ブログ記事62件
『隆のごはん庭きのこ』トイレから出てこないよ。ameblo.jp『ご主人様を探しています…』奴隷になります。私を調教してください直接来てくれても構いません。ameblo.jp書いたの〜私にちかんして〜私のいらないタカゆうかいして〜タカもうすぐ小学校お金かけたくない〜タカいらない子
いらない子って、どうせ思われてるんだだったら必要とされる人になろうの、終わりだね必要にされるように。私という存在が私の周りの人の役に立つように。と、私は生きて来たのですが。もう、卒業していたと思っていたのに、まだ開かず壺があり何かの栓が抜けたのか底上げになっていた下の段にまだ残っていたのか。。はたまた、もう終わってるのにまた昔の行動になってるよという注意だったのか。。。ふいに私ってどうせいらない子なんでしょ?という感情が溢れてきました。。。しか
2018年のイギリスのドキュメンタリー映画「ジョン・レノン音楽で世界を変えた男の真実」(原題:LookingforLennon)をケーブルテレビで鑑賞。ビートルズのジョン・レノンか、ジョン・レノンのビートルズか?実働7年のビートルズは世界を変えましたが、その中心にいたのは、ジョン・レノン。そのジョン・レノンは40歳で生涯を閉じましたが、このドキュメンタリー映画はジョンの祖父がリヴァプールに移住したところから始まります。しかし、ジョンの幼少期は悲惨なものです。ジョンは長男ですが
母は亡くなる直前まで、幼い頃住んでいた家が火事になった時のことを話した。私はその話を小さな頃から何度か聞かされていた。火事になった時誰も自分を連れて逃げてくれなかった。4人きょうだいのうち自分だけが取り残された、といった話だった。私は「結局助かったんだから良かったじゃん」と心の中で呟いて母の話は殆ど聞いていなかった。その出来事で母は自分を4人の中で一番可愛がられていない子と思い込んだ。確かに子どもにとって他のきょうだいより可愛がられていないと
ブログに「さぞかし自慢の娘さんでしょ?言葉遣いが綺麗ですね(笑)」という趣旨の嫌味コメント頂きましたꉂ🤣𐤔以前にブログに書いたかもしれませんが私は親に褒められたことも自慢されたこともありません生まれてきて良かったと思われたこともありませんなぜなら私の母親にとって「学校で勉強するだけで東大首席卒業してハーバード大学に留学できるくらいじゃなければ『バカ』」私の母親にとって「社会人になったら親には毎年1億円以上送れなければ親不孝ないらない子、さっさと死ねばいい」だからなんだよ
アラフィフほーちゃんです☺️私には1才半年上の姉がいました。私が母親のおなかにいる時から父は男の子が欲しかったそうで私を出産した日、母親が女の子が産まれたと父親の仕事場に電話すると「女はいらない」と言われ電話を切られたそうです。「結局、お父さんは病院にも迎えにも来てくれなくて、お母さんあなた抱いてタクシーで家に帰ったのよ」よく母親に聞かされた話です。まったく意識してませんでしたが私は望まれてなかった私はいらない子だったという自己否定のイメージがぼんやりイン
小さい頃毒父からお前はいらん子だったんよ男3人欲しかったのにお前が出てきたから次の子供作るのやめたわって。お前は不細工だったからいつも家に置いていたお兄は可愛かったからお兄ばっかり連れて出かけたお前は本当に不細工だったって。だから私は異常なくらい外見を気にしていつも鏡を見るようになったそしたら、、お前は外面ばっかり気にして色気づきやがってって。ニキビで悩んでいた私の顔を見て何なぁ?!お前の汚い顔は‼︎前髪伸ばしていたら笑われるくらい短くされた
長女が自費出版で歌手デビュー。父母の会社が倒産、破産宣告。次女16歳、高校を辞めて母のエステ店を手伝う。強い挫折感と絶望感から、母の店に行かずに寝ている次女を、父が起こし足を掛けて繰り返し倒す。次女はその瞬間、父に対し「こいつ邪魔だな」と、ハッとする。「死ねよ。邪魔なんだよ!」と初めて大声で言われながら蹴られた父は、お金が回らず途方にくれているところに追い討ちをかけられ、めげる。借金の返済と謝罪に追われる母は、今の状況に対応できない父に失望し、浮気して父と離婚する。
