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落石がこれでもかってくらい。わたし、いつだかの過去世でなんかすっごい悪人だったのかな。く、くるしぃ〜〜〜。び、びびるぅ〜〜〜〜。わたし、周りが揺れ動いても失敗しても、片っ端からぶっ飛ばして満足に着地できるパワーが欲しい。あ、「だったらこれやってみたい!」アイデアを実行に移す力も欲しい!アイデアは、ある。もっとパワーが欲しい。まずは、こんなでも気持ちが折れなくなった。こんな時でも水張りして下書きして、描きたい絵のイメージがしっかり作れる。パワーは湧きつつある。喜びと不安を
人は失敗する権利もある。誰かから見たら身を滅ぼす愚かでも選択できる。誰かから見たら素晴らしい幸運でも拒否できる。そこには深い意味がある。そんなもの無いかもしれない。どうでもいいのじゃ。出来事には全て実るので好みのものが収穫ができる。思ってるより時間がかかったりするので誰もが収穫できてはいないけど。この世の仕組みを理解するとこの世はぴよぴ世になる。らしいわ。検証してみてるけど、いまのところほんとっぽい。
すごいのでてきちゃった。だから世界を信じていない。だからわたしの癖はしつこい。だから簡単には救えない。いつも騙されてひどい目にあうと恐れている。そして事件は起こり、その後気分がずっと最悪で、何十年も自分を責めてきた。そこについて努力する必要があるなら、もうここでおしまいにして安らぎたい。そんなことがあったのね。よく耐えてきたね、何もあなたは悪くない。そんな理不尽に耐えてきたなんて辛かったね。もう過去からすっかり離れていいんだよ。そう言って、気が済むまで優しく頭を撫でていて欲しい
「めんどくさい」ちょこちょこ出会う。「めんどくさい」いまも言われる。「めんどくさい」わたしも思う。めんどくさいことを避けてはいけません。めんどくさくても丁寧に。めんどくさいなんて、そんな言い草してはいけません。「めんどくさい」に出会うたび、わたしはやな気分になる。わたしはめんどくさいと言われるほど、煩わしい人間なんだ。わたしは、めんどくさいと思うなまけものなんだ。そんなはずないのに…深く傷つく。でも、めんどくさいさんはなんでこんなに何度もしつこくしつこく、
ひさびさにオーダーがありました。お誕生日に「この子のイメージで」と。お母さんの経験した運命の旅の様子も描きました。そこで、この女の子が生まれてくるストーリーが決まった気がするのです。色んなたましいに愛され、うつくしく楽しい冒険の人生をこの子に。宇宙の全てから、守られ可愛がられるように。愛を込めて。絵本の表紙のような仕上がり。彼女によってこの物語は紡がれていきます。白いボックスフレームに入れるつもり。明日届きます。とどいた!++++子どもが大きくなってからも、一
のびのびと自由自在に暮らすことを決める人たちが増えている。思い思いに表現する姿は、本当に美しく心に生きる元気が灯り合う。ああ、こうして変わっていくんだなぁ。インスタやらの配信に目を細める。ブログの記事に目頭が熱くなることもしばしば。そんな中、わたしは少々元気を失っている。けっこう地道に焦らず元気の灯火を灯し重ねてきたのに。ここへきて、もう台無しにするくらい焦り一瞬でどん底へ沈んでしまう。なぜかというと、元気が出ない元気が出ないと言いながら療養していたわたしがいよいよ本腰を
わたしはとにかく頭が忙しい。だから、今目の前のことを味わうのに専念してみる。心に灯った元気が消えないように。わたしが私を愛して、私がわたしを愛しているのを信じられるように。昨日から七日間だけ。これは、頑張ってみる。まだ1日経ってないけど、なかなか難しいぞ。1割くらいしか集中できん。おそるべし、がんこゆぎみー。+++webのお店が二つあります【私の作品のお店ですときどきのぞいてください】トコプルキス(画家のお店という意味です)https://tokopelukiss
生きることの本質(仮)というZoomが開かれている。生きることの本質サロン(仮)作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com興味をそそるメンバーが集結していて、お知らせがあると覗きに行く。それぞれが皆個であって、重い思いに自分のフィールドを広げている人たちがパネラー。「必要があれば試聴メンバーはブログでつながってね」って感じの作りになっている。他人の思考を覗くのは面白い。聞いていると自分の中の何かとつながって、ずるずるぽこんと興味あるものが出てくる
ひどく傷ついてきたのですがっ!いまさら「あれっ?」ってなってる。過去の重苦しい傷が辛く醜いものじゃなくなっていく予感がする。これらもわたしの人生を彩るんだと思う。いままだだけど。きっと。うまく書けるかわからないけれど記録する。(読み返したら書けてない。けど、疲れてしまったのでひとまずここでアップしとく)++たぶん、根っこにある意識家の女はお母さんで、何やっても言ってもおかあさんは毎日ご飯を作ってくれる。家の中では(甘えて、もしくは考えもしないで)人権無視でも家の外では
