ブログ記事151件
■きょうのおさしづを読む(12月18日)2025/12/18「これまでの道というは、五十年以来の道は何でも彼でも通りて来た。言わば腰掛けたような道や。」(24・1・23)きょうのおさしづはこれです。明治二十四年一月二十三日午前一時【#240123】刻限御話さあ/\/\/\、これ/\どんな事もこんな事も、これまでは神一条で始めた道を、人間の心で始めたように思うて居れば、結構と思う。神一条の道とは何かの事も聞き取れ。古き道にどういう事も聞かそ。だん/\幾重休む処もある。今一
■きょうのおさしづを読む(12月6日)2025/12/6「尋ね出る理は許す。なれど一つ/\理を聞き分け。一つには所を望む。多くの中にこゝという所へ許そ。多くの中にこゝという所へ許そ。なれど、だん/\運ぶ理によって遅れる。」(25・3・16)きょうのおさしづはこれです。明治二十五年三月十六日【#250316A】心勇講社五条町に於て支教会設置の願(南和支教会)さあ/\順序理を以て尋ね出る/\。一つの理も治めにゃならん。尋ね出る処許すは何時でも許そ。それからでも許す、なれど一つ道
■この連載全体の構想、イメージ・スケッチについては、まず以下の記事をご覧ください。■『この年からはじめる新試行です。「おやのことば」連載のスケッチ』■「おやのことば」連載のスケッチ「おやのことば」は20年前の教祖百十年祭への年祭活動の三年千日・各年の歩みの展開を睨んで天理時報に連載されたものです。次の…ameblo.jpおやさま年祭活動三年目の仕上げの年のおさしづ連載については、上に誌されてますように■1年目:信仰の入り口(おさしづと信仰)2003年(最初の1年目の歩み)
■きょうのおさしづを読む(11月17日)2025/11/17「一つ事情世界事情、道の事情始める。どんと思うように運ばせん。順序鮮やか、精神一つの理にある。世界広く治まる。」(25・3・8)きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十五年三月八日【$250308A】柏木六左衛門五十一才願(河原町分教会第三十八号)さあ/\尋ねる事情、心得事情遠く事情、一つの曇り無きよう。一つ事情世界事情、道の事情始める。どんと思うように運ばせん。順序鮮やか、精神一つの理にある。世界広く治まる。
■きょうのおさしづを読む(11月6日)2025/11/06「いんねん一つの理心に治め。楽しみ一つの理を心に治め。楽しみ一つの理を諭してくれ。」(25・2・20)「いんねん事情も治め。一時速やか。世上事情これで安心という理も運び、治まった。さあ親という子という、皆、可愛々々子供や、救けにゃならん救からにゃならんというは理である。さあ一つ安心の道順序の道、さあ早く運んで、後々精神一つという。」(25・3・7)きょうのおさしづはこの2件です。補遺・明治二十五年二月二十日【$25022
増野鼓雪氏の講話について当時の教師や信者に対してのお話があったので貼ってみます。「今日おたすけがあがらなくなったのは、つまり信仰が常識化したからである。教理を自分の頭でこなして、説明するようになったからである。教理を人に話すのではなく、自分が実践せず、解説するだけで、そんなことで、相手の心が変わり、生活が変わり、たすかるということは起こるはずがない。これは結局、教師が本当の神をつかんでいないからである。教理は真実なる神の意志を素直に取り継ぐに他ならぬもので、もし神意の取り次ぎを忘れ、自己の意思
■きょうのおさしづを読む(10月22日)2025/10/22「同じ人間神の子供。救けにゃならん救からにゃならん身に、成らん理を聞き分け。事情は世上いんねんの事情分かろまい。言葉の理を、発散なる心を定めみよ。一時どうではあろまい。早く事情諭してくれるがよい。」(25・2・21)きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十五年二月十一日【$250211】青木伊八四十三才身上願(豊繁)さあ/\尋ねる事情/\、身一条の理を尋ねる。よく事情聞き分け。尽せども運べども、いかなる事と思う
■きょうのおさしづを読む(10月15日)2025/10/15「まあ一時道の処、世上一つの理、追々又又の事情、刻限事情にて、諭さんならん事がある。事情はあら/\、これだけの事情は許し置こう。」(25・1・26)きょうのおさしづはこれです。明治二十五年一月二十六日【#250126B】教祖御履歴編輯の事に付願さあ/\事情は、あら/\の事情/\、又々年々道々、まあ速やかという処は、未だ/\分かろまい。数々の道は諭すまで。まあ一時道の処、世上一つの理、追々又又の事情、刻限事情にて
■きょうのおさしづを読む(10月7日)2025/10/07「生涯の心。心に澄みやかという理治まりた事情生涯。生涯澄みやかなる清水一日事情、澄みやかなる処、清水事情速やかさすで。さあ/\速やか受け取れ/\。」(25・1・20)きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十五年一月二十日【$250118】松村善兵衛前さしづの事情より願さあ/\前々以て諭したる。一日事情一日一席は生涯事情、生涯の心。心に澄みやかという理治まりた事情生涯。生涯澄みやかなる清水一日事情、澄みやかなる処
