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御聖体拝領前の祈り・チャプレット「至聖なる尊き秘跡に永遠に賛美、感謝あれかし。」(300日の免償)「聖体拝領において私に近づき私を受け取る時、燃え上がるとてつもなき心からの愛、燃え立つ望みを全感覚とする意向を持って私を受けよ。貴方においてではなく、貴方が望む物、貴方の愛と準備において、私はこの愛と準備を受け取るだろう。」(我らの主よりヨゼファ・メネデンス修女へ)<御聖体拝領前の祈り>「ああ祝せられた救い主、来て下さい。あらゆる甘美と喜びをもつ天の食物で私の魂を育んで下さい。
昨日は、「無原罪の聖母のチャプレット」をリメイクした後、使わなくなった「無原罪の聖母のチャプレット」の白いビーズを使って「御聖体の秘跡のチャプレット」を製作しました。御聖体の秘跡のチャプレット「我々は一日も聖体拝領せずに過ごすべきでない!」(ピエタ小冊子)「キリストの与え給いし時間は失った時間ではなく、むしろ得られた時間であり、我々の関係と生全体は真に、更に深く人間的となる事でしょう。」(教皇ヨハネ・パウロ2世)「主は各大いなる苦難の助けに特別の信心もて助けに来り給うたのである。今彼
さてさて、先日は、盛大にあちこちからも信徒さんも集まってくださり、主に賛美をささげ、とってもよかったですね~で、翌日、この教会の主任司祭に献金をもっていきました彼は、献金をうけとりましたが・・・・彼がつくった新ルールができたようだ(私にむけてのみか?)「まず、他の司祭がきて、この教会で、聖体顕示をするのは許可しない」「もし、聖体顕示をしたいなら、自分の教会でやればいいここは、私が、管理するので、他の司祭では、許可しない」ということだ。さらに、「公の
関連記事http://shelline-oblate.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-177539.htmlご聖体は手で受けるか、口で受けるか-キリストとともにカトリック信徒が聖餐式でご聖体拝領する際、「手で受けるのか、口で受けるのか」についての論考。国や地域、環境により考え方が違います。日本における現在の「手でご聖体を拝領する」意味について考えてみました。shelline-oblate.cocolog-nifty.com
https://assumpta.synapse-blog.jp/.s/pace/2018/03/post-479a.html聖母に倣いて:ご聖体拝領assumpta.synapse-blog.jp
罪を捨てて、重荷をすてて、、、じゃないと天国にいけないそのための高速道路は、これ!彼の遺体は、アッシジにあります彼はおばさんがいたのでよくアッシジにいっていて自分が帰天したら、Assisiに葬ってほしいということで今も腐敗せず、そのまま遺体が教会に安置されています彼の叔母さんにもあってきましたロザリアさんでしたこれまたびっくり^^知人のシスターが友達だったので、お会いしてきました💛小寺神父様が和訳したビデオがみあたらず、、、再度さがしてみますね本人に
(十字架の聖パウロの言葉)「ご聖体拝領は、魂を神と一致させるための最も効果的な手段です聖なる宴のための最善の準備は、自分自身をよく清め、ご聖体に最初に触れる部分である舌に注意することですご聖体拝領の当日は、自分の心をご聖体であるイエスの生きた幕屋として保つように努め、イエスを礼拝することによって、しばしばイエスを訪ねなければなりませんこれが、神の愛が教えてくださることです王子が自分の使者を遠い国に派遣する時、使者が安全に目的地に到着することができるよ
《イエスの聖なるみ名の不思議》(第9章)イエスのみ名によってすべてを求めることができます(天使)天使は私たちの最も愛すべき親友であり、あらゆる困難や危険の中で私たちを助ける用意があり、また実際、助けることができます多くのカトリック信者たちが天使のことをよく知らず、愛さず、助けを求めていないことは、本当に嘆かわしいことですそうするための最も簡単な方法は、天使に敬意を表してイエスのみ名を唱えることですそれによって、天使たちにこの上ない喜
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫第10章:イエスとマリアのみ心への2つの偉大なノヴェナ1942年8月15日、イエスさまは私に大きなお恵みを与えてくださいました幻視の中で、イエスさまのみ心とマリアさまの汚れなきみ心を讃えてノヴェナを行なう人々のために、イエスさまは私に偉大な約束を与えてくださったのですイエスさまは私にこう言われました「わたしの娘よ、あなたの御母を世界の元后として見なさい母親を愛する幼子のよ
