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病室に入った途端香水の匂いが鼻を突きむせた。大げさじゃなく15年ほど前緩和ケア病棟で出会った夫婦患者さんは夫そして、その妻当時50代だったか・・・私はまだ20代病室に入る度に香水にやられる日々その香水は安いコロンではない高級ブランドで5万以上はするだろうだから匂いが残るのだ洗面台にポツンと美しい瓶が置かれている患者は既に寝たきりでポツリ・ポツリと話をする程度妻は毎晩泊まり込んでいた清拭するときは妻はデイルームで
安いコロンのにおいがする。それはまず私の体から夏場になると通勤だけで大量の汗をかきロッカーでボディシートで拭うと安いコロンなのだ無香料がよいのだが制汗スプレーも兼ねて微香性のシートを買ったロッカーではあちこちでプシューっていう音と共に多様な制汗スプレーのにおいや私のようなボディシートのにおいやら足の裏にも吹きかけるスプレーやらで鼻腔が忙しいこの匂いを嗅ぐと中学生の頃を思い出す安いコロンは好きだった男子学生がつけていただから
私の大好物犬神家の一族がBS日テレで放映中1976年版監督市川崑これに勝る犬神家の一族はない俳優陣に加え作者横溝正史総指揮角川春樹も紛れ込むテレビドラマver映画リメイクがあったが1976年が圧倒的過ぎて比較にならない昭和20年代の時代を描いたものなので今どきの顔・スタイルの俳優陣ではこの時代の雰囲気は出せない女優陣は和装が似合う事件の背景は子どもへの愛情横溝正史が描く世界で村社会も学ぶ
北欧の地で働く先は夫の友人を頼り紹介してもらいました何の当てもなかったので縁だけで探がせるのか試してみたんですよ案の定見つかりました先日そこの就職試験を受けてきました想定外は集団面接だったこと私も受験者でありながら看護師経験のある受験者がなぜこの施設を志望したのか興味深く聞き入りましたただ私も彼らも履歴書には書けない物語があるのですそして面接の場でも語られることはない受けた質問の1つ「どのような職場を”よい
私は何があっても包丁を握らない握ってしまったら・・・安心してください猟奇的なことではありません一人暮らしをしていた頃節約のために自炊が当たり前栗原はるみの本を見てなんだかんだ作ってましたが実母との同居を機に包丁を握らなくなったあるとき無性に料理が作りたくなって思い出しながらやったらその後強い頭痛と疲労感私料理を作りたいのではなく料理が作れる私を思い出したかったのだと北欧にいる夫も帰省すれば沢山の料理を振舞っ
ここ北の大地を北欧とよぶお母さん(私)そろそろ皆一緒に北欧で生活できるって嬉しいねと夫がよく言う先日この北欧に降り立った広い青空広い大地澄んだ空気旨い飯やはり北欧は違う歩いている人もまばらよくよく見ると平坦な顔と中肉中背ここ北欧は日本人の住処となったようだ夫の友人がカフェをオープンしたそこでランチをとったらその友人が美しいお庭でフラダンスを踊ってくれたおや?ここは北欧なのにハワイでもあるカオス
うつ状態シリーズの最終回は今日と決めていた1年12か月ということでシリーズも12回が締めくくりとしてはよいでしょう私のブログがうつ状態を含めて心身が疲弊した看護師の方々の参考になったら小躍りして喜びますうつ状態は・職場復帰する前の〇長との面談・トリンテリックス中止10日目頃この2点でぶり返しそうだったが逃れた今年の1月心身が回復しているくせして分厚い蜘蛛の巣が視界を遮った糸も体に纏わりつき何とも気持ちが悪い感覚に襲われた私は自分の
Aさんは20代半ば過ぎの私でもぴちぴちだからなのか私を選んでくれた?そのことで後輩のBちゃんは不貞腐れて「なんでAさんは私じゃなくuraraさんを選んだんですかっ」と安心してください色恋沙汰ではないですから私がICUに勤務していた時心臓弁膜症の手術を受けたAさん(男性)一般病棟に戻ることがなかなかできずにいた人工呼吸器はとうに卒業したのだが心機能の回復が遅れたそろそろ一般病棟に転室できる頃Aさんの日勤の担当になったのが私後輩のBち
