ブログ記事20件
行ってみたい世界遺産は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう3月28日歴史の出来事と記念日と誕生花3月28日リリースほんの一例3月28日誕生日のかたたちとキャラクターほんの一例です
行ってみたい世界遺産は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう3月28日歴史の出来事記念日・年中行事⬇⬇⬇3月28日誕生日のキャラクターほんの一例⬇⬇3月28日誕生日の方達、ほんの一例誕生日を迎えた皆様おめでとうございます🎉
若いころ、毎日楽しく拝聴いたしておりました。『MBSヤングタウン』。月曜日のさんまさん、木曜日のダウンタウン、金曜日の要さん・笑瓶さん・野沢さん・・・22時が待ち遠しくて、懐かしい青春です。振り返ると、ラジオの楽しい時代だったように思います。(『オールナイトニッポン』や『ミュージックスクエア』もそこそこ聞いてました)久しぶりに、しっかり聞きました。鶴瓶さんの回に、ゲストでオール阪神・巨人さんがご出演。今はYouTube(公式)で楽しめるのです。(サムネイルの鶴瓶さん、い
おかけんたくんがMBSラジオ『ますますハイヒール』に来てくれましたおかゆうたくんの話いっぱいしてくれました。みな、号泣…ラジコで聞いてね。
漫才コンビの「おかけんた・ゆうた」のゆうたの方が脳内出血で死亡しました。享年61歳でした。脳内出血が原因の死亡の人は大勢見掛けます。珍しくないのですが、彼は人工透析患者と聞き心配になりました。透析歴15年のベテランです。(私は令和に入ってからなのでまだ、5年足らずですが・・・)盆も正月もない治療を継続するので、透析患者には30年以上の治療をしている患者が多い。酒も止め、悪い遊びも出来ません。所謂、健康に留意した真面目な患者た
NSCではないけどほぼ同期のおかけんた・ゆうたくんのゆうちゃん突然すぎて、若すぎて、びっくりしすぎて、悲しすぎて…8月15日久々に漫才したっていうの聞いてよかったと思ってた矢先…残念すぎるただただ安らかに眠って下さいお疲れ様でしたあたしが見た最後のけんゆういっぱい色んな思いを語ってくれたけんちゃん、頑張ってね
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうた(本名・井元保則=いのもと・やすのり)さんが22日、脳内出血で死去した。61歳だった。鹿児島県出身で、1981(昭和56)年11月に吉本新喜劇の岡八郎(岡八朗)に弟子入り。しばらくは新喜劇に出演していたが、1983(昭和58)年3月にNSC1期生でうめだ花月の進行係をしていた穐山(おかけんた)とコンビを結成。当初は本名だったが、「きつね・たぬき」「きつね・うどん」などを経て、岡八郎の息子と娘の名前から「岡けん太・ゆう太」と命名。その後は地道に花
皆さんは、おかけんたゆうたという漫才師をご存知ですか?関西の人か、50代のコアはお笑いファンなら知ってるでしょう。NSCの一期生、つまりダウンタウンさん、トミーズさん、ハイヒールさんの同期の漫才師です。その、おかけんたゆうたさんのツッコミのおかゆうたさんが脳内出血で亡くなりました。NSC一期生が亡くなる……61歳でした。早すぎます。ダウンタウンさん、トミーズさん、ハイヒールさんとは一線を画して、劇場の漫才一本で活躍してました。まだまだ漫才やれるのに……相方のおかけんたさんの寂し
ボ:おかゆうたさんが亡くなりましたツ:相方のけんたさんとの、きつねとたぬきのようなコントラストがおもしろかったですボ:おしゃれでね。いつもゆうたさんがグリーンで、けんたさんがレッドのスーツでしたかねツ:赤いきつねと緑のたぬき、関係ねえわご冥福をお祈りします。漫才師おかゆうたさん死去61歳-Yahoo!ニュース相方・おかけんた「こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません」吉本興業は25日、お笑いコンビ・おかけんた・ゆうたのおかゆうたさん(本名・井元保則)が22日、脳内出血のため
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」さんの、おかゆうたさんが亡くなられたそうです。死因は脳内出血で、享年61歳。NSCの1期生(ダウンタウン、トミーズ、ハイヒールと同期)で、吉本新喜劇の岡八郎さんのお弟子さんです。シュッとして、ええ声の「おかけんたさん」と、少しポチャっとした「おかゆうたさん」の漫才は面白かったなあ。まだまだお若いのに、残念です。ご冥福をお祈りいたします。漫才師おかゆうたさん死去61歳-Yahoo!ニュース相方・おかけんた「こんなに皆さんに愛されてる
