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ブログを読んで下さっている方から、ご相談を頂く事があります。似た様なご質問内容が有りますので、少しでも皆様のお役に立てればと思い、ワンポイント情報を掲載させて頂く事にしました。皆さんは、下っ腹の痛みや、排尿後の違和感や痒み等があった場合に、まずはどこのクリニック、医院、病院にいかれるでしょうか?私の場合は、近くに泌尿器科の病院があったので、そちらの先生に診て頂きました。診断結果は膀胱炎との事でしたので、点滴をして貰い、抗生剤を頂いて自宅に帰りました。しかしながら、自宅で安静にしてい
いつもブログを読んで下さり有難うございます。新年が明けたと思っていたら、あっという間に半年も経ってしまいました。久しぶりのご挨拶となります。いよいよ梅雨が明け、毎年恒例となりますが、ガーデニングを趣味としている私は、お庭の花々の準備を始めなくてはいけないと思っている今日この頃です。去年は、ホームセンターにて、係の方のアドバイスを聞きながら、暑さに負けない花々をゆっくり時間を掛けて選びました。そして、1番暑さに強いだろうと思われる松葉ボタンを購入しました。松葉ボタンを購入したのは6
新年を迎え、まずは元旦に発生いたしました能登半島地震に対し、被災された多くの皆様に心よりお見舞い申し上げます。毎日繰り返される報道番組も観る度に、心がとても痛みます。また、予期せぬ飛行機事故に遭われた方々にも、お見舞い申し上げます。新年早々悲しいニュースが飛び込んで参りましたが、個人個人に於かれましては、癌と告知された方、余命宣告を受けられた方、手術や抗がん剤治療をスタートされる方など、辛い形で新年をスタートした方もいらっしゃると思います。天災や事故や病気は、前触れもなく突然襲って来
春の便りを感じたと思っていたら、もう梅雨の季節。時の流れは早いものです。春に植えた草花は、季節の変わり目で気温が暖かくなり、そろそろ役目を終わろうとしています。闘病中は、苦しさから1日1日をとても長く感じ、花を愛でる余裕さえありませんでした。自宅外では、病院の往復の間でも、待合室で診察の順番が掲示板に表示されるの待つ間でも、常に不安が付き纏いました。春夏秋冬、何をするにも『私は病人なのだから』と唱えていました。膀胱がんなので、重いものを持つと出血してしまうのではないかと不安に駆ら
冬はどうしても籠りがち。関東地方の冬は、雪が滅多に降らないので茶色に覆われた世界でしたが、寒く長かった冬も峠を越え、春の便りが聞こえて来ました。今こうして梅の花や河津桜の花を眺め、ゆったりとした気持ちを持てるのは、健康であってこそなのだと健康に感謝しております。草花が大好きな私にとって、これから始まる季節は私を多忙にします。暖かくなると気持ちがウキウキして参ります。闘病中は、花や病院までの車窓から見える景色にさえ目が向かず、頭の中は検査の結果や先生とのやり取りなどの不安でいっぱいで
今年も残す所わずかとなりました。朝晩の冷え込みは年老いた身体には堪えます。私は57歳で膀胱がんと告知されました。今現在、早いもので69歳になります。あっという間の月日でした。最近は膝の痛みも出てきて、立ったり座ったりが大変な時があります。これも老化なのだと悲しくなりますが、自然の摂理と受け止めて過ごすほかないのです。今年も読者の方から、有り難い事にメールを頂く機会が幾度かありました。僅かばかりかもしれませんが、お役に立てたかもしれないと思っております。メールの中には、「もう
もう残す所もあと2ヶ月弱、今年も終わろうとしています。前回のブログからどれ位の月日が経ってしまったのかと確認したら、7ヶ月もの期間が経っていました。毎日毎日動き回っていると、あっという間に1日が終わってしまいます。最近は日が短くなり、朝起きて朝食をとり、片付けをして洗濯物を干すともうお昼前。昼食の準備に取り掛かり、昼食を摂りながらワイドショーを見てお茶を飲みながら一息。そうこうしているうちに洗濯物を取り込みたたむ時間。洗濯物をたたみ終わると、夕食の材料をスーパーへ買いに行くタイミ