私がお世話になっている方の息子さん(可愛い鳥です)が亡くなったと聞いて私もいろいろと動物とのつながりを思い出してプラプラと公園を歩いていたら飼い主のおばさんに似た秋田犬2匹いや秋田犬に似た飼い主のおばさんなのかどちらにせよ2匹とおばさんがよく似ている家族に出くわした顔・体格・雰囲気動物が好きな私は思わず名前を尋ねたがぶっきらぼうに返答され不愛想なところもよく似ていてそれもまた何とも愛らしい愛犬のももは10年以上前にあの世に行ったが
どんなときに心地よさを感じるか仕事から帰ってきてすぐにきつい下着を放り投げよれた部屋着に着替えお団子にした髪の毛を解き櫛を入れ頭皮に空気が入りその後また無造作にまとめるあ~解放されたという感じで心地よい髪の毛に櫛を入れるときある患者さんを思い出すサラサラのロングヘアで仕事中は1つに結んでいた彼女あるとき髪が結えなくなった手が持ち上がらない変な痛みと動きの悪さCT頸椎転移その後早急に頸椎の放射線照射私の
『どこだったら働けるわけ?』〇長と面談したときの一声2か月の傷病休暇が終わりを迎えるころでしたあ~なるほどこう来ましたか・・・『〇〇が無理だったらあとは、△△、□□、◇◇は?』こんなやりとりです『〇〇(傷病前の職場)に戻る気はあるの?』私は正直「うつ状態がぶり返すの避けたいので戻ることは躊躇います」とお伝えしましたいくつかの候補の中で私は医師と看護師の顔と名前が一致していてCNSとして介入を多くしていた部署の異動を希望しました
結婚記念日は私のお母ちゃんがケーキを買ってくれて美味しく食べたそんなブログを書きましたところ何もしていないという批判を恐れた夫からビール・バームクーヘン・ゼリーなど沢山送られてきた嫌味だったのかしら・・・「何かくれぇ~」というように夫には見えたらしい私が鬱状態になったときお酒は控えてました夫は毎日飲んでいましたがもし私がそれに付き合ったらアルコールを拠り所にしてしまうかもしれないと飲酒が怖かったんですトリンテリックス内
遠く離れた夫からLINEがきて思い出した結婚記念日雑誌で見る結婚記念日はどこかで外食してプレゼントし合うみたいな感じでしょうか先日まで覚えていた結婚記念日は日常の雑多にかき消され忘れておったアハハ結婚する前に読んだ女性誌記念日ではないが夫が帰宅する前に化粧をし直してキャンドルかざしたテーブルにいくつものお皿にレストラン並みの料理をおく小綺麗な女性たしか仕事も育児もしていた女性誌が誇張しているのか事実なのか当時はなんて素
chistatoさんのブログからがん看護専門看護師としてまだまだ知識不足の悪性胸膜中皮腫のこと関節リウマチの痛みのことを知る悪性胸膜中皮腫は私ががん相談支援センターで対応した回数は10年で1.2回私が対応したというより医事課のスタッフが医療費の手続き等で対応私は今後労災病院との合併を視野に入れた病院に勤務するのですがまだまだまだまだ悪性胸膜中皮腫知らない事ばかりですがん相談員として5大がんの患者さんは対応が積み重なりやすい
パシャパシャと降りしきる雨の中母親連れて母校の看護学校へ講師じゃなくて卒業証明書をもらいに行ってきました約20年前この県立の看護学校を卒業して同校の保健師学科も卒業私が実は行きたかったのは他県の看護短大その頃父親の商売が上手くいかず家計が苦しいのは見て取れたから私は費用が安いこの県立の看護学校へ中学まで勉強しなかったのに高校の衛生看護科に入ってから看護の勉強がやたら面白かった普通科目を勉強して将来何になるんだ?と思ってい
