ブログ記事5件
小さい頃の私。祖母と。記憶はおぼろげ。でもその頃のはず、という決断はたくさんある。今回もまた少し前に進んだのかな。契約とは違うけど、ふと思ったこと。言わなきゃわからない、は事実。言わなくても分かったとしたらたまたま。言わなくてもわかる、は事実ではない。言ってないけど、わかってるはず、伝わってるはず、を前提にしたことが、相手には伝わってない、相手はわかってない、としたらどうなるかな。自分の受け止め方は変わるかな、変わるだろうな。だって事実が違うわけだから。伝わって
そこはかとなく物憂げだったりやるせなさを抱えているときは、余計なことをぐるぐるモヤモヤ考えてしまいがち。そんなときは会いたい人が居ることを思い出してみる。やりたいことをピックアップしてみる!出来るか出来ないかは問題じゃなくて、目的を達成させる為に何が出来るか画策することに意味を感じます。結論から言うと何事も出来るか出来ないかは問題ではなく、結局やるかやらないか。それに尽きます。行きつく道が行き止まりばかりで、どのみち選んでも絶望かよ!?って感嘆することもしばしば。なんなんですか、この
鏡開きした?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようまだしてませーん。そもそも鏡開きに何をするのか、おぼろげな記憶しかありませーん。お供え餅を砕いて火にかけて柔らかくしてあんこと絡めて無病息災を願って食するんでしたっけ?
いっしょに暮らしてみるとふと気付くものがあるひとは単にカラダであるだけでなくいかに多くを引き摺っているかということ幼少期のおぼろげな記憶であったりわずかな記憶すらも残っていない母の乳房の柔らかい感触あるいは家族と暮らすうちに身に付けてしまった暮らしのスタイルそれらは習慣というより単なるクセ或いは染みついた価値観というべきだろうかだが意外なことにそれらは頑固なことが多く服をきちんとたたむことや食器をさっさと片づけることなど暮らしの随所にあらわれてしまうまして
今顧みれば人生で楽しかったのは学生時代までで幸せだったのは子供が幼かった時までだ。それ以前に戻りたくても不可能だ。記憶の旅に出るしかない。しかし写真が大嫌いな僕は卒業アルバム以外当時の写真はほとんどなくおぼろげな記憶に頼るしかない。これがまだ世間知らずだったころの記憶だから正確性を甚だ逸脱している。卒業アルバムに写っ
本日(1/5)は小寒らしく冷たい風がピューピュー暖かな年末年始でしたがまさに寒の入りとなりそう…どうぞ温か〜くしてお過ごし下さいませ☆夕焼けが綺麗でしたぁ♪雲が富士山みたい??さてさて新年早々、小学校卒業以来となるウン十年振りの再会がありました〜毎年、年賀状には自分の携帯電話番号を載せているのですが今年は何故か?すっかりご無沙汰している方々から続けて電話番号宛に「是非とも会いましょう」とのメッセージが届いたのですっメッセを返すとトントンと話が進み…まずは本日、第一弾