ブログ記事40件
自分のブログにアウトプットするたびそれと同じだけの秘密の感情に気づく。裏アカを作ったらたぶん、表と同じだけの記事が書ける。その秘密の感情に触れるたび、ドキドキしてくる。いや、、、だめでしょ。一応ここでは容認するけれども、思い余った行動に走った瞬間逮捕な( ̄▽ ̄;)(あ、リアルな警察沙汰なことじゃなくて、私自身からねww)ってなる。それは一応こんな私でも生きてる時代や場所の秩序を守ろうとしてるってことなんだろうな。それによって自分を守ろうとしてるんだろうな
こんにちは。今日はあの日見たブログの続きを僕達はまだ知らない。という皆さんのためにつづきを書こうと思います。(↓あの日見たブログ)https://ameblo.jp/hanamori2019/entry-12607757090.html『小さい頃お風呂でおならしたら母が鬼になったトラウマがあり昨日息子が同じことをして脊髄反射的に』タイトルの通りなんですが。幼い頃…3〜4才くらいかな?お風呂の中でオナラしちゃってそしたら母がものすごい剣幕で怒り散らして湯船にためたお湯は無残にも
久しぶりの心療内科でした。睡眠導入剤をもらってきました。やっぱりね、寝つきが悪いし夜は怖いんです。でも、量がだんだんと減ってきています。ゆっくりゆっくり戻していけば良いと思っています。さて、今日からの待合室に高校生の女の子とお母さんが先に来ていました。女の子の制服は息子の所属していた学校の制服でした。女の子の表情は元気が無く(心療内科に元気でくる人はあんまりいませんけど)力がない感じでした。傍らには重そうな通学鞄と紺色の飾りの一つもないリュック。そして、ピリピリしているお母さん
長女17歳の誕生日でした自由登校だったけど今日は学校へ行くというので市内の高校まで車で送っていきました長女とはそんなに会話をする事はないけど会話が無いことも苦痛な訳ではなくむしろ2人でいる事が心地良い口数少ないけど実は父親の様子を結構気にかけてくれていてお笑い番組の特番がある時はいつも教えてくれて録画もしてくれている昔から手のかからない子だったけど長女なんで1番お父さんに厳しく叱られたと思う子育ての事が分からなかったから無闇に叱ってたなぁー今思うと申し訳ないほどだけ
昔の嫌な思い出を『あの時は仕方なかった』そんな風に終わらようとしたこと、ありませんか?あの時は、ほかにやりようがなかったしあの時は、精一杯だったからだから仕方なかったそれは自分のときもあるし友人や親のこともある仕方なかったんだよ・・・って思い出すたびにそう思う出来事ちょっと待ってね思い出すたびにそう思うってことは本当は心のどこかで『仕方ない』と思っていないから今でもひっかかっていてくすぶっているの仕方ないってことにしておけば心の傷は
いおりちゃん生後139日目。いおりが産まれてからずっと一緒にいる子がいました。重い病気を持った子が集まるいおりの病院でもNICUにいる子はすぐに大きくなってGCUに行き、退院していきます。いおりの様に5ヶ月が近づいてもまだいる子はほとんどいないので、ずっといるお母さんはすぐわかります。その子が、遂にGCUに行きました!おめでとう!(知り合いちゃうけど幼なじみ)その子がいたのは、いおりが元々いた場所の隣、そこにいた子はぼくらの目の前で心臓マッサージを受け亡くなりました。
別れが近くなると、意識障害(せん妄)が現れるって話同じすい臓がんの方のブログを読みましたなるほど~って思って・・・あれ?あの時のお母さんももしかしたらせん妄って呼ぶのかなって思い出しました去年の8月と11月12月と入院したんだけどそのどれも意識障害出てましたまず、いつものお母さんじゃない状態目を開いてられない(すぐ瞑る)首だけガクッとうなだれてる話しかけても会話にならない(うんとかはいとかの返事だけ)1人では歩けない後から聞くと、全く覚えてないらしいんですけど
