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6月20日木曜日〜その33時半から6時45分まで二度寝。GateauRuskGOUTERdeROIを食べながら、松任谷正隆著『車のある風景』を読む。P106には、逗子のコンサートについて触れている。(写真)逗子といえば、居を構えていた犯罪ルポライター朝倉喬司さんを思い出す。此れは、S61年7月25日、うめだ花月特別興行『少年社刊カセットブック「河内音頭・新聞詠み」発売記念独演会』。右より、音楽評論家藤田正さん、朝倉さん、23歳の私、作家平岡正明さん。
漫才師、今いくよ・くるよの大好きだったくるよちゃんが亡くなりました涙まだうめだ花月があった頃今いくよ・くるよさんは一緒に住まれていたからいつもタクシーを御堂筋の入口で降り阪急東商店街をうめだ花月まで自分たちの衣装を両手に抱えて全力で走っておられましたそこそこ名前も売れていた頃だったので自分で運ばれているのを何度も見て「エライなぁ~」「衣装は自前なんだ?」(くるよちゃんのは特に)と感心した事を思い出した😅本当にお疲れさまでした2人の漫才は何回も観たし
お笑い芸人の今くるよさんが27日、膵がんのため、大阪市内の病院で亡くなった。28日、所属事務所の吉本興業が発表した。1970年に高校の同級生だった今いくよさんとともに女性漫才師の今喜多代さんに弟子入り。73年、女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成した。男性中心の漫才界で、お互いの体型や派手なファッションなどをネタにし、体を張ったギャグや軽妙な掛け合いで人気を集め、80年代の漫才ブームに乗って一世を風靡(ふうび)した。2015年5月28日に相方だった今いくよさんが亡くなるまで、花月
うめだ花月昭和62年7月中席のポスター。徐々に漫才偏重な番組なりつつありますが、まだ諸芸もあってバラエティ性をなんとか保ってます。看板は阪神・巨人、桂文珍、カウス・ボタンの三組で普段のうめだって感じ。当初はカウボでなくコメワンの予定でした。東京からゲストでピンクの電話が来演。あの芸風が花月で受けたんでしょうかね?諸芸はアクロバットのジュン&ダン、桂枝雀の実弟のマジカルたけし、音楽ショーのザ・ダッシュ。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「OH!ミモファルスがやって来
うめだ花月昭和61年2月中席のポスター。この席は平参平芸能生活50周年記念公演で、「長いなが~いアーホーぐらし」と題して、豪華メンバーでの十日間。漫才・落語は桂文珍、阪神・巨人、大助・花子が看板で、他に桂小枝、ハイヒール、まるむし商店で今のNGKとあんまり変わってないなと。ポケット・ミュージカルスがなしで、代わりにバラエティショー「40001回目のステージ」(演出檀上茂、構成栗田国人)で、平参平が主演で歌や時代劇コント。南喜代子、島田一の介、未知やすえらが出演。吉本
3月1日金曜日〜その6P183では、主人公が待ち合わせ相手に時刻を決めて「曽根崎署から梅新に向かって歩いて下さい」と指示している。(写真)大阪市北区の曽根崎警察署の右方向が梅新。左に少し歩くと、うめだ花月劇場。これは、S58年12月21日〜30日、下席出演の折に正面玄関で撮った一枚。この時代は、月に10日間、花月に出てましたなぁ…。
なんば・うめだ・京都の花月三館の、団体観劇案内のポスター。ポスターに掲載されているメンバー的に、昭和53年後半から昭和54年秋頃までと思われます。当時の芸人の格付けが分かる感じで、番付表みたいになってますね。やはり笑福亭仁鶴、桂三枝が大きく載っており、やすし・きよし、コメディ№1、Wヤング、チャンバラトリオが写真付きで大看板。意外に通常興行のポスターや出番ではトリの幸朗・幸子や、松竹から移籍したダイマル・ラケットは小文字。カウス・ボタンもチャントリより扱いが小さいです。逆にデビ