鬱状態になって真っ先に捨てた本7つの習慣スティーブン・R・コヴィーこういうものは元気なときに読むべしっ選ぶ本は吟味しないと自分を追い込むことになる傷病休暇前に英会話レッスンで使っていた本はこれ以前のブログに書きましたが鬱状態のときは危険です(笑)では傷病休暇中何を読んでいたかというと①大丈夫、あなたの心は必ず復活する橋本翔太②ぼくたちにもうモノは必要ない増補版佐々木典士③年収90万円で東京ハッピーライフ大原片理④
『私はあとどれくらい生きられますか?』これは数えられない程患者さんから投げかけられましたつい先日も外来の待合室のベンチで看護師になりたての頃からこの返答に窮していました今もそうですがん看護専門看護師としてこのような返答に困る患者さんの訴えにどう言葉を返したらいいか皆さんにお伝えしたいと思います具体的な返答マニュアルがあれば臨床でおおいに役立ちます私はずっとこのようなマニュアルが販売されないかとAmazonを隈なく探しました文献検
昨日、私は元上司が働く医療的ケア児等支援センターに見学へ行ってきました長年勤めた病院を退職し新たな道へ進んでいった上司その働き方を見ることで自分も新天地でどう活動するか沢山の示唆が得られるだろうと生き生きと働く上司を見て力をいただき帰ってきましたそして沢山の優しい職員と遊ぶ子ども達はキャッキャキャッキャと楽しそうに笑っているこの様子を見たご家族はここに預けることを切望するだろうと思いました本来であればその施設の名称・住所を紹
夢があるというよりやり残したことをやり遂げたい気持ちの方が強い色々なことに手をつけては中途半端で達成感がないそう私は達成感を感じるのが好きなのだ私は就職した頃から自分が叶えたい夢をノートに書いていました例えば・20代後半で結婚・子どもは3人・30歳集中ケア認定看護師・40歳ラ・カンパネラをピアノで弾けるこんな感じです上記は叶っていません猫の子どもは3人できたアハハ去年の11月夢ノートはビリビリに破って破棄こんな夢ノート書いたっ
普通とは何か最近よく考えます私が言われた、言った、思った、”普通”について書いてみたいと思いますその前に普通の意味とは特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。たいてい。通常。一般に。意味を調べる癖は大学院の先生から『その言葉、どういう意味で使ってるの?』と何度も聞かれたから意味を分からず使うのが怖くなった(笑)私が言われた、言った、思った、”普通”・人様に
2000年の年末自営業の父の仕事は底をついていた父は東京まで行き消費者金融で金を借りてきたそして父親は母と離婚して自分は生活保護を受けるそうすればお前たちに迷惑がかからないからと言った私は父に頼まれて市役所に離婚届を貰いに行った私は商売がうなくいかなくなった父を情けなく思っていた惨めなオヤジだとやけに年をとって小さくなった父が自分たちから離れていこうとする姿が死に目を見せないで隠れる動物のように見えたしかし父の言うとおりにしたら惨め
昨年、傷病休暇を取った当初は仕事に行かなくていい好きなだけ眠れる患者さんに迷惑をかけることはない私がしたくないケアをしなくていい等私にとってはご褒美でしたトリンテリックスを飲み始め数日が経った頃には涙もろさや不眠は劇的に改善しましたもちろん傷病休暇という環境調整も鬱状態の改善に寄与してます私は他県に住む夫の元に行き料理はしない専業主婦になりました料理すると頭痛がするもんで・・・若かりし頃は栗原はるみの料理本片手にえっさほいさと楽し
1週間前にメイクレッスンに行ってきましたリュック・トートバッグに普段使っているメイク道具をパンパンに詰め込んで自分のメイクだけではなく受講生をお客さんに見立てメイクを施します不謹慎かもしれませんが私は生前の方のメイクをしたことがありませんおっかなびっくりで受講生の肌に触れていきます最初に私の練習台になってくれたAさん私が両手で顔を包むように化粧水をのせたら「あ~気持ちい、安心するぅ~」と自分に化粧水をつけるときはぺっぺっぺっぱしっぱ