桜の花が満開で、1年で私の1番好きな季節がようやくやってきました。病気で体が弱っているときは、きれいな花でさえ気持ちよく見ることが出来ない時期もありました・・・元気な体を取り戻した現在は、桜の花を観て、余りの美しさに儚さに感動しております。これからの季節は、最近よく耳にするマイクロツーリズムを実践して、近場に花を見に出掛けたりしようと考えています。また、殺風景だった庭の花壇に、きれいな花が並ぶように、庭いじりをしてみようと思いますy。毎日が忙しくなりそうです。ここからは前回の続き
覚悟を決めて泌尿器科へ!泌尿器科へ行った方が良いのか?このまま様子を見た方が良いのか?迷いに迷った挙げ句、近くの泌尿器科に駆け込みました。どのお医者さんでも、病気ならば今の状況が解決できる筈!この痛みと、トイレが近くになくてはならない不安な日々。現状の苦痛を少しでも和らげる事が出来れば、それで良いと考えていました。尿意が有りトイレに行くと、ほんの僅かしか出ない。それよりも排尿後の全身を貫く痛みが1番悩みの種でした。その悩みを取り除くため、覚悟を決めて近くの泌尿器科へ駆け
2022年の新年を迎え新年を迎えたと思ったら小正月の時期になってしまいました。日々の移り変わりは早いものです。年末年始には、治療や入院中の方も多かったのではないでしょうか。第5波の新型コロナウィルスがやっと落ち着いたかに見えましたが、新たなオミクロン株が勢いを増しています。病に怯える方、新型コロナウィルスに怯えて生活している方も多いのではないかと思いますが、人間には治ろうとする力、立ち直ろうとする強さを持っています。病や新型コロナウィルスが早く収束し、安心して暮らせる日が来る日を
もう年の瀬もう年の瀬も近く、寒さに震える日々となって参りました。そしてクリスマスシーズン到来です。スーパーマーケットへ出掛けるとお惣菜コーナーにはチキンやオードブルなど沢山のクリスマス商品が並んでいます。お家でパーティーをするのでしょう。お子様連れのお母さん達は「どれにする?何が食べたい?」といった会話が溢れていて、何とも微笑ましい風景です。こうした状況の中でも、ご病気をされている方やご家族にとっては、クリスマスも年末年始もあまり関係なく、ただひたすらに治療に専念されているのでは
収穫の秋、紅葉の秋、食欲の秋季節は冬から春、春から夏、夏から秋へと変化し、近頃では落ち葉とともに木枯らしが吹く季節となりました。一昨年末からコロナが始まり、未だにコロナの情報ばかりが目に付いてしまいます。最近の話題はオミクロン株ですね。68歳の私は、ワクチンを2回打ってはいるものの、コロナウィルスが流行り始めてから、出来るだけ人気のない公園や庭の手入れ、自家栽培の野菜作りなど、人と交わらない、混み合わない場所で日々を過ごして来ました。天気の悪い日には、みの虫の様に家の中に閉じこもり
久しぶりの投稿と白血球ブログを読んで下さっている皆さん。まだまだ暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?暫くの間、ブログから遠ざかっていた為、ご心配のメール等を頂く事が多くなってしまいました。私は相変わらず、野菜作りに没頭する毎日を送っています。その結果、日焼けが凄く、手にする土と同じような肌色になってしまいました。とても元気ですのでご安心ください。また、ブログを読んで下さっている皆様に、お詫びをしなくてはならない事があります。白血球についてです。経験を踏まえて
白血球の数値について白血球についてまとめて書こうと思いましたが、様々な白血球に関するホームページの内容の難しさに戸惑ってしまいました。どの様にまとめてみたら読んで頂く方に分かり易く伝わるのかなんて考えていましたが、私にはハードルが高いと断念しました。そこで、今回初めて、娘とお父さんの力を借りてまとめ上げようと試みましたが、三者三様の考え方があり、時間を掛けてはみたものの、読んで頂ける記事には至りませんでした。悩んだ挙げ句、私なりに感じた事を書くしかないという結論に至りました・・・私
冬場の花も緑もない季節から私の大好きな春を迎えて暫くの間、記事を上げていなかったせいか、ブログを読んで下さっている方からご心配の声を頂きました。私は至って健康ですので、ご心配頂いた方には申し訳なく思っています。冬場の花も緑もない季節から、私の大好きな春を迎えました。気分は高まり、草木の手入れから始まり、草むしり家庭菜園と、次から次へと身体が止まる事はありませんでした。草むしりの時には、ここまでと目標立ててから始めているのですが、いざ始まると、もう少しもう少しと手が止まらない始末。時間
