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勤務校の教頭先生と話していて、「気持ちを引き出す力」について考えた。自分はまだまだだから、これからも磨いていくことは大前提なんだけど、今の私がいつも意識しているのは、とにかく、決めつけない自分が思い込みをしているかもしれないといつも気づいておくことだと改めて思った。言葉一つひとつ、人によって浮かべていることは全く違うことがある。日常会話ではほぼ問題ないことだけど。理解するのは言葉だけではないけれど、言葉の世界で生きている私たちにとっては、やはり言葉は大切。その人の言葉、私自身の
テニスのコーチ本でもあるので、テニスをやる方には、より理解しやすいかもしれない。でも、テニス以外のスポーツにも、子育てにも、そして、人生にも通じる、読み応えのある本でした。自我、思考にコントロールされるのではなく、自分の芯に繋がって、それを信頼すること。自分の感覚を信じ、自己と向き合う静寂を作ること。それが大切だと思った。印象に残った文。↓「イメージは言葉に勝り、示すことは教えることに勝り、教えすぎは教えないことに劣る」幼児期や少年期に教え込まれた価値観、世間一般的に受け入れられて
不安。誰もが、少なからずあるのではないでしょうか。先日、数分間で自分の中の不安を言葉にして出し尽くす、というワークをやりました。出そうと思えば、出てくる出てくる😅不安は無くすことはできない。これはACT心理療法の根底にある考え方でもあると私は思っています。だからこそ、不安とどう付き合っていくかは、人生の質にも影響してくる。不安はあってもいい。でも、感じたらそれを手のひらにそっとおいてみる。可能なら眺めてみる。そして、それをギュッと握り締めてみる。最後に、手のひらをパッと開
20代の頃、自分が、生まれてきたからには何か使命があるはずだと思っていた。だから、それを追い求めていた。意識的にも、無意識的にも。「何で生きなきゃならないの?」という質問は、通信制高校の教員時代から、何度もされてきた。30代の頃は、どちらかというと年上として何か言わないとという気持ちが大きかった気がする。そのときに生徒達とどのように話したかについては全く覚えていないが、私の考えとしては、「人の役に立つため」「魂を成長させるため」という感じだったと思う。40代になると、それ
娘がイッテQ!好きで、録画してまで観ている。たまたま私も一緒に見ていたら、デヴィ夫人が若い女性タレント達に次のように質問している場面があった。「とても愛している年収200万の人と、愛はない200億の人とどちらを選ぶ?」女性タレント達は皆、前者を選んでいた。それに対する夫人の考えは「愛のない200億の人を選んだ方がいい」というもの。よくよく聞いていると、結婚生活を送っているうちに、「いい生活」「いい洋服」などを見ることになる。元々愛していた年収200万の人でも、だんだん「
カウンセラーを批判するカウンセラーが多いと感じる。同じように「カウンセラーは同業者に厳しい」というTwitterを見たこともある。なぜだろう?劣等感の裏返し?優越感の誇示?妬み・嫉妬?自己顕示欲?承認欲求が強い?自分自身を振り返ると、「カウンセラー」に厳しい考えが浮かんでいる時は、上に挙げたもの、すべて入っているかもしれない。それに気付くと「自分は自分」と思えて、ラクになる。当たり前だけど、「目の前の人の役に立っているか」それが全てだということ。合う・合わない
「変な人」「変わってる人」と言う言葉、私も、子どもの頃を含めて、何度も使ったことがある。でも、ここ数年、使わないように気を付けている。個人的には、息子のことを、小学校の時の先生と、高校の時の担任に「変わってる」と言われたことがきっかけの1つ。少なくとも私には、その言葉が好意的に聞こえなかったから。「変わってる」と言えば、皆そうだ。「同じ」などあり得ない。あと、「変わってる」というのは、あくまでも「自分と比べて」とか、「普通は」とか、「世間的には」とか、よく分からない基
