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古い写真を見つけてくれた人がいる。パソコンで処理すると、少し、鮮明になる。道路が、まだアスファルトになっていない。電線に引っかからない様に、上手に提灯を飾っている。もしかしたら、「旭号」でなく「旭引田」と書かれているのかな?。
地元の人もあまり知らない林道神沢線について、情報を整理しました。航空写真で、およその場所を紹介すると、本当に山の中です。下の地図で赤矢印で示した道が、林道神沢線です。北遠まい茸センターの近くに、林道への出入り口があります。一方通行では、ありません。従って、とりあえず、車が通過できる道があるはずです。白いガードレールの部分は橋で、小さな川がその下に流れているはずです。「林道神沢線」という看板が見えますか?。もう一つの、出入り口が、天竜区熊のガソリンスタンドの近くにあります。誰か、
アイフォンで、昔の航空写真地図を見ることができます。このアプリは、1976年や、さらに古い1965年の写真などと比較することができます。田舎で過疎化が進み空き地になると、その場所に草や木が生え、地面の境界が不明瞭になります。その場合、不動産管理においてもトラブルが発生します。そんな時にも、この昔の航空写真は、役に立つかもしれません。道の駅くんま水車の里の辺りは、広い田んぼでした。柴という集落には、丸芝製茶協同組合や縄文時代の遺跡のヒラシロ遺跡がありますね。このアプ
昭和7年の印鑑がありますね。国立国会図書館のホームページから、誰でも閲覧できます。「秋風帖」「御恩制度」で検索すると、下記のページが出てきます。「一流の平和地」と熊村を誉めてくれているから、良い印象だったのだろう。ーーーー記載されている内容は下記の通りーーーーー・学校の校庭で、旦那衆が消防の演習をしていたらしい。・昭和初期には、熊村中心部に150軒近くの家があった様だ。・その内の120軒位は、移住者で、移住者の2代目3代目もいた。・この土地では、移住者を親切に世
相津バス停付近にある夢のかけ橋を渡って、月集落を目指す。この辺りは天竜川と言っても船明ダムの貯水エリアになっているので水の流れは至って緩慢。本流はいつもこんな感じだったような気もする。水窪川とか支流に入ると清流なのが対照的。<月部落の碑、夢のかけ橋>この橋はアーチが5~6個くらい連なっている。月に向かう道なんだから月への架け橋、これがホントの渡月橋と呼んでもいい。中央部だけ橋幅が広く、人工芝を張ってあるのでちょっと足を取られる。<伊砂ボートパーク、「いすか」と読む>
"みんなに、おいしく、おもしろく"明日はこんな日なんですよ!8月11日は【きのこの山の日】&「くんま」の詳細はコチラから↓明日はどんな日|8月11日版「免許取得はお任せ!」★自動車学校の悩みが全部解決!★・入校前・技能教習の悩み・学科教習の悩み・「みきわめ」とは・検定の不安元ベテラン指導員が解決!↓車の免許取得をお手伝い|全69教習項目のポイント公開【お見逃しなく!】免許取得の大きな難関【学科試験】スマホでサクッと勉強して学科試験一
静岡県浜松市天竜区熊に向かう途中、昼間なのに、ひぐらし蝉がないてくれました。まだ、ここは、工事中。途中で立ち寄った天竜森林組合では、色んな木工品が、ありました。
故郷浜松から、日本全国、そして海外へ。歌と愛をお届けしているシンガーときどきソングライター太田幸希ですVol.107涼みを味わう連日暑い日が続きますね。皆さま、体調崩してませんか?僕が住む静岡県浜松市は、連日40℃近く続き、くたばってしまいます。そんな中、父の生家がある浜松市天竜区熊に流れる阿多古川で涼みました。久しぶりに川の水に触れたら、こんなに冷たかったっけ?と驚き。そりゃ幼い頃の夏休みに川で遊んだたら、すぐ唇が真っ青になったりしてたなぁ。しかもお昼を過ぎたら
お茶摘みの時期だが、機械化したせいか、昔の様な人出はない。五平餅は、相変わらず人気。自家製のコンニャクも地元らしい食品です。熊小学校の児童が考案した、センスの良い、レジ袋。きゃらぶきが、柔らかくて美味しかったですよ。以前は梅ジャムを注文しました。今回は柚子ジャム(冷蔵保存)を注文しました。シャガの花:天竜区熊の山の中には多い。東京では見られないから、見つけると嬉しい。静岡県県浜松市天竜区熊(くんま)は、この様に、山の奥です。では、また。
5月5日あっという間に連休が終わってしまいます天気は最高に良いので、頭の中を空っぽにしに行く旅に。どこも混んでそうなので、近場で天竜方面へ。県道9号ってまだ通行止めなのかなぁ?確かめるべく、熊方面へ向かってみます。残念ながら崩落工事のため通行止めです。迂回路がありますが、激狭なので要注意です!今日はカブなので、迂回ついでに大栗安の棚田を覗いてみました。いつのまにかマップが出来てる・・・。入口は微妙