心は音叉のようなものです。一人ひとり胸の中に音叉をもっています。あなたの音叉はあなたが自己表現をするとき鳴ります☆悲しい☆嬉しい☆イライラしたといった感情表現はもちろん☆椅子に座って読書☆寝ること☆テレビを見るといったことも自己表現です。24時間365日休まない心臓のようにあなたは常に音叉から何らかの音を奏でています。例えば誰かと一緒にいて共に笑うときそこには心の共感、共鳴、共振がありますあなたが笑うとあなたの音叉がなります。あなたの「笑いの音」は
私は昔、大学病院や中規模の小児科で働いていましたそこで働いていた経験を今の育児に生かしているのですが(生かせてないかもですが笑)今はもう小児科からは退いて、一般病院で働いているのですが、、、、ふと思い出すことがあるので、時間のある時に書いていきたいなと思いますお暇のある方は読んでやってください↓↓育児ノイローゼのお話です。(お名前は架空の名前です)↓↓「看護師さん、この子が左ばっかり向くのは障害があるからですか?」ある日、付き添い入院されているお母さんからこんな質問がありま
それは正義とは相容れないから1パーセントでも善の要素があればどうにでもできるけど、100%の悪は絶対無理。それを受け入れたら、俺の存在は終わる。100%の悪は、俺の根本から相容れないものだ。それを受け入れてしまったら、戻してしまったら、俺は一生の罪悪感を背負って生きることになる。俺のベースにしているアンパンマンの基盤を捨てなくてはいけない。それは考えられないことだ。しばかれ続けたあの言葉にできない心が耐えられない世界に戻ってしまう。心が折れる。恐怖なんだ。裏にあるのは。アンパ
こわっ!!すとーかーみたいやんメンヘラみたいやんでもあの時のお母さんほんまにニコニコしてて幸せそうやったし、その裏で孤独があったし、寂しそうにしてたもんな。だから俺も従ったんやな。お母さんが可哀想に見えたから。それが良くなかったんやな。俺の心が泣いてるよ。ほんとはそんなことしたいわけじゃないんだって!!お母さんは残念でかってに幸せになったり孤独と寂しさを抱えていてもそれはお母さんの勝手。俺はなんの関係もない。お母さん幸せやったなぁ。だからまあいっときだけはその遊びにつきや
めちゃくちゃダラダラ書いただけです。暇だったら……本当に暇だったら……ね。入院中でヒマすぎるんだもの。でも…嬉しかったから随分前に書いたこのブログ記事。あれ以来、1度も彼に会えず心配していました。お母さんの事も…とても心配でした。あの時のお母さん…たぶん私と年齢なんか変わらないと思いますが髪は整えておらずお化粧もしていなくて…もしかしたらお化粧は涙で流れたのかな。お母さんの姿は息子さんに対する心配の度合いまで物語っていたような…その親子をやっと見かける事ができました。息子さん
お母さんからは見つかるイメージしかない。当時どうしたらはお母さんに見つからなかったんだろう?ジュンク堂とかに行くとか?ありやな涼也にはクラス替えが現実的に効く。じゃああの時のお母さんに対しては?姫路城まで行く河原で橋の下に隠れる遊園地で隠れる学校にかくまってもらう幼稚園の友達の家にかくまってもらう。これありやな保育園幼稚園の友達の家にかくまってもらう。そうしたら必ず親御さんが目を光らせてくれるから。それを繰り返せばお母さんも徐々におとなしくなっていったはず。もういっ