うめだ花月昭和56年3月中席のポスター。漫才・落語はうめだらしい番組編成で、トリは幸朗・幸子のベテランに、桂文珍、コメディ№1、明石家さんまとバランスが良いです。由紀子・幸司は由紀子・たか志のことで、人生幸朗の紹介で吉本入りしたことから、この時期は生恵由紀子・羽田幸司と名乗っていた頃。奇術の松旭斉天正・小天正は親子ですが、とも子って誰?後見ですかね?ポケット・ミュージカルスは噺家ユニット「ひっと・えんど・らん」(構成/三原和人)で、笑福亭仁幹、笑福亭仁喬、桂小つぶ、桂三馬
うめだ花月正月二の替り興行のチラシです。前回の裏面の予告も併せてUPします。当時の吉本はまだ看板となる芸人が少なかったようで、他所の所属芸人を迎えていることがありました。この席もトリは千土地興行所属の暁伸・ミスハワイ、そして東京から三遊亭円歌を迎えています。弟子の歌笑も出てますね。モタレの漫画トリオのフックは二代目になった頃かな。笹山タンバが実娘の花野ルンバと新コンビを結成。今回もステレオ、ポケット、新喜劇は全て竹本浩三の脚本。ステレオ・コントは100回目の公演で
1月5日金曜日〜その12(写真)S61年7月21日、データハウス刊の名著『アホの坂田のアホだらけ』。(写真)懐かしの台本は、S59年8月11日、うめだ花月特別公演・読売テレビ収録『坂田軍団たかがお笑いまかせなさい』。(写真)私のスクラップ帳より、H5年12月14日付、夕刊フジ「島田洋七のお笑いコネクション」。坂田利夫師匠のお人柄が偲ばれます。
うめだ花月昭和38年1月上席のチラシ。まだなんば花月がオープン前の、うめだと京都の二館体制の正月興行。漫才は右楽・左楽、洋介・喜多代、四郎・八郎など当時の人気漫才を並べ、東京から牧伸二がゲスト。ポケット、ステレオ・コント、新喜劇は全て竹本浩三が脚本を担当。資料を見ると京都の新喜劇も担当してます。どんなけアイデアがあったんだと驚きます。ポケット・ミュージカルスは「ハッピー・ニュー・イアー」で、スプリング・ボーイズと新喜劇の秋山たか志が出演。ステレオ・コントは「学校ごっこ」で
「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑いタレントの坂田利夫(さかた・としお、本名地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため、大阪市内で死去した。82歳だった。コロナ禍で舞台から遠ざかり、近年は老人ホームに入所し、間寛平夫妻が最後を看取ったとのこと。坂田利夫は大阪ガスに就職するも、芸人にあこがれて研究生として1965(昭和40)年に吉本新喜劇に入団。その後、先輩座員だった前田五郎と漫才コンビ「コメディ№1」を結成。1972(昭和47)年に名曲「アホの坂田」がレコード発売されるも、教育
昭和56年4月上席うめだ花月のポスター。うめだ花月新装開場記念特別興行と題して、上席の1日~5日だけの連日3回興行。漫才ブーム全盛期で当時の人気漫才師を集結。一番人気のザ・ぼんちはポケット・ミュージカルスで「BONCHISHOW」。他に漫才が阪神・巨人、紳助・竜介、のりお・よしお、いくよ・くるよ、サブロー・シロー、一球・写楽。漫才ブームでの特別興行なので、吉本新喜劇はありません。6日からは通常興行。約42年前ですが、阪巨、のりよし、ぼんちが今でも現役なのはスゴイこと
11月6日月曜日〜その5各局のニュースでは、昨日の38年振りの阪神タイガース二度目の日本一について報じている。38年前、私は22歳。セリーグ優勝を飾った、S60年10月16日は、うめだ花月劇場中席(11日〜20日)の「大喜利」に出演。昼の部は13時15分。夜の部が特別興行だったのか?無料開放だったのか?出演芸人が舞台に集り、今でいうパブリックビューイング。新聞取材のカメラが並び、テレビ各局の中継も入る中、モニター画面に声援を送り、優勝の瞬間を迎えた記憶あり。(写真)その3日後の10月19日
今年もやってきましたプレミアム商品券‼️大阪市がやっており抽選とはなりますが13000円分の商品券を10000円で買えます。1人4口まで買えるので例えば4人家族がMAX買うと4人✖︎4口で16口買えます。つまり16万円で20万8千円分の金券が買えて4.8万円お得なのです😳大阪市がやっているということもあり使えるところも多くて前回は我が家は近所のスーパーでほぼ使いました食費でかなり助かった!今年のイメージキャラクターも昨年に続き僕の大好きな海原やすよともこ!学生時代
