋とは別に物置小屋があり床は土間で電気も引かれていた家の母親三姉妹だったので結婚して家を出るまでは下の2人土間で暮らしていたそうな取り壊しの際に荷物片付けてたら脱穀機やら以前から存在は知っていたけど大八車何かが
おはようございます雨は大丈夫そうだからよかったです。今日は買い物も行かない予定なので、これからキッチンの片づけをしようと思います。使いやすさ重視なので、荒れ放題ってのもおかしな話ですが、何も乗っかってないモデルハウスみたいなキッチンは落ち着かないんです。作業するスペースがあれば私的にはOKとりあえず綺麗にしとこ~っと。私にとってのじぃじばぁばはもちろんもうこの世の人たちじゃないですけど。毎年お正月には母方・父方両方にお年始に行きました。
夏のお泊まりに蚊帳で寝るのが楽しみだった。蚊帳の、たるんだ天井部分に風船をのせて下からポンポン弾ませて遊んだりもしたあの緑色した蚊帳の中に入るだけで物凄くテンションが上がってとにかく楽しかったなそれとセットで思い出すのは祖母の手作りおやつ。母はあまりおやつを作ったりしなかったから特別なものに感じた。ゼリーやシャーベットが多かったけど何か、あまり美味しくないのもあったような……今、これ書きながら思い出してきた。。おばあちゃんが私の顔を覗き込むように
投稿ネタ|Ameba(アメーバ)Amebaで話題の投稿ネタやキャンペーンが集まったページですcontent.ameba.jp今日は投稿ネタより母方のじーじとばーばは丹波篠山に住んでたので夏休みになると泊りにいってたなぁ…丹波篠山ではデカンショ祭りってお祭りがあって連れて行ってもらったなぁ…屋台でままごとの屋台やリカちゃん人形の服を見たりした思い出が…あと近くの川で泳いだり…夜は蚊帳をつってその中で寝たり…花
母方の祖父の家(祖母は若くして亡くなった)の庭は防空壕が残っていた。家族だけの小さな防空壕だ。穴を掘っただけのものだったが小さかったことを憶えている。怖い思いをしたのかと思ったらそうでもなく、空襲警報が鳴ると最初は怖がって防空壕に入っていたが次第に気にしないでご飯を食べていたらしい。(夕飯時によく警報が鳴ったらしい)
蚕ってしってますか?朝からちょっとグロいので💦画像はやめておきます知らない方は検索してみてね‼️昔祖父母の家の敷地内には蚕小屋があって養蚕して繭を作っていました普通車4台駐車できるぐらい大きな小屋の中に桑の葉の独特な臭いが漂いうじゃうじゃぞろぞろそわそわ白い物体がニョロニョロしてる身長120cmぐらいの頃目線の高さの棚台にその物体がニョロニョロしてる子供から見たら蚕って結構な大きさに見えて🐍並に怖かったんですこんなニョロニョロから繭ができて絹に
敬老の日私の夢は笑顔のかわいいおばあちゃんになること❤️2年前に102歳で亡くなったおばあちゃん。コロナ禍だったので、なかなか会えないまま…でした。コロナ前までは施設にいたおばあちゃんに会いに行くと、いつも○○ちゃん!○○ちゃん!と子供の頃と同じようにあだ名で呼んですごく嬉しそうな顔を見せてくれましただから、なんとなく、今日は祖母ではなく親しみを込めておばあちゃんと書かせていただきますね。おばあちゃんは、車椅子ではありましたがとても元気で、モリモリ食べて、すごい
お祭りには栗おこわ作ってくれた祖母。実は栗おこわが好きじゃない私。私用に白米用意してありました(^_^;ありがとうお祖母ちゃん。父方の祖母宅へ遊びに行くと高確率で毎回必ずご近所さんや近くに住む父方の親戚に「何処の子?」と言われたものです。見た目ほぼ母親似、父親の要素何処だからなぁ…認知症になって人が認識出来ず「誰?」と言っても自分の名前を言えば分かってくれて最後まで名前を呼んでくれました。最後は施設入所でお世話になりましたが死ぬまでかわいい孫