若い頃は流行りの化粧品新しい化粧品高級なブランドの化粧品なんだか、そんな化粧品を買ってたそもそも、マメじゃないからお酒飲んで酔っ払って化粧を落とすことすら面倒でそのまま寝ていたこともしょっちゅう歳取ると肌もなんだか余分なものがいらなくなる最近、子供の頃に親が使ってた化粧品が今でも売っていたりするのがあってね今でもあるなら良いのかな?そんなふうに思って、揃えちゃいましたわしかも、カワイイこんなに揃えても4000円にもならないこれなら続けられるでしょああ、いい匂い
家事、育児は母親がやらなきゃって思考が私にはあってそれがあると、家事、育児を手抜きしたい自分が苦しくなってしまうこの思考は何でだろう?と感じてみると裏にはこんな思い込みがあった!家事、育児が適当だと子供がさみしがるかな子供が愛されてないって感じちゃうかなって、、、これって本当は、私が仕事と3人の子育てで、家事まで手が回らなかったお母さんへ思ってた事当時は、何で掃除しないの?とか何でご飯手作りじゃないの?とか帰るの遅くない?とかお母さんに言って怒って
あたしが多分8歳くらいの頃。妹とあたしはお人形遊びが大好きで、家にあるお人形をみーんな出して遊んでいた。小さいのからキーホルダーに付いているぬいぐるみからなにから、全員で170人くらい!買ってもらったものよりも、もらったものやバザーの余りで家に連れてきたものの方が多かった。みんなに名前をつけて分け隔てなく遊ぶあたしたち。お母さんが台所から「ごはんだから片付けなさい」と言った。気づけば6畳の部屋はお人形、ぬいぐるみ、おままごとセットなどで足の踏み場もない。あたしたちは片付けをしながら
『もう、2度と〇〇してやらない』今思えばよく言われていたしこの、お母さんの口癖によって私はずっとビクビクと怯えて生きてきたのでした。お母さんに見放されたら子どもの私からしたらとんでもない恐怖でした。なぜなら、いつもお母さんがなんでもやってくれていて、それが良かったからです。お母さんがいるから、不自由なく生きていけてた。お母さん無しには生きていけない状況なのに『もう2度とご飯作ってやらない』と言われたら私は生きていけないから恐怖です。しかし、お母さんはそうは言うけど、結局
バトミントンしてて自分と相手に思った。そういえば母も悔しいなぁ、もっとできるやろお前って言われた記憶あるなぁあの時のお母さんはとても悔しそうだったなぁその思いが残っとって、お母さんにもう2度とあんな悔しそうな顔させたくないと思って、そういたんじゃないかな?あの顔は悔しそうだったなぁ。まあ、いいか。
おはようございます今朝は5時起き!息子の卒業式で山梨へ行って来ます。心屋認定カウンセラージャージコバ事務局員の美和子です。出かける前に一言(笑)母がよく言った。あなたが親になったらわかるわよ!わたし、この言葉大嫌いだった。今わかりたいよ。今、どうしてそんな事を言われるのかわかりたいわよ!今!わかるように説明しろよ!そう思ってた。悔しいけど悔しいし認めたくなかったけど。今親になってわかるあの時のお母さんの気持ちあの時のお父さんの気持ちお母さ
こんにちは^^ワークライフスタイリスト®︎ハッピーママライフクリエイター津田育美です♡現在100日間連続更新チャレンジ中です♡100日間連続更新についてはこちらから募集中のイベント本好きのお茶会詳細はこちら♡ワークライフスタイリング詳細はこちら♡私がまだ子供を産む前、バスに乗ってて赤ちゃんと5歳くらいの男の子を連れたお母さんがいて、大変そうだなと思って席を変わったことがあったんです。その時そのお母さんは5歳の子供を座らせて、お
どちらかというとインドアな私ですがひよっこり声をかけてくれる友人のお陰で思いがけずディズニーランドへ35周年なんですってそしてハロウィン真っ最中嬉しいサプライズ演出ワールドバザールが幻想的な雰囲気に…こんなミニーちゃんも可愛い…ハートの女王のお城でミッキーの可愛いスペシャルケーキちょっと食べ過ぎた…35周年を祝う夜のショー〝Celebrate!TDL〟シンデレラ城が魔法にかかったみたいプロジェ
