ブログ記事695件
☆母の日ありがとう☆今月は父の七回忌がありました。もう七回忌なのか。まだ七回忌なのか。・・・コロナ禍の間は法事のたんびずっとお寺さんにお布施持参で「お寺さんでお経をあげていただけますか。」・・・というなんとも若干寂しいお寺さんとのお付き合いが続いていたわけですがこのたび4年越しで「オヒサシブリ~!」・・・の若和尚。もうただそれだけでコッチサイドといたしましてはなんだか嬉しくて嬉しくてたまらんのでありました
東京でパーソナルスタイリストの活動をしている渡辺真由です。ご訪問ありがとうございますプライベートではアラフィフ3児の母をしています5/12は母の日ですね🌹お母さん・義理母さんにお花を送りましたか🤗最近は親子でご飯を食べたり夏のアイテム帽子や日傘などを一緒にお買い物にいかれる方も多いそうですね👒🛍🪭👗私は昨年秋に母が他界昨年が最後の母の日となりました🌹今になると「もっとアレしておけば良かったかな」「もっとコレしてあげれば良かったな」「もっと一緒にお出掛けすれ
自損事故を起こしてしまいGW前に車をあずけようやく戻っていました。車屋さんが帰った後にGSに向って久しぶりに乗った自分の車の懐かしいこと。代車はホンダのフリーダでまだ3000㎞も走っていないほぼ新車でハイブリッド。でもやっぱり自分の車がいい。懐かしいハンドル感覚に走行性能。しかしながらGSで燃料を入れているときにまた別の懐かしい思い出がよみがえってきました。いつも助手席でその様子を待ってきた母親の姿です。帰り道には母がコロナワクチンを受けに行った病院の前を通ります
お母さんが喜びそうなことは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今年の母の日のプレゼントは先日の素敵ティッシュケースと、オーベルジュの母の日プレートおいしそー母の日プレートは音羽シェフのオーベルジュのデリの詰め合わせ。ホタテとサーモンのミルフィーユ、ローストビーフ、海老、さつまいものサラダ、フルーツ杏仁、ケーキ、お惣菜からデザートまで素敵に盛り付けられていました。カーネーションは毎年、切り花をネットから贈っていたので
葛飾区柴又&京成小岩ピアノと声楽のレッスンフェリーチェピアノ教室新規ご入会受付中ですブログプロフィールをご覧いただきましてメールを送って下さい📩皆様、こんばんは(^^)フェリーチェピアノ教室講師のMinaです。今日は「母の日」2人の母にカーネーションとプレゼントを渡しました夫は、私の母に「あじさい」を送ってくれました。新しい種類のあじさいで、とっても可愛くてこれから水やりと育てるのはジジ(私の父)なのですが…(笑)私も母なので娘からカーネーションを頂きました「ママ
今日は母の日✨長男ペアが夕飯用意してくれてバラみたいなケーキまでしっとりチョコケーキにローズなクリーム、美味しかった〜可愛いカードもありがとう😊そしてそして、こちらも❣️めっっっちゃ嬉しい〜💕(この話はまた今度)次男ペアからは😆💕「体おもいの」美味しいお酢♪暑さバテしないよう、元気つけるね♪みんなみんな、ありがとう💕お空のおかーさん、毎日写真に挨拶するだけで元気になれるよ❣️ありがとうね〜午後から雨の日曜日。結局ほとんどお片付けしてて、マンガや小説は読めなか
数年前の写真を眺めていました。いろんな旅行先の写真です。80代まで杖を嫌がっていましたが、それでも90代になると杖を利用しだしました。そのあとすぐにシルバーカーになりましたがこれが結構お気に入りで「コロコロ」と名付けてあちこち歩いていました。やがて車いすになりました。それでもそこに母がいます。「お母さんがいてるううううう、お母さんが笑ってるううう」と叫び突然滝のように涙が溢れました。整形外科の先生が慰めてくれましたお母さんとの思い出は最高のプレゼントですね、と
どうぞー🧡´.◡`。)🌹🧡´.◡`∞)🎁(´.◡`。🧡ボヌっ❤︎母の日ケーキ🎂💕おかあさんありがとう🧡🧡🧡❤︎
今日のご飯は、お仕事だけでクタクタになってしまったので…スーパーの割引お弁当に昨日のお味噌汁とピリ辛和えです🐧*°いただきます~,:('ω'))ムシャムシャ:今日は母の日ですね…(ˇωˇ)💓今年はですね…もふ母には靴を2足、いっちゃん母にはお洋服を2着、プレゼントしました🎁*°どちらも喜んでもらえたので良かったのだよ✌️✨