先日、「はい、お母さんにお土産」とくれた。時々こんな風にお土産をくれる。ご機嫌取りかもしれない(笑)しかも「since1971」という表示。コーヒービートって1971年にできたんですね。私と同じ年。「お母さんの生まれ年が書いてあるじゃん!」と言うと「あ、ホントだ。気付かなかった」と。知らなかったのか(笑)この、筒シリーズチョコの中でコーヒービートが一番好き。それも嬉しいけれど、何より、娘が買ってきてくれたから、喜びは何倍にもなる。ありがとうございました。
小学生から専門学生までのスクールカウンセリングをしているが、「失敗するのが怖い」という訴えは本当に多い。あらゆる場面で見たり、聞いたりする。訴えがなくても「失敗が怖いのかな」と想像できる場合もある。人は失敗する生き物。私も失敗するのが怖いけど、今は、苦い経験からそれを最小限にできるように心掛けている。小さな失敗は日常茶飯事だ。でも、失敗を想定しないことが日常化することほど怖いことはない。・人は見落とす失敗をすることがある・人は忘れる失敗をすることがある・人は自分の、「
過去を振り返ることは意味がないとは思わない。振り返って、次に生かせることもあるかもしれない。ウェルビーイングに繋がる過去なら、むしろ大切にしたい。でも、そうではない場合。罪悪感、後悔、憎しみ、恨み、傷つき……(今書いているのは、日常的によく起こりうることを想定している。)それらを忘れたり、感じてはいけないと否定したりする必要は全くないと思う。そこに「在る」ことを認め、「在る」ことを許し、ちょっと隅っこに置いておく。そして、考える。大切なのは、「今、どうするか」。それによって、
スクールカウンセラーとして、小学校1年生から高校3年生までの子どもたちと話します。話す言葉や切り口は年齢によって違いますが、基本的な姿勢は変わりません。私が特に意識して気を付けていることは2つです。1つは、目の前の子の興味・関心があることに、興味・関心を持つこと。とは言え、私の場合は、関わる子が興味・関心があること全てを体験したり、調べてみたりすることはありません。例えば、アニメやYouTubeなど、観ることが可能なものは出来るだけ観ます。でも、ゲームは苦手なので敢えてやってみたりす
22歳の娘に「お母さん、これいいよ。」と言われ、ちゃんみなさんの『美人』という曲を聴いた。Ado以来久しぶりの衝撃。ちょっとK-POPっぽいと思ったら、韓国人とのハーフらしい。容姿のコンプレックス。私もずっとあった。ずっとずっとあった。今だってくすぶっていて、何かのきっかけですぐに火が戻る。でも、さすがに若い頃とは違って、そこだけを見ているわけでもないし、自分に自信がないわけでもない。というか、見た目はあまり関係ないと思えていることが多い。もちろん、清潔さとかは必要だし、怠慢で、
「今時の若いモンは云々」は、人類始まってからずっと言われているのかもれません(^_^;)90代のおじいちゃんが、70代のおじいちゃんに言う笑い話があったような記憶があります。そもそも、年下は年上から見たら、経験が少ないことが多いのだから、目に余ることがあって自然だと思いますけどね。ただ、今の私は、年齢とか経験等が関係ないところで、人の偉大さ、尊厳のようなものを感じています。関わる方たちから学んだことです。だから、「今時の若いモンは云々」自体、ナンセンスだと思ってる。おばあちゃんになっ
人間関係で一番苦しいことは、相手を自分の思い通りにしようとすることだと、最近強く思う。私は、仕事におけるストレスはほとんどない。1ヵ所に留まる勤務ではなく、1ヶ月に7つの学校を廻る勤務状態というのもあるけれど、関わる先生方に恵まれているのだと思う。それに仕事の場合、たぶん、誰かを自分の思い通りにしよういう考えそのものがない。私がストレスを感じる人間関係は、家族や親戚が多い。元々夫婦どちらの実家の方も、特に親戚関係がうまくいってなかった。中学生の時に、清少納言が枕草子の中で「近くて遠