徳川信康は、静岡県浜松市天竜区の二俣城に居た。天竜区には、信康に関連した物が多い。家康→「浜名湖のうなぎ」が頭についている。袴は「ピアノの鍵盤」。信康→「天竜の名産、しいたけ」が頭についている。袴は「天竜杉の木目」。二俣城は、この橋を見下ろす(写真右の)山の上にありました。では、また。
静岡県浜松市天竜区熊・大地野からの花の便りです。(2024年5月初)熊中学校の同級生が送ってくれました。大地野は、いつも、空が綺麗。向こうに、茶畑が見えます。お茶摘みは、もうすぐですね。「春に、新芽が真っ赤になる種類のもみじ」らしい。新芽から紅が楽しめる。熊地区は、各集落ごとに海抜が異なる。従って、その平均気温も少し異なる。更に、花の開花時期や茶摘みの時期も、各集落ごとに異なるという特徴がある。では、また。
2024年5月の連休中の自身のブログで、ヒラシロ遺跡について触れた。https://ameblo.jp/kunma-tenryu-photos/entry-12850859833.html更に、この遺跡について説明する。縄文時代中期のヒラシロ遺跡は、静岡県浜松市天竜区熊・柴地区にある。また、すぐ近くに、(農林水産大臣賞を受賞した)丸芝製茶工場がある。この年表は、遺跡の中にある資料館に展示されていた物。この遺跡が、蜆塚遺跡よりも古く、紀元前の2500年頃のものだとわかる。つまり、今か
浜松市天竜区熊の大栗安という集落(江戸時代は幕府の直轄地でした)。アザミの花が、所々に咲いています。ウグイスの声もよく聞こえます。本村の棚田に水がはられた箇所もあり、綺麗な眺めでした。この花を撮っていたら、蛙(カエル)の声がよく聞こえました。大栗安には、「本村の棚田」と「檜曽礼の棚田」の二つの棚田があります。では、また。
天竜美林藤の花(横山→石打バス停までの間で撮影)シャガの花(東京では見かけない花)一本杉→峰に向かう途中で、シャガの花がたくさんある所を発見。柴と言う集落(1)(縄文遺跡のヒラシロ遺跡から見下ろす風景)鶯の声がわかりますか?。柴と言う集落(2)ヒラシロ遺跡と鶯の声ーーーーー静岡県の県道「横山熊線」は、「熊小学校」で検索して場所を確認すると良いです。
静岡県浜松市天竜区熊の道の駅で、ウッド・フラワーを購入した。すごく、しっかりとした作りになっている。裏側も美しいです。茎が細く長いから、おしゃれです。茎も、驚くほど、しっかりした素材。木目や色調は、自然の産物だから、一つ一つ、異なる。お問い合わせは、くんま水車の里まで。ーーーーーーーーーーーーーーーーでは、では、、、、。
石垣に咲く、野いちごの花。天竜と東栄(愛知県)を結ぶ道路が、この地域を縦断している。枝垂れ桜の周りに色々な樹がある。そして、空が綺麗。これは、落とし物。🦌。静岡県浜松市天竜区熊大地野(おおちの)の航空写真では、また。
2020にETCを新しい物に交換し、飯田市まで一泊ツーリング・・・の予定がコロナで中止。そのままシェルパに乗らずお決まりの不動に。あれから4年。スーパーシェルパが快調になって保険にも入り直し、天気も良く桜も満開と言うことで、6日土曜日に熊の道の駅までS君とツーリングに行って来た。久しぶりに走る熊への阿多古川沿いの道は空いていて気持ちいい。やけに空いていると思ったら道の駅くんま水車の里少し手前の所が、がけ崩れで狭い山道を迂回。道の駅に着くと、バイクは殆どがオフ車に納得。
故郷浜松から、日本全国、そして海外へ。歌と愛をお届けしているシンガーときどきソングライター太田幸希ですVol.97春になると嵐のような日を過ぎたら、一気に暖かくなり春というか初夏のような浜松。皆さまは如何お過ごしでしたか?お彼岸にお墓参りに行けなかったので、今日行ってきました。両親とも浜松市天竜区にご先祖さまのお墓があり、毎回同じようにお線香を手向けにいく。ちなみに父は天竜区熊に、母は上阿多古長沢にある。とにかく山に囲まれた自然豊かな土地。少し前の嵐の名残か、道には枯葉
浜松市天竜区熊の繁華街の動画です。市場〜旭地区う〜ん、昔は必ず一人くらいは道を歩いていたのに、人を見かけなくなりましたね。空き地が増えたのわかりますか?。江戸時代には市場が開かれ、今も市場と言われる集落です。郵便局も魚屋もナショナル電気屋も美容院も理容室もない!旭と呼ばれる地区には、洋品店も畳屋さんも旅館も昔はありました。(動画は撮影者の許可を得て掲載)
2024.02.28(水)東海自然歩道を歩いてきました。ついに愛知県の完結編となります♪愛知県の東端にある鳳来山の麓から県境を越えて、静岡県の秋葉山まで歩いてきました。\(^o^)/②の続きです。09:34くんま水車の里を出発します。次のヒラシロ遺跡までは、4.4km、90分。その次の秋葉ダムまでは、14.4km、230分。まだまだ先は長いです。ここから奥に進んでいく。村田屋旅館の看板が良い感じ♪くんまは、秋葉街道の宿場町だったようで、当時を想わせる町並みが残っています