昭和60年7月、「うめだ花月夏休み納涼寄席」と題して、入場料1000円での夜興行。今でいう、ファミリーナイト劇場ですね。7月26日~30日の5日間だけ、夜の7時~9時に漫才とコントや企画コーナー。日替わりゲストで26日はサブロー・シロー、27日はのりお・よしお、28日はザ・ぼんち、29日は阪神・巨人、30日は月亭八方。「お世話になった貴方に」と題して、桂小枝、ハイヒール、トミーズ、ダウンタウン。企画コーナーなのか普通に漫才と落語なのか??大喜利は怪談特集で「オレはやっ
昭和61年の花月三館正月興行。例年に比べるとちょっと寂しい感じの番組編成です。新喜劇も専科陣の花紀京、岡八郎、平参平、桑原和男、船場太郎が出てないので、豪華さに欠けます。●なんば花月やすきよが出てないのでやっぱりちょっと寂しい感じと、のりお・よしおがカットになり、まだ若手だったダウンタウンが追加。桂三枝、明石家さんまが出てるのでなんとか豪華さを保ってます。しかし演芸はほぼ現役メンバーですね。盆・正月恒例の天津竜子舞踊劇団はうめだの中席にも出ますが、これが最後となります。木村
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうた(本名・井元保則=いのもと・やすのり)さんが22日、脳内出血で死去した。61歳だった。鹿児島県出身で、1981(昭和56)年11月に吉本新喜劇の岡八郎(岡八朗)に弟子入り。しばらくは新喜劇に出演していたが、1983(昭和58)年3月にNSC1期生でうめだ花月の進行係をしていた穐山(おかけんた)とコンビを結成。当初は本名だったが、「きつね・たぬき」「きつね・うどん」などを経て、岡八郎の息子と娘の名前から「岡けん太・ゆう太」と命名。その後は地道に花
昭和60年3月31日うめだ花月特別興行。うめだ花月の特別興行は、なかなかの豪華メンバーでして、私も春休みだったので日曜日で満員のうめだ花月へ、祖母と二人で見に行きました。開演が10時と14時の二回興行で、いつもと少し違います。●気分は毎度チャカチャンリン落語特集笑福亭仁鶴、桂文珍、月亭八方、桂勝枝など看板が揃い、落語・コント・大喜利と内容盛りだくさんで、読売テレビの収録がありました。●いしいひさいちコント劇場「忍者大阪戦争」脚本に紳竜の映画「ガキ帝国」の堰守。
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和37年10月下席の予告。トリは秋山右楽・夏川左楽の漫才。落語で桂米朝。東京からのゲストで自転車曲技の中川ブラザース。ジャズ漫画の木川かえるも相当昔から花月に出てますね。ステレオ・コントに玉松キャップ・中田チャック。チャックは後に泉スナップ(泉ひろし)と組んだり、結構コンビを解散を繰り返します。カウス・ボタンの師匠でもあります。ポケット・ミュージカルスに花紀京と浜裕二。浜裕二は歌手としての出番。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は竹本浩
昭和37年10月中席うめだ花月のチラシ。曲技のブラック・ジャガーは東京からのゲスト。演芸の看板はミスワカナ・玉松一郎、島田洋介・今喜多代。玉松一郎は翌年死去し、ワカナは新喜劇に入り、河村節子(施つ子)として昭和50年代中頃まで活躍。浅草四郎・岡八郎はコンビを組んだばかりの頃。笹山タンバのおいろけ説法ってなんでしょうか?(笑)ルーキー新一・清二は芝居の方にも出てますね。ポケット・ミュージカルスは竹本浩三構成「秋のムード」。スプリング・ボーイズらが出演。ステレオ・コ
3月19日日曜日〜その9HDDに録画した、BSよしもと『プレミアムアワー花月爆笑劇場』〜「恋愛講座」を見る。(写真)舞台セットにTEAROOMノルトの文字が…。この映像は、S60年代のうめだ花月での収録。当時、私は月に10日間、なんばorうめだの劇場出演の時代。うめだ花月の近くに、ノルトというお店が有りました。実際は地上では無く地下でしたか…。たぶん、そこから店名を拝借したのでしよう。楽屋にハンバーグランチを出前してもらったり、昼夜2回公演の合間、芸人仲間と入り浸ったり、懐かしい想い出