白血球の数値って大切?前回の続きです・・・私は「お父さんの白血球の数値ってどれくらいあるの?」と質問に質問で返しました。お父さんは、「会社で受けた過去の健康診断記録も取ってあるから比べてみようか!」と言いました。私の血液検査だけではなくて、健康診断の記録も保管しておいたお父さんに、私はちょっと驚きながら、白血球の比較を始めたのでした。私は、膀胱炎の症状が治まらず↓近所の泌尿器科へ行き検査↓A病院を紹介され膀胱検査(膀胱手術)↓予期せぬ膀胱がん告知といった感じで、闘病生活
元々、白血球の数値が低かった私前回、縁側にてお父さんとの会話をした時の続きです。縁側でお茶を飲みながらお父さんは、白血球の話をし始め、その流れで、過去の私の血液検査の結果と自分の健康診断の結果を比較した事があると話しました。そして、お父さんの「もう一度振り返ってみようか?」と云う言葉で、過去の血液検査の結果に目を通す事となりました。お父さんは腰を上げ、奥の和室にあるタンスの引き出しから、いくつかの茶封筒を私の所へ持ってきました。腰を掛けると同時にお父さんは、「全部あるかどうかわからない
コロナ渦で家の片付けと初めての経験ブログの投稿が久しぶりとなってしまいました。コロナで緊急事態宣言の中、外出もままならず家の中で出来る事を探していました。そして、一念発起して家の片付けを始めました。押し入れや納戸のモノを全部出して、整理整頓し始めました。家の片付けの時はいつも、1日があっという間に過ぎてしまいます。翌日も翌々日も朝から日が落ちるまで、家の片付けとなってしまいました・・・振り返ってみれば、落ち着くまで2週間以上も費やしてしまっていました。私がお気に入りのクリスタルの
膀胱がんの事を心配しないでお茶を飲めるのは幸福な事年末はお正月の準備で忙しくしておりました。年が明けるとコロナが蔓延していて、お出掛を躊躇してしまう日々が続いていました。その様な状況が続いている最中のある日、縁側にお父さんと一緒に腰掛け、お茶を飲んでいました。私は、「お父さん、ここ数年、膀胱がんの事を心配しないで、こうしてお茶を飲めるなんて幸福な事かしらね。」と話し掛けました。お父さんは、「色々と苦労があったから闘病中の事は忘れてはいないけれど、こんなにゆったりした気持ちで何年もの間、
新年明けましてあけましておめでとうございます。また、ブログを読んで頂きありがとうございます。今まで読んで下さった方から、心温まるメールやお問い合わせ等、多くは有りませんがメールを頂き感謝しております。私の経験が、僅かばかりかもしれませんがお役に立てているのかもしれないと感じている昨今です。拙い文章でも、読んで下さっている方々が、私の伝えたい事を読み取ってくれているのだ思いますが、伝わっている事を嬉しく思っています。今こうして元気に新年を迎えられるのは、膀胱がんと闘っていた当時からし
Yさんを気遣って差し入れの食事を一端止める事にした私とYさんがB病院の病室で一緒になったのは、二度目でした。B病院で、膀胱がんの治療を初めて受けた時に、Yさんと病室が一緒になったのですが、それが一度目でした。B病院での入院は初めてだったので、右も左も分からず、Yさんが色々と教えてくれたのを覚えています。膀胱の中の癌を削って、BCGを吹き掛ける治療は、基本的に入院が3日から4日間位でしたが、二度目の時は、微熱が続いて1週間程度入院が長引いてしまっていました。微熱の原因は分かりませんでした
食べてはいけないものリストで疑心暗鬼になってしまった私私の頭の中では、Yさんと娘さんの会話がこびりついて離れないが、その事を話す訳にもいかず、お父さんとの会話は、ちぐはぐになってしまいました。そのような状態を察してかどうかは分かりませんが、お父さんは、いつもより早く自宅に帰る為に病室を出て行きました。その後もYさんとの会話はありませんでした。きっとYさんは、娘さんが帰られてからずっと、娘さんの気持ちと自分の気持ちが相対する事に苦しんでいたのではないかと思います。私は、病室に居るのが気ま