何年かかけて、ついに完成。こっちが海猫こっちが山猫すごくたくさんの絵を同時に描き始めた時期があって、いくつか完成させたんだけどこの海猫山猫は完成させてもさせても次の日、未完成になる。それがいよいよ本当に完成したサインが来た。いい冒険の旅だった。素晴らしい人生を招くと思う。そうだよ、海招き、山招き、招き猫。しばらく壁に居てもらってから額装する。楽しみ。はぁ〜〜〜。描いた描いた。絵を描く人でよかった。この絵は2枚で購入して欲しい。扉を挟んで左
始めたら終わらせるもの。そう思ってて、終われるかどうかを計った。「今日終われないかもしれない」所々にある理解してないところが気になってしまう。どうしよう、終われないかもしれない。聞いたらもっと混乱するかもしれない。ここ数年、聞けば聞くほどわからなくなる。だから硬直する。調べることに集中してしまう。もうお手上げで、わたしは取り組む方法を変えた。「今何をしたい?」わたしは私にそう聞いて始める。途中でわからなくなる。「今何をしたい?」また違うことを始める。疲れて集中力
実は…「あの世」と「この世」の間には「ぴよぴ世」という楽園がある。桃源郷、竜宮城とも呼ばれ昔話に描かれているが、この楽園のことは他言しないと約束をしてこの世に帰るので他に情報はない。その昔は誰もが気軽に訪れ、心身を癒した場所。重い病に苦しんでいてもここへくれば痛みもスッと引き、心が暗く落ち込んで、苦しみ死んでしまいたい時もここでは一切の重荷を下ろすことができる。ただ在るだけで歓迎され喜ばれ、心底で望むことをみなしてくれる。ぴよぴ世には自由があり、夢は望めば叶っ
1日の中には、いやなことも、いいことも、とにかくどれもこれも確認できないくらい山盛りあります。わざわざ、それともうっかり、感じてしまうどんな日もすべての人が安らいで暮らし、さらなるしあわせを追求できる豊かさを持てるように。きょうも望み、祈り、行動したり。さいきんちょっといい感じです。
いろいろある。まあまあ書くけど書かないこともたくさんある。大きな変化もラッシュ、相変わらずもラッシュ。何もない日はない。相変わらずは、自分にダメ出ししすぎて恐怖と焦りで固まって石になってしまうこと。直し、解きたいと思っていた。ここを越えれば楽になって心がまともに動くだろうと。観察して分析して、仕組みとしてはわかっていることでも、身につくまではすぐに前の状態に戻ってしまう。焦っちゃ余計に空回りするのもわかってる。安らぎが効果的なんで焦らないようにすると決めたのに、「もうじき身
今朝起きてすぐ描いた絵札です。むかしから、なんとかしたくなってしまう。このクセを止めようとしています。わたし、おもってた以上にポンコツで体力のあった頃に無理して決めてたウルトラCも、今では上手にできませんでした。そもそも、なんとかせんでも出来事は好転します。いつか。あーだから、こーだから、そういうことではなくてしたいならすればいい。したくないならしないでおく。どっちにしても、それで起きることは引き受ける。わたしが思う通りに、もう生きましょう。とまたしっかり
いろいろありすぎで書くのが追いつかんわ。そんな今日この頃じゃが…自分が変わっていくのがわかる。しなやかに柔軟になって、硬かった心を解いて変化していく。まだドキドキハラハラ。落ち着かない。変化するのは、そうしたほうが好いからだ。良いと書かない。好いだから。好みが変わっただけのよう。正しくなったわけではない。常に、好みの概念を選び生きてみる。そうしてのびのびと過ごす初めての感覚を喜び、でも一方でこれでいいのか心細くなる。どんぶらこっことこんなふうに揺れながら、どんなでも満喫で
いいですか、と。あんなのダメだよ!これこそ唯一!うんにゃ、こっちがすばらしぃ〜!何言っとりゃぁす、これしかないっ!とかなんとか誰がどこで何を言おうが。これを心に留めておくとそわそわしない。うっかり忘れるけど、そうだと思うよ。
どうしようもないことを、なんとでもするのが知恵のはず。「困難の現場から困難をなくすには」という思考法から、「未来の理想をえがき、何があれば成立するか」という思考法に切り替えた。そうして、今のわたしがある。そんなわたしの考えること。どうしようもないなんて、死ぬくらいなもん。++++わたしは、間違えてもいいと思うの。失敗も大丈夫だし。必要なら取り戻すし。手放すことになってもまたどこかから湧き上がる。悪いのもOKだし、良くったってなんとかなるわ。笑でもさ、子ども
虫唾が走る。びゅーびゅー走る。また、戦争が始まり、定番の悪者をやっつけろ!故郷を守れ!誇りを取り戻そう!大人の社会の自作自演、その上隠れていた偏見が浮き彫りになる。日本のことは、原発事故を通して政治の勉強をしたから向かう傾向が差別や排除思想に満ちてるのは知ってた。わたし、もっと世界の文明は進んでると思っていたよ。とっくに宇宙に飛び出し、世界をケーブルでつないでいるのはまあまあどこでもドアなのに、戦国の時代と変わらずこどもたちは送り出され戦場で死ぬ。太平洋戦争で原爆が落とされ
