ブログ記事22件
こんにちは、ともぶーです。ついに、ついに、お仏壇が来ましたよ~~~~~なんと豊かなことでしょう。しばし、ご覧ください。自慢させてください。写真じゃ伝わらないけど、、、どこをとっても、細やかな造り。住職が言っていた、東本願寺のミニチュア版。家の中に、ちいさなお寺がやってきましたよ。6年間、ほったらかしにしていました。ごめんなさい、阿弥陀如来さま。あっ!!!!夏子ぉぉぉぉぉぉ!!!!!!怪獣だ、怪獣だ!!こ
こんにちは、ともぶーです。いよいよです!これから、実家にお仏壇をお迎えに行ってまいります。あ!!鍵はちゃんと持ちました(笑)小さな和室に置こうと、昨夜大急ぎで片づけて、ここに置いたところを想像しました。こんな感じ?ちょっと引きで見ると、もっと引きで見るとこのへんが、リビングから見る感じに近いかな。うんうん、よく見えるお仏壇本体以外にも、仏具がいろいろあって、例えば、真宗大谷派では、お盆に提灯は置きません。切子灯篭という、吊り下げ式のもの
こんにちは、ともぶーです。すてきな写真をいただきましたので載せちゃう後ろ向きで失礼します!アジアオープン2027まで、あと11か月となりました。11か月後には、もっと踊れるよう、がんばります!!だけど今日は、今日も?本筋はダンスの話ではなくって(笑)お仏壇の引っ越し日時が決定した件~~~~飛脚から見積の連絡がきたんだけどおそろしく高くて!!!とてもじゃないけど、頼めん!と思って。(仏壇って、美術品、工芸品扱いなのね)購入した仏具店に相談して
本日よりお盆参りが始まりました。先ずは三日間かけて岡山市内をお参りします。が、初日早々まさかの大雨。岡山市内、大渋滞です。一軒一軒丁寧にお勤めいたします。皆様、待っててくださいね。なんまんだぶつ、、、(住職)
最近、よく聞く話し(青字)↓↓↓自分の家は次男夫婦で新家自分たちが亡くなったら子どもたちが仏壇の処分に頭を悩ませることは分かっているから、今どき仏壇は買わない!写真とお供えスペースさえあれば充分!このことは、信仰する宗教がないご家庭における、先祖供養のあり方を表している。✧•─────✾─────•✧ある日、1人の仏教学者として大学教授職もしている住職の講演がありました。テーマは、「ご本尊~真宗のご本尊の歴史的変遷
一間仏壇や半間仏壇がどんどん消えていきます。大手ハウスメーカーは「仏間」のある家づくりではありません。生活空間の一部に「仏間」「仏壇」はなくなりました。生きている者だけの世界が広がり,身内の故人を思う,死者を思う生活の一部が消え生きている者だけの世界になりました。この世界では人を思いやる気持ちは育ちません。家族が,お互いに思い合う世界が消えていくのが怖いです。最近,ご家族を亡くされた方が、「毎日手を合わせる場所が欲しい。ともに生きた故人と語り合える場が欲しい。」と
とあるお寺の、お内仏のめっちゃ素敵なお仏壇です。想わず見惚れてしまいました。
甚だ煩雑、大雑把ではありますが、打敷をかけ、お花を生けて、お供物をお供えしました。お盆を迎えます。南无阿弥陀佛南無阿弥陀仏
ご門徒さんのお宅で入仏式(にゅうぶつしき)が勤まりました入仏式って?…文字通り、仏さまを我が家にお迎えする儀式です。こちらのお宅では奥様がお浄土に還られたことをご縁に「お内仏のある生活」を願われて、御本尊(本当に尊いもの・こと)である阿弥陀さまをお迎えしましたいわゆる仏壇…のことを私たちは正しくお内仏(おないぶつ)といいます内にお迎えした御本尊が中心で、大事であるということです。御本尊の前に身を置き、手を合わせてなむあみだぶつと申すこと…親鸞聖人の書かれた正信偈を日々読むことが
こんにちは、ともぶーです。今日は実家に行ってきました。5週間ぶりです。さすが、冬。あの時、きれいに草むしりしてもらってからきれいな状態を維持していました。今日の目的は、お寺さんにお内仏を熊本に移す相談をすることです。真宗大谷派では、仏壇のことをお内仏といいます。誰もいなくなった実家にお内仏を残したままなのがずっと気になっていたので。来月、10日、住職にお勤めをしていただいて、翌日11日、仏具店から運んでいただくことになりました。狭いマンショ
我が家にお内仏を迎え毎朝花を供えるようになった頃から私の植物との向き合い方が更に身近となり見つめる目と心に変化してきましたそして亡き大切な人の声が私を通して現れるようになりましたその声はいつも笑っていていつもおおらかでいつもそっとお手伝いしてくれます私は淋しくは無くなりました実体が何であろうと私が感じたことが感じられたことが幸せなことなのだとそう思います今朝は二番花の燕子花が開きました(かわい~ね)
うちのお寺では年に2回、ご門徒さんと仏具のお磨きをします。10人くらいが輪になって座り、談笑しながら真鍮の仏具をワックスで磨くのです。ご門徒さんにとっては、普段手にする機会もない方も見えて、様々驚かれることもあります。ある時は、男性の方が「口を開けているのと閉じてるのがある」と言いました。何のことか分かりますか?これは蝋燭を立てる燭台、鶴亀のことです。三具足の時は口を開けている方を置きますが、五具足の時は向かって右が開いている方を、左側に閉じている方を置きます。下が三具足下が五
お内仏の前に座り手を合わせてお参りする。その時に蝋燭に火を燈し、燈明にあかりを付けます。そもそも仏教では光に大切な意味があります。光は仏の智慧の象徴とされ、暗い所に明かりをもっていけばまわりが明るくなるように、すでに仏となった亡き人は御縁ある私たちの歩んで行く道を照らして下さる。その為の光だとされています。亡き人を御縁として、仏の正しい智慧に導かれ、いつかは終わりを迎える、そんな私たちの人生を一日一日無駄なく、一生懸命に生きて