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫命を奉献するための祈り「私の愛するイエスよ私は聖なる三位一体のみ前においてまた天の御母と天の全宮廷み前においてあなたのご聖体のみ心と聖マリアの汚れなきみ心のご意向に従って聖なる三位一体の神を礼拝するために私たちの罪の償いのために私たちの母なる教会の一致のために私たちの司祭のために私たちの司祭の召命のためにそして、世の終わりまでのすべての魂
《ラッコニージの福者カトリーヌの伝記より》主は1526年から1529年までの3年間、カトリーヌが聖なるごミサの中で、半分が黒く、半分が白くなっているご聖体を見るのをお許しになりましたそのご聖体は、神の正義を意味していましたそしてそれは、神が善人と悪人をどう扱われるかを示していました(ご聖体の)黒い部分は悪人を表わしていました悪人は黒いので、永遠の火の中に入ります白い部分は善人を意味しており、その善は清められ、更に無垢な白となるのです
《煉獄を避ける方法》(第8章)6の手段:死を受け入れる煉獄を避けるための第6の方法は、偉大な聖人たちによって私たちに伝えられていますそれは、病人が自分の死期を悟り、完全なる諦めの心をもって神に自分の死を捧げる時、その人は真っ直ぐに天国に行ける可能性が非常に高いということです死は罪に対する大いなる罰であり、私たちが当然受けるべきものとして、従順と諦めをもってそれを受け入れる時、その行為は神を喜ばせ、私たちのすべての罪を完全に赦してくださるかも知れ
《煉獄を避ける方法》(第6章)第4の手段:告解、ご聖体拝領、ごミサ私たちが煉獄に居る時間を短くし、あるいは完全に避けることのできる第4の手段は、頻繁な告解とご聖体拝領、そして毎日ごミサにあずかることです告解は、キリストの尊い御血を私たちの魂に適用し、私たちの罪を拭い去り、その罪を見抜く光を与え、罪に対する恐怖で満たし、何よりも罪を避ける力を与えてくれますそしてご聖体拝領において、私たちは無限の愛と御憐れみの神、すべての聖性の源である神に与ること
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫廃墟の幻主が先ほどの指示の説明をしておられる間、私は幻の中で廃墟と化した町や農場、修道院、荒れ果てて見捨てられた聖堂や教会を見ましたイエスさまは嘆きながらこう言われました「ああ、わたしの司祭たちよわたしが教会を去らなくても良いように、教会を清めてくださいいのちの光が消えようとしている町や住民たちを憐れみ、さらにわたしが世を罰することを余儀なくさせている罪深い司祭たちを憐れ
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫司祭に対するイエスの不満1944年、主は私にこう言われました「わたしは教皇にメッセージを与えたいと思っていますなぜなら、多くの司祭たちがわたしを侮辱しているからです信者たちも、わたしに奉献されている魂たちも、犠牲の実行を免れることはできませんわたしの教会から犠牲の精神を失わせることは、罪を増加させることになるということを知らなければなりません」ご聖体拝領
≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫不思議な訪問者私はひそかに聖書を読み始めました最初に感銘を受けたのは「裁いてはなりません、裁かれないためです」(マタイ7.1)「あなた方がこれらのうちの最も小さな者にすることは何でも、わたしにするのです」(マタイ25.40)でした私は14歳の時にフランシスコ会の第3会に入会し、15歳の時には結婚はしたくないとハッキリ表明しましたイエスさまだけが、私を絶えず
≪彼方(地獄)から現代の教会への警告・第2部≫21.祭壇の祝福されたご聖体について(イスカリオテのユダ)「祝福された聖体、祝福された聖体それはもはや崇められることなく、完全に片隅に放置されている(祝福された聖体の)礼拝は滅多に行なわれない伝統主義者たちが居る教会では、まだいくつかの(聖体の)礼拝の儀式が行われているしかし・・・・この秘跡がどれほど偉大なものであるかを知っていたら!」(エクソシスト)「続けなさい、その
(神秘家マリア・グラフ・スーターの「神の愛の啓示」より)1949年10月26日「ご聖体拝領の後、私はイエスに、イエスが私に与えられた仕事を成し遂げることができるように、私の中に留まってくださいと祈りました。するとイエスはこう言われました『罪深い人間たちに対するわたしの愛は、わたし自身を再び十字架につけることができるほど偉大です』私はイエスに言いました『わたしの神よ、わたしはあなたのために何ができるでしょうか?』イエスは
いつもブログをご覧いただいている方はご存知のとおり、私はフルタイムの仕事の傍ら、動物保護施設で週に1回ボランティアをしてるんですが、それに加えてもう1つボランティアをすることに致しました~。今度はどこの何かと言いますと、うちの教会のボランティアでございます。私はカトリック教徒なもんで、我が家から車で20分ぐらいのトコにある教会に通ってるんですが、ちなみに数ある教会の中で何でここの教会に決めたかっつーと、コロナ禍でもイースターのコンフェッションをやってたから。詳しくはこちら↓