■きょうのおさしづを読む(10月5日)2025/10/5「これまで順々の理、ならん理、いつ/\までやあろうまい。これより先頼もしい一つの理、今までの理に頼もしい理、今日一日の日に授けよう。さあ/\授けよう授けよう。」(25・1・16)きょうのおさしづはこれです。明治二十五年一月十六日【250116A】寺田まつ身上障りに付願さあ/\尋ね出る/\、尋ね出やにゃなろうまい。一つ事情だん/\これまで、どうなりの道、なか/\の道、なか/\の理であって、いつ/\まで事情あれば分かるで
■きょうのおさしづを読む(9月28日)2025/09/28「所々自由の理も聞かそ。それまでは、元々一つの理を聞かにゃならん。一つよければ又二つと言う。世上の言う理を聞いて、そうかと思う一つの心、早く事情を、しっかり聞かしてやれ。」きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十五年一月十日【$250110B】石田利平身上熱病に付願さあ/\尋ねる事情めん/\事情、心一つ随分不思議。したからどう、願わずしてしたからどうという理は無い。諭する処、めん/\の心、これでよいわ/\と日を送
■きょうのおさしづを読む(9月23日)2025/09/23「可哀そうのものいんねんの事情なれば、一度の当分の処当分にして、何か心の休め。夫婦安心さすよう。」きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十四年頃【$249999D】増田甚七小人身上に付伺さあ/\深き/\の事情、まあ一事言わん。当分遁れ又々遁れ、精神一つはいんねんという事情ある。何かの処の事情、事情治め。何かの事情も一つならんがいんねん。分からんなれども、小人事情から一つどうもならん。ならんがいんねんの事情という。
■きょうのおさしづを読む(9月18日)2025/09/18「前生いんねんの事情聞き分けてみよ。一列は皆神のかしもの神のたには皆我が子、何処に隔ては無い。よく聞き取りて、世上見て一つのたんのうの理を治めてみよ。」きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十四年頃【$249999B】沢田たみ顔に火傷の時願(和泉国大津村)さあ/\尋ねる事情、身上事情から尋ねるから諭しよ。日々運ぶ尽す事情は、受け取って居る。なれど、よく事情聞き分け。これだけ尽す中にどういうものであろ、いかなるもので
■きょうのおさしづを読む(9月7日)2025/09/07「これから先々先ず/\の事を治めてやらにゃならん。さあと言えばさあと、事情より一つの心治め。」きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十四年十二月二十八日【$241228】西豊次郎妻おはん身上願さあ/\尋ねる事情/\、思い掛け無き事情と思う。これから先々先ず/\の事を治めてやらにゃならん。さあと言えばさあと、事情より一つの心治め。そらと言えばそらと言う。一つの理から理を運び、何も安心の理を運び、第一一つの道であるから
■きょうのおさしづを読む(9月4日)2025/09/04「この道に合わんというは、早く以て治めにゃならん。小さい時は一時に治まる。延びると二度の処三度まで運ばんならん。皆善いと悪いとは分かる。これ一時諭して置こう。」きょうのおさしづはこれです。明治二十五年四月十二日和歌山天水組講社栗本湯川両人所業宜しからず取調べのため出張さあ/\尋ねる事情/\/\、一時の処という。事情はまあ一つ一寸分かろうまい。そこで談じ取り調べ。道の処大変なる処、すっきり取り締まり。一つの道変わりた
■きょうのおさしづを読む(8月29日)2025/08/29このところ「きょうの雑感・ギター曲の話」が続いて、おさしづは久しぶりになります。「神の道に入れば医者薬要らんという。これ明らかして一つ理吹く。先ずして世上世界の道がどうでもこうでも道がある。そこで苦労でどうもならん、世上通り難くい理に濁りありてはならん。又濁りありても一つ力添えば成りて来る。これ一つ諭し置く。」きょうのおさしづはこれです。明治二十五年四月十一日【#250411C】山沢ミキノ身上はしかのようなもの出来
#8月21日(木)連載・わたしの神殿講話集(12)↑この写真はHPを拵えた時に撮ったもので現状ではないのですが、外観は今も変わりありません(笑)。http://sachihiro.com/kyokai/kyokai.htmこの連載記事(わたしの神殿講話集)は、2008年(平成20年)から2024年(令和6年)までの間に、主としてわたしの上級教会(狹山分教会)での神殿講話を集めたものです。内容はさまざまですが、そのときに感じた思いをテーマにして綴っています。(1