最近、昔の私の話を息子たちが、ダンナさんにする「あ、あれは、お母さんがにぃーちゃんにキレて投げたから壊れた」とか「あの時のお母さん毎日ご飯作りながらお酒飲んでさー、でも今みたいに、全然酔ってなかった」とか、、へーへーすいませんねー( ̄▽ ̄)と思うそしてちくっとするあーあの子たちの中にいた今までの私はガチガチでトゲトゲでいつも怒りまくってお酒飲んでるんだなぁ...って今みたいに3パーの缶チューハイでへべれけになるわけでもなくダンナさんや息子
アメンバー申請の前にこちらをお読みください。酷いいじめの被害に遭ってから10年以上が経ちました。テレビなどでいじめの話題が取り上げられたり、いじめが原因で自殺に追い込まれた人の報道があると他人事ではありません。今、長女には、「いじめられた時の記憶がない」のだそうです。とっても辛くて悲しかったのは覚えているけど、詳細な点は覚えていないのだとか。いじめのきっかけや原因や誰がしたかについて、学校に行って当事者から直接聞いたのはわたしでした。家に帰ってそ
こんばんはエミエルです。☆「相手のことで悩むのは自分の問題を解決するため」by一人さん今自分に起きていることはすべて今の自分にちょうどいい学びらしいです。自分に超えられない悩みは来ないといいますがもし来たのならそれは本当に自分の悩みかどうかを考えてみる。悩むということは必ず自分の方に改良点があるから悩むそうです。だからもし相手のことで悩んでるのなら自分に改良点やしてあげることがないか考えてそれがないなら
深夜2時半。娘、大好きなのに、どうしてこんなにイライラしてしまうんだろう。怒りたくないのに、怒ってしまう。週末金曜日は特にそうだ。イライラするのが嫌で、怒りたくなってしまうのが嫌で、顔を見ないようにしてしまう。目を合わさない母親なんて、きっと寂しい気持ちにさせてるよね。わかってるんだけど、、、ね。このままだったら、いつかあなたの可愛い笑顔も、凍りついてしまうんじゃないだろうか。私の前で笑ってくれなくなったらどうしよう。自分の怒りをコントロールするって、こんなにも
こんにちは、困難から生き延びた*SAWAです。こころと身体双方向からアプローチします。あなたは自由に生きる意識の中の親を抹殺する「母との確執」で書きました。あなたのこころの中のお母さんは、いつもあなたに腹を立てて怒っている。あなたがこだわっているお母さんは、あの時のお母さんなのです。そして今、あの時のお母さんを今のお母さんに重ね合わせて、苦しんでいるのです。あの時にあなたを苦しめたお母さんはもういません。あなたのこころの中にしか存在しませ
先程の続きです当時、私はまだ小学生だったので正確な時間までは覚えていませんが感覚的には、深夜だったような記憶がありますようやく、母が帰宅しました「無事だったんだ」「帰って来てくれた」とか「何で、連絡して来ないの?」「何で、どっか行っちゃったの?」「心配したんやで」とか母が、帰って来てくれた喜び安堵怒り、悲しみ色んな感情がどどっと押し寄せてきたのを覚えています攻める私に母がポツリと「新幹線、見送りに行ってた」キョトンとする私と叔母叔母が「知り合
そんなに食べたかったのかな?大雪の中、約束通りあったかグッズ山盛り持って病院にお母さんを迎えに行ったよひとひらの雪にもあたらないよう、完璧なプラン立てたよ地下駐車場にして美味しいお昼食べたよねお母さんの「看護婦さんのおみやげにしたい」って言葉を信じてクッキー🍪18枚入り買ったよでもさ、今日行ったら自分で開けて食べちゃってたねあらあらあらららそんなに食べたかったのかな?こころの栄養にクッキーが必要だったのかぁ私はさ、お母さんの病氣に配慮しながら毎日低糖質のおやつを選んで持って