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(神秘家マリー・ジュリー・ジャヘニーへのイエスさまからのメッセージ)1925年7月23日「わたしを喜ばせるのはとても簡単です善意だけで十分ですわたしの憐れみに対するあなたの信頼はすべてを消し去り、すべてを赦すでしょうここにわたしの地上における天国がありますわたしを受け入れ(※ご聖体拝領によって)、わたしを訪れることによって、わたしに償いなさい償いをするあなたたちは美しい魂ですわたしの小さな花よめよ、わたしがどのような名前で呼
(神のはしためエドヴィージュ・ガルポニの幻視より)「1950年4月9日、エドヴィージュはシエナの聖カタリナの聖堂に巡礼に行きましたご聖体拝領の後、エドヴィージュはシエナの聖カタリナの姿を見ましたすると白い服を着た聖カタリナは彼女に近づいて来て言いました『私の妹よ、聖人になってください聖人になってください時間がありません!パウリーナがもう少し聡明であればいいのですが・・・』そして聖カタリナはエドヴィージュを撫でると姿を消し
(聖ジェンマの手紙)ルッカの補佐司教ヴォルピ師へ1899年5-6月「告解をすることが必要となってから、どれくらい経つでしょう!私は(告解を)したいのですが、必要ないと言われていますどうかお聞きください、私は従いませんでしたきのうの朝、そしてその前の日の朝、ご聖体拝領をしたとき(あなたがそう望まれましたので、聖ミケーレ教会でそうしました)私はとても幸せでした私は善くなりたいと思っていましたし、誰も私がイエスさまを持っていることに
(神のはしためエドヴィージュ・ガルポニの日記より)1941年5月25日「祝福されたご聖体の前で祈っている時、私は恍惚状態になり、十字架上のイエスさまがそれぞれの御傷から血を流しているのを見ました血は地面に滴り落ちていました私は天使が金の聖杯を御傷口に当てているのを見ました聖杯はすぐにいっぱいになり、血は再び地面に落ちていきましたイエスさまは泣いておられました私はイエスさまに『なぜ泣いておられるのですか?』と尋ねました
(聖ジェンマの手紙)ルッカの補佐司教ヴォルピ師へ1899年4月~5月「先週の水曜日、私は悪い夢を見ました金曜日に告解に行きましたが、神父さまにお話しすることができず、きのうイエスさまにそのことを注意されましたイエスさまは今日それを話しに行かなければならない、と言われましたー私はサレジオ会の教会にいるように思いました私が祈っていると、祭具室から修道女が出てくるのが見えました(修道院では見たことのない修道女でした)彼(※ジェンマの守
(神秘家マリエラ・Kの手記より)「ご聖体をいただいたあと、天の御母を讃えるための感謝を加えていると、声が聴こえてきました『「マリア」は最も美しく、栄光に満ちた名前です信心深くマリアを敬う者は、マリアの中に安らぎを見出すでしょう地獄にとって「マリア」のみ名は恐るべきものです』そしてジェンマはこう言いました『天の聖なる恵みの御母に対する大いなる信心と愛が報われないとことはあり得ません愛するソレラ(姉妹)よ、私は天の御母によって、い
(神のはしためエドヴィージュ・ガルポニの日記より)「ご聖体拝領の後、美しいアイリスとバラの花を持った天使を見ました『もしあなたが毎日ロザリオを信仰と注意を込めて祈るなら、わたしは「天使祝詞」からバラを、「主の祈り」からアイリスの花を創りましょうそしてそれを組み合わせて美しい冠を被り、天国であなたにあげましょうですから、この5月はロザリオをよく祈りなさい』」にほんブログ村
(福者アレキサンドリーナ・ダ・コスタの言葉)1942年6月4日ご聖体の祭日「イエスは聖体に夢中になっている娘のために、彼女が求めるすべてのものを手に入れてくださいますイエスは自分が愛してやまない最愛の子を見守り、世話をせずにはいられないのです最期の瞬間、イエスは花よめを完全にお身捨てになることはありませんイエスは彼女にすべてを与え、天国を開いてくださるのです」にほんブログ村