おじいちゃん👴もおばあちゃん👵も亡くなって、両親も家を建ててるから空き家になってしまうので更地にしたんだけど、めったにその場所に行かないから記憶に鮮明に残ってて家が無いことが不思議な気分になる頭でわかってるのにねそんな祖父母の家は花火大会🎆の打ち上げ場所の近くで、ベランダにゴザを敷いて寝転がりながら特大🎆を観られる特等席そこで冷えたサイダー片手に葡萄🍇や梨を食べる😋のが恒例だった葡萄🍇みると花火🎆を連想しちゃうのは楽しい記憶と刷り込みなんだろうな
遊びに行くたびに作ってもらった甘い卵焼き実家は甘くない卵焼き派だったので、初めて食べた時は驚きそして大好きになって❤️以来、ばーばは遊びに行くたびに作ってくれました今、私の卵焼きは甘い味付けです
バンジージャンプをするeeジャンプ
祖父母は一緒でしたが、我々孫の成長に従って、離れに🏡住むようになりました。その家屋は古いけど洋式の建築様式で不思議な内装でした。ずっと物置みたいになってた家を、祖父母の移動に際してリフォ、今でも間取りを覚えています。母屋の東方にあったので、東の家と呼んでいました💕
今日は一日スゴく天気が良かったです(^_^)そんな良く晴れてカラッとしてた標茶の町からお送りしています(^_^)毎度様です。ひらた家具店、三代目社長の平田修(おさむ)です(^_^)え~。社長が時々見ているアメブロさんの投稿ネタ一覧とゆーページ(^_^)その中で#(ハッシュタグ)じーじとばーばんちの思い出とゆーのを目にした時そーいえば!一つ思い出したことがあったんです(^_^)ってゆー非常に他愛のない短めの
母方の祖父んち。北海道留萌郡小平町にある鬼鹿ってとこ。https://www.town.obira.hokkaido.jp/kanko/detail/00001385.html私が幼いころは、その浜辺に祖父母の家が建っていた。家のベランダを開けたら砂浜だったので家で水着に着替えたらそのまま海へGOなんて便利な家ボロボロの家だったけどなぁその後、ツインビーチを作るから立ち退きになり町営住宅へ引っ越し。そんな祖父母んちでの思い出。夏
たまにゃ、投稿ネタいってみますか!と思って。バタコのじぃばぁのお家での思い出。…バタコね。両親が共働きだったから。小さいときは、おじいちゃんおばあちゃんのお家でお世話になることが多くてね。学校のあと、目と鼻の先のじぃばぁのお家に帰って。そのあと、仕事を終えたお母さんが迎えに来るシステムだったんですよ。…と言っても。週5で習い事もしてたし。(そろばん3日、習字1日、ピアノ1日)なんやかんやで忙しくて。寂しさもそんなに感じなかったんですけどね。…バタコがお世話になって
おばあちゃんのお味噌汁はなぜかめちゃくちゃおいしいあとは高菜の油炒め9/4日曜日はわたくしおやすみでした家族で日帰り愛媛旅8時に出発旅のはじまりは、やっぱり讃岐うどん我が家の近所の麺やさん天ぷら1品無料券が読売新聞に入ってたのでぜひ利用しましょう全員かけうどんにょろパパだけそのままで冷たい麺に熱いお出汁、いわゆるひやあつわたしはいいだこ天ぷらにょろパパはかき揚げ讃岐のかき揚げはかぼちゃや玉ねぎ、人参などお野菜のかき揚げが主流ですよにょろママはとり天
外孫だったし人見知りの末孫なので、あまり祖父母との思い出はありませんが、父方の祖母とは箱根旅行に行きました。特にコレと言って思い出はありませんが。父方の祖父はあたしが10歳の時83歳で他界したのであまり覚えていません。父方の祖母は97歳まで生きました。猫を飼っていました。母方の祖父は、ヘビースモーカーでお祭り好き。町を作ったくらいなので巷では有名人だったみたいです。遺影の写真は祭りの時の写真です。母方の祖父母とは、よく花札して遊びました。14歳の時に母方の祖父がガンで