昭和60年1月31日のうめだ花月特別興行のチラシ。なんば花月と少し違うのは、演芸は下席のメンバーに少し色を付け、新喜劇を特別バージョンで上演。演芸のメンバーは下席出番の笑福亭仁鶴、のりお・よしお、カウス・ボタンに、31日だけはサブロー・シロー、コメディ№1が加わり、なかなかのメンバーになっています。木村進が座長の吉本新喜劇はこの日だけサブロー・シローと大助・花子、トミーズを出したスペシャル版。室谷信雄の名前がありますが、出演していません。お芝居は先日BSよしもとの「花月爆
2月20日月曜日〜その9HDDに録画した、BSよしもと『プレミアムアワー〜花月爆笑劇場』〜「花婿物語」を見る。(写真)劇中の背景に何度も映り込む、うめだ花月のポスターに私の名前を発見!!。(写真)地下資料室のコレクションを調べますと、S60年3月中席(11日〜20日)のポスターでした。私は22歳。まだまだ出番が浅い時代。後に五代桂文枝を襲名される小文枝師匠。Wヤングの平川幸男師匠、大平シロー兄さん、桂福團治師匠の奥様翠みち代師匠、松旭斎天正師匠、滝あきら師匠。吉本新喜劇の木村進兄さん、井
シネマワイズ過去に、大阪うめだ花月シアター『シネマワイズ』今は、無くなっていますが、当時は吉本のタレントが出た映画などを上映しており独自に作った映画チラシなど、ありました。
昭和57年4月の花月三館の予告です。●なんば花月上席では幸朗・幸子、由紀子・幸司、大助・花子と夫婦漫才三組が揃う予定でしたが、残念ながら人生幸朗が3月4日に死去したので叶いませんでした。吉本新喜劇は桑原和男と京都の船場太郎が入れ替わり、木村進、岡八郎で檀上茂作・演出「紙ふうせん」。中席はやすし・きよしの代演で阪神・巨人。吉本新喜劇は三原和人作・演出の「どんでんがえし」で、花紀京、原哲男、船場太郎が出演。下席は阪神・巨人、紳助・竜介。吉本新喜劇は「大阪のブッシュマン」(作・演出
うめだ花月昭和39年10月下席の予告チラシです。トリの漫才は島田洋介・今喜多代。そして浅草四郎・岡八郎、なんと東洋朝日丸・日出丸がめっちゃ看板が上です。曲芸の海老一鈴子は難波利三の小説のモデルにもなった方で、娘さんが現在も海老一鈴娘として活躍されています。トップには横山やすし・たかしの漫才この時のたかしは横山プリン?レツゴー正児?その次には若き笑福亭仁鶴。ポケット・ミュージカルスはまだまだ若手の桑原和男、井上竜男、抜天太郎他。平参平が座長の吉本新喜劇は、藤永暁作・演出
10月20日木曜日〜その8(写真)東京独演会の翌日、小学館『和楽Web版』取材の折、藤田正さんの企画立案で少年社から出版されたカセットブック『河内音頭・新聞詠み河内家菊水丸』をご持参下さいましたが、其の発売記念ライブは、S61年7月25日、うめだ花月で開催されたのです。(写真)当時は『ミュージックマガジン』編集者だった藤田さんも舞台へ登壇。平岡正明さん、朝倉喬司さんとの座談会に出演。右端におられます。
10月19日水曜日〜その7(写真)独演会昼の部の終演後、チャーリーさんが持参された『河内音頭・新聞詠み河内家菊水丸』にサインをさせて頂きましたが、このカセットブックは藤田正さんの企画立案で世に出た作品。サインは当時のもの。裏表紙がまた凄い。三味線小野忠雄名人、和太鼓三音家浅照さん、ギター石田雄一さんのサイン入り。藤田さんの所蔵品ですが、小野先生のサインは初めて見ました。S61年7月25日、うめだ花月で発売記念イベントを行った際、寄せ書き的に書いたのでしょう。
うめだ花月昭和39年10月中席のチラシ。漫才のトリは秋田Aスケ・Bスケですが、屋号を「中田」と誤植されています。モタレは歌謡浪曲の中山恵津子ショウ。こんなに看板が上だったんですね。泉スナップ・中田チャックはコンビを組んだばかりで、スナップは後の泉ひろし。トップの柳エンド・水野千代子は夫婦漫才で、夫の方は三遊亭柳枝門下。なので上方柳次・柳太、泉ひろし、やなぎ浩二と同門ですね。ポケット・ミュージカルスは藤永暁構成の「わらべの歌」で、由利謙、原哲男、前田五郎他。吉