(7つの御悲しみの聖母のロザリオの祈りに与えられた免償)・ご聖体の前で唱えることによって全免償・1か月間毎日唱えることによって全免償・煉獄の霊魂のために火曜日と金曜日に唱えることによって全免償・悲しみの聖母の祝日である9月15日に唱えることによって全免償(場所は問わない)・聖金曜日に場所を問わずにどこで唱えても全免償・いつどんな時でも唱えることによって部分免償1734年12月12日に教皇クレメンス12世によって与えられた免
(神秘家マリー・ジュリー・ジャヘニーの祈りの1日)※この文章には日付がなく、またこれが実際毎日行われていたのかどうかも不明ですが、少なくともマリー・ジュリー・ジャヘニーが常に祈りと観想の生活をしていたことが示されています「(真夜中の1時からの1時間)私は罪の杯を飲まれたゲッセマネの園に自分を連れて行きます(※すなわち、霊的に「移動」して自分が霊的にそこに居ることを思い浮かべる)そこで25分ほど、私は自分の罪が主に対して与えた悲しみについて黙想します
(神のはしためエドヴィージュ・ガルポニの日記より)1942年1月「ご聖体拝領の後、私は恍惚状態になりましたそして、聖母マリアさまが白いロザリオや他の色のロザリオでいっぱいになった籠を持っておられるのを見ました聖母はそれらのロザリオを手にとって、祈るためにそこにいた人々に与えておられましたロザリオの珠のひとつひとつから、一種の香水のようなものが落ちていましたロザリオは何千本もありましたが、聖母はそれをすべて配られましたそして、(ロザリオを与
(聖ジェンマの祈りの方法)①聖ジェンマの祈りの生活ジェンマの祈りの生活の頂点であり中心は、毎日早朝に参列する聖なるごミサとご聖体拝領であったことは間違いありませんジェンマはたびたび夜中から祈り、ご聖体拝領を心待ちにしていました朝、目が覚めると、ジェンマは自分の外見には全く無頓着で、急いで服を着、髪を素早くまとめ、ごミサのご聖体拝領でイエスと出会うことだけに思いを馳せていましたそして起床からほんの5分ほどで、いつもの裾の長い黒のワンピースとマン
『福者アレキサンドリーナ・イエスの使者』(原題「アレキサンドリーナ、教えてください」)≪第2部≫「行って、わたしのみ心の豊かさを心に刻み付けなさい」(第3章)アレキサンドリーナの略歴アレキサンドリーナは貧しい家庭に生まれましたが、健康で明るく喜びにあふれ、とても寛大で愛情深い少女でしたアレキサンドリーナはご聖体とマリア信心の両方に、完全に生きることができる環境の中で成長しました14歳の時、アレキサンドリーナは情欲に
『福者アレキサンドリーナ・イエスの使者』(原題「アレキサンドリーナ、教えてください」)≪第2部≫「行って、わたしのみ心の豊かさを心に刻み付けなさい」(第2章)選集第3節回心するための助け祈りと悔い改めは回心するために必要不可欠な2つの手段ですが、それだけでは十分ではありませんしかし私たちキリスト者には、神から直接与えられる、もっと力強い助けがあるのですーそう、それはご聖体ですこの最後の節では、イエ
(モンテプルチャーノの聖アグネスと天使)「ある日、聖アグネスが長いあいだ恍惚状態に陥っていたとき、ミサの時間になったことに気が付かないまま、時が過ぎてしまいした聖アグネスは(恍惚状態から)我に返ると、その朝、最愛の人を迎えることができなかったことを嘆き始めましたそこでイエスは、イエスの(ゲッセマネでの)苦悩を慰めた天使の手によって、ご聖体をもたらすように命じられましたこの天使はその後、再び、聖アグネスが耐えなければならない苦しみと死を告げに来ること