2024.02.28(水)東海自然歩道を歩いてきました。ついに愛知県の完結編となります♪愛知県の東端にある鳳来山の麓から県境を越えて、静岡県の秋葉山まで歩いてきました。\(^o^)/①の続きです。06:58中央線のある県道を歩き進めます。沿道にはバス路線もあります。07:23百間滝口のバス停を通過。百間滝への道は土砂災害による通行止め。大きく迂回しないと辿り着けない。今日は長距離なので、立ち寄る余裕は無かったけど、どんな滝だったのだろう?07:26路線バスが通過して
昭和37年に、旧・静岡県天竜市熊(峰神沢)にお住まいの方から頂いた雛人形。62年経っても、色があせることなく鮮やかな織物です。
このブログでは、静岡県浜松市天竜区熊石打という集落の場所に、木曽義仲(源頼朝の従兄弟)の子孫が移り住んだ話を紹介する。木曾義仲(Wikipediaから引用)とは、、、。今回見ていただきたい資料は、これ。(静岡県伝説集前編から引用)今回紹介したい記事は、国立国会図書館から探し出しました。昭和2年に発行された様です。拡大すると、、ーーーーーーーーーーーー解説1:「木曾義仲の子孫」について。その名前は「義度」。磐田郡熊村石打(現・浜松市天竜区熊の石打)に住む様になった。
前回の自身のブログで、静岡県浜松市天竜区熊の神沢の農民達が、「大坂の陣」で活躍したことに触れた。https://ameblo.jp/kunma-tenryu-photos/entry-12838409880.html(大坂の陣)(熊地区の神沢という集落は、静岡県西部北方の山奥。)航空写真でわかるように、この地域一帯は、今も昔も、山だらけ!!。大坂の陣などという歴史的事件に、なぜ、山奥から農民が召集されたのであろうか?。ーーーーーーーー天竜市史の江戸時代に関連する箇所で繰り返
これは、「静岡県浜松市天竜区熊の神沢地区」の歴史です。え!?。神沢の人達、「大坂の陣」に参加したの?。徳川家康に頼まれて?豊臣家を滅ぼしに?。マジ?ちょっと、すごすぎる!!。山の中に住んでいるのに?。ーーーーーー神沢の同級生達は、何も言ってなかったから、知らないんじゃないかな、、、。ーーーーーーこの屏風の中に、神沢の人達も描かれているという理屈になる。『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用ーーーーーーーー大坂の陣とは、大坂の陣は「関ヶ原の戦い」から
お待たせいたしました。今年の初雪(2023年12月17日)です。熊中学校の同級生から送って頂いたビデオです。撮影場所は、静岡県浜松市天竜区熊の「大地野」と言う集落と思います。雪が落ちる音?。風がつよく,吹雪の音!!感激!!そして、冷たそう!!大地野(おおちの)は、愛知県の東栄につながる道路沿いにあります。初春には、三椏の花の群生地が見られる場所ですよ。野生の動物も多い。もし運転中に、鹿やカモシカが道の真ん中に居たら、(どいてくれるまで)じっと車を止めて静かに待
前回の自身のブログで、近年、鹿が増加した理由に触れた。その理由の一つは、鹿の天敵であった「ニホンオオカミ」が絶滅したからと言われている。驚いたことに、ニホンオオカミの剥製は、日本でたった3個残るだけらしい。世界中で3個とも言える。その3個の剥製は、下記の場所にある。1)国立科学博物館(上野):常設で見れるのは、ここだけ?。2)東京大学農学部3)和歌山県立自然博物館以前は、江戸時代にシーボルトが、大阪の商人から買って、オランダ人に渡した剥製がオランダにあると報じられていた。
(くんま水車の里ショップより引用)過疎化が深刻な静岡県浜松市天竜区熊の道の駅では、鹿肉カレーを近年積極的に宣伝している。それだけ、鹿が増えて、獣害も増えているらしい。鹿の剥製を見ると、しっかり大きいよ!。こんな物、、、、食べるの?。国立科学博物館の鹿の分布図と、更に新しい環境省の報告を、比較すると、全国的に、鹿が増えている事は、一目瞭然。いくら山奥でも、以前は、鹿を見かける事は滅多に無かった。何故、近年、鹿が増えたのか。環境省の資料を参考に理解しよう。①明治時
母校の熊小学校が、150周年を迎える。しかし、過疎化で人口が減った今、卒業生でそのことを知る人達はわずかである。「せめて、150年記念の祝い気分を何か少しでも味わいたい」と思いませんか?。それならば、150年前の1873年という時代を振り返りましょう。ーーーーーー歴史を調べると、以下の事がわかりました。昭和になって撮影された、熊の尋常小学校の写真は、、ーーーーーーーところで、150年前の1873年はどんな時代?。全ては、「富国強兵」に基づくらしい。また、この年に、岩倉具視等が