寂しい思いをさせたくなかった。苦しい思いをさせたくなかった。ずっと24時間付き添って看護をしたかった。もっともっと頑張る決意でいたし、その場面を想像していたし、そのつもりでいたし、実際もっともっと頑張れた。おかあさん、ごめんね、ほんとうにごめんね。あれだけ大切にしていたのにねあれだけ宝のように大事にしていたのにね、あれだけ目を離さないですべてをつぎ込むつもりだったのにね。ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんなさいこの気持ち、だれとも共有できない。
心を感じる魔法のアートであなたが望む人生へとチェンジする‼あなたのココロのお助けマンおおたにゆみこ自己紹介/体験会MENU/体験者様の声/お問い合わせ/アート一覧mothersday🌸∴∵∴୨୧∴∵∴୨୧∴∵∴୨୧∴∵∴いつもご飯つくってくれてありがとういつも話きいてくれてありがとうおかあさんのわらってる顔がだいすきいつもは面と向かっていえないけどいつもおもってるよ『うんでくれてありがとう』
心を感じる魔法のアートであなたが望む人生へとチェンジする‼あなたのココロのお助けマンおおたにゆみこ自己紹介/体験会MENU/体験者様の声/お問い合わせ/アート一覧母の日今日はお母さんありがとう!をいっぱい描いてInstagramのリールとフィード投稿したよ〜今だから明かす…わたし。。。子どもの頃両親のこと嫌いやった😂毎日ケンカするし星一徹ばり(知ってる?)いや、それ以上の血の気多い父とひとこともふたことも多く思った事口にする母余計
先週まで放送していたNHKの「天使の耳」。交通警察官を描いたドラマだったが、15年前に妻を亡くした交通警官が、明かりのともっていない部屋に帰っても、毎晩「ただいま」と言っていた。そしてある時思いが爆発し、もう一度「ただいま」と大声で叫んだ後に「なんで答えてくれないんだよ!!」と大号泣するシーンがあった。誰もいない部屋で誰とも会話もできない。以前は「お帰り」と言ってくれた妻がいなくなって15年もたつのにそれでも「ただいま」と言い続ける。演じたのは安田顕。名演技だった。子供も
母の世話をしなくなったということは家事を行わなくなってきた。母の身体を支えたりすることもなくなった。仕事もしなくなったし家で何もしなくなった。筋力が落ちている。体幹も弱くなった。母がいなくなれば楽になると思っていたことまで母に対して詫びたい。楽になったが楽しくなくなった。楽=楽しいではない。同じ漢字なのになあ。
昨年まではたとえ二人だけだとは言え高めのショートケーキを買って祝ったものだった。誰と話をしないまま、何もなく終わろうとしています。母を看取った後に、自分も逝きたかったという思いがよぎる。親子に深い愛を与えた神は残酷だ。私はずっと神には手を合わせ日々の糧と命に感謝をしていた。しかし日々の糧も味気なく、命の持っていき場がないくらい寂しくてつらい。神に感謝することがなくなった。母の誕生日がこんなにつらいものになるものだとは昨日まで思わなかった。
母の誕生日に思い出すのは母と旅行に行った数々の場所。家になかでの母の様々な笑顔。だめだ。おかあさん、おかあさん、おかあさん。。。枕や抱き枕、そしてマットなど部屋中であるものを抱きしめ、母が横になっていったソファーやベッドの上で転げ回って号泣。ずっと見なかった生前の母の写真を見て大声をあげて泣いた。亡くなって3か月。苦しい日々が続く。
7年前に車を買った時に迷ったことがあります。それはナンバープレートを私の誕生日にするか母の誕生日にするか。結局自分の誕生日にしたのだけれど今後悔しているのは母の誕生日にすればよかったということ。どれだけうれしそうな顔をしただろうかと思うと悔やまれる。色も赤にすればよかった。母の誕生日に思ったこと。母さん、生きてほしかった。
母の誕生日だったから。でもおかずはタマゴかけご飯に味付け海苔に佃煮。いずれも母がニコニコして食べていた。食べながら涙が止まらない。衰えれば衰えるほどあなたへの愛は深まっていたんですね。失って3か月。悲しみは深まるばかり。以前は楽しいと思っていたことが楽しくなくなった。何をしても楽しいことなど何一つない。母が横にいればそれだけで安心して何があっても楽しかった。生きているのがめんどくさい。
今年で98歳やな、100歳まであと2年頑張ろうな。なんかおいしいもの食べに行こか?…亡くなった子供の歳を数えるという言葉がありますが、私は亡くなった母の歳を数えます。冷蔵庫に会ったパン粉は捨てました。パン粉は母の好きなカツやハンバーグを作るときに使っていたものです。もう作ることはないですね。揚げるときに使っていたこめ油も昨年12月から使ってません。よく使っていたすき焼きのたれも5本くらいそのまま。2月3月は炊飯器は一度も使っていません。でも今日はご