プライベートではそんなに意識していないけれど、仕事において、「言葉」の使い方はとても気をつけている。一言一句、自己モニタリングしている感じだ。「言葉」の意味を決めつけ、思い込まないように……。特に中学生、高校生と話す時は心をより砕く。もしかしたら、その言葉が、致命傷になってしまうかもしれないと。それは、自分にとっても、相手にとっても。言葉が人を如何様にも動かしてしまうことがあることを改めて胸に刻みたい。ありがとうございました。「子どもの笑顔とイキイキは、大人のイキイキから。」
昨日、石村郁夫先生による「自殺予防のためのセルフ・コンパッション」一般向けセミナーを受けた。その中で、厚生労働省の小中高自殺者数推移グラフが引用されていた。もう一度見たくて調べたけれど見つけられなかったのだが、1986年が、小中高どの年代でも突出していたのがまず目に入った。私が15歳、中3だ。岡田有希子さんの自殺があった年。私は、その話を友人から聞いたが、今でもその場面をありありと思い出すことができる。特にファンであったわけではなかった私でも、若いアイドルの死は衝撃的だった。ま
「悩み、なさそうだね」「のほほんと生きている」「純粋培養で育ってきた人には分からない」20代~30代の頃に人に言われた言葉です。一番衝撃だったのは最後の言葉で、当時60代(たぶん)で、大企業のトップを経験していた方でした。腹が立つと言うより、こういう大人になりたくないと思いました。「若い」「女」というだけで判断されていると感じる面が少なくない時代でもあったと思います。もちろん、私自身の在り方や捉え方にも、少なからず問題があったと、今は分かります。50代。まだまだ成長して
「表に出ている面だけが私じゃないのに。」というSNS投稿を見ました。最近ご活躍なので、何か言われたのかもしれません。でも、そんなこと、分かる人には分かると思います。SNSで見えている面は、人の一面どころが、一点でしかないと。一面(一点)を見て何か言う人は、放っておけばいい。それで、去る者追わず。ありがとうございました。「子どもの笑顔とイキイキは、大人のイキイキから。」山﨑里美(*^-^*)
私がスピリチュアルを知ったのは30代の頃です。当時江原啓之さんがよくテレビに出ていたのもありますが、江原さんの本を読んだのがきっかけでした。両親ともに実家は神道なので子どもの頃から神棚があり、「神様」という存在は身近に感じていました。畏怖のようなもの、でしょうか。でも、江原さんの本を読んで一番ストンと落ちたのは「人は、魂の存在である」ということです。肉体と精神と魂。だからか、と、子どもの頃に感じていた、肉体と心(自分)のズレのような感覚の正体が分かったような気がしたのです。
昨日、数年ぶりに占い師の先生の開運勉強会に参加した。元々は横浜中華街にいらした先生を、友人が静岡に呼んでくれているのだ。今回はテーマが親子関係だったこと、夏休みでタイミングが良かったこと、先生や友人にも会いたくて参加することにした。「心配するのは相手を信用していないということ」よく言われることではあるが、この言葉を聞いて、いろいろな反応があると思う。私は、親が子どもを心配するのは自然なことであるとは、思う。でも、51歳ではあるが「娘」として、心配されるのが苦痛でしかない
前回の投稿から随分時間が経ってしまいました。基本三日坊主なもので……σ(^◇^;)最近思うこと。去る者は追わず。例えば、相手の気持ちも考えつつ、自分の気持ちを尊重して誘いを断る。そのことで相手が気分を害したり、断ったことに対して不満を伝えてきたりしたら、どうでしょうか。多くの人がそこに「気をつかって」断ることができずに後悔していることがあるように思います。年齢に関わらず、です。自分の言い方に問題がある場合は、そこを振り返って見直す必要はあるかもしれませんが、も
月に一度は地元ラジオの日。今回のご相談は、中学3年生の女の子からでした。「中学3年女子です。お世辞が言えなくて悩んでいます。小さい頃から、思っていないことは絶対に言えない性格で、みんなが『可愛い』とか『すごい』と言っていることも、本当にそう思わなかったら適当に合わせることができません。今の友だちはこわいとか性格わる!とか言いながら付き合ってくれてますが、社会に出たらこういう人間は失格でしょうか?人と関わる仕事なんかは難しいのでしょうか?それでもこの性格を治せる自信はないのです」