≪福者アレキサンドリーナ・ダ・コスタから学ぶ≫(原題「アレキサンドリーナ、あなたから学びたい」)(chap.13)聖体拝領アレキサンドリーナは多くの脱魂状態の中でご受難を追体験し、ご聖体の授与を伴う最後の晩餐についても言及していますイエスはアレキサンドリーナに、ご聖体は『わたしの秘跡の中で最も偉大な秘跡、わたしの叡智による最も偉大な奇跡』であると告げられましたアレキサンドリーナは聖体について、深く広大な意義をこう語ってい
≪福者アレキサンドリーナ・ダ・コスタから学ぶ≫(原題「アレキサンドリーナ、あなたから学びたい!」)(chap.12)イエスに聴くイエスは言われます「聖櫃から遠く離れている者は、天からも遠く離れ、イエスからも遠く離れていますわたしは魂が欲しいのです多くの真に聖体的な魂が聖櫃、聖櫃、ああ、もし聖櫃のことが完全に理解されたなら!聖櫃は命、聖櫃は愛、聖櫃は喜びと平和です聖櫃は苦しみの場であり、向かい合う場であり、
今月からはじめます日時:毎月第3土曜13:15場所:チマッチ資料館聖堂人数が多くなると敷地内の調布カトリック教会チマッティ資料館www.v-cimatti.com祈り:13:15ロザリオと連祷(ロレート)ミサ:14:00祈りの間に、ゆるしの秘跡が受けられますベールをご持参くださいご聖体拝領は、口でもいただけます口で拝領される方は、最後の方にまとまっていただきますどなたでもご参加いただけます連絡先は斉藤:03-4296-53
(神のはしためルイサ・ピッカレータ「天国の書」第11巻より)1916年12月22日・魂が神のご意志の中で行なうことはすべて、イエスがその魂と共に行なわれます「ご聖体拝領の後、私は自分のすべてをイエスに融合させ、自分のすべてをイエスのご意志に注ぎ込んでいましたそしてイエスにこう言いました『私は何もできませんし、何かを言うこともできませんですから、あなたのご意志の中に、あなたがご聖体拝領でご自分を受けられた時に行なわれた行ないを今、あたかも
(福者アレキサンドリーナ・ダ・コスタへのイエスさまからのメッセージ)「わたしの名において、真心と謙遜と熱意と愛をもって、月の第1木曜日に連続して6回ご聖体拝領し、聖櫃の前でわたしと心を合わせて1時間の礼拝をするすべての人に、わたしは天国を約束すると告げなさいこれは聖体を通してわたしの聖なる傷を讃えるためであり、特に(人々に)あまり記憶されていないわたしの聖なる肩の傷を讃えるためですそしてその信心業を行なう者、わたしの御母の苦しみを聖なる傷に一致させ、その名に
(福者アレキサンドリーナ・ダ・コスタへのイエスさまからのメッセージ)「あなたの家は、罪人のカルワリオとなりました」「あなたはわたしの公生活の中に生きています洗礼の日以来、わたしはあなたから離れたことは一度もありませんあなたの恐ろしい苦しみによって、何千人もの人が救われましたあなたが天国に居る時、誰かがあなたの名を呼ぶなら、それは決して無駄になることはありませんわたしはあなたを人類の守護者(守護聖人)に任命しますあなたは全能者(神)と共に力を発
(神のはしためルイサ・ピッカレータ「天国の書」第11巻より)1915年11月13日・イエスには他者にご聖体を与える前に、ご自分自身にご聖体を与える必要がありました魂はどのようにしてご聖体を捧げなければならないかについて「ご聖体を受けた後、私はこう考えました『イエスを喜ばせるために、どのようにしてご聖体を受けたら良いだろうか?』すると、常に穏やかなイエスが私に言われました『娘よ、もしわたしを喜ばせたいのなら、わたしの人性がしたように聖体を受け
律法は光の行いである。人間は存在に最も近い存在、光に似た光。光は光に似た光に対して「馬鹿」とは決して言わない。イエスも人に対して「馬鹿」と言われたことはあったかもしれない。しかし、人を馬鹿者扱いしたことは決してない。人間は馬鹿ではなく、暗い。暗さは光の希薄さであって、光でないのではない。悪魔には光が全く無い。悪魔に近い人はいる。とても鋭利な人たちの中に。よい聖体拝領ができると、人が、世界が違って見える。ご聖体は光である。マタイ福音書5章17-26節
