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こんばんは家具、組み立てたことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう組立家具といえば、想い出があります(笑)小6の1月、11歳の時…ザ・タイガース的には、さよなら日劇ウエスタンカーニバルということで、10年振りにメンバーが集まりステージに上がった時でしたしかし、その頃の私の興味はザ・タイガースではなかったんですね千代の富士でしたウルフフィーバー真っ只中、関脇千代の富士が初優勝した場所があった
“マスターケンヂの『木もれびカフェ』”へ、ようこそ!こんばんは。いつもお越しいただいて、ありがとうございます。(^^)今日はもうほんとに久々の“ケンヂコラム”。そんな気分なんです。先日お伝えした日劇。今日日曜日が最後でした。映画館のシネコン化やデジタル化、作品の多様化がすすみ、映画館に求められる役割も変わった・・・そうでしょう。映画を取り巻く世界もどんどんと変化します。ただね、946席という国内最大の座席数を誇り、変化に合わせた対応を見せてきた日劇
ブライアン・デ・パルマの映画「アンタッチャブル」観てきました(@さよなら日劇ラストショウ)SawaBrianDePalma'sfilm"TheUntachables"面白かった!ザ娯楽!!これは多分小学生のときテレビで観たことあった。乳母車のシーンだけ覚えてた。映画観たーー!って気分。大満足。日劇通うのは僕は今日で最後です。さよなら日劇。
閉館となる日劇の、ラストショウに行ってきました。川北紘一監督に撮影に呼んで頂いた「ゴジラV8メカゴジラ」の上映です。監督との写真を持って。ありがとうございました。
今朝放送されたNHK「おはよう日本」の〝さよなら日劇〟特集コーナーに西条が、ホリプロ最高顧問の堀威夫氏、元・日劇ダンシングチームの真島茂樹氏と共にインタビュー出演を。主に、日劇演出家だった放送作家の塚田茂氏とドリフターズが日劇で作りあげた笑いがテレビで全国の大衆を魅了したという話をしました。
手元にある、昭和56年(1981)1~2月の「サヨナラ日劇フェスティバルあゝ栄光の半世紀」の公演パンフ。歌手の日替りゲストは大御所揃いの超豪華メンバー。この中では、たのきんトリオが最若手だね。他に日替りゲストのコメディアン枠もあるのだが、泉ピン子、萩本欽一のお二人は歌手枠なのか?
あと3日後の2月4日でTOHOシネマズ日劇が閉館となり、85年にわたって親しまれてきた日劇という名前が消える。もともと日劇こと日本劇場は昭和8年(1933)年12月に映画と実演の劇場として開場し、実演は日劇ビル取り壊しによる昭和56年(1981)2月で幕を閉じていた。手元にある「サヨナラ日劇フェスティバルあゝ栄光の半世紀」の公演パンフを眺めていると、物心ついた頃から親に連れられて日劇に通って観た数々の舞台が蘇ってくる。
手元にある、昭和10年2月の日劇(日本劇場)での「パンテージ・ショウ」の公演パンフ。前年の「マーカス・ショウ」の日劇公演の成功を受けて、アメリカのボードビル・ショウのチームを招聘した際のものである。
本日の東京新聞朝刊の来月4日のTOHOシネマズ日劇の閉館にともなって85年にわたって親しまれた「日劇」という名称が消えることについての特集記事で、日本のショービジネス界で日劇の果たした役割について、西条のコメントが掲載されています。
美輪(明宏)さんin日劇ミュージックホール。当時の芸名は丸山明宏だが…。手元にある、昭和32年1月の日劇ミュージックホール「春の天使はみんなウェット」公演パンフの美輪さんの写真。やはり独特の色気が出ているよねえ。
手元にある、昭和30年3月の日劇での東京喜劇まつり「銀座三代」の公演パンフ。前年1月に東京喜劇人協会を立ち上げたエノケンこと榎本健一、古川ロッパ、柳家金語楼の三巨頭の主演で、表紙も三人の顔のイラストである。
手元にある、昭和9年(1934)3月の日劇での「マーカス・ショウ」の公演プログラム。表紙は当時の日劇の空撮写真である。こうして見ると、当時の日劇が「陸の龍宮」と言われたというのも納得だな。吉本興行部の林弘高の招聘・プロデュースにより来日したマーカス・ショウはこの週で日劇での公演を終え、大阪の新歌舞伎座での公演を行っている。
手元にある、昭和9年(1934)3月の日劇での「マーカス・ショウ」の公演プログラム。マーカス・ショウは当時の吉本興行部の吉本せいや林正之助の弟の林弘高の招聘・プロデュースにより来日したアメリカのショー・チームで、のちに世界的喜劇俳優となる若き日のダニー・ケイも座員の一人として出演していた。マーカス・ショウにはトップレスでの金粉ショウの場面もあったと言われ、当時の日本のレヴュー・ショーの関係者に大きな衝撃と影響を与えている。
東京・有楽町の「TOHOシネマズ日劇」が2018年2月上旬に閉館し、1933(昭和8)年に映画とレビューの「日本劇場」がオープンして以来、約84年にわたって親しまれた「日劇」という名称が消えることに。そこで、西条が収集している「日劇」「日劇小劇場」「日劇ミュージックホール」などの資料の一部を順次公開していきます。まずは〈さよなら日劇コレクション〉の第1弾。手元にある、1935(昭和10)年2月の日本劇場での「パンテージ・ショウ」の公演プログラム。パンテージ・ショウとはアメリカから来日し