こどものころ褒められてうれしかった思い出は?他人からは褒められたことがありますが、亡き母に「他人はお世辞言うからね。あんたにいい所はひとつもない、クズだからね🤣🤣🤣」と常に言われていましたから、褒められたことはない、すなわち「褒められてうれしかった思い出」も「ありません」「よいこ」ではなく「悪い子」でもなく「いらない子」でしたから▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
離婚家庭小さいときに父と離れた。いわゆるいらない子として生まれた。私は高校中退後、大検を受けて地方公立大学に進んだが授業料はたしか30万円、しかも分納可能にてなんとか生活費を稼ぎながら、奨学金もらって卒業することができた。今って、もっと授業料高いよね大変だろうなと思う。
いま拮抗中(たぶん)というか移行期か?「存在してはいけない子なんていない」ってことを思ってる、へんな私がいる。いや変じゃないフツーのことじゃんかそれ。しかし自分がそう感じるのは変なことなんだ。頭では分かってたけど、で心でも分かりたく分かろーとしたけどどーしても分かれなかったことだ。でそう思ったきっかけは、ランダムに開催される“トラウマ解消大会”だ。特になんかやるわけじゃなくて単に子供時代の負の感情を追体験するという地味な活動だが。まあ“供養”とも言う。子供時代の亡霊の
離婚家庭小さいときに父と離れた。いわゆるいらない子として生まれた。母子家庭で育ったけど、絶望的な寂しさというのは無かったな周りも貧しい人が多かった気がするなこれから豊かになるもんねという希望があったからかぎすぎすしてなかった長屋のおばちゃんの家に遊びに行ったらお腹すいたやろって、チキンラーメン食べさせてくれたり情報が溢れすぎているというのもあるだろうけど先行きが不安にて暗い世の中貧乏が悪いのではなく、人間、希望
離婚家庭小さいときに父と離れた。いわゆるいらない子として生まれた。母子家庭で育ったけど、絶望的な寂しさというのは無かったな長屋で暮らしてて近所の人が遊んでくれたり声かけをしてくれたからだ。今の世の中特に都会はそういうのが少なそうだ。孤立感がすごいんだろうな。
離婚家庭小さいときに父と離れた。いわゆるいらない子として生まれた。自分が親になって親に可愛がられたことが無い人って親になってから、少なからず戸惑うだろうな自分は、あれもこれもしてあげたいっと思ってしまって決して過保護という意味ではなく留学したら?とか子どもにとっては、少し迷惑な親かも自分ができなかったことを子供にさせることで自分の気持ちを埋めてるんだろうなと自覚は必要だ。
離婚家庭小さいときに父と離れた。いわゆるいらない子として生まれた。父といた期間は短かった。父が釣り好きだったのを覚えている。お金は無いから、船には乗れない家の近くは工業地帯工業地帯の温水が出るところがあるらしく船に乗らなくても、大きなお魚が釣れる場所があるらしい。釣りの話は、楽しそうにしてたな不思議とそんなことは覚えてる。
離婚家庭小さいときに父と離れた。いわゆるいらない子として生まれた。父といた期間は短かった。キャッチボールしたりとか遊んでもらったこととか無かったな父親が笑った顔を知らない。
「うみそら」という横浜にある病児専門の学童のようなところをNHKが特集した。あんなにかわいがられているのに、難しい病気になり、ランドセルを背負うことなく逝ってしまった娘さん。他にも…一方、この生みの親は自分が妊娠したことを「しょうがないな」程度に思っていたのだろう。妊婦検診にもいかず、当初は母子手帳をもっていなかった。シングルマザーなのか。出産しなければこんな悲惨なことがおきなかった!妊娠をやめれば、2歳児を殺すこともなかった。中絶で16万人、プラス子殺し不審死で何万。(
こんにちはあっという間に12月になりました!一年がすぐに終わります最近毎日使っているリリースとグラウンディングのアロマです不要な思い込み、毎日吐き出して身軽な私になるよう使っています🥰今日もひとつ出てきたのが、私はいらない子というもの。小さな頃、親から橋の下から拾ってきたと、ことあるごとに言われていたのがふっと出てきました。冗談で、そんなことはないとわかっているけど、ずっと残ってたんだなこれももういらない思いリリースします!