■きょうのおさしづを読む(8月17日)2025/08/17きのうは上級の月次祭でした。更新を怠り、その分きょうあげます。「善き事は当り前、いかん事心に大きに持って治めるよう。身が速やかなれば実正善き事当り前、いかん理は日々理が回わる。いかん理治め、時々理を尋ねにゃなるまい。きょうのおさしづはこれです。明治二十三年八月二十四日【#230824A】山沢為造身上障りに付伺さあ/\尋ねる事情/\、身の処心得ん事情尋ねる。心得ん理を聞けば、聞いて身が治まれば事情鮮やか。中の中/
■きょうのおさしづを読む(8月12日)2025/08/12「不足あってたんのうは、どうしてもならんというのがいんねん。一時ではない。成らん処からたんのう。よく聞かしてくれるがよい。」きょうのおさしづはこれです。補遺・明治二十三年八月二十三日午後四時【$230823】美尾谷嘉右衛門身上願(道ノ口村、百六十一号講元父)さあ/\是非一つの事情尋ねる/\。一つの事情身の処/\、長らえて/\身上不自由なる処事情、神一条の道、一つの心に治め。一時の処、又々、どうでもいかなる理
天理教の一般の信徒なら、ご本部の神殿を参拝して、東の回廊を経て、教祖殿に参拝することが習わしである。生前同様に教祖(おやさま)がご存命であるから、朝食、昼食、夕食、洗濯など、生前同様に本部婦人の方々が、目に見えない教祖に対して奉仕されているという。そして、不思議なお助けがあれば、教祖のお陰であると無垢な信徒なら発言するであろう。ただ、こうした「教祖存命の理」に対する現在の解釈には、限界がある。すなわち体制維持のロジックとして、ご都合主義の教理解釈をもたらす原因となり、一歩も踏み出せ
■きょうのおさしづを読む(8月6日)2025/087/06「誠と真を定めて通れば、世界から見る。成程の人や、成程の内やと言う。世上に理を出ける。自由自在や。」きょうとりあげるおさしづはこれです。補遺・明治二十三年七月八日【$230708】結城安治郎五十三才身の内のぼせ痛みに付伺(河内国若江郡柏村新田)さあ/\尋ねる処/\、心鎮めてしっかり聞き分けてくれ。生涯のさしづ一度にして置こう。神一条の道、身の内かしもの道具、心通りに身はどうでも出ける。身の処道具誠と心定めば、
■きょうのおさしづを読む(7月29日)2025/07/29「世上いんねん為す理…いんねん救けにゃならん救からにゃならん、いんねん聞き分けてくれるよう」きょうとりあげるおさしづはこれです。補遺・明治二十三年七月三日【$230703】松井善助次男三木造願さあ/\十分事情だん/\諭し、事情一つの理が今一時、よう事情今一時諭そう。案じる/\理である。いかなる理を聞く諭する。一時理があろまい。身上速やかならんという理聞き分け。内々の事情に一つ、運ぶ中尽す中いかなる理であろ、思
■きょうのおさしづを読む(7月27日)2025/07/27「これより先永く変わらん事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。」きょうとりあげるおさしづはこれです。補遺・明治二十三年六月二十五日【$230625】椋野岩治郎十九才(吉野郡北山村大字浦向)さあ/\だん/\の席返やし/\゛の席をして、さあ一日の日というは生涯、心一つの理を以て一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭しよ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難しい事
■きょうのおさしづを読む(7月22日)2025/07/22《以下は昨日投稿した内容です》「旬より一つの理は治まりゃせん。旬が来ねば種は生えん。」きょうとりあげるおさしづはこれです。明治二十三年六月二十日(陰暦五月四日)夜【#230620C】志紀分教会再願に付、板倉槌三郎松田音次郎両名出張の上願(中河分教会)さあ/\尋ねる処/\、そら成程世界一同の理、何名幾名一つの理である。何人の理を取り集める処、取り扱う処、何名の理ならん、をや一つの理に治めてやるも一つの理である
■きょうのおさしづを読む(7月21日)2025/07/21「旬より一つの理は治まりゃせん。旬が来ねば種は生えん。」きょうとりあげるおさしづはこれです。明治二十三年六月二十日(陰暦五月四日)夜【#230620C】志紀分教会再願に付、板倉槌三郎松田音次郎両名出張の上願(中河分教会)さあ/\尋ねる処/\、そら成程世界一同の理、何名幾名一つの理である。何人の理を取り集める処、取り扱う処、何名の理ならん、をや一つの理に治めてやるも一つの理である。何名何人一つの心、一手、一手一
■きょうのおさしづを読む(7月18日)2025/07/18「一時百軒千軒の心分かるより、十軒の心を治めてくれるよう。」きょうとりあげるおさしづはこれです。明治二十三年六月九日【#230609C】正明講長山田作治郎身上願さあ/\尋ねる事情、尋ねるである。深き事情、遠く事情、一つの事情、注意一つと諭し。身上の処、何か一つ、何か一つ安心一つの心諭し。どうで心得ん。順序一つの理を聞き分けるから心得。道のため運ぶ理は受け取る。身上から先々の事情諭し置く。余儀無き事情運ばねば