私はときどき母が死に、夫が死に子どもたち(猫)も先に死に一人取り残されてしまったら私は生きて行けるのだろうかと考えることがあります急に泣けてくるんですよ・・・自分でもびっくりします(これは鬱状態の前からです)昨夜はそんな夜でした夫にLINEをしたら”乗り越えようね”だって腑に落ちない返答・・・鬱状態のとき参考にしていた橋本翔太さん”夫はカウンセラーではありません””カウンセラーの役割を夫に期待しないようーに”はいこれ
わたしの推し服アメーバーからの提案で書こうと思いましたが・・・専門看護師の推し服って興味をもたれる方はいるのでしょうか・・・体型を診断する資格を得た稀有な専門看護師として(笑)少しだけ書いてみたいと思います最近は鬱状態のことばかり綴っていたので気分転換に専門看護師や認定看護師には部屋着以外に3つの服装の準備が必要です①通勤着・普段着②学会・講師着③ユニフォーム(白衣)病院に勤務していれば平日平均10時間は白衣です自分
逃げるように部署異動し私の鬱状態発症に拍車をかけたのは・ドМ過ぎる私の性格と・栄養不足ですさまざまな身体症状を経験し腸が煮えくり返る思いを経験し腸が既に出てしまい飛び出した腸を腹に押し込めガムテープで補強し仕事を続けて部署異動まで致しました書くのが長いので略して腸経験としましょう腸経験は何かと私の脳裏を掠めました掠めるどころじゃなく居座るのです異動部署で疲労困憊でも続けていたのがオンライン英会話御贔屓の講師にも腸経験を語りました
私の鬱の元は昨日書いた2001年父親が他界したことに始まりますきっと20代からずっと私は仕事に打ち込んでました20代は数少ない恋愛経験の中で失恋したり都内に引っ越して急性期医療に携わったり20代後半で母親が大腸がんになり地元に戻ってきましたが初めて職場が嫌で仕事を辞めフリーになり今の病院に就職したらがん看護を学びたくなり1年で退職し大学院に入学したり忙しない20代でしたがん看護専門看護師になれば知識・技術が身について悩みが減るだろうと思ったらなった
私はがん看護専門看護師でご飯を食べておりますが若かりし頃は保健師学校に通い行政の道へ進む気でいました。私が保健師学校に行ったのに保健師になりたくなかった正確にいうと保健師になりたくなくなったことについては別稿で綴りました保健師学校に進学したいと言ったとき看護学校の教員からは『uraraちゃんは自転車で地域を回る保健師さんにぴったり』なんて言われて調子に乗りました保健師学校に入学後保健師になりたくなくなったことにに加えて保健師に向いていないなと
私は子供がいないので「お母さん、どっか連れてってー」とGW中強請られることはありません(笑)世の中の子育て真っ只中の皆様頭が下がる思いです私は鬱状態と診断される前から散歩が健康行動の一つです健康行動とは:信念・期待・動機・価値・認識などの認知的要素、情緒的・感情的な状態や素質などの人格的特性、さらに健康の維持・回復・向上に関連する行動パターン・活動・習慣のことである(Gochman,1982、1997)散歩をしていなかったら私の鬱状態は更
体調が良くないことを自覚したのは2018年頃でしたがずっと昔から積み重なってきたことが古傷の小さな穴から匂いたつ浸出液のようにでてきたのがその頃なのでもっと昔に立ち返り元を辿ると2001年父親を胃がんで亡くした時から始まっている気がします保健師学校に通い始めた4月の終わり私が20歳のとき父は死んでしまいました人生で初めて膝から崩れ落ちて泣く経験をしましたがそれは柩を火葬炉に納めガラガラガラバタンとドアが閉まったときでした糸が切れると