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先日、勤務高校で、自分の心を見える化してみるという講座を開催しました。高校生たちに説明するために、前日に描いた自分の絵を紹介したいと思います。これを高校生たちが見ることで、感覚やイメージが引っ張られないか不安もありましたが、そんなことは全くありませんでした。むしろ、例を示して、私自身が感じたことをそのまま伝えたことで、高校生たちが自らの心を描きやすく、表現しやすくなったのではないかと思います。写真の、グルグルしたものがネガティブな私の絵です。描きながら、分からない自
勤務している高校で、対人援助職に興味がある子や、人との関係をより良くしたいと思っている子が受ける講座を開催しています。第1回レジリエンス、第3回コンパッションを含めて単発OK、全3回シリーズの講座です。そして、第2回「アート感覚で自分発見~心を見える化してみよう~」が、先日行われました。全体の流れは、ネガティブな心を表現し、マインドフルネス(グラウンディング)で気持ちの切り替え、ポジティブな心を表現し、最後に両方を統合するというもの。この講座内容は、ギリギリまで試行錯誤
「自信がない」という言葉、よく見聞きする。若い頃、母に「もっと自信を持ちなさい」とよく言われた。母は褒めてそう言ってくれたのだけど、そもそも「自信を持つ」ということがどういうことか分からなかった気がする。そして、現在50歳。今は、「自分の生き方」に自信を持っている。自分が「学校現場でスクールカウンセラーという仕事をすること」にも自信を持っている。ここで補足が必要だと思うけれど、この自信は、自分がこの仕事をして生きていくという覚悟の自信である。だから、スクールカウン
今年、結婚して25年を迎えた。銀婚式と言うらしい。25年間「松島里美」として生き、25年間「山﨑里美」として生きてきたことになる。最初は慣れなかった「山﨑」も、今はすっかり自分自身となった。私の人生の本番は50歳から。いろんな場面でそう言われてきたし、自分自身でも、直感的にも、起きている事のタイミング的にも、そう思う。話題がコロコロ変わって申し訳ないけれど……私は飽きっぽい。あんまりいい意味ではなくσ(^◇^;)熱しやすく冷めやすい、とも言える。そんな私
久しぶりの投稿になってしまった。最近何となくやる気が出なかった、いろいろと。雨が続いて、化粧をしない日もあると、さらに良くない……。鏡を見たくなくなる。ダメだ~と思う。今日は、1日集中力が要る仕事だった。日中は、嵐のようなどしゃ降りもあったけれど、帰る頃にはすっかり晴れて……案の定、頭痛。Eve様々で、今は良くなった。ということで、一服したくて、コメダにいるのです。甘いものが飲みたくて蜂蜜オーレウインナー。でも、仕事はいいね。今は夏休みだし、コロナ禍もあって、
コロナが流行り出して、1年半。2年前とはいろんなことが変わっている。facebookで数年前の自分の投稿が流れてくるが、みんなで顔を寄せてギュッと写真を撮ったり、ライブに行ったり、そんな頃が遠い昔のような錯覚に陥ることがある。でも、たった2年前なんだよな~と思う。人と集まるのが好きで、頻繁に飲み会をしていた人達には、今、とても「生きづらい」面があるのではないかと思う。でも逆に、1人が好きで人と関わるのが苦手な人にとっては、2年前とは一転「生きやすく」なっているかも
魔女に身体を盗まれる女の子の話。久しぶりにハラハラドキドキした😅と言っても、これも読み直ししたもの。子どもの頃は、時々児童文学を読んだし、中学生・高校生の頃は、赤川次郎が大好きだった。でも、それ以外、小説というものはあまり好んで読まなかった。これは、大人になってから小説が好きになったきっかけの本で、30代の初めに読んだ。20年くらい前だから、全然覚えてなかった。これは、10代20代にも読みたかった~と改めて思う。老いることについて、全く実感がない頃に……。前回印象に残っ