シーシーレモンレモンの酸っぱさと炭酸のジューワーと爽快感が美味しいです。夏って感じです。ラベルはノーマルな普通のラベルです。「鬼滅の刃」のスマホ壁紙がもらえます。壁紙は10種類あります。もちろん推しの壁紙をもらいましたw手塚治虫「リボンの騎士」名前は知ってて、あらすじもざっくり知ってますが、初めてちゃんと読みました。シルバーランドは男が王になるという掟があります。サファイアは女の子ですが、王子として、王女としてすごします。なぜなら男でなければ王になれないのと、生まれる前の
アメーバネタからチョイスです。お題は「祖父母宅の思い出」。父側の祖母は入院生活ばかりだっとはいえど実家に一緒に住んでましたので、母方の祖父母宅しか「ジジババ宅」はここあさんには存在しません。祖父母宅は実家からは車で15分足らずだし。自転車でも似たり寄ったり。主要駅へは祖父母宅から徒歩5分くらいなので。子供のころから大人になっても交通等の便利さゆえに入り浸っていた家です。だから年から年中過ごした祖父母宅だからこそ思い出も沢山
じーじとばーばんち母方のじーじとばーばですが、いつも夏休みになると1ヶ月泊まりに行きましたね家は確か玄関あけると土間があって部屋に入るには高かったことキッチンもダイニングも土間でわざわざ靴を履いてテーブルで食べたりした覚えが、、トイレも玄関から中庭通って門の近くにあったような。夜中にトイレに行きたくなったらばーばを起こして着いて貰いました怖かった家の前にじーじが留守を預かっているお屋敷があって階段登ったらお城みたいなお屋敷あの有名な暴れん坊将軍の孫時代の家来
2018年9月の写真県立相模原公園夏の疲れかな?って感じるくらい小さな穴が沢山お疲れ様ですと思わず労いたくなります公園内の緑化センターを囲うように存在してる池とても静かです夏を名残惜しむように咲いてたヒマワリジニアなのかな?と「ジニア」で調べてみると何種類かの形が出てきて1つの名称でもいろいろあると驚かされます***************おまけの小話タイトル『喧嘩するほど…』母の実家のあった茨城県に住んでた祖父母の家には小さい頃から父の
おはようございます。大阪・堺市でヘアメイクアップアーティストとして活動をしている、「エマブール」の小川敬子です。あなたはお盆休み、いかがお過ごしになられたでしょうか?わたしは少し遅めのお盆休みを先週いただいたのですが、3年ぶりに弟と妹とそろって集まることができました♪なぜこれほどまでに集まることができなかったのかというと、1つは妹が鳥取県へ引っ越しをしてしまったと言うこと、そしてもう1つは新型コロナウィルスです。3年前、姪が3歳になることをきっかけに、妹の家
母方の祖父母宅。凄く広いお屋敷で、離れもありました。祖母の得意料理の中で、爆弾おにぎりが大好きでした。卵焼き、かんぴょう、キュウリ、他にもいろいろな具材が入っていました。祖父は、いつもお酒を飲んでタバコを吸っていました。まだ小さかった僕は、膝の上に乗っていました。また、兄弟で餅つきをしました。ホームビデオに残っていたものを、よく見返していました。曽祖父母のお葬式が、お屋敷で行われたので、参加しました。祖父が釣ってきた鮎の塩焼きが、とても美味しかったです。父
祖父の家は田舎にあり大きく古かった。一部屋12畳くらいの部屋で寝起きしたが、襖をあけると倍以上の広さになった。ただ広いだけの畳の部屋でゴロゴロ転がるのが贅沢で楽しかった。開けっぱなしの玄関からいたち?が通過なんてことも何度か見た。私は驚くが祖父は日常のようだった。トイレは外でお風呂は五右衛門風呂だった。五右衛門風呂、幼い頃は自力で板を沈められないので大人が入っているところに入れてもらった。下で薪を炊いているので、自分が食材になったような