わたしは、わたしのような人がいたら好きだと思う。そう思える成熟をしたかった。どんなわたしでも、活かし面白く生きていける自分であるならきっと、誰のこともそう思って活し合える気がする。みんなポンコツだけど、いつも想像を打ち破ってうれしい奇跡を起こし合う。そんな世界に住むんだ。今過去の日記を見て面白いなぁわたしって、と思う。どんな大きなことも、まず自分から始めてこそ。いつも自分に始めることを忘れずに居る。わたしが作る世界ではわたしが中心だから、中心を担当できるわたしになる。純粋にわたし
なんて面白いことが書いてあるんやろう!感心しながら読み返している。過去のわたしが、今のわたしに書いてるみたい。今の私はいつも進化してるから。抽出するものが違っていつもあたらしく感心する。すごいなー。わたしのブログは私の名作文庫になる。わたしと書くわたしは、いつもじたばたしている。どきどきと、必死で生きてる。涙目で怖いものから逃げる時みたいな気持ちでいる。私と書く私は、そんなわたしと一緒に冒険の旅をしてるのを忘れてない。ハラハラしてすっかり振り回される様子を、大笑い
いやぁ〜、ええ話やった。とても自分が書いたとは思えん。今年もやっぱり何回も読み返したい。リブログだけだと画像が表示されないんで、初落書きのとらを貼っておこう。
この年末に「ぽちん」と。今年一年あちこちで。「ぽちん」「ぽちん」「ぽちん」みんな、よみがえる。…………わたしは、すごくぴったりなタイミングで近づいてくる描いた絵札を振り返りながらみつける。人類のけんきゅうをつづけて飽きずに観察してきた。出会い気が向くものをバラバラにけんきゅうしてはっけんをお札に描いた。お札はいろんなきっかけでまた現れる。そして、描いたときにはわからなかったはっけんをする。そうしていると、お札同士がつながって、謎が解けるみたいに現れてくる。わた
わたしがこれまで人生で使ってきた、目盛りや単位を見直した一年やった。幸せも不幸も、こうだったら幸せ、こうだったら不幸って設定があって初めて感じられる。この、設定を疑ったことなかったから。うすうす知ってて自分はわかってるつもりで調整して自分との折り合いをつけてるつもりで半世紀もこれで来たけど。このうすうすも私の設定じゃなかったわけよ。んま〜!死ぬ目に合ってきたのに(こらえて生きた)辛くて、叫びだし走り回りたくなるほどだったのにそれを感じる設定がそもそも怪しかった
ずっとテーマにしとるんです。心配しすぎて反省を数えすぎて、出来たことや在るものに気持ちを向ける余白を焦燥感で埋めちゃってきたから。前後考えず「いま」だけの判断で、「好きを選ぶ」ことをしてみようと。今に生きるとか、考えずに感じるんだ!とかに近いかも知れん。なのにな、「いまの好き」を選べてないのは何故か…選ぶにはどんな設定がいるのか…後先反省して、けっきょくずっと同じところに居るやんか…とか考えちゃうわけよ。こんなもん雑音やわ。気が散りまくっとるわ。でもソ
起きたらオデコの裏に書かれていた言葉。これはメモしとかなきゃと起きて絵札に描きました。描きながら思い返してて、じつはこれらはずっと知っていたことで「えっ!知らなかったわ!」って感じではなく、ああ、あれもこれもそれもこういうことなんやねって思い出す。腑に落ちる時に聞けるようになる。けれども、どうでもなんでも好きタイミングで到着するんだよね。良き、じゃなくって好きタイミング。さいきん解ったこと。到着って結果はおまけみたいなもんで。しあわせや満足を味わうのは結果よりももっと手
仏の顔の理由そうやったんや…
【白い小石/柚木ミサト&きゅうりちゃん著】むかしむかしある島では、食べ物が硬くて硬くてそのままでは食べられなかった。人々は起きている時間の多くを、食べ物を柔らかく煮込んだり刻んで小さくすることに使っていました。お腹は空くけれど食べることはとても大変で、島中の人たちはいつもへとへとになっていました。よその島の人々はいったいどうしているのか知りたくなりました。「この手紙を手にした人へ。我が島の中では解決できなくてたいへん困っています。暮らしを考える専門家に島の外から来てもらい、
ときどき描きたくなる薄墨を先に紙に置いていってそこから浮かび上がって来るものを描きます。これも、描き上がるまで自分でもわからない絵。みなが満ち足りてのびのびと在りますように。
投票に行った。東日本大震災から必ず投票している。朝ゴミを収集所に持っていくのと同じ感覚で投票に行ってる。政治は暮らしを快適にするものだと思う。嫌な事を消すのじゃなく、幸せを掴むことと思っている。かけるエネルギーの質を調整する。この世は、興味を持ち知れば面白いという法則がある。括らない、偏見を持たない、本質を見る、考える、捕らわれない、自由に実践する。時には考えないでひらめきにまかせたり。何をしていても姿勢は変わらず、興味深い体験の場になってる。