栄養を取ると癌が喜んで大きくなってしまうから・・・Yさんの娘さんが病室を出て行ってから、暫くすると夕食の時間となりました。配膳の時には、カーテンを開けなければならないので、やっとカーテンを開けるタイミングとなりました。病院の夕食はとても早く、17時ごろには配膳され、最後にほうじ茶などが配られます。私はYさんに話し掛ける事はしませんでしたが、Yさんの方から「本当は、これもこれも娘から食べてはいけないと言われていて、今まで我慢していたけれど、お腹が空いて仕方がないから、今日からは全部食べるこ
急激に痩せてしまったYさんと背筋が凍った私私が入院してから数日後、Yさんが隣のベッドに移って来ました。Yさんが、向かいの窓際のベッドで過ごしている時は、日が経つにつれカーテンが引かれている時間が多くなっていましたが、私の隣に移ってからは、幾らか気分的に落ち着いたのか、私とYさんの間のカーテンは空いている時が多くなって行きました。Yさんは私に「暫くぶりに、おはなさんと会えたけれど元気そうで良いわね。私はこんな身体になってしまって・・・」と事あるごとに話し掛けて来ました。同じ膀胱がんなのに、
3ヶ月間で痩せてしまったYさんの変わり様にショックを受けた私私が入院した時には、既にYさんは入院していました。私より1週間位早く入院していたそうです。Yさんも私と同じ膀胱がんであり、治療内容も殆ど同じだった様に記憶しています。4人部屋という事もあり、個室よりは面会の方が訪れる数が多く、午後になるといつの間にか賑やかになっている時がありました。体調の良い時は、他のベッドから聞こえて来る会話は特に気になりませんでしたが、膀胱がんの治療後で痛みが有る時は、その賑わいが多少のストレスになってし
泌尿器科の入院患者と家族の愛情当時の記憶を辿って、Yさんと私が短い期間でどう関わっていたか書いてみたいと思います。私が入院していたB病院は、大学病院ほど大きな病院ではありませんでしたが、建物も比較的大きく急患が救急車で来る様な病院でした。様々な診療科が備わっている事もあり、沢山の入院患者さんや外来の患者さんでごった返していました。膀胱がんである私は、泌尿器科を受診していましたが、他の外科や内科の患者さんから比べると、患者さんは少ない様でした。少ない外来の患者さんは、専門の先生が週に1度
正反対の食生活病室で隣のYさんの娘さんが持って来た、食べてはいけないメモの中身を、記憶をたどって思い出してみました。特に鮮明に覚えているのは、肉類と糖分を含む甘い食べ物、そして塩分が強いもの。他にもたくさん書いてありましたが、この3点がとても記憶に残っています。私は、左側の腎臓が殆ど機能していない事が、膀胱がんになり発覚しましたから、多少の塩分は検査結果を見ながら注意を払っていました。肉類や糖分は、お父さんと娘から積極的に食べるように言われていたので、この時は私がやっている事は間違って
インターネットの情報は、正確でもあり不正確でもある・・・良質なタンパク質が苦手な私は、どの様に摂ったら良いのか、じっくりと考えてみる事にしました。その様な時間を過ごしてるとある時期の記憶が浮かんで来ました。食事に重点を置きながら、お父さんと娘に、乳酸菌酵素抽出液(クリアリブ)とアガリクスを無理矢理に飲まされていた頃の記憶です。病院の治療も平行して行っていました。体調は、自分でも実感出来る位に回復していました。私は、病院の治療が上手くいっていると信じていたのでした。一方、お父さんと娘
免疫には良質なたんぱく質が必要不可欠!前回のブログ投稿から、結構時間が経ってしまいました。ブログをご覧になっている方からは、ご心配や激励のメールを頂く事態となってしまっていました。メールを頂いた事は、私にとって、とても嬉しく有難い事であり、感謝しかありません。ありがとうございます。投稿の間隔が空いてしまった理由ですが、初夏の頃、家庭菜園の種蒔きを始めた事が起因となります。私の想いが通じたのか、トマトやナス、キュウリ等が、すくすくと育ちました。その成長に喜びを感じながら、日々のお世話
深く強く優しい気持ち『なぜ膀胱がんになってしまったのか?なぜ元気になったのか?』と云うタイトルで書いているブログは、闘病記のブログを書き綴っていく過程で、書き落としていた時期の話を含んでいる事を、今更ですが、お伝えさせて頂きます。何度かの膀胱がん手術の後、小さな癌が取り切れなかったけれども、数か月後、その小さな癌が消えて無くなっていました。それ以降は、とても体調が良い時期が続きましたが、暫くすると油断から体調が反転し、また悪化して行った頃のお話です。当時、お父さんは、私の体調が悪化し始め