今回の舞台写真は、うめだ花月の穴場席である2階サイドからの写真です。この席は舞台全体が見えて、客席も良く見えるし、今の祇園花月の桟敷席みたいな感じですね。全て昭和62年9月下席での撮影で、昼の部は1階席で見て、夜の部は2階席で見ました。岡けん太・ゆう太(現おかけんた・ゆうた)。当時はダウンタウンを筆頭にした2丁目ブームで、けんゆうも割と人気がありましたし、ネタも面白かったですね。今はもう・・・。Wヤング。コンビ結成3年目ぐらいで、まだまだ平川さんに主導権があり
前日まで過酷な6連勤で、今日はゆっくりしようと思ってましたが、早くに寝たおかげで体力が回復し、9時半頃に目覚めたので、新喜劇に行こうと急遽出かけました。西梅田も川畑座長やし良かったんですが、ネタの方でキー坊が出てるのでやめました(笑)酒井藍が座長になってからまだ見てないなと思い、久々に秋田くみ子も見たかったので、祇園にしたわけです。漫才・落語はイマイチなメンバーというか、いつもの平日の祇園って感じですねぇ。私の八方さん率高いなぁ(笑)新喜劇は安尾信乃助、高井俊彦が出てるので、な
フレッシュコーナーから始まり、若手漫才、奇術、ミモファルスのポケット・ミュージカルスとまだイマイチ笑えない出番が続いていますが、これから先は誰が出てくるのでしょうか?大木こだま・ひびき。今のようなもっちゃりした喋り方ではなく、今よりはテンポの速い漫才でした。ここもよくスケで来ることが多かったですね。Wヤング。どんな出番に挟まれても、必ず爆笑を取るコンビ。再結成でお互いに苦労はしましたが、とても息の合った漫才です。しかし昔に比べて扱いがあまりよくないのが残念。
2012年10月7日~10月31日なんばグランド花月●吉本百年物語10月公演「これで誕生!吉本新喜劇」作/長川千佳子演出/湊裕美子吉本興業100年の歴史を今年の4月から一ヶ月毎に上演。10月は吉本新喜劇の大スター花紀京と岡八郎の物語。その二人を現在の吉本新喜劇の座長内場勝則と千原せいじが演じます。10月16日19時公演、A列で観劇。(平日の夜公演なのにほぼ満員)物語はまず笑福亭松之助師匠の口上から始まり、御歳87の大師匠が「明石家さんまの師匠でございます」と笑わせます。
今回の舞台写真は、昭和63年4月下席のうめだ花月です。観劇日は4月30日の楽日の夜の部。たしか土曜日で学校が終わってから友達と三人でうめだ花月に行きまして、昼の部の新喜劇の途中から入場したのですが、新喜劇はテレビ撮りをしていて客席は満員でしばらく通路で立って見ていました。新喜劇終了後にさっと二列目センターをゲットし、夜の部の開演でございます。トップはフレッシュコーナーで平川タロー・ジロー。Wヤングの平川幸男の弟子でしたが、平成16年に右のジローが睡眠薬自殺をしてしまいまし
前回紹介したうめだ花月3月下席の4日後、今度はなんば花月へ行きました。当時のなんば花月は前年の昭和62年にNGKがオープンし、10月上席で一旦休館していましたが11月下席から何故か再オープンしました。当時のNGKは故林会長の許可がないと芸人は出れない劇場。そのためにあぶれた芸人の救済措置としての再オープンだったかは定かではありませんが、とにかくNGKに出番のない芸人でなんば花月は出番が組まれたので、かつての京都花月のような番組でした。(※うめだ花月もやや寂しい出番編成になっていました)
前年にNGKがオープンし、吉本のメイン劇場はNGKとなりました。しかし、旧なんば花月が一時的に再オープン。ですが、番組的にはかつての京都花月。その中間に位置する「うめだ花月」ですが、やはりNGKがオープンしたことで看板さんが主にNGKに出てしまい、うめだは若干の出演者のダウンは否めませんでした。今回紹介する昭和63年3月25日昼の部のうめだ花月ですが、元々「春休みなのにこの出演者は寂しいなぁ」と感じていましたが、劇場に着いて出番表を見て唖然。スケだらけなのです。客の入りもかつての
「うめだ花月昭和62年7月下席」の舞台写真の三回目です。オールディーズの木村祐一と栩野進。面白い漫才でしたが後年栩野進が不祥事を起こしコンビ解散。当時の若手では珍しくNSC出身ではなく、花月の進行係からのデビュー。大木こだま・ひびき。まだ今のようなスタイルは確立されていませんでしたし、知名度もありませんでした。しかし花月では安定した笑いを取り、スケ(代演)の王者でした。この日も大助・花子のスケ。岡けん太・ゆう太(現おかけんた・ゆうた)うわぁ~ゆうたは太
平成2年3月31日で閉館した旧うめだ花月劇場です。今から25年ほど前の吉本の演芸場は「なんば花月」「うめだ花月」「京都花月」と三館ありました。私は中でも「うめだ花月」によく通いました。なのでどうしても「うめだ」の写真が多いです。興行の舞台写真はまた機会があれば紹介したいと思います。前回と似たような写真ですが、劇場内のいろんな位置から舞台を撮影しました。昭和62年9月下席。下手側二階席最前列から撮影。舞台は岡けん太・ゆう太(現おかけんた・ゆうた)うめだ花月の二階