(福者アレキサンドリーナ・ダ・コスタの言葉)「私はあなたたちのために、恐ろしい苦しみに耐えているのです回心しなさい!これ以上、罪を重ねてはなりません!これ以上、罪を重ねてはなりません!」「ご聖体において主に償いをしなさい改悛しなさい、改悛しなさい、改悛しなさい!毎日、熱心にロザリオの祈りをしなさい初土曜日の信心を実践してください(※ファチマで聖母が求められたもの)カルメル山の聖母の茶色のスカプラリオを通して、聖マリアの汚れ
「私たちは聖人になることができますか?」(神のしもべフランク・ダフ著)第4部「武器と道具」・第8章ー私は全く念祷することができません「簡単な念祷をすることさえ困難な人は、祝福されたご聖体の前に行って、何かの霊的な本を非常にゆっくりと読むことがとても有益であることがわかるでしょうふつうに読むのではなく、祈りながら読むのです度々読むのを止め、ご聖体のイエスに頻繁に話しかけるのですひとつの文章を読むために費やす時間が長ければ長いほど良いでしょうそうし
(神のはしためルイサ・ピッカレータ「天国の書」第11巻より)1914年12月17日・神のご意志は魂における神の聖なる命の真の完全な奉献を成し遂げます「私がいつもの状態を続けていた時、イエスのご不在のためにひどく苦しんでいましたが、多くの苦しみの後にイエスは来てくださり、哀れな私の存在のすべてにご自分を現わしてくださいましたそれはあたかも私がイエスという衣をまとっているかのように思えましたそれから主は沈黙を破ってこう言われました『娘よ、あなたも聖
(神のはしためルイサ・ピッカレータ「天国の書」第11巻より)1914年9月25日・神の意志で行われた祈りの効果について「私は自分の貧しい祈りを祝されたイエスに捧げていましたそして祝福されたイエスがそれを誰に適用してくださるのが一番良いのか考えていましたすると主は穏やかにこう言われました『わたしの娘よわたしと共に、わたしの意志で行われた祈りは、誰も排除することなく、すべての人に与えることができますその祈りは、あたかも誰かひとりのために
(神のはしためルイサ・ピッカレータ「天国の書」第11巻より)1913年9月25日・神の聖なるご意志は魂の中心ですご聖体は魂がどのように神のご意志に服従し、神のご意志に繋がっているかによって、その実りと効果を生み出すのです「私は聴罪司祭に、イエスがわたしに、神のご意志が魂の中心であり、この中心は魂の深みにあって、その光は太陽のように広がり、心に光を、行ないに神聖さを、歩みに力を、精神に命を、言葉に能力を、そしてすべてにすべてを与えてくださると言われたことを伝えまし
「私たちは聖人になることができますか?」(神のしもべフランク・ダフ著)第2部「1日の流れ」・第1章ー土台となる石「今回の考察の中で最も大切なのは、十字架のように高みに立って、毎日のごミサとご聖体拝領にあずかるこですこれらは明らかに最大の恩寵の手段であるので、長々と説明する必要はないでしょう毎朝のごミサに簡単に行くことができるのに行かない人は、もし自分が偉大な聖性を目指していると考えているなら、自分を欺いているに過ぎませんごミサとご聖体拝領は、一日を完
『マリー・ぺティト(聖テレジアのマリア)の霊的日記』(第29章)マリアを通して私の魂は神からの超自然的生命をいただきました「1669年1月27日の聖ヨハネ・クリゾストモの祝日に、私は新たな病気に罹り、精神的に重く押し潰されそうになっていましたこの病気はしばらく前から私を苦しめ、日ごとに重くなり、私の不快感を和らげるため、また私の好みを満たすために、姉妹たちが大変な苦労をすることになり、とても心苦しい思いをしましたそして私はそれが自分の堕落した本性を増幅させ