私が実の父親に会った時には新しい家庭があり子供も存在した母親が違うきょうだいずっと一人っ子で育ってきていて突然「きょうだい」が存在していても私には難しい話しであり「親を共有する」行為が理解できない普通なら「きょうだい」が産まれるまで時間があり独占する時間があるだろうと考えていたから父親が再婚して子供が産まれていると知った時に自分の中で絶望みたいな感情がうまれた今となれば分からなくもないが父親に電話をかけて繋いでくれる奥さんではなくて父親が働く職場に電話をかけるしから連絡できない
コロナのせいで急にデイサービスが休みになりました学校に迎えに行かなければならなくなりそれだけでも面倒なのに行って私の顔を見るなりパニック(我慢してたから)他害をしてしまいました帰り道もランドセルを投げたりマスクを捨てたりパニック中の顔は気持ち悪いかわいくないまた人前でキレてしまったこのまま捨てたいこのままコロナが続くとまたずっと家で私が見ないと?母として最低なことを考えましたこのままいなくなってくれないかな...最低ですねいなくなったら楽なのに...
【12月28日・火】自分が、この家に生まれて良かったって思ったことないから、自分の子どもも欲しいと思わない。多分、自分に子どもがいたとしても、「この子、いなきゃ良かったのに」って思う日があると思う。「こんな親、いなきゃ良かったのに」って何回も思ったみたいに。
「受験、落ちたら、私は要らないってことでしょ。要らない子でしょ。」そういうことではないよ。「でも、要らないから落とすんでしょ!」なんて言ってあげたらいいか、分からない9月から、学校の勉強はほとんどしていない。でも、それまでは頑張っていた。成績もそれなりにとれていた。内申書をみてもそれなりに頑張っていたことはわかるだろう。たった数ヶ月の不登校を理由に、落ちてしまうなら、もし、合格出来ても、きっと、高校で何かあったときに、助けてはくれない学校なのではと思う。もしまた不登
父の状態は、階段をおりるように悪くなっていきました最初はトン、トン、トンと一段一段、終りの方は、タタタタタタ…とこちらが追いつくよりも早く駆け下りていってしまいましたある日、突然食べられなくなり呼吸器をつけるようになりジュースやゼリー飲料もあっという間に受け付けなくなり水分をしみこませたタオルを口元に持っていくとわずかですが「口を湿らすことができる!」と発見してそこから1.5〜2日で処方の座薬モルヒネが効かなくなりました一晩中、痛みを訴え続けた父緊
昨日の続きですhttps://ameblo.jp/wonderful-memories-now/entry-12664219113.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=dd88d8b31121458ea2e3477ab02e91bf『出来ちゃった結婚だった私の親①』私は物心ついた時から死にたいと思っていた私の記憶の中にある幼い私は家の柱に遺言のように、えんぴつでれいぞうこさんさようならせんたくきさんさようならと家具にお別…ameblo.jphttps://am
私の人生は闇ばかりだ。母は私を産む時、逆子で首にへその緒が巻きついて難産で、医師が祖父(母の父)に「娘さんとお孫さん、どちらを助けたいですか?」と聞かれ、「娘を助けてください。」と答えたそうだ。結局産まれた私は仮死状態。医師がお尻をペシペシ叩いてようやく泣き始めたという話だ。ただここからが問題だ。私が産まれた時点では母と父は入籍していなかった。母は絶対この男と結婚したくないと拒否していたらしい。でも孫が私生児になるのは嫌だと祖父は入籍届を代わりに書いて4日後提出した。母は父に愛情は全く無