「主のご受難の黙想)聖アルフォンソ・リゴリ(第2章イエス・キリストのご受難が私たちに求めるもの)イエスは十字架上で私たちのために死ぬことによって、ご自分の御血と御いのちをすべて私たちに与えてくださいましたけれども、私たちが自らを完全にイエスのために捧げることを望んでおられることを表現される際に、あまりにも多くのことを求められ過ぎているのではないでしょうか?それについて、使徒(聖パウロ)はこう答えています「キリストの愛が私たちに迫っているの
年間第14主日。今日は集会祭儀でした。主任司祭は5か所の教会を受け持っているので、月に一度くらい集会祭儀があります。御ミサと違って、ありがたみが薄いように感じます。集会祭儀でもご聖体がいただけるので、良いんですけどね。昨日は暑くて窓を開けて寝ましたが、朝方寒くてタオルケットを掛けて寝ました。起きて窓を閉めるのがめんどくさかった(笑)暑いので昨日から外出から帰ったらショートパンツを穿いています。ゴミ出しはそのまま行きますが、コンビニまでは行けません(笑)今日も31度越えです。
(神のはしためベニーニャ・コンソラータへのイエスさまからのメッセージ)「わたしの憐れみの使徒である愛するベニーニャよ、書きなさいわたしがすべて愛であるということを人々が認識することがわたしの最大の望みであり、わたしの善意を疑うことは、わたしのみ心に与えられる最大の苦痛ですわたしのみ心は憐れみを示すだけではなく、あなたが償いを残しているほど喜びます・・・わたしは餓え渇いていて、被造物(人間)の心の中に入りたいと言う欲求に燃えていますそのことをすべての人
主の御血の祝日ランチャーノでもご聖体とカリスの中のワインが御血になりそのまま凝固されているのがありますそして、マントバにもロンジーノ(100人隊長)がここまではこんで、ここに安置されており、毎年聖金曜日に公開されます私もその御血を礼拝するために、マントバにこの日にいってきましたそして、その御血、、主の流された御血は、全ての霊魂を救うための犠牲となった、人となった神の聖なる血液RHマイナスABの人は、余計にうれしいですね聖骸布にイエズスの御血のすべての証
(聖ジェンマ・ガルガーニの手紙)ジェンマからヴォルピへ補佐司教へ1900年3月「神父さまきのうの夕方、告解室から出た時、私はとても悪い状態に陥りました悪魔が私にあなた(ヴォルピ補佐司教)について、酷いこと、悪いこと、汚いことを言い始め、もしそれに同意しないなら、私をバラバラに引き裂くと言ってのです悪魔は私に恐怖を与え、私はその恐怖で倒れそうになり、悪魔が帰り道で私に行ったことのために、私は最後には腹を立て、恐ろしい夜を過ごすことにも
(エルサレム修道会ー私たちの祈りの生活ー)「祈るということは熱心に井戸を掘るようなものであり、私たちは(私たちに)いのちを与える(神との)対話を日々深めながら、なくてなはらない関係に身を捧げています私たちはレクチオ・ディヴィナ(聖なる読書)や典礼において神のみことば(聖書)に耳を傾けることによって、またオレゾン(教会で共にする沈黙の祈り/念祷)やご聖体礼拝を通して、このことを体験しますまた、私たちは交通機関による移動中、仕事中、家事や事務仕事中など、一日を通して
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神父様ようやく、痛みと薬から解放されて、思い切り、マリアさまと、イエズス様、ヨゼフ様と宣教ができますねこれからもよろしくお願いしますねお席とっておいてくださいね信心会の人たちもお会いできるのを楽しみにしています!今月の会報はだせない、、、と先日、ご連絡いただいたばかりでしたが、、、大丈夫です天国からお便りくださいね!待ってます!
ロジェ神父様60年の宣教を無事に終えて、やれやれとご昇天されましたご聖体の日に!絶えざる御助けの聖母の日は天国でお祝いですね「やったー!」ですね神父様私達の為にお席とっておいてくださいね
神父様、マリア様の祝日は、一緒に天国ですね「やったー!!」ですね先日、お電話で「やったー!」をきいたばかりだったのにびっくりです今日、ミサの後連絡が来て、、、おととい神父様にTELしたら、でないから、、、治療してるようだけど、あまりにも痛いなら治療しないほうがいいのに、、、とおもっていましたが、神もそのようにしてくださいましたね叙階、来日の60年お祝いができてよかったyoutubeでもいくつも講座ができて、よかった!アルフォンソの本もできたし
(神のはしためエドヴィージュ・ガルポニの日記より)「ある日、ご聖体拝領をした後、私は自分が大草原に居ることに気づきましたそして私は玉座に居られる大きなマントをつけられたキリスト信者の助けのマリアを見ました平原には、ひどい風と火の嵐が吹き荒れていましたすると突然、聖ヨハネ・ボスコが現われました聖ヨハネ・ボスコは嵐の中を走り回りながら、そこにいる男女にマリアのマントの下に身を隠して助かるようにと呼び掛けましたそして何千人もの人がマリアのマントの