生きていたら98歳。ニコニコしてつつじ園に行くだろうな。明日は一日泣いている気がする。おかあさん。寂しいよ
私は母をこの両腕の中で安らかに寝息を聴きながらその寝顔を見ていたい。それができないから時々枕を抱きしめる。なぜ人は両腕を使って愛するものを抱きたくなるのだろう。人間だけじゃないだろうか。
夜中に目が覚めたのでもう一度寝るとまた変な夢を見た。母親を病院に連れて行って車いすを押していたのだが、なかなか駐車場にたどり着けない。ようやく車を見つけて駐車料金を千円札で支払うと、釣銭のところから万札が数枚出てきた。数えると8万5千円。母には黙って車を出して目が覚めた。
今日は妙な夢だった。若いころに心底惚れぬいた女性がいた。片思いだったけどその人を好きになったせいでそのあとであった誰とも結婚に至らなかったほど好きになった女性だった。そして母も夢に出てきた。片思いの女性は若いままの姿。母は晩年の年老いた姿。でも母が夢に出ると安心感で満たされた。そこで目が覚めた。振られた女性と仮に結婚して歴史ができれば事情は異なったかもしれない。でもやはり母を失ったことのが大きかったと目が覚めて実感した。母はやはりしゃべらない。母と
夢の中の母はしゃべらない。私は母と話をしたいのに。苦しみは増すばかり。哀しみは深くなるばかり。お母さんとの時間が煌めく時間だったと今頃になって気づくなんて。だったらもっともっと大切にすべきだったと毎日後悔している。10回旅行に連れて行ってあげたことよりも20回旅行に連れて行ってあげなかったことで詫びたい気持ちでいっぱい。私は前にも書いたけど死後の命は信じていません。でも機会があれば手を合わせて思い出の中にいる母に「ごめん」と謝っている。母の世話は私の命
もっともっとしてあげられることがあったのに、ついつい先延ばしにしたこと。時間はあったのに。最近それを考えると心がえぐられるほど苦しい。私は本当に母を愛していたと母を失って始めて思い知らされる。正月も、桜も、つつじも、紫陽花も冥土の旅の一里塚。めでたくもありめでたくもなし。
そりゃ人を愛すればこそ、美しいドラマは生まれる。でもその美しさは愛する人を失ったときに残酷なドラマになる。愛は生きていく力を与えるが、愛を失うと生きていく力を失う。男は女を、女は男を、夫は妻を、妻は夫を、親は子を、そして子は親を…自分のすべてを愛した人を失うのはすべてを失うということ。失って何が残る?何も残っていないのになぜ生きる?愛する人がいなければもっと楽しめるのに。神は慈愛に満ちている。でもだからこそ残酷だ。善人だけが永遠に生きるよう
もちろん今まで何度もいろんな人の死に直面したことはあります。そのたびごとに嘆き悲しみ、また悲しむ人を見てきました。私も母との別れはいずれ経験することはわかっていました。それでもここまで自分を破壊するだなんて夢にも思いませんでした。確かにその時々の時間で忘れることはありますが、すべてから元気です。おいしいものを食べてなんになる?旅に出かけてなんになる?なんもない。なんもしたくたい。思い出すのは母のかわいい言葉やしぐさだけ。1リットルの涙なんてもんじ
今日はあまり寝ないでクルマで1時間ほどかかる病院へ朝に出かけました。阪神高速湾岸線が工事のために通行止めになっており渋滞していました。「眠たいなああ」とつい口に出しました。今まで横にいた母は「ねんといてや」と言っていましたが、その声を聴くことはありません。そのことを思い出して「何で何も言うてくれへんの、お母さん」と何度も繰り返していると大号泣。おかげで目が覚めました。母の思い出が守ってくれたんですね。
何にも食べなくていいし、トイレも行かなくていい。寝てるだけでいいし。人と接しなくていいし。髭でも生やすか。
机の引き出しなどを整理していると母親を連れて行った病院や診療所の領収書が見つかり、皮膚科や内科でいろいろもらった薬が見つかります。まえにも書きましたがこれらはすべて母とともに病気と闘った結果。でもいなくなると費やした時間と努力がすべて無になってしまう。いまウクライナで戦う兵士たちの勇敢な犠牲を称える報道がよく見られるし、ロシアのプーチンも自国の兵士を称えている。でもいくら勇敢に戦っても死んでしまったら何にも戻らない。テレビでは遺族の死を悲しみはするが自国の誇りを持ち