お内仏に花をお供えします。仏教を花の関係は古くからあるもので、お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」で花を飾ったり、仏様の讃嘆供養するために本堂でお勤めをする際、花をまき散らす「散華」をしたりします。また、『仏説阿弥陀経』に「青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光」とあります。これは青色の花は青く光り、~中略~白色の花は白く光る。という意味で、各々の光で輝ければよいということです。お浄土の世界は花で溢れている世界であることを表現されてい
真宗ではお仏壇のことを「お内仏」と呼びます。内の中にいる仏様という意味らしいです。お内仏の中央にはご本尊である阿弥陀如来を安置し、左右に妙後の脇掛軸を掛けます。向かって右の掛軸は従事名号、左には九字名号を掛けます。先述していますが「お内仏」は我が家の仏様という意味です。つまり、私たちの心の拠り所なのです。毎日をただただ忙しく過ごしている私たち、気が付けば今日も夕方から夜になろうとしています。空しく日々を過ごしている自分自身に気付き、
浄土真宗ではお仏壇の事を「お内仏」と呼びます。お内仏の真ん中に安置されるのがご本尊である阿弥陀如来です。阿弥陀如来は私たちを救おうとする色も形もない真実の「はたらき」であり、それを目に見える形として表現されたものです。その「はたらき」はたらきをお内仏としていただいてきたのが真宗門徒です。私たちの人生にとって本当に大切にしなければないない尊いこととは何か??と、問いかけて下さる、お内仏はそんな場所です。お内仏は一人ひとりの心の拠り所となる大切な場所です
お寺参りやお内仏にお参りする時に用いるお念珠。みなさんはお念珠の玉はいくつあるかご存知ですが??お念珠は仏前で身なりを整えて合掌・礼拝する際に用いるもので、玉の数は私たちの煩悩の数である108個が基本になっています。そこからお念珠の種類によって半数の54個、その半数の27個が一般的です。煩悩の数だけ玉があると言っても煩悩を滅するために使うものではなく、当たり前のことですがお寺を始め、お内仏であったりお墓であったり、法事や仏事の時に持っていく。
みなさんのお宅のお内仏や、お寺のご本尊は「阿弥陀仏」と言います。けれど、本来阿弥陀仏は「いろもなし、かたちもましまさず」(『唯信鈔文意』)と言われ、私たちにが見ることはできません。日頃から仏法に耳を傾け、お念仏を申す、そうしていなければ阿弥陀仏のはたらきになかなか気付きません。いろもない、かたちもない阿弥陀仏を、私たちに見えるように表現しているのがお内仏でありお寺です。見えないものが見える場所、、、そう思うとありがたさが増す気がします。
今日、葬儀会社の方が、主人の祭壇を片付けに来ました。すっきりしてしまって、またまた淋しくなってしまった。。。納骨はまだなので、遺骨は床の間に。祭壇に毎日朝と夕方とお参りしてたから、それが無くなってしまうとやっぱり淋しい。明日からはお仏壇にお参りするの。主人が亡くなる前、毎朝、「まだ主人を連れていかないで」ってお参りしてた仏壇。なんだかなぁ。。。信心深くないからダメだな。。。
ご本尊を安置する場所を「お仏壇」と言いますが、真宗では我が家の仏様をいう意味にで「お内仏」と呼びます。お内仏は私たちの心の拠り所です。お内仏はお浄土を目に見える形に表したもので、私たちと仏法の関わりを持たせてくれる大切な場所です。毎日の日暮らしに追われ、日々空しく一日一日を過ごしている自分に気付き、私たちにかけられた阿弥陀如来の大きな願いを憶いながら、ただただ念仏申し、お参りする場です。お仏壇はご先祖を祀る場所だからうちはまだれも亡くなってい
ご本尊を安置する場所を一般的には「お仏壇」と、呼んでいます。真宗では「お仏壇」のことを「お内仏」と、呼びます。我が家の仏様と言う意味を込めて呼んでいますが、「お内仏」はお浄土を目に目る形で表したもので、私たちの心の拠り所です。毎日忙しく慌ただしく過ごしている私たちです。朝起きて気が付くともう一日の終わり、、、ということもしばしば、、、そんな私たちだからこそお念仏を称える場所が必要だと思い、それが「お内仏」のある意味なの
お内仏を置く意味、それは、無条件で頭を下げる対象をつくるということです。家の中心に本尊があるということが大事です。自分や人間を中心としないことでしょうね。新潟の仏教研究会の本にはこのように書かれています。人々は昔からお内仏のない家を「小屋」と呼んできました。いかにすばらしい屋敷に住んでいようとも、ただ食べて寝る生活なら動物と一緒だということです。この心持ちの開示にわたしたちの本当の人間としての証は、信心に裏付けされた精神的な営みにあり、
私たちの生活の中心にはお内仏を置きます。お内仏とはお仏壇のことで、各家庭の事情等があり、大小様々あります。大きい小さいは問題ありませんが、お仏壇で一番重要なのはご本尊があることです。当たり前のことですが、ご本尊が無ければ手を合わせるものがないということになります。手を合わせることは感謝を表します。そのような環境で感謝の心は育まれて行くのです。お仏壇のご本尊が、私たちの心